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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.05.08 (Wed) Category : 

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大友宗麟埋蔵金伝説

2011.12.31 (Sat) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名であり、キリシタン大名。大友氏第21代当主。宗麟の法号で知られている。

海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。

当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。最盛期には九州六ヶ国に版図を拡げた。しかし「キリシタン王国」建設間近で島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名に甘んじて豊後一国までに衰退した。

この大友宗麟の残した軍用金が眠っているとされるのが、大分県臼杵市、臼杵城である。

このネタを紹介したのが「特命リサーチ200Ⅹ」という番組らしい。
番組によれば、宗麟の息子・義統がこのありかを記したものを肌身離さずもっていたらしく、その後紆余曲折を経てとある男がこの財宝を見つけるが、ふたつのうちひとつがまだ残っている可能性があるという。

暗号文は、「逆木から卯の方向に五十五足」。

逆木、が何を指すのかがわかればしめたものなのだが、すでに伐採されている可能性も…。




 








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願い事がかなう寺

2011.09.23 (Fri) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

299 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:01:36 ID:jPEKayzm0
京都にお参りすれば願い事が叶うというお寺があるんだけど、それにまつわる話。

JR環状線のとある駅で乗り込んできた女の子3人組、ちょうど私の前の席で話す内容がよく聞こえた。

「こないだ○○寺にお参りいったやん、私願いごと叶ったでー、正看試験受かった!」
「ほんまに?!おめでとう!実は私も彼氏できてん」
「すごいなー二人とも願い叶ってるなぁ。実はな、うちも海外留学いけるようになってん」
「すごい効き目やなー。そういえば○ちゃんの願いどうなってんろ」

その場にいない友人の話になり、正看に受かった女の子がポツリと、
「…○ちゃんな、入院してん、肝臓壊して」
「最近やっと面会できるようになってん」
「こないだお見舞いいってんけど、むっちゃ激やせして別人みたいやった…」

後の二人は顔を見合わせて、
「なあ、○ちゃんの願いってあれやんな…」
「…うん、○ちゃんずっと痩せたい痩せたい言うてたな」
「願い、叶ってるな…」

で、その○ちゃんは、4人でお寺にお参りに行ってからすぐ入院してたらしい。
もう3年くらい前の電車の中で聞いた話。
そのお寺のことを調べたら、一つだけ具体的な願い事をしないといけないようで、もしかしたら○ちゃんは、ただ痩せたいとだけお願いしたのかなと思った。

ちょうどその頃行きたいと思ってたけど、その話を聞いて漠然とした願いしかないので行けなくなりました。
一つだけ具体的な願いって難しいなぁ。
しかもこんな話聞いたら軽々しくお願いできない。



300 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:24:21 ID:+KS2yW0N0
ブラックジョークみたい。



301 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 17:49:17 ID:ctGB/PZL0
>>299
お願い、どこのお寺かヒントだけでも教えてください。



304 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 18:34:21 ID:jPEKayzm0
>>301
秋にリーんりーんと鈴の音のような音を出す虫寺です。

>>300
自分も聞いたときはそう思いました。
この話をすると大抵作り話でしょと言われてしまいます。



305 :可愛い奥様:2007/08/10(金) 19:00:37 ID:jdUXfyR10
>>304
そのお寺の住職さん、面白いよね。
うちは、夫が宝くじが当たりますようにと願ったら、オーストラリア旅行ペアでご招待が当たりました。
結局、自分たちが行って帰ってきたばかりだったので、親に譲ったんだけど・・・意味ないし。


(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)




 








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天草四郎埋蔵金伝説

2011.07.15 (Fri) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

 天草四郎。
元和7年(1621年) - 寛永15年2月28日(1638年4月12日)に生きた、キリシタンである。
その風貌や伝説から、フィクションに多く取り上げられる題材である。


島原の乱の指導者とされている人物で、幕府の攻撃による原城陥落により自害したとされる。
本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は「ジェロニモ」もしくは「フランシスコ」。一般には天草四郎時貞という名で知られる。

一般には益田甚兵衛の子として熊本県上天草市で生まれたとされるが、長崎出身という説もあり、出生ははっきりしない。大変聡明で、慈悲深く、容姿端麗で女が見たら一目惚れするという話もあるが、これは後世の後付設定であろう。

島原の乱勃発時は16才程度の少年で、十字架を掲げて戦闘を指揮したと伝わり、徳川幕府の軍隊による原城への総攻撃を受けて、炎の中で自害したとされる。
が、キリスト教では自殺は禁じられているため、敬虔なクリスチャンのはずの四郎が自害したとは考えづらく、真相は不明である。

実際には少年であった四郎が大規模な反乱を組織したり戦いを指導したとは考えられず、実質的な首謀者は庄屋や浪人たちで、彼はその象徴として祭り上げられた性格が強い。しかし、3万7000人とされる島原の乱の参加者が主と仰ぐカリスマ的存在であったのは確かである。

尾張徳川家の蔵書などを所蔵する名古屋市蓬左文庫に収められていた「天草陣雑記」において、四郎が妻帯していたと思われる記述が見つかっている。

さて。
埋蔵金だが、原城での篭城も限界を迎えた四郎は女性や子供、老人らを逃がすことにして、後の軍資金に、と財宝を埋蔵したらしい。
これが今回の「天草四郎埋蔵金」である。

その内容は6kgの黄金の十字架をはじめ金銀の燭台20基、宝石をちりばめた王冠や大判小判。
もちろん、天草四郎や島原の乱に参加した浪人たちがこんな財宝を持っていたとは考えられないが、それでもキリシタンの装飾具関係が含まれることから、この話を信用する人が多い。

ちなみに、この話は地元に伝わるものではなく、幕末近くに江戸のある商家から出てきた記録にあったものらしい。

ところが、宝の守り役に選ばれた小山田慶信(けいしん)が財宝のありかを示す書付を残して失踪。
財宝がキリシタンの復活に役立つことはなかった。

慶信の書付には埋められた場所の目印に三角池が記されてあったという。
また上島から発見された十字架に書かれていた
「さんしゃる二、こんたろす五、くさぐさのでうすのたからしずめしずむる」
の文字。

天草の地図に「さんしゃる」という場所があったことから、熊本県天草郡苓北町の山中にある湿地帯が三角池に当たるのではないか?と何度か捜索された。

財宝をおさめた箱の一部のような木片が発見されたことからかなり期待されているが、現在ではまだ発掘された、という情報はない。

もし発見されれば、文化財として相当な価値が見込める財宝だ。



 








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