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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.04.27 (Sat) Category : 

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赤いマント考(3)

2010.10.16 (Sat) Category : プロジェクト・奇憚

【赤いマント考(1)はこちら
【赤いマント考(2)はこちら

(1)ではチェーンメールを、(2)では学校の怪談をとり上げた。
最後となる今回はこれらの元ネタとも言える、昭和初期の赤マントをとり上げる。

この赤マントは、昭和初期(昭和12年代前半)に、東京で発生する。
一説には

・大阪の小学校の下駄箱に出没したと言う、下駄を履いたマントの男(昭和10年)

という噂話が東京へ伝わり、赤マントという妖怪の下敷きとなった、とも言われている。
が、「赤マント」自体が東京発祥の噂話なことはほぼ間違いないようだ。

この赤マント、子供を誘拐し殺害するだけでなく、少女の場合は暴行…レイプして殺してしまう、という話もあり、当時の子供たちを恐怖のどん底に叩き落した、学校の怪談系都市伝説のさきがけである。

時代的には口裂け女よりも早いようだ。
もちろん、この話が生まれた当初は学校もトイレも関係なく、黄昏時、さびしげな道を一人歩いていると突如現れる妖怪であったと言われる。

発生には以下のような説がある。

・東京谷中で起こった少女暴行殺人事件と、当時紙芝居の人気演目だった「赤マント」が混ざって伝播した、という説。
・少年探偵団(江戸川乱歩)に登場する「怪人二十面相」がモデルという説。
・旧制高等学校の外套がモデルという説。

近年最も有望視されている説は、二・二六事件との関連性を指摘するものだ。

東京市に怪人赤マントが現れたのは、二・二六事件の翌年、昭和12年。
この年、東京市は戒厳令下に置かれ、言論統制が敷かれていた。

この未曾有の異常事態に動揺した東京市民の集団ヒステリーではないか、という結論である。

軍部の将校が来ていたカーキ色の外套(マント)とこれらの混乱が怪人赤マントを生んだのではないか、というのだ。

確かに、噂だけで怪人赤マントによる実際の被害が出たか、と言えばNOである。
そもそも昭和初期とはいえ、旧日本帝国軍部による戒厳令下でこんな怪異な人物が暗躍できる隙があるはずもない。

外で活動できなくなった怪人赤マントはその活動場所をより弱者である小学校の学校に移し、しかも容易に逃げられない個室であるトイレに腰を落ち着けたのではなかろうか。

今のような情報社会では考えられないが、当時はテレビや電話も数少なく、必然的に情報メディアは新聞に限られる。

この頃の最大の情報伝達手段と言えば口伝であり、恐ろしい話は驚異的なスピードで、より着色されながら各地に散って行ったことは想像に難くない。

この赤マントが時代を超え、学校の怪談として定着したのはなんとも面白い話ではある。











拍手[6回]

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Title : 無題

「赤いマン○」
伏字にするだげ何故か意味が変わる気が…

NONAME 2014.05.23 (Fri) 12:37 編集

Re:無題

エロい話はダメなのです!(誰もエロとは言ってない)

2014.05.24 15:40

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