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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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村上水軍埋蔵金伝説

村上水軍。
日本史上最大の海賊と言われる、瀬戸内海の覇者である。

詳細は【wikipedia】や【村上水軍博物館】に譲るが、ざっくりと纏めると以下のような感じ。

村上水軍は大きく分けて3つに分かれる。

・能島(のしま)村上水軍(能島衆)
中世後期に瀬戸内海の伊予国能島(野島・大島)を拠点に活躍した武装集団。
毛利支配下の水軍として、織田・豊臣両氏と対立する。
豊臣方に下った来島村上氏を許すことができず、執拗に攻撃し瀬戸内海より来島村上氏を追放する。
最終的に豊臣秀吉の四国攻め後、瀬戸内海を追放される。

・来島(くるしま)村上水軍
室町時代は伊予守護河野氏の重臣で、戦国期には毛利氏の水軍として働く。
五代目棟梁通総(みちふさ)のとき来島氏を称し、河野氏を離反、豊臣秀吉の水軍に編成される。
明治維新後は子爵となる。

・因島(いんのしま)村上水軍
広島県東南部に位置する因島を拠点とする。
豊臣秀吉と対立し能島村上氏は瀬戸内海から追放されるが、因島村上氏は小早川隆景に属し、毛利氏の船手組番頭としてその後も勢力を維持する。

これら3つの村上水軍、元は1つの家であり、清原源氏の流れを組むと言われているが、はっきりとわかってはいない。
なんにせよ最終的に敵味方に分かれて戦ったのだ。

豊臣の四国攻めの際、来島は豊臣方、能島と因島は敵方としてぶつかる。

今回の埋蔵金伝説はこの能島村上水軍のものと言われる。

豊臣に本拠地をつぶされた能島は瀬戸内海西よりの屋代島へ逃走。
その際に小豆島(しょうどしま)…香川県小豆郡土庄町、皇踏山麓(おうとさんろく)に埋めたと言われているのだ。

ただし、これに異を唱える説もある。
小豆島と屋代島は200kmほども離れている。大切な財宝をそんな遠くへ埋めるのはおかしい、というのだ。

すると、屋代島に近い島々に埋まっているはずなのであるが…。

今現在、この埋蔵金はまだみつかっていない。


 




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明智光秀埋蔵金伝説

本能寺の変で有名な明智光秀。
彼にも埋蔵金伝説がある。それどころか、実際に秀吉に討たれたのは影武者で、本人は生き延びていた、というまるで源義経のような伝説があるのだ。

なんと、天海僧正として徳川家康の冬の陣を助けた、というのだ。
そして出家した光秀は「護法救民のために宝を埋めた」という。

埋蔵地と言われる場所は4箇所。

ひとつは滋賀県大津市、琵琶湖底。次に京都府亀岡市亀山城跡地。そして京都府北桑田郡京北町。最後に兵庫県篠山市である。

兵庫県の金山城があった周囲には次のような歌が伝わる。
特に追入に関しては、宿屋にフラリと立ち寄った光秀が、宿の主人に鍋の蓋をもらい、そこに書いた、と言われるものだ。

追入に伝わる歌
「金山の 尾の尾の先の尾の先に 朝日照らす木のもとに小判千両 有り明の月」
宮田には
「夏栗の 尾の尾の先の尾の先に 黄金千両 有明の月」
草山には
「朝日射す 夕日輝く花の木のもとに 黄金千両 細縄千ひろ」

残り三箇所に関しては「護法救民の書」に書かれた歌に基づく。
その歌とは次のものである。

「身をも名も 惜しまねばこそ 松のみとりいろ濃き 弥生空 くちなは頭の影をふむ 岩戸苗のその下に こかね三百しろかね千貫」

当時の貨幣価値は別にして、江戸初期の1両はおよそ10万円とされるので、億は下らないだろう。


 




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首都広島

過去…江戸時代以前は平安京や平城京など、日本の首都は奈良や京都、滋賀、兵庫、大阪などの関西地方にあった。

江戸城が開かれてからはずっと東京が日本の首都機能を担っている。

ところで、1年間だけ広島に首都があった、とする説があるのをご存知だろうか。
それほど昔の話ではない。
明治時代の事である。

その根拠は、日本の首都を直接定める現行法令が存在しないことによる。
2010年の現行法のみならず旧法、及び慣習法の読み方によって、東京(東京都)を唯一の首都と解さない論者もいるということだ。

まあ、今現在において(唯一無二の首都ではない、とする者はいるものの)、東京都が首都であることは慣習的に認められるものであろう。

(ちなみに、首都を定める法令は存在しないものの、、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域を首都圏と定める首都圏整備法は存在する)

話を広島に戻そう。

日清戦争中の1894年9月15日から1895年5月30日には、広島県広島市におかれた大本営(広島大本営)において、明治天皇が直接戦争の指揮にあたった(広島大本営は翌1896年4月1日に解散)。

1894年10月の第7回帝国議会は広島市で開催されている。

立法・行政・軍の統括が東京から広島に移転していたことになり、この時期は広島が一時的に首都機能を担った。

首都とは、一国の中心となる都市のことを指し、ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。

上記の理由から、一部で「広島が一時期首都であった」という論説があるのだ。


 




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蘆名義広埋蔵金伝説

蘆名 義広(あしな よしひろ、天正3年(1575年) - 寛永8年6月7日(1631年7月6日))は戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の武将。

別名、盛重・義勝。幼名を喝食丸。父は佐竹義重、母は伊達晴宗の娘。佐竹義宣の弟、岩城貞隆、多賀谷宣家、佐竹義直の兄。盛俊の父。伊達政宗は従兄弟にあたる。

会津若松に菩提寺を建立した武将である。

彼が100頭あまりの馬に運ばせ、猪苗代湖に沈めたという金塊の話がある。
だが詳しいことは何もわかっておらず、謎のままである。


 




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えんべさん

195 :本当にあった怖い名無し :2010/08/13(金) 21:37:36 ID:I2VB30uh0
帰省したついでに祖母にコトリバコ的な呪わしい因習話が無いかと聞いたら残念ながら無かったんだけど、伯父さんがそれ系の話を知ってたので書きます。

つっても、友達が犠牲になったとか、お寺で怒られながら御祓い受けたとか、そういう直接的なものは無い。
昔、そういう奇習があったとさ、って話なので、洒落にならんほど怖いかと言うと、首を傾げざるを得ない話なんだけど、スレ的には興味深いかな、と思う。


1980年代、伯父さんが都内の某大学生の時、某地方の文化調査で、教授のフィールドワークに助手、というか荷役人夫として同行したそうな。

で、ある村落というか集落に猿の神様を祀る家があったらしい。
『えんべさん』だか『えーベさん』だか。取材相手が文字で書かれたのを見た事が無いため、正式な発音や綴りは不詳。
とりあえず『えんべさん』という事にする。

この『えんべさん』の御神体は、何年かに一度、新しく作り変えられる。
その法則も不詳。

御神体の作成には、まず、甘酒を用意する。
酒といっても、おかゆみたいな、米の形が残っているデロデロの流体。

ご飯を水に入れて、そこに酒種を加えてかき混ぜて、埃よけに蓋して、そのまま常温で放置という、大変にアバウトな作り方。

叔父さんも飲ませてもらったそうだけど、ぬるい甘さと仄かな酸っぱさに米粒のニチョっとした食感が何とも言えず微妙な一品で、貴重な体験ありがとうございましたって味だった模様。

ちなみに、この甘酒用の米には専用の田圃があったのだとか。

甘酒が出来たら、桶に入れて山中に放置する。すると、猿が来てこれを飲む。
いい加減、酔っ払った頃を見計らって飛びかかり、フラフラの猿を捕まえる。
この時、お面を被って決して猿に顔を見られないようにする。
(以後、猿に接する時は必ずお面を被る)

捕まえた猿は竹篭に入れ、半月ほど甘酒だけで飼って潔斎(?)させる。
餌付けもされていない野生の猿だから、始めの内は見向きもしないけど、その内に空腹に負けて口をつけるらしい。

潔斎が済んだら、竹篭の周りに犬を繋いで吠え掛からせ、猿をビビらせるだけビビらせたところで、竹篭ごと俵に入れて土に埋める。

そして一年経ったら、骨を掘り出して洗って祀る。この時は素顔で行う。
自作自演で「助けてやったんだから恩を返せよ」という筋書きらしい。
そして古い方の骨は山に帰す。具体的には不詳。

これで不思議と農作物が鳥獣害から守られる。

特に秘事って訳でもなかったらしく、集落の他の家の人も普通に知っていて、取材相手の証言の限りでは差別なんかも無かったらしい。

あるいは、他家もご利益に預かっていて、他の集落には秘密とかだったのかもしれない。

太平洋戦争でその家の長男が出征して亡くなったあたりで、御利益が無いと思ったのか、時代にそぐわないと思ったのか、この奇習は行われなくなった。(と聞かされた由)

その『えんべさん』を祀っていた家はまだ続いていて、直接取材も試みたけど、80年代にもなると流石に外聞の良い話じゃないので、丁重に断られたそうな。

それで叔父さんは、こういう奇祭が昭和の中頃近くまであった事実に感慨ひとしおでその村落を後にした。
大学に戻ると、叔父さんは教授から以下の仮説を聞かされた。

『えんべさん』の名前は、初めは猿から「えん」の発音が来ているのかと思われたが、『えいベさん』呼称も考えると、恵比寿様を「えベっさん」という言い方がある事から考え、こっちの方が由来に近いように思われる。

で、恵比寿は夷(異邦人)だから、本来は猿じゃなく旅人を使ってたんじゃないか、と。
山に帰されたという骨を調べれば何か分かったかもしれないが、それは『えんべさん』の家が協力してくれない以上、調べようが無い。

教授の説の真偽は不明だけど、あるいは、世が世なら生きて帰れなかったところかも知れない、と叔父さんは笑ってました。

以上です。


(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)


 




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