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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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デウス号埋蔵金

ちょっと表現としては「埋蔵金」という言葉が適切かどうかは微妙だが、今回紹介するのは海底に沈没した財宝である。

一般的に「デウス号埋蔵金」として知られるもの。

関係する人物は、戦国~安土桃山~江戸時代の大名、有馬晴信(1567-1612)。
1571年、兄の有馬義純が早世したため家督を継承。

家督を継いだ当初はキリシタンを迫害していたが、後にアレッサンドロ・ヴァリニャーノによる鉛、硝石などの軍事物資の提供によって敵軍を斥けた事に感謝して1580年に洗礼を受けて「ドン・プロタジオ」という洗礼名を持ち、以後は熱心なキリスト教徒となった。

1587年に豊臣秀吉の禁教令が出されるまで、数万を超えるキリスト教徒を保護していたという。その後も個人的にはキリスト教信仰を守り続けていた。

文禄・慶長の役では、同じキリシタン大名の小西行長の軍に属して従軍、渡海し、26歳から32歳までの7年間を朝鮮で過ごしている。

1600年、関ヶ原の合戦では当初、在国のまま西軍に属したものの、西軍惨敗の報を聞くなり東軍に寝返り、小西行長の居城であった宇土城を攻撃、その功績により旧領を安堵された。

ところが運命を暗転させる事件が起きる(岡本大八事件)。
1609年、マカオで晴信の朱印船の乗組員がマカオの市民と争いになり、乗組員と家臣あわせて48人が殺されるという事件が起きた。

晴信はこれに怒って徳川家康に仇討ちの許可を求めた。
そこへマカオにおけるポルトガル側の責任者アンドレ・ペッソア(Andre Pessoa)がノッサ・セニョーラ・ダ・グラーサ号(マーデレ・デ・デウス号)に乗って長崎に入港したため、晴信は船長を捕らえるべく、多数の軍船でポルトガル船を包囲した。

ところが船長は船員を逃がして船を爆沈した。
この事件の後、家康の股肱、本多正純の家臣であった岡本大八が、晴信に近づき、黒船を沈めた恩賞として家康が有馬の旧領を戻してくれるだろうと持ちかけた。

が、これは偽りであり、岡本大八は晴信をだまして口利き料として多額の金子を受け取っていた。
これが発覚し、家康は激怒。岡本大八は火あぶりになり、晴信もまた贈賄の罪をとわれて甲斐国初鹿野に追放された後で、死罪となった。

(以上wikiより)

今回沈んでいる財宝というのは上記にあるマーデレ・デ・デウス号(以後デウス号と表記)が積んでいた財宝。

デウス号自体は単なる貿易船で、今回の入港もポルトガルが日本との貿易を行うためであり、船には金塊112kg、銀9750kgなど、数億円の財宝が積まれていたという。

徳川時代以降、数回にわけて引き上げが行われており、数百貫の財宝が引き上げられたが、未だ全貌は不明という。

場所は長崎県長崎市の長崎港付近。
いずれすべてが引き上げられるかもしれない。



 


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穴山梅雪埋蔵金

武田信玄にまつわる埋蔵金伝説は数多い。
それもそのはず、武田家の黒川金鉱から産出された金は戦略道路「棒道」の各所に軍資金として分散埋蔵されたからだ。

その作業を担当したのは信玄の姉の子で勝頼とは従兄弟の関係にある穴山梅雪だった。
勝頼との軋轢から離反を決意した梅雪は棒道の軍用金を独自に移し変えてしまった。

梅雪自身は土民に襲われ命を落とす。
このことが表に出てきたのは明治になってからで、偶然梅雪の子孫が古文書を発見。
そこに記された「隠し湯の湧きて流る 窟穴を、のぼりて指せや……」ではじまる秘文を解き、山梨県の南巨摩郡身延山付近という所まで特定した。

それによると、身延山から下部温泉、本栖湖、樹海を経て、「一枚岩の洞穴」という場所に埋められているということである。

埋蔵額は数千万~数億にものぼるという。


 


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帰雲城埋蔵金(帰雲城埋没金)

帰雲城(かえりくもじょう)は、今の岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)にあったとされる城である。

帰雲城は内ヶ島氏の居城であった。
寛正年間に内ヶ島為氏により築城されたが天正13年11月29日(1586年1月18日)、天正大地震が起き帰雲山の山崩れで埋没。

城主の内ヶ島氏理ら一族は死んでしまい、内ヶ島氏は滅亡してしまった。
これはそのとき埋まったとされる埋蔵金伝説である。

なお、城のあった正確な位置は現在も特定されていない。
保木脇に帰雲城址の碑が建っているが、その場所が城跡であるとの確証は得られていない。

その額は現在の価値にして5,000億円~数兆円と言われている。

城の場所がはっきりしないとはいえ、白川村のおよそ1平方キロ内に確実に存在すると言われているため、発掘者が後をたたない。

「埋没・帰雲城調査会」という団体もあるほどであるが…今のところ見つかってはいない。


 


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前野小平治埋蔵金

時は江戸時代。
備州内海の回船問屋、前野小平治は知多半島南端で商才と地の利を生かし、五代目小平治の頃には有数の回船問屋として成功していた。

対照的に内海を治める尾張藩は財政難であり、小平治に数十万両の借金をしている始末。
結果的に目の上のたんこぶとなっていた。

1833年(天保四年)、かの天保の大飢饉が東日本を襲い、凶作続きで江戸の食糧不足は深刻化した。

江戸の奉行たちは商人や問屋に協力を要請するが、ないものはない。
そこで小平治が援助を行い、江戸の危機を救った救世主として名を馳せることとなった。

しかし、これが仇となる。

大量の借金があるゆえに貸し渋られる尾張藩としてはすこぶる面白くない。
自分たちには貸さないくせに、江戸にはいい顔をする小平治に対し、ついに尾張藩は小平治を取り潰しにして借金をうやむやにしてしまおう…という暴挙にでた。

しかし小平治も当代きっての商人。
財宝という財宝を埋蔵することで取り潰しに対抗。

ここでかの『前野小平治埋蔵金伝説』が誕生した。

場所は愛知県知多郡南知多町。
屋敷からそう遠くには出来ていないだろう、という推測から、旧屋敷跡地を中心に発掘が続けられている。

前野家の子孫も発掘を試みたが、未だ発見には至っていない。


 


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結城晴朝埋蔵金

現在わかっている、現在最長の発掘探索の歴史をもつ埋蔵金伝説である。

結城家の初代・朝光は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたときに従軍し、手柄を立てて平泉の黄金のほとんどをほうびにもらったという。

それは代々同結城家に伝えられてきたが、第十七代の結城晴朝の代に徳川家康に狙われたため、現在の茨城県結城市から栃木県下野市あたりに広がる旧結城領のどこかに埋蔵した、と言う話だ。

晴朝の重臣が書き残した文書によると、財宝は

・重さ約8kgの金の延べ棒が約25,000本
・重さ約7kgの金の延べ棒が約25,000本
・30kgの砂金が入った樽が100個以上

ということなので、黄金の総重量は約380㌧にもなる。

これを書いている2010年2月7日現在、金の1kgバーの価格は税込み3,270,000円(エース交易株式会社)。

380㌧ということは380×1000kg×3,270,000円なので
ざっと1,242,600,000,000円、つまり1兆2千5百億円弱だ。

発掘者は徳川家康をはじめ、大岡越前守なども掘っている。さまざまな根拠によって発掘をする人は今もあとを絶たないのだ。

結城市にある晴朝が建てた金光寺というお寺の山門には、意味不明の3首の和歌や絵が彫り込まれていて、この謎を解けば財宝のありかがわかるといわれている。


 


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