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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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世界の奇習02(中国)

2012.11.27 (Tue) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

中国の奇習 盲妹

盲妹(まんめい)とは、中国の広東に存在したと言われる人為的に視力を奪われた盲目の娼婦である。
幼女のうちに目を潰して育てると集中力が増し、踊りや音楽などの芸が上達するといわれる。

ただし、盲妹は芸妓や舞妓とは異なり、明確に娼婦の一形態である。
目が見えないため、客を選り好みせず、逃げることも出来ないという利点があった。
また、盲妹の中には前歯を上下抜かれていた者もいたとされる。

これはフェラチオをする際に歯が当たらず、男性に対して大きな快感を与えるためであるとされる。
盲妹の存在自体を都市伝説と見る向きもあるが、史実であることを窺わせる話も伝えられている。

(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)




 








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海賊キッド埋蔵金伝説

2012.03.30 (Fri) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

大海賊キャプテン・キッドが残したという財宝が日本にも眠るという伝説があるのをご存知だろうか。

詳しくは日本の埋蔵金伝説、というサイトで特集を組んでおられるので、詳細はそちらを参照していただくとして…ざっとかいつまんであらすじを追っていく。

キャプテン・キッド、本名はウィリアム・キッド。
1645年にスコットランド西部に生まれる。

ニューヨークに移住した後、貿易船の船長なった後に対仏植民地戦争で西インド諸島で私掠船船長として活動。
1696年政府から海賊討伐を命ぜられマダガスカル島に行ったが資金難となり、海賊船ではない船まで襲うようになる。

1698年1月に東インド会社の商船クェダ・マーチャント号を襲い、ついに海賊として手配されるに至った。
1699年にニューヨークに戻ったところを捕らえられ本国に送還、1701年5月23日、絞首刑になった。

キッドは処刑される直前、「自分はある場所に財宝を隠している」と叫び、その場所を説明しようとしたが、処刑人はそれを無視してキッドを処刑してしまったという。

この逸話をもとに「今もどこかにキャプテンキッドの財宝が眠っている」という伝説が発生した。

結果として、キッドが実際に海賊と呼ばれて活動したのは1年ちょっとの短い期間であり、現在伝わる伝説はかなり大きく膨らんでしまった冒険譚であることは少し残念ではある。

それでも、彼の活動拠点に近かったニューヨークのガーディナーズ島や、カナダのオーク島では隠されていた宝物が見つかったことがあるので、財宝はない、と考えるのも早計だろう。

2007年には米インディアナ大学のチームによって、ドミニカ共和国の保養地カサ・デ・カンポ沖にあるカタリーナ島近海で、クェダ・マーチャント号とみられる船が発見されたりしている。

日本にその財宝が眠るという話の始まりは昭和12年「日本東京、日本領事館」宛で「コネチカット州サウシントン市米国探偵家秘密情報員」から届いた一通の郵便。

「この地図は一七〇〇年頃キッド自身が書き残した記録の写し……」で始まる内容は海賊キッドが東シナ海で稼いだ財宝を南西諸島の宝島に埋めたというもの。

「宝のある場所は、死の谷と名付けられる窪地、活火山から噴出する有毒ガスが常によどんでいる」

宝島では東側の経ヶ峰が当てはまり、鍾乳洞の洞窟もあり絶好の場所だ。

宝島の正式な地名は鹿児島県鹿児島郡十島村宝島。
屋久島と奄美大島の間に約160㎞にわたって連なるトカラ列島には、7つの有人島があり、北から口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、そして最も南に位置するのが宝島である。

名前の由来に関してははっきりしていないが、日本書紀にすでにその名が現れていることから、島名自体は海賊に由来したものではない。

キッドが日本にきた可能性はあるのか、というと史料としては残っていない。
しかし、宝島には「元禄11年のころに外国の海賊がやって来て、洞窟に逃げ込んだ島民を焼き殺し、その洞窟に住み着いていたが、あるとき、財宝を残したまま島をあとにした」という伝説が残る。
元禄11年とは西暦でいうと1698年で、伝説と符合する。


近年まで幾多のトレジャーハンターやかの24時間テレビなども埋蔵金発掘を行っているが、未だ発見されていない。
もし機会があったらチャレンジしてみてはいかがだろうか。



参考サイト:海賊キャプテン・キッドの財宝を探せ!
http://home.f01.itscom.net/yaeno/Cap.Kidd01.html






 








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大友宗麟埋蔵金伝説

2011.12.31 (Sat) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名であり、キリシタン大名。大友氏第21代当主。宗麟の法号で知られている。

海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。

当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。最盛期には九州六ヶ国に版図を拡げた。しかし「キリシタン王国」建設間近で島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名に甘んじて豊後一国までに衰退した。

この大友宗麟の残した軍用金が眠っているとされるのが、大分県臼杵市、臼杵城である。

このネタを紹介したのが「特命リサーチ200Ⅹ」という番組らしい。
番組によれば、宗麟の息子・義統がこのありかを記したものを肌身離さずもっていたらしく、その後紆余曲折を経てとある男がこの財宝を見つけるが、ふたつのうちひとつがまだ残っている可能性があるという。

暗号文は、「逆木から卯の方向に五十五足」。

逆木、が何を指すのかがわかればしめたものなのだが、すでに伐採されている可能性も…。




 








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願い事がかなう寺

2011.09.23 (Fri) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

299 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:01:36 ID:jPEKayzm0
京都にお参りすれば願い事が叶うというお寺があるんだけど、それにまつわる話。

JR環状線のとある駅で乗り込んできた女の子3人組、ちょうど私の前の席で話す内容がよく聞こえた。

「こないだ○○寺にお参りいったやん、私願いごと叶ったでー、正看試験受かった!」
「ほんまに?!おめでとう!実は私も彼氏できてん」
「すごいなー二人とも願い叶ってるなぁ。実はな、うちも海外留学いけるようになってん」
「すごい効き目やなー。そういえば○ちゃんの願いどうなってんろ」

その場にいない友人の話になり、正看に受かった女の子がポツリと、
「…○ちゃんな、入院してん、肝臓壊して」
「最近やっと面会できるようになってん」
「こないだお見舞いいってんけど、むっちゃ激やせして別人みたいやった…」

後の二人は顔を見合わせて、
「なあ、○ちゃんの願いってあれやんな…」
「…うん、○ちゃんずっと痩せたい痩せたい言うてたな」
「願い、叶ってるな…」

で、その○ちゃんは、4人でお寺にお参りに行ってからすぐ入院してたらしい。
もう3年くらい前の電車の中で聞いた話。
そのお寺のことを調べたら、一つだけ具体的な願い事をしないといけないようで、もしかしたら○ちゃんは、ただ痩せたいとだけお願いしたのかなと思った。

ちょうどその頃行きたいと思ってたけど、その話を聞いて漠然とした願いしかないので行けなくなりました。
一つだけ具体的な願いって難しいなぁ。
しかもこんな話聞いたら軽々しくお願いできない。



300 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:24:21 ID:+KS2yW0N0
ブラックジョークみたい。



301 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:49:17 ID:ctGB/PZL0
>>299
お願い、どこのお寺かヒントだけでも教えてください。



304 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 18:34:21 ID:jPEKayzm0
>>301
秋にリーんりーんと鈴の音のような音を出す虫寺です。

>>300
自分も聞いたときはそう思いました。
この話をすると大抵作り話でしょと言われてしまいます。



305 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 19:00:37 ID:jdUXfyR10
>>304
そのお寺の住職さん、面白いよね。
うちは、夫が宝くじが当たりますようにと願ったら、オーストラリア旅行ペアでご招待が当たりました。
結局、自分たちが行って帰ってきたばかりだったので、親に譲ったんだけど・・・意味ないし。


(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)




 








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天草四郎埋蔵金伝説

2011.07.15 (Fri) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

 天草四郎。
元和7年(1621年) - 寛永15年2月28日(1638年4月12日)に生きた、キリシタンである。
その風貌や伝説から、フィクションに多く取り上げられる題材である。


島原の乱の指導者とされている人物で、幕府の攻撃による原城陥落により自害したとされる。
本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は「ジェロニモ」もしくは「フランシスコ」。一般には天草四郎時貞という名で知られる。

一般には益田甚兵衛の子として熊本県上天草市で生まれたとされるが、長崎出身という説もあり、出生ははっきりしない。大変聡明で、慈悲深く、容姿端麗で女が見たら一目惚れするという話もあるが、これは後世の後付設定であろう。

島原の乱勃発時は16才程度の少年で、十字架を掲げて戦闘を指揮したと伝わり、徳川幕府の軍隊による原城への総攻撃を受けて、炎の中で自害したとされる。
が、キリスト教では自殺は禁じられているため、敬虔なクリスチャンのはずの四郎が自害したとは考えづらく、真相は不明である。

実際には少年であった四郎が大規模な反乱を組織したり戦いを指導したとは考えられず、実質的な首謀者は庄屋や浪人たちで、彼はその象徴として祭り上げられた性格が強い。しかし、3万7000人とされる島原の乱の参加者が主と仰ぐカリスマ的存在であったのは確かである。

尾張徳川家の蔵書などを所蔵する名古屋市蓬左文庫に収められていた「天草陣雑記」において、四郎が妻帯していたと思われる記述が見つかっている。

さて。
埋蔵金だが、原城での篭城も限界を迎えた四郎は女性や子供、老人らを逃がすことにして、後の軍資金に、と財宝を埋蔵したらしい。
これが今回の「天草四郎埋蔵金」である。

その内容は6kgの黄金の十字架をはじめ金銀の燭台20基、宝石をちりばめた王冠や大判小判。
もちろん、天草四郎や島原の乱に参加した浪人たちがこんな財宝を持っていたとは考えられないが、それでもキリシタンの装飾具関係が含まれることから、この話を信用する人が多い。

ちなみに、この話は地元に伝わるものではなく、幕末近くに江戸のある商家から出てきた記録にあったものらしい。

ところが、宝の守り役に選ばれた小山田慶信(けいしん)が財宝のありかを示す書付を残して失踪。
財宝がキリシタンの復活に役立つことはなかった。

慶信の書付には埋められた場所の目印に三角池が記されてあったという。
また上島から発見された十字架に書かれていた
「さんしゃる二、こんたろす五、くさぐさのでうすのたからしずめしずむる」
の文字。

天草の地図に「さんしゃる」という場所があったことから、熊本県天草郡苓北町の山中にある湿地帯が三角池に当たるのではないか?と何度か捜索された。

財宝をおさめた箱の一部のような木片が発見されたことからかなり期待されているが、現在ではまだ発掘された、という情報はない。

もし発見されれば、文化財として相当な価値が見込める財宝だ。



 








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