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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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【忌み地・忌み山の話】

2014.10.14 (Tue) Category : 地図にない場所・不思議・意味深

1:ブクタブクオ[]投稿日:03/08/3110:23
全国各地の忌み地・忌み山に関する記事を、ダラダラと腐った屍のような気分で語り続けるスレです。
「呪わしい土地」・「腐った土地」と嫌われる土地の伝承の起因を知り、掘り起こしていくだけの話ですが、暗い気分に浸りたい方、鬱な方には打って付けの内容にしたいです。
実際の地名が出てきたことによる第三者の不利益が発生しても、当方一切関知いたしません。
さあ、あなたも気が狂うワールドへ飛び込みましょう……。



3:ブクタブクオ[sage]投稿日:03/08/3110:28
こちらのスレッド↓↓に投入した話の続きから始めましょうか・…。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/min/1061149812/


(※管理人:以下、該当箇所のみ抜粋)

56:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2400:46
【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―
・御霊の尾根(ミタマノオネ)
海澤の東側の山続き、大岳山から北へ抜けた大楢峠から城山の間にある。
山の形がイハイに似てるので位牌山とか御霊山とか呼び、非常に悪い処だという。
この山に自害沢(ジガイサワ)と呼ぶ沢があり、その昔日本武尊が従者を十人連れてここまで来たが、何かの理由で従者たちが自害してしまった。
又は、自害したのは旅の六部とも平家の落人ともいう。
その祟りでか、この自害沢に入って作業(山仕事)をした者は、山の中で必ず死ぬ。それでここに入って死んだ者が出た家から位牌が出るから。
位牌指(イハイザス)とも呼ぶ。
以前、ここに従者十人の位牌が飾ってあったという。
所有者が髙指(タカザス)と名を変えたが、誰も買い手がないので都に売却し、今では奥多摩記念林の一部になっている。



57:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2401:00
・天蓋山(テンガイヤマ)
海沢の北にある600余米の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので雑木が茂っている。
昔の野辺送りに棺の上にかざす「天蓋」そっくりの形をしている。
タツガイトとも呼ぶ人もいる。
この山は買う者、売る者、木を切る者に悪い事があるという。
上坂の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、経過が悪くて亡くなってしまった。
天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。



58:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2401:15
・病ヶ沢(ヤマイガサワ)
日原、川苔谷の支流、逆川の奥にある。
周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
ここで一山買ってのべつに仕事をすると必ず病気に罹ったり死人を出すという。
眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も山仕事に行かぬという。



59:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2401:31
・骨窯(コツガマ)
病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、そこで炭を焼くと死ぬというので誰も木を切りに行かない。
太い楢がツクツクと生えていて陰気な所だという。
他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう皿の割れた物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので小屋掛けをしたり、作場をきる事はしないという。
カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので以後は行かないという人もいる。



60:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2401:38
・食わない作り(クワナイヅクリ)
日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても食えずに死ぬという。
以前、ここに金剛寺という寺があったという。個人持ちの山だが短期間に何人もの持ち主が変わっている。



61:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2401:49
・位牌山(イハイヤマ)
大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の形だと言ったりしている。
昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが金欲しさに殺してしまった。
あるいは栗拾いが法印をヨキ(斧)で殺したともいうが、兎に角それ以来祟る山になったという。
大体買主に祟るが入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を焼いたらどの窯もみな火が消えたという。



64:【祟り山】―東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2503:04
・位牌平(イハイデーロ)
青梅街道を奥多摩駅からダムに向かった先、境地区にある。
元は子安平(コヤスデーロ)と呼んだが、何か良くない事がありそう呼ぶようになった。
祟り山で作場を作ったりするのを嫌う。
この付近では入ったり炭を焼くのを忌む場所は他にも多く、それらを皆、地獄谷戸(ヂゴクト)と呼び、誰かが仕事で怪我か死亡した場所であり、人名を冠して誰々ヂゴクと呼ぶ。



65:天之御名無主[sage]投稿日:03/08/2503:17
奥多摩町は祟り地ですな。



66:【祟り山】―東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2503:37
・生首(ナマクビ)
六ッ石山へ向かう途中の集落、水根にある祟り山。
昔からその山を買うと身体から首が離れるような事になる(いわゆる斬罪、獄門首になる)といわれ、誰も買いたがらない。
新梨尾、出野萱の両方も祟り山だと言う。



67:【祟り山】―東京都奥多摩町氷川から小河内ダム周囲―[]投稿日:03/08/2504:09
・位牌窪(イヘークボ)
御前山の北西を下るミズクボ沢がダムに流れ込む辺りをいう。
昔、伊平という炭焼きが窯に火を入れていたが、山崩れで窯と一緒に樹の下敷きになって死んだ。それ以来ここで木を伐ると怪我をしたり、呼んだりするので気味悪がって山仕事をするのを嫌うという。
湖岸道路に面しており、今では林業作業車やブルドーザーが唸りを上げて稼働している。



4:ブクタブクオ[sage]投稿日:03/08/3110:49
【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―
・倉戸(クラド)
奥多摩第2駐車場から仰ぎ見る倉戸山。その裾に当たる現在のバス停付近は、かつて悪い事がある場所として近在に知られた祟り山である。
昔、何者かが炭焼き窯の中で死んでいた。
その霊を祀るために碑を立てたが、誰が作業をしても怪我をしたり、火を出したりと非常に不首尾な事が起こる。
今もってジメジメした寂しい北面の山側で、もとは個人持ちの山で幾人もの手を渡り歩いたが、最後に埼玉県入間の医師が所有した後に都が買い上げ、公園管理団体のもとに置かれている。



5:【祟り山】―奥多摩町氷川から小河内ダム周囲―[sage]投稿日:03/08/3113:21
・居合澤(イヤイザワ)
倉戸山の奥手の祟りある山で、永い間に木の葉が深く積もってブクブクとしている陰気な沢である。
戦前まで此の沢で材木の太いやつ程もある蛇を見た者がいた。
また、頭が尾羽の方にも付いている山鳥が住んでいるといい、炭焼きは入ったりするのさえ嫌がった。
ここは元の地主が祟ると言われ、ある一家が買ったところお祖母さんがランプを灯すのに失敗し、体に火が付いて亡くなり続いて孫も火傷で死んだという。
人の手を渡り続け、都の所有になる前には薪炭組合の所有になっていた。



20:【祟り山】―奥多摩町氷川より小河内ダム周囲―[sage]投稿日:03/08/3120:29
・北蓑戸(キタミノト)
奥多摩周遊道路のダム側ゲートを過ぎて数キロ行くと交差点があり、山の「ふるさと村」に向かう道がある。
ここよりふるさと村へ数百メートル進むと一本目の橋がある。
「北蓑橋」・・・。
この辺りは昔、糠指(ヌカザス)といい、北蓑橋の下を流れる谷を着タ蓑戸(キタミノト)と呼んだ。
昔、ある夏の雨の降っている日、ある人がここで炭を焼いていたが、眠り込んでしまい、着ていた蓑に火が付いて焼け死んでしまった。
それで「着タ蓑」と云う名前が付いた。
ずっと昔の事で、それ以来この山に入ったり、所有者になると必ず不幸があるといわれた。
蓑を焼いて死んだ人の次の持ち主は火傷で死に、南集落(現在矢久亭のあるところ)のある人はここで狸に化かされ、裸足で歩き回りながら死んだりしたという。
埼○銀行某支店の頭取が持っていたときは子供が次々に死亡し、支店の経営も上手くいかず財産が1/10になってしまった。
また、ここで働かせていた林業労働者が崩落で6人死亡する事故も起き、とうとう困り果て塔婆を建てて捨て値で売却した。
以後も人手を転々とし、最後に鳩和木材株式会社から都に買い取られ、今では何も知らないレジャー客を呼び寄せている。



23:天之御名無主[]投稿日:03/09/0107:45
>>20
支店の頭取?支店長ではないかい?
それはともかく土地を買うときには来歴をよく調べよう…
と思ったよ。



24:天之御名無主[sage]投稿日:03/09/0111:52
>>23
失礼、支店長ですね。



28:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[sage]投稿日:03/09/0204:21
・新発意(シンボチ)
北蓑橋の先、「山のふるさと村」のある辺りは岫沢(クキサワ)と呼ぶ地区である。
実は此の場所も、以前は新発意(シンボチ)と呼ばれる祟り山であった。
新発意(シンボチ)というのは浄土真宗などでいう若年の遊行僧で、それが何かの理由でここまで来て死んだ場所でといわれている。
雨の降る時は出てきたという話が残っており、シンボチ小僧がいるなどと言われていた。
またここで作場を切った人が猪を追うための小屋を掛けていたが、その猪に当たって死んでしまった事もあるという。
南地区(矢久亭や深山荘のある場所)の人が持っていたが、その家には馬鹿(精薄)・気狂い・目ッカチ(片目)の子が生まれたり、首を振る婆さんが出た。
それでもまだ持っていたら遂に破産してしまったと、此の付近の老人はどこでも知っている。



29:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[sage]投稿日:03/09/0205:14
・児沢(コサワ)
「山のふるさと村」のレストハウスの直ぐ先にある沢で、昔は良いワサビが採れる田があった辺りだ。
他の所では絶対に見られないアヤメが咲いているので、誰かを葬って植えたのだろうという。
今までに山仕事で二人程死んでいるほか、炭を焼くと必ず不幸があるといい、ある人は両親と妻の三人をいち時に亡くしたという。



30:【祟り山】―東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲―[sage]投稿日:03/09/0205:47
・種ヶ岩(タネガイワ)
都民の森として整備された三頭山のどこかにある岩で、この岩の横の窯で炭を焼くと、火の中に頭を割られた男がじっと睨んでいる。
昔長野から山梨まで種売りに来た男が、残りを桧原で捌こうとここまで来たところ日が暮れ、炭焼き窯の側の岩で野宿をしていた。
早朝に炭焼きがやって来て、売上金欲しさに殺して窯で焼いたのだといわれ、ここでは炭を焼かない。



31:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0222:08
・江戸崎町の潰れ屋敷跡
昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自殺未遂を起こしたりと祿な事がない。
困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、湯船に漬けて殺して敷地に埋めたのだと云う話だった。
ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いたところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを幸いに、大分損を承知で売り渡した。
その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
ところが一方、買った家では主人が胃癌で急死。倅は若くして中風に罹り、不幸が次々に襲ってきたという。
堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、売却に成功してからは平穏無事だという。



35:天之御名無主[]投稿日:03/09/0308:22
忌み地って昔の人は尾根端、谷くち、お宮前、お寺裏っていってたよね。



39:天之御名無主[sage]投稿日:03/09/0408:48
>>35
え・・・。漏れの家はお宮の真ん前にあるわけだが・・・ガクガク(((゚Д゚;)))ブルブル
まぁさ、お宮から古木のある庭、稲荷にかけて時々何か通るけどさ。
火の玉とか、この世の人でない人とかさ。悪い気配しないからいいけどさ。



40:天之御名無主[sage]投稿日:03/09/0416:15
>>39
忌み地にご在住ですか、そうですか…
合掌。



41:天之御名無主[]投稿日:03/09/0418:34
千葉県茂原市のそばに呪われた新興住宅地があるそうな。

千葉県大栄町の地蔵原はマジやばい。



42:天之御名無主[]投稿日:03/09/0420:54
地名が地蔵・・やだ・・



43:天之御名無主[sage]投稿日:03/09/0422:47
「悪谷」という名の場所はやばい、と柳田が言ってた気がする。
他にあったかも。

(続きは『続きを読む』をクリック)

 





45:―茨城県稲敷方面の病人田について―ブクタ[sage]投稿日:03/09/0500:02
・旧幕時代から維新の頃まで、稲敷地方の庶民の生活には、加持祈祷などの呪術的信仰が非常に盛んに行われていた。
その面影は今では推し量るべくもないが、医療や福祉のない時代に、救いを求める民衆に対し、多額の祈祷料を欲しいままに求める修験道の僧達が跳梁跋扈していた。
ある者は出鱈目な祈祷や託宣で築いた財を食い物にされ、また先祖からの土地を売り払いして祈祷に費やし、一家滅亡に至る例も珍しくなかった。
様々な人々から搾取し、隆盛を誇っていた修験道の寺院も、明治の廃仏毀釈の折に衰退し、今ではその風潮も忘れ去られたに均しい。



46:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0500:05
・牛久市奥原町
ここにかつて薬師寺、地蔵院の二寺があった。
この寺は修験道の寺院で、明治維新の際に廃寺となり、その持田は民間に払い下げられることになった。
地蔵院は持田40㌶余り、地味も豊かで収穫も良かったが、なぜかこの田を作ると凶事が起き、地元の人は誰も作る人がいなかった。
人手を巡り、多村の者なら障りなかろうと買った者がいたが、やはり凶事に悩まされ手放したと言う。
薬師寺は持田50㌶ほど有り、古文書によれば旧藩士に払下げられた後に次々と持ち主が代わり、ある家では長男・次男と続いて事故死したという。
安値に釣られて買った竜ケ崎市内の不動産屋が、たび重なる災難に困り果て、某寺院に寄進してしまった。



47:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0500:09
・龍ケ崎市八代町下入代
県道潮来線のバス停から30㍍程の所に、十三角田という田があった。
この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由ははっきりしない。
この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する人があった。
この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり死亡。
親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家で主人が胃ガンで死亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなくなり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
地形が変わったためか、今では無事だと言う。



48:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0500:10
・新利根町芝崎
芝崎の水道という所に、約1㌶程の田があった。
形が出刃包丁に似ていると言うので「出刃田」と呼ばれ、ここの田を耕作すると災難が来ると恐れられていた。
これまで何人となく作る人がいたがすぐに止めてしまい、荒れるに任せていた。
昭和十年頃、河内町下加納の人が作ったところ、間もなく火災に遭って自宅を全焼してしまった。
現在は農地構造改善事業によって所在不明となった。



63:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0803:38
・新利根町曽根の河内屋堤
承応三年、常陸川筋の河道が整備され、利根川の東移が実現したが、この成功により幕府は、関東郡代・伊奈半次郎、大目付・高木伊勢守に命じ、延長約三五キロメートルの新利根川が開発が始まった。
数万ヘクタールの新田開発のため、利根川の水流を利根町で締切り、新たに流路を北に替えたのである。しかしこの新川は勾配が急であったため、沿岸の村々の大水害を招いてしまった。

このため利根町押付から東村押堀に至る新堀堀削工事する事になり、寛文三年、大阪の豪商・河内屋治兵衛、並びに京都の豪商・伏見屋が工事の請負に当たる事となった。
南堤側の普請、伏見屋は工事が順調に進んだが、北堤を請け負った河内屋は、草が枯れて出来た特有の「ケド土」という土層に突当たり、あらゆる工法を用いても一夜で跡形もなく堤が流されてしまった。
迫る工期、資金の欠乏。重なる心労の末、河内屋は現在の新利根町曽根付近に建てた仮小屋の中で、無念の最後を遂げたという。
その後、この河内屋堤の後は田となったが、耕作すると祟りがあると怖れられ、貧しさに手を出す農家も永くは作ろうとしなかった。

堀川地区に終戦間もない頃、河内屋堤の跡を耕していた家があった。
ある日、父と息子が口論となり、息子が出刃包丁で父を刺し殺す事件が発生した。この家は現在絶えて、家族の所在を知る者はいない。
この他にも耕している家があったが、余り良い話は聞かないと言う。
いま河内屋の墓地は、新利根町曽根の村道にヒッソリ建っている。



68:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:06
・新利根町下太田
昔、京塚という小さな塚があった。その一帯は京塚という地名である。
外部から移り住んだ者が、いつの間にか平らに均して屋敷にして使用していたが、娘が若くして癌で死亡したり凶事が続いたという。



69:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:08
・新利根町堀川
弁天堂の持田で弁天田というのがあった。作ると病気や怪我が絶えないといわれていた。現在、耕地整理で消滅した。



70:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:13
・新利根町寺内上ノ原(病人畑)
旧阿波街道の道路沿い、窪地で昔から耕作すると災難があると言われていた。地主が数10年前まで作っていたが、現在は休耕となって篠が生えて放置されている。



71:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:15
・東町釜井(薬師田)
国道294号、釜井駅バス停付近に昔、薬師堂が建っていた。
免地30㌃が民間に払い下げになったが、病人が出ると言われて荒れていた。現在、国道用地と住宅地になっている。



72:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:17
・東町伊佐部
ここに塔婆の形をした田が5枚続いてあり、塔婆田と呼ばれていた。
この田を作ると祟りのために家から病人・気狂いが出ると言われ、誰も耕さず荒れていた。現在は耕地整理で均されて消えた。



73:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:23
・東町阿波崎
万願寺下に女郎塚という小さな塚があった。女郎田と呼ばれ、ここを耕作すると悪い事が続いて発生し、誰も作らなくなった。



74:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:26
・東町阿波崎
墓場田と呼ばれ、元は墓地であったが改葬されて田にした場所で、深く掘ると人骨が出ると言われている。
ここも作ると怪我や病人が絶えず、永く作ろうとする者はなかった。



75:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:28
・東町市崎(ショウズカ婆の田)
昔、雪の降った翌朝、一人の女が行き倒れになって凍死していた。
ここの田を夜通るとお化けが出ると言いい、子供は夜になると通らなかった。



76:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0805:31
・東町大沼上池
四枚で20㌃程の田で、首切田と呼ばれている田がある。
昔、日照り続きで凶作に喘いだ時に、隣りの田の持ち主と水を盗んだ盗まないで争いになり、持っていた鎌で相手を斬り殺してしまった。
その後、その田は祟りで災いが起きると言われ荒れ果て、水が溜まって池のようになっている。



77:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[]投稿日:03/09/0806:46
・江戸崎町松山
明治の廃仏令で無住のまま立ち腐れになった廃寺跡で、50㌃程の宅地であるが、しばらく身寄りのない老人が一人で生活していた。
老衰で死んだ後は村で無縁仏として埋葬した。
その後、誰もここに手を付ける者はいなかったが、作業小屋を建てて利用した人が子供を癌で亡くし、続いて妻が自動車事故で亡くなるなど悲劇が絶えなかった。
この家では年に何回か土地の供養を行っている



78:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[]投稿日:03/09/0806:55
・江戸崎町松山
鹿島神社の近くの三又に道祖神の石祠があり、(やしんほ道祖神)と呼ばれている。
(やしんほ)とはいやしん坊の事で、何でも欲しがるという意味である。
酒を供えて願を掛ければ利益あるというが、たとえ篠竹一本でも取ると祟りがあるということで荒れ放題であった。
特別信仰の厚い人が供養の上、清掃して綺麗にした。



79:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0807:01
・江戸崎町松山
底なし田。これは元、東光寺の免田であったという。
底知れずの深い田で、怖れて耕作する者がいなかった。
ある家で作ったが、妻は病気がちで夫は働かなくなり、家庭不和で若くして夫婦とも病気で亡くなった。



80:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/0807:11
・龍ヶ崎市愛戸町
愛戸に昔、般若院の病人田と呼ばれる、真中に松の木が生えている田があった。
一年中陰湿で下草は茂り放題。白い蛇が出るといって近寄る人がなかった。
ここを作った家では気狂いが出たり、病人が絶えなかった。



108:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[]投稿日:03/09/1404:01
・利根町羽中
病人田と呼ばれる田が白鷲団地の方にあって、深い田の真中で女の笠だけが浮いていた。
笠を被っていた女が、田植えの最中沈んでしまったといい、この田を買うと悪い事があるという。



109:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:03
・利根町羽根野台
羽根野と早尾の間に城山という寂しいところがある。
昔、喧嘩で誰かが殺された所だという。
景気の良い人が買ったところ、良くない事が起きたという。
また、切腹山という場所もあり、武士が10人余り自害した所だといい、ここを持つとやはり良くないという。



110:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:05
・龍ヶ崎市羽黒町
羽黒町から利根町の羽根野にいく道は、昔は昼でも寂しい所だった。
羽黒には大きな木と石を祀った神様があり、誰もさわらない。
やれば必ず病気になると言われ、周りが宅地化された今でもそこだけ残っている。
土建業者もよく知っているので、ここは手を付けない。



111:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:06
・龍ヶ崎市長沖町
首切り田というのが長沖町のシンタクの田にある。
長沖町の幼稚園の先の辺りだといい、昔は畑で首切り畑と呼んだが元は処刑場(首切り場)だという。
昭和10年に耕地整理の際、そこを田にして作った人が1年で死んだという。
その他、長沖には位牌田といい、寺の持田だった田が2~3ヶ所ある。



112:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:09
・龍ヶ崎市古城
城山から利根町奥山の観音様に抜ける道は、上がり坂で馬坂と呼んだ。
現在の龍ヶ崎潮来線の一部であるが、その近くに城根と呼ぶ場所がある。
昔、龍ヶ崎城と奥山城の戦いがあり、奥山城主敗退の際に流れ矢を受け死んだ場所だといい、作った人は必ず田の中で死ぬという。
現在は龍ヶ崎二高の一部になっている。



113:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:11
・龍ヶ崎市川原代町
西道内に稲荷のある篠藪があり、女が夜通ったところ、人の首だけが出たという。



114:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:12
・龍ヶ崎市下町
代官畑というのが下町の南にある。
旧幕時代、代官の次男がその畑で働いていた娘に言い寄ったが、拒まれて恨みに思い、罪に落とし入れた上に虐殺してこの畑に埋めたという。
ここを耕作すると不幸になると言われている。
父親の代官も暴政を振るった者で、訴えに来た村民を投獄しては獄死させたという。



115:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:40
・龍ヶ崎市下町
鏡田という2㌃程の田が、上町と下町の境にあった。
色々言われているが、大体次の2通りの話がある。
○昔、ここの農家に非常に顔の醜い娘がいた。家人は娘に鏡を見せずに暮らしていたが、ある日田に映った自分の顔を見て驚き悲嘆し、田に落ちて死んだとも、自殺したともいわれている。

○並木の所に店があり、下女に顔の醜いタケという女がいた。
毎日田んぼで化粧をしていたが、ある時主人に(悪戯か、故意か)後から押され、田に落ちて気絶して死んだという。

この田を作ると凶事が起きると言われていたが、戦後ある菓子メーカーが付近一帯と共に購入、工場を建てた。
当初は経営が上手くいったが、何年も経たずに倒産してしまった。
近所の人は、やはり良いことがなかったと話したという。
現在は幼稚園になった。



116:【忌み地】―茨城県稲敷方面の病人田―[sage]投稿日:03/09/1404:48
・龍ヶ崎市宮淵町
昔、ここの内野という所に、祟りがあると嫌われる病人田があった。
(アヒル小屋)と言われてアヒルを飼っている家があり、そこの者が耕作したところ病人や怪我人が絶えず、困り果てて作るのを止めた。
農地構造改善事業で今はない。



117:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[sage]投稿日:03/09/1708:23
・龍ヶ崎市貝原塚町
昔、根町の般若院がここの篠藪で覆われた荒れ野にあったと言われ、大きな塚が寺領の片隅にあったという。
般若経をこの塚に埋めた場所で、祟りのあるとする藪畳だった。
龍ヶ崎ニュータウンとして宅地開発され、消滅した。
発掘をした担当者が事故で怪我をしたという。
また、ニュータウン用地となった場所には念仏塚という塚もあり、経石が籠一杯出たが、掘った者に不幸が起きて又埋め戻したと言う。



118:天之御名無主[sage]投稿日:03/09/1721:01
それにしても奥多摩の伝承は「入るな」「(土地を)買うな」ってのが多いね。
なんかオカルトつーより政治的なものを感じる……



125:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[sage]投稿日:03/09/2603:41
・龍ヶ崎市宮渕町
堀田と呼ばれていた地区に、江戸時代の総代名主の屋敷跡があった。
御白州もあり、罪人の仕置きも行われた場所で、昔は蔵からお化けが出るとか女の泣き叫ぶ声がするという噂もあった。
近辺住民の子供らなど、夜は恐怖していたらしい。
ある家で次男が分家の際、この跡地の一部を買って家を建てた。
すると夜は夢の中に恐ろしい姿の人や光景が出て悩まされ、とうとう精神を患い入院してしまった。
人に勧められ、お寺で供養してもらってからは平穏無事であるという。



126:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[sage]投稿日:03/09/2604:15
・牛久市島田町
かろうど畑という畑が鹿島神社近くにある。
この地域の人などによく知られた祟りある畑で、昭和50年頃までは一人暮らしの老人が野菜を作っていたが現在は荒れている。
付近の人は貰ってもいらないと忌み嫌われている畑で、幾人もの人を不遇な目に遭わせてきた話がある折り紙つきの因縁畑である。
「かろうど」とは唐棺の事だと指摘する人もあり、昔は古墳があったといわれている。
以前まで畑の中に藁で出来た粗末な祠があったらしい。



127:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[sage]投稿日:03/09/2604:38
・牛久市島田町
小野川の土堤に近い場所に薬師様の田というのがある。
以前ここに薬師堂があり、地元では祟りがあるとの事で誰も作らなかった。
20年程前、龍ヶ崎市大塚町の青年たちが何かの資金稼ぎの為に共同で作り始めたが、先立った者が何人か死ぬという事故が起き、そのまま耕作を止めてしまったという。



128:【忌み地】-茨城県稲敷方面の病人田-[sage]投稿日:03/09/2606:10
・龍ヶ崎市若柴町
ここにも薬師様の田んぼといわれる田がある。
大羽谷津の松原近くにあり、この田に入るとデキ物が出来るといってタニシ取りになど行かなかった。(利根流域は住血吸虫の害があった)
この近くには昔化け物がよく出たといい、ある人が刀で斬ると消えてしまった。
血が流れていたので跡を着けてここまで来ると、古道具を埋めた所だった。
掘ったら刀傷のある箪笥が出てきたという。



158:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2300:55
・東京都多摩市連光寺の某所。
もと墓地の跡と言われている。この土地は昔より持つと所有者に悪い事があり、長く持っていた人がいない。
今もいる人で若い嫁を亡くし、その前に住んでいた人は子供がみんな亡くなってしまった。それ以前は寺方の持ちものだったという。
またある某家では先祖が請け負った仕置き場があり、そのための小屋があった跡が悪いという。
土地が安いので、知らぬ人はみな買うのだという。



159:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2300:58
・東京都多摩市南貝取
とちのき公園は以前、栃ノ木谷戸と呼ばれる魔所であった。
事故の多い場所で、以前ここに栃○という家があったが絶えてしまい、
その跡地を買うと良くないと言われていた。



160:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2301:01
・東京都多摩市落合
厳耕地(ゲンゴウジ)という広い農地があった。
ここに佐五右衛門という男が屋敷を構えていたが、ある時ゲンゴウという法印が訪ねて来、理屈を並べて泊り込み、そのまま居付いてしまった。
そのうち佐五右衛門の女房と良い仲になり、主人に酒を飲ませて井戸に放り込み殺してしまった。
その後二人は磔にされ、死体は同じ井戸に放り込まれた。
跡地は畑になり、安く売りに出ていたが、町田市小山田の某氏が所有者になったところ、悪い事が続くので石碑を建てたという。
後に整地された。大○証券多摩総合研修センターの辺りだったという。



161:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2301:04
・東京都町田市小山町
相原町との境付近で、町田街道より百メートルぐらい登った丘の上に台地状の畑地がある。
昔大きい屋敷があり、栄えていたが何かの理由で滅亡してしまった。
他所から来た者がこの土地を手に入れたが、忽ち災難が相続き、占者に観て貰ったところ、敷地内の石の祟りだと言われた。
家も全て取り払われたが、この石だけは今も畑の中にあるという。



162:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2301:09
・町田市山崎町
昔、ここに(勘松の田地)という耕地があった。
山崎勘松という眼病で失明した者がいたが、親より与えられた田畑と財産を兄に奪われたのを契機に諍いが起こり、兄の逆恨みから謀られ、検校への道も閉ざされてしまった。
勘松も素行の悪い者であったが、村中を怒り喚きながら最後は自宅で縊死してしまった。
その後兄の一家8名が次々に急死し、勘松の田地は怖れて誰も手を出すものはいなかった。
近年になって、○中○四郎という人が理由あってここを買い取ったところ、たちまち重病に罹り、子供らと協議の上、上小山田の養樹院に納めて勘松の供養をしたところ、全快したという。



163:【祟り地】―東京・南多摩の丘陵を漁る―[sage]投稿日:03/10/2301:12
・町田市根岸町
日向根トンネル(日向根隧道)の付近を崖根(ママネ)と呼び、昔より怪しい事が多い場所だといわれてる。
隧道ができる以前は、今より雑木が繁茂する暗い崖地で、中世の横穴墓などが発掘されたりしていた。
境川に面した日向根部落のある老女が、近在の法事に出た晩にここを通りかかると、背後で大勢の男の声が聞こえたという。
ここに「ナンジャモンジャ」と呼ばれる樹があり、区画整理の工事で伐ったところ、木の根が数枚の板碑を抱えていたといい、地域の有志が堂を建てて合祀してある。



170:【祟り山】―神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―[sage]投稿日:03/10/2401:19
・庚申山
神奈川県川崎市多摩区の長沢の北にあった高さ100m、広さ300㎡ほどの丘陵で、普段人が入って木を伐ったりすると、怪我したり死んだり、気が狂ったりすると言われていた。
以前は大きな樹が茂っており、トオノコシ谷戸(平瀬川付近)の庚申講の持山であったが、一度国有地となり、民間に売りに出されたが買い手が付かなかった。(今ではマンションや住宅が犇めいている)
明治の中頃まで同族で構成された庚申講による一党祭祀が続き、8年から10年に一度取り行われる祭りの時にだけ入山したという。



171:【祟り山】―神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―[sage]投稿日:03/10/2401:21
・入いらずの森(イラズノモリ)
川崎市多摩区生田にある川崎市水道局生田浄水場散策道のことであり、こんもり木の茂った陰気な手付かずの森である。
第六天の祠があったといい、土地に昔から住む人は立ち入らなかった。
浄水場建設の際、怪我人が多数出たという。



172:【祟り山】―神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―[sage]投稿日:03/10/2401:23
・穢地山(ケガチヤマ)
川崎市柿生区万福寺。博打打ちが仲間に斬り殺されたためになった山だといい。持てば持ち主に祟るという。
柳田によれば、ケヤマのケは(物の怪)のケというが、ここでは穢れた場を意味する。



173:【祟り山】―神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―[sage]投稿日:03/10/2401:24
・癖山(クセヤマ)
川崎市柿生区金程。ここも公園化されている。「あの山はクセが悪い」などといい、誰も買うのを嫌ったためという。



174:【祟り山】―神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―[sage]投稿日:03/10/2401:25
・死に山(シニヤマ)
東京都稲城市。これは東京都だが、裏手の川崎市柿生区細山と山続きなので加えさせてもらう。
東京○みうりカントリークラブ付近にあったと思われ、山仕事の人が怪我をしたり、死んだりした山だという。



175:天之御名無主[sage]投稿日:03/10/2406:58
>>172~174
川崎市柿生区・・・って?

麻生区のこと???



176:ブクタブクオ[sage]投稿日:03/10/2407:45
>>175
…_| ̄|●ウォォォ…

忘れろ!読まなかった事にしろ!
夜勤で睡魔と闘っている俺には罪はないんだ!
柿っ・・・・ウォォォォゥ・・・!

しかもコピペで土壺・・・。



181:【忌み山遥かに】―ダ埼玉で気が狂え―[sage]投稿日:03/10/2822:51
埼玉県秩父郡東秩父村では(ケヤマ・ケバタケ)などと呼ばれ、そこに入る事を忌む山や畑が多い。
これは昔、その地で殺人などが行われ、その殺された人の魂が呪っているためだと信じられており、そこに立ち入った者には不幸が招来すると伝えられている。
静岡方面でも忌み山を(ケヤマ)と呼ぶ地域があるが、どう言語が伝播して来たかなどは、ブクタには知る由もない。


・東秩父村坂本栗和田
栗和田地区近くに「リュウホウの山」、あるいは「リュウホウ院の山」と呼ばれる山がある。
これも付近ではよく知られた「ケヤマ」の一つで、その昔山中に「リュウホウ院」という寺があり、この寺のあった場所の木を伐った者には祟りがあると伝えられ、今も所有者になると必ず家に祟りがあるとされている。

この地域には、豊臣の関東攻略の果てに落城した松山城の上田家の家臣を先祖にもつ家もあり、氏神として八代竜王を祀る家が数軒ある。
「リュウホウ院」と関係があるかは聞かないが、上田家所縁の日蓮宗系の寺院にありがちな山号ではある。

栗和田付近は県道11号線から秩父高原牧場に上って行く途中の閉鎖的な感じの集落で、明るく開けた山上の牧場とギャップがある。



205:[]投稿日:03/12/1900:40
ブクタさんが退屈しているようなので、今まで楽しませて貰ったお礼に僭越ながら小ネタを提供させていただきます。
ただし
・そんなにオドロオドロしくないです。
・ネタ元は古いです。大正9年。なので、本文中の「今」とか「現在」というのは、大正9年現在ということです。
・静岡県です。
・最後に行を空けて書いてあるのは、私のメモです。



206:[]投稿日:03/12/1900:41
富士郡島田村(現在の富士市国139と県171の交差辺り?)

依田原新橋の東外れ、和田川の西側の土手を南へ一町ばかり行った所に、幅一間ばかりの川がある。土橋が掛けてあり、ここを「お園水道」という。
昔、お園という芸者がこの川に入って死んだという。そして、ここに住む者は決して成功しないという。
ある人は御稲荷様まで祀ってお祓いをしたけれども、やはり思わしくなく余所へ移ってしまった。今もその御稲荷様は、古びたまま残っている。



207:[]投稿日:03/12/1900:42
静岡市(北安東、柳新田、池ヶ谷の境くらい?)

「吉塚」姑があって、嫁を酷使し一人でここの田の植え付けをさせた。
嫁は植え付けが終わると死んでしまった。そこで、この塚ができた。
この田を耕す者は、必ず家内の死者を出すということである。
それは死んだ嫁の祟りであるとされる。今となっては作る者もなく、またここを買う者もいない。

現在はないのでは?見かけた記憶がないです。




208:[]投稿日:03/12/1900:44
榛原郡白羽村(現在の榛原郡御前崎町白羽)

白羽村字小杉原に、千人塚がある。その上に松が植わっていて、椀貸せ松という。
この松を切ると血を出すと言って、手をつける者はいなかったが、明治20年の頃に切って畑と成し、今は跡さえもない。
この松を切った者は、当時富裕の資産家であったが、今は全く零落して家屋敷も留めていない。
一家は死んだ者あり、病んだ者あり、全く離散してしまった。松の祟りではないかと言われている。
松を直接切ろうとした人夫も、枝打ちに上ったところ、過って墜落し腸を出して死んだという。




209:[]投稿日:03/12/1900:45
庵原郡高部村大内(現在の静岡市こないだまでの清水市)

護良親王の首を、内裏山に納め奉る。今もなお、五輪の陵墓がある。
現在F氏の所有する土地である。同氏は近年ここの発掘に努めているのだけれども、途中まで掘ると異様な物音が生じ、めまいがして、どうしても掘り出すことができないということである。
菊の御紋章が付いた位牌とか、刀鏡などは採掘したとのこと。



210:[]投稿日:03/12/1900:47
賀茂郡中川村(現在の賀茂郡松崎町の内陸部)

障子山(難山?)と云う山には、現在は埋まってしまったが、障子山という人が戦の時に隠れたという穴があった。
この山は木が大きくなったのだが、買う人がない。
この山の木を切った家には災難があり、家にない場合には木を積んだ船に悪いことがあると言われている。
なお、前述の穴に白旗が立っているのを見た人は、3年以内に死ぬと言われている。



211:[]投稿日:03/12/1900:48
富士郡富岡村(現在の名称不明富士宮市か?)

淀師に、「やみた」という田があり、作ると必ずその家の誰かが病気になる。
昔、殿様がここに深い池のような牢を造って、罪人を生殺しにした所だというが、確かなことは分からない。



212:[]投稿日:03/12/1900:50
富士郡富士根村(現在の富士宮市JR身延線の駅があります)

「やみ田」は、集落に必ず一つ二つはある。この田には、石で造った小さな祠のような物が祀ってあるので、すぐ分かる。
この田を作ったり、また作ると約束しただけでも、死ぬか非常に重い病に悩まされるので、嫌われている。
2ヶ月前にも「やみ田」を作ると約束した人が亡くなったので、祟りだと言って村では益々嫌っている。



213:[]投稿日:03/12/1919:40
榛原郡上川根村(現在の榛原郡本川根町)

昔、八幡神社があった所で、現在は帝室林野局出張所の屋敷になっている敷地内の、大きな石が二つあった。
その石が目障りなので、埋めてしまいたいと所長が言ったのだが、恐ろしがって埋めようと言う者がいない。結局、小使がやることになった。
しかし、穴が掘り上がろうという頃に、石が穴に転がり込み、小使は石の下敷きになった。穴から救い出されたが、まもなく死んだ。
彼の息子の話によると、穴が石に近すぎたために転がりこんだのではなく、石は外にあった時のままの状態で穴に入っており、上部を少し土の上に出していたという。
林野局の官舎を建てた時、請け負った親方連中が、その後まもなく病気になった者が多かったので、地元では恐れていたということである。

現在、どうなっているか不明。



214:[]投稿日:03/12/1919:41
ちょっと毛色が違いますが、おまけ。

賀茂郡下河津村(現在の河津町)

ころ柿山には、その名の如く幾百年経ったか分からないくらいの、ころ柿の木がある。その年、柿がたくさん成り、村では男も女も皆で採りに行った。
男が木に登って柿を採り、女は下で落としてくれとせがんでいた。が、ふとした拍子に一人の女が木に触れると突然、木が女をくるっと巻き込んでしまった。
今でも、巻くから、と言って女をその木に近づけない。



215:[]投稿日:03/12/1919:43
おまけ其の2
富士郡芝富村(現在の芝川町)

長貫では、以前から正月にどんど焼きをしない。
昔、どんど焼きをしていると白鳥山から白坊主が「ほーいほーい」としきりに呼ぶので、気味悪くなって止めてしまった。
翌年にまた、どんど焼きを始めると同じように呼ぶ。
それ以来、この行事は止めてしまうことにした。

芝川町役場の辺りの話。白鳥山は、山梨県南部町?富沢町?との境にある山。標高567m。
私のネタは以上です。連続カキコにて失礼しました。



239:[sage]投稿日:04/04/2820:56
島田市長島「聖坂」
小川から長島に下る坂。
昔、高野聖が不案内から道に迷い、山中で一夜を明かそうとしたが、オオカミに喰い殺された。その屍と、傍らにあった経巻を郷人が焼いたところ、灰は風に吹かれ幾多の雀と化し、この山に群がるようになった。
土地の者が付近に焼き畑を作付けすると、群雀に食い尽くされるという。



240:[sage]投稿日:04/04/2821:00
島田市伊久美字犬間
どういう理由か判らないが、犬間で鶏を生き埋めにした。
それ以来、その場所を夜に通ると鶏の鳴き声が必ずするので、恐れられている。

以上、昭和44年発行の本より。



241:[sage]投稿日:04/04/3000:51
吉原市江尾町(現在の富士市)「ごぜの森」
森と云っても直径20mほどで、雑木や雑草が生い茂っている。
その昔は天狗が住んでいて、夜になると時々怒って、木を嵐の如く揺らしたという。また、ある者が森に茂っていた草を刈って持ち帰る途中、僧に
「その草は森へ返せ。後の祟りがひどい。」
と言われた。気に止めずに持ち帰ったところ、その年より不幸な生活を送るようになった。
住民は今でも祟りを恐れ、そばを通るのも気味が悪いという。

昭和33年発行の本より。



247:[sage]投稿日:04/05/1122:58
静岡県相良町黒子「翁橋」
蛭ヶ谷川に架かるが、この橋の付近では「ぢんぢん川」と呼んだ。
狐狸か妖怪か判らないが、夏の夜などにみすぼらしい身なりの老人が現れたり、川土手の草が綺麗に刈り取られていたり、痩せ細り青白い顔をした怪物が、もの凄い形相で研ぎ澄ました鎌を持って現れたりした。
老人→じじい→ぢんぢんとのこと。

爺さんは濡れ衣のような気もしますが。



248:[sage]投稿日:04/05/1123:04
静岡県相良町西萩間「万法印」
丸尾原へ上る御相談坂の登り口に、小さな橋がある。
手前を左に行くと子生れ石、橋を渡り右に行くと、田がある。
この田を作ると、何かしら禍があるというので嫌われている。
この田は昔、字原平に住んでいた万法印と呼ばれる法師のものであった。
彼は土地への執着が強かったゆえ、縁もない者に耕されるのが無念で祟るのであろうということである。
現在は、地主が耕している。

以上、昭和44年発行の本より。



251:本籍は奈良県[sage]投稿日:04/05/1322:31
奈良県東吉野村三尾「まのはら(魔の原?)」

三尾の集落に入る左手前、道路と四郷川の間の一段低いところに10坪ほどの平地があり、以前より「まのはら」と呼ばれていたとの事。
今から30年ほど前に、その場所に製材所を建てた人がいましたが、その後その人の一家には変死者が相次ぎ、最後には全員が死に絶えたと聞いています。
ちなみに、今現在製材所は廃墟と化してますが、街灯がほとんど無い場所なので夜に横を通ると雰囲気たっぷりです(;´Д`)

なお、川を挟んだ対岸の崖の上には鉱山の坑道が残っていますが、かつてはその坑道の中で幽霊が出没したという噂も聞いています。



252:いんちき[]投稿日:04/05/1821:18
千葉市緑区おゆみ野【首塚】

近代的ニュータウンが広がるおゆみ野・ちはら台であるが昔はうっそうとした山野だった
その昔、落ち武者がこの地でつかまり首を切られたという
この塚の近くに沼田があったが、これを耕すものは家が絶えるといわれていた
昭和30年ごろ、この沼田を耕していた家があったが、怪死する者が続いたため所有者は耕作を放棄したという
ニュータウン開発が始まるまでは荒れるに任せており、薄気味悪い祠があったという
現在はニュータウン開発に伴い、場所がわからなくなっているが、鎌取駅のやや北にあったそうだ



254:いんちき[]投稿日:04/05/2521:19
千葉市緑区おゆみ野【ショーエモン田】

ショーエモンというのは天保年間実在した人の名前という
昔、この田はある一家が耕作していたが、流行病で娘をのぞき全滅してしまった
欲深いショーエモンはこの娘を言いくるめてこの田を取り上げた
将来を悲観した娘は気が触れて行方不明になったという
この後、ショーエモンの一家では怪死する者が続き、絶えてしまった
これ以後も、この田を耕作する者は一家全滅などの目にあったという
おゆみ野・ちはら台開発に伴い田のはっきりした所在地は不明だが○○公園のぬかるんだ池近くだといい
古くから住む住民はこの地を忌み嫌っている



255:いんちき[]投稿日:04/05/2620:33
千葉市緑区おゆみ野【けち筋】

下○療養所がある岡ににあったという小道
由来はわからないが、夜この道を通ると悪い物に憑かれるとか
この筋に家を建てるとよくないことが起こるという
戦後某家がこの付近に家を構えたが商売に失敗するなどし、結局一家離散の憂き目にあったそうだ
千葉東金道路を横断するように走っている道のことだというが誉田駅付近にあったともいう



256:いんちき[]投稿日:04/05/2620:51
市原市新堀【病田】

この付近の耕地は区画整理され整然としているがこの田の近くだけ手をつけれずに残っている
ある人がこの田の近くで自害したといわれ以後この田を耕作する者は病にかかったといわれている
市原市五井よりでる小湊鉄道が建設されたとき予定ではこの田を通っていく予定であったが因縁を知って急遽建設予定が変更になったというはなしがある



258:いんちき[]投稿日:04/05/2821:49
千葉市緑区誉田【やくしん田】

昔、この田は池でありやくしん池と呼んでいた
この池の近くに薬師堂があったのでやくしん池と呼ばれたという
明治初期、ある一家がT氏に土地をだまし取られて、この池に身を投げて死んでしまった
以後、この池は縁起が悪いとされ、この池の水を使って耕作するとたたりがあるといい忌み嫌われていた
戦後、区画整理でこの池はつぶされ田んぼになったがやくしん田と呼ばれ、この田を耕せばたたられるという
現在はこの一角だけ荒れ地になっており所有者は耕作を放棄しているようだ
T氏は実在の人物であり、戦前は地主として権勢をふるってきたが戦後の農地解放で没落した
この一家の子孫は結局変死や自殺が続き、絶えてしまったが「やくしん田のたたりだ」と噂されたという



264:いんちき[]投稿日:04/05/2914:52
千葉県東金市【なら藪】

某住宅地付近の、竹藪の生い茂る小山のことをこう呼ぶ江戸時代末期に、この藪である人が斬り殺された
以後、雨の降る夜にこの藪を通ると怪異に遭うとかこの藪の竹を使うと親の死に目にあえないといって嫌われている
また、この藪の所有者は早死にするといい所有者も転々と変わっている
藪の中に朽ちた祠があり、現在も所有者が年一回お参りをしている



265:いんちき[]投稿日:04/05/2915:11
某県某所【六部○○】

あるニュータウンの近くにぽつんとある集落ことを指す地名
現在はきちんとした地名がつけられているが地元民はこの集落を六部○○と呼び、嫌っている
はての二十日(12月20日)に六部がある家に泊まったが多額の金銭を持っていたので、この六部を殺してしまった
この一家が住んでいるのがこの集落で、周囲の者は付き合いを絶っていた
この集落の者は、正月に餅をつくと真っ赤に染まるといい今でも餅をつかないという

*いんちきには、いわゆる部落差別を行う意図は全くありません
プライバシーの問題があると思うので、多くを伏せ字にしました



266:いんちき[]投稿日:04/05/2915:20
千葉県君津市【いん田】

いん田というのは忌み田のことだろう
ある親子が言い争いをして、子が親を鎌で殺してこの田に遺体を投げ込んだ
以後、この田を作る者は祟られるといい、村の共同所有地になったがそれでもこの田を作る者はいなかった
区画整理で、現在は正確な場所はわからない




267:いんちき[]投稿日:04/05/2915:39
千葉県袖ヶ浦市【郷橋】

小櫃川に昔かかっていたといわれた橋
ある人が酔ってこの橋から落ち、溺死してしまった
その後、夜通ると憑かれるといい、結婚の列がこの橋を通ると別れ、葬式が通ると家族にも死人がでたといい忌み嫌われた
現在この橋はすでにないが、橋の後は残っており地元の人は冠婚葬祭時、この橋付近を避ける



268:いんちき[]投稿日:04/05/2920:39
千葉県君津市【三郎が窪】

ご多分に漏れず?ある新興住宅地付内の窪地
現在はグラウンドとして使われている
三郎という人が隣人との諍いの末殺されこの窪地に死体が捨てられた
以後、この窪地は縁起が悪いとされ、放置されていた
高度成長期にデベロッパーが地元の業者を使いこの付近を開発した際地元の業者は、この地だけは手をつけるなといっったという
窪地で、近くに調整池があるためか夏場は特にむしむしするこの地を地元の人は嫌っている



269:いんちき[]投稿日:04/05/2920:52
千葉県袖ヶ浦市【ごじゃぬ田】

名前やいわれははっきりしない
この田の所有権を巡って兄弟が争った末、弟が兄を殺したという言い伝えがある



270:いんちき[]投稿日:04/05/2920:58
千葉県袖ヶ浦市【ごじゃぬ田】

269とは別のところ
この田も、名前やいわれははっきりしない
この田の近くにあれた岡があり、昔は塚だったという
坂口の家が3軒になったらこの塚を掘ってみよ、骨がでるからという言い伝えがある
この田を耕す者は早死にするという
交差点近くのコンビニの横の田んぼのこと



273:天之御名無主[]投稿日:04/06/2601:22
「お菊澤」静岡県・・・榛原町かな?金谷町かな?とにかく、牧ノ原

牧ノ原は、「布引の原」という別名を持つ。
昔、相良のお菊という娘が、金谷の大工と恋仲になった。彼女は夜ごとに牧ノ原を越え、男の元へと通ったが、当時は原野であった牧ノ原は物騒でもあり、やはり恐ろしかった。
そこで、頭の上に糸枠を載せ、鏡とロウソクを立て、白い着物を着、白布1反を引いて歩いた。怪物を装えば、盗賊などは近づかないと思ったのである。
ところが、化け物の噂は腕自慢の者達を呼び寄せる結果となり、お菊は肝試しに来ていた一人に斬り殺されてしまう。
彼女の殺された場所を「お菊沢」と呼び、祟りがあるといって恐れた。
太平洋戦争の直前、牧ノ原に海軍の航空隊が配置され、営舎が建設されることとなったが、沢の周辺で事故が相次ぐので、お菊の祟りであろうと噂が立った。
沢の土を、大沢原の西光寺に運んで供養をしたそうで、地蔵尊が残っているとのこと。

昭和44年発行の本より。



287:死酷陣[]投稿日:05/01/3021:37:01
香川県M町まがつ田(凶つ田?)

香川用水が出きるまで讃岐は水不足に悩ませられる地であった。
特有の瀬戸内海気候のため、乾燥し、夏場はいつも水が不足していた。
水不足を補うため、隅々に溜池と掘割が作られた。
しかし、溜池の水では全ての田を潤すことは限界であり、そのため溜池の水を巡って争いがあった。

讃岐には水に関し様々な伝承があり、それに伴い忌まれる地もまた多い。
M町の「まがつ田」もそのひとつである。
M家とI家が水のことで争い、M家のものがI家のものを殺し、その死体をこの田に投げ入れた。
下手人であるM家のものは、同じM町で磔にされた。
以後、この田は「まがつ田」と呼ばれ、所有者であるI家は耕作を放棄した。
この田を耕すものは熱病で死ぬと言われた。
大正時代にある政治家が所有し、耕作したが良くないことが続いた。
現在は荒地となっていて、所有者が立てた祠があるだけである。
農地改良事業の際にも、
「あそこにはふれてはいけない」
という意見が多く、その土地には手を加えられず、今でも荒地として残っている。



288:死酷陣[]投稿日:05/01/3022:06:00
香川県某所せんこうやみ(線香病み?)

溜池からの水は各々の田に水路を使って分配されるが、自然に水を流すと、当然に溜池に近い田のほうが多く水を得られる。
よって、争いが起こらないよう、各々の田に水を流す時間は、集落の集いで決めていた。
当然に各田公平に水か与えられているのではなく、集落の身分や力関係で決定されていた。
ところで、水を流す時間を測定するものは何であるか?
それは「線香」である。

ある被差別階級に属するとされた人の話である。
集落の身分上、水が与えられる時間はわずかであった。
しかし、より多くの水を得たいと考えたこの人物は、「燃えにくい」線香で自分の時間を図った。
当初は上手く言ったが、結局線香に細工」していることが発覚し、結局彼の田には、水は与えられないことになったという。
娘は売られ、息子は無頼の徒になり、夫婦は自殺したという。
残された田は「せんこうやみ」として忌み田になり、放置された。
農地改良事業により場所ははっきりしなくなった。

注意:投稿者には、いわゆる「部落差別」を行う意思は無く、また反対するものです。
ですので、地名等については明記せず、一部は聞き及んでいる話の内容を若干修正しています。



292:死酷陣[]投稿日:05/03/0319:28:33
香川県S市みずしたたり(水主たたり?)

雨が少なかった瀬戸内地域では、夏場に雨を祈る一方、川や池等が自然発生的に崇められてきた
「水主」というのは水を持っている人、ないしは水を蓄えている土地に対する敬意として送られた言葉である
水主神社が、大小あわせていくつか存在する
ところで、昭和30年代に、ある地元資本の商店が町の繁華街に出店したがこの際水主神社を潰して出店した
地元の住民からは恐れられ、公然と批判する者も多かったという
経営は上手くいかず、出店した店舗どころか、商店自体も倒産した
地元の人は「水主様の祟りだ」とうわさしあった
以後、その土地で、様々な店舗が展開したが、悉く商売が失敗した
現在では、主要な道路が移ってしまったので、往時の賑わいは無いがそれでも比較的有利な土地なのに、いっこうに買い手が無い状態が続いている
水主さまの祟りといって、冠婚葬祭はもちろん、地元の中学生が定期試験の時も「成績が下がる」といってその土地の前を通るのを避けるという



295:埼玉県民[]投稿日:05/03/1114:19:54
行田市、「小埼神社」
小埼沼の傍に建つ、古い神社。境内に生えている草1本抜いてもいけない。
枝も切れないので、荒れはてている。たたりがあるためだが。


304:[sage]投稿日:2005/03/26(土)23:38:12
東栄町「御戸の丸山」
大笹山の大入川側の山中に、すり鉢を伏せたような、どこから見ても同じ形をした山があるという。昼なお暗い、寂しい所だという。
この山には、つい先程まで何物かがいたかのように、枯れ草が取り除かれ草も生えていない綺麗に掃除された一角がある。
あまりに人為的なものなので、気味が悪いのだという。集落では今でも、一人では絶対に行ってはならないとされており、必ず二人以上で登る。
以前、一人で丸山に登った人は、巨大な白ヘビを見たと後に語ったそうだ。
このヘビは山の主であり、主を見る事は凶兆とされている。

1989年発行の山岳ガイドより

これでもうネタ切れ。



335:天之御名無主[]投稿日:2005/10/06(木)16:45:42
人がその場所を「忌む」のは、そこに汚れた物や怖い物があったからだよ。
昔は迷信や伝染病が怖くて近づかなかったの。そんな所、日本中にあるよ。

怖がる事はない。ただ近づかなければいいだけだ。むやみに近づけば・・・。



380:ブクタブクオ[]投稿日:2005/12/23(金)19:43:57
埼玉県入間市野田方面
昔、入間川の氾濫が多発し、村民全滅、廃墟となる。
それを知った役人が治水工事を名目に罪人と土着渡来人を集め、自然殺害。
その後、被害を免れた者達が密に暮らし、役人に漏れ無い様に『忌み地』とした。
今も住人の大半が同姓で排他色が強い。



434:天之御名無主[sage]投稿日:2006/03/08(水)23:10:45
静岡県駿東郡小山町一色に椿畑という畑
秀吉が北条氏を攻めた時、この付近にあった北条方の下古城(シモフルシロ)が落城した際城主の妻のお椿さんという方がこの畑で自害したらしいこの畑は生姜を作っていたが自害したあと生姜を収穫すると血のように赤くなったらしくそれ以来この畑では生姜の栽培が禁じられている。
現在畑の傍らに椿大明神の祠が祭られている。



437:天之御名無主[]投稿日:2006/03/16(木)03:22:38
レトロウイルスなんかは、そういう伝承のある所から発生しているらしいね。
「あの山に入ってはいけない」「森の木を切ると祟りがある」
祟りとはウイルスのことだった、というのを何処かのスレで見た。



438:天之御名無主[]投稿日:2006/03/16(木)20:49:33
そういった話なら日本にもあるね。

広島県芦田川・高屋川合流地点付近。
昔はこのあたりは海だったという言い伝えがある。はるか昔、漆を大量に積んだ船が大風によって難破し、そこの山は漆山と呼ばれるようになった。
この地では、昔の漆の気が残っているために、訪れるものは皆かぶれるといわれていた。
春から夏の季節の変わり目に耕作のために田に入ると、足の脛に小さな発疹ができ、耐えられぬほどの痛さ痒さに襲われる。
やがては下痢や嘔吐を起こし、寝汗をかき肉は落ち、腹だけは鼓のように膨れ、最後は足にむくみが来て落命する。
20世紀初頭、日本住血吸虫感染が原因であることが証明された。



441:天之御名無主[]投稿日:2006/03/20(月)22:15:19
>>437
エボラ出血熱やエイズだろ。みんなアフリカの未開の地からやってきたんだよ。
日本だと、住血吸虫に日本脳炎に砒素鉱毒かな。



442:天之御名無主[]投稿日:2006/03/21(火)06:18:59
日本では他にツツガムシ、フィラリア、マラリアなどがある。



444:天之御名無主[]投稿日:2006/03/21(火)18:34:15
犬の死亡原因上位を占める寄生虫病だよ。
人に感染すると象皮病を引き起こす。金玉が地面に着くほど腫れたりするアレ。



446:天之御名無主[]投稿日:2006/03/26(日)09:07:53
静岡県浜松市三ヶ日町鵺代に誰が住んでも1代続かない、祟り地があります。
昔、ここで惨殺された巡礼達の怨霊であるといわれており、石垣や門は残っていますが荒れ放題のままで、町民は近づきもしません。



452:天之御名無主[sage]投稿日:2006/04/02(日)01:52:52
何年かこのスレを見つづけて、自分でも調べたり探索したりしてるけど、無理に被差別系の土地の話題を避けるのは、日本の近世史と土地への観念の関わりから観て不自然だと思います。
穢れの思想の表と裏や、昔の人(情報の限られた人)の観念を推し量るのにそういった厳然たる社会状況(それが正しいか間違っているかは別として)は考慮せねばならないと考えるからです。
未だにそんなくだらない差別をしたがるシーラカンスのごとき人々は無視するとしても。
このスレでもかなり前に(3年前ぐらい?)に言わなくなった話題ですけども真剣に人の心の明暗と土地への観念に興味がある人間として。



499:天之御名無主[]投稿日:2006/07/19(水)09:19:45
京都府与謝野町・岩崎橋周辺

昔、橋の脇に松の大木が生えており、その枝は太く、道にせりだすほど立派なものでしたが、枝で首を吊る人が多かった為、首吊り松と呼ばれていました。
松は数十年以上前に切り倒されましたが、その跡地はずっと手付かずでした。やっと周囲の土地ごと買い取られて工場が建っても、首吊り松の跡地周辺だけ、建設予定地の看板を立てたまま25年も放置されています。
近年、松の跡地から50Mほどの土地に家を建てた方の奥さんは、越して1ヶ月ほどで亡くなりました。死因は偶然かも知れませんが首吊り自殺でした。



528:天之御名無主[sage]投稿日:2006/08/17(木)05:39:28
滋賀県信楽町[ゴズメ山]

明治初期、その山にゴズメという老女祈祷師が住んでいた。
雨乞いや狐払いに優れ、村人は尊敬していた。彼女の祈祷は小動物と米を山に供え、山神を体に憑依させて行うもので、霊験あらたかだが危険の多いものだった。
彼女はある日、村人に今晩、小屋に火をかけるよう頼んだ。祈祷の際、強い荒神に体を取られ、災い封じに死を選んだのだ。
件の村人は尊敬のあまり実行できなかったが、朝には彼女の姿は消えていた。その後、山から狂女の笑い声が響くようになり、山に入ると発狂したり死ぬ者が続き入山禁止となった



613:天之御名無主[sage]投稿日:2007/06/21(木)13:48:41
忌み地というには薄いが……
現在、多摩湖・狭山湖という人口湖が東京にあるのをご存知だろうか。
まぁ湖の北側はもう埼玉県で、西武遊園地のすぐそばで、桜の名所でもあり、湖を一周する遊歩道も整備されていて、なかなか良いところです……周回道路を飛ばすDQNもいるけどナ。

では、その何処が忌み地かというと。
かつて、昭和2年にダムに沈む前の狭山村というのが相当貧しい村だったそうで(なにしろ周囲を丘陵に囲まれた盆地で日照も悪い)、江戸時代には口減らしの為に姥捨てが行われていたとの事。
その「捨て場山」と呼ばれたあたりから、ダム工事の際にも風化した人骨が出たとの事。
現在も「行人塚」と呼ばれる碑が建ってるらしいが、東京都水道局の所有する水道用地ということで、立ち入りは禁止だそうです。

水気が多いせいか雰囲気は悪いけど、忌み地ってほどでもないかな……

参考資料;「多摩の怪談ぞくぞくガイド」けやき出版2000年



645:天之御名無主[]投稿日:2008/01/24(木)22:02:30
>>642判官塚(栃木県鹿沼市北赤塚町)

吉次等と平泉に向かう途中、義経等が隠れた所とも伝えられるこんもりとした小山の判官塚古墳。
源九郎義経の冠を埋めたので冠塚とも呼ばれ、昔から盗掘が後を絶たなかったらしいが、盗掘した人が次々と体中の穴という穴から血を流して変死するので祟り山として地元では知られている。
今日でも古墳の木を切ったり、土を掘ったりすると塚の神の祟りがあるといい忌み嫌われている。




860:天之御名無主[]投稿日:2010/03/21(日)17:39:14
上浮穴郡では「クセ地」をマケヤマ・マケハタという。
面河村では部落から離れた山腹にあり、所有争いがあった。
敗者はそれを怨んで深夜ひそかに獣類・鶏を生き埋めにした。
勝者はそれを知らず、作物を栽培したが不作で、またその年に必ず病人・死人が出たり、天災に遭ったりという祟りがあった。
故にここが忌まれるようになったという。



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Title : 無題

加門七海の「祝山」って本も、実際に加門氏が体験した忌み山の話で、超怖かった。奥多摩の話かなと思う。

ふんだらー 2014.10.14 (Tue) 21:33 編集

Re:無題

へえ、読んだことないや。
機会があったら読んでみよう。

2014.10.20 12:29

Title : 無題

奥多摩ってドライブ・ツーリングスポットだけど悪い土地だったのか。
うちの会社の工場が茨城県に移転するので、茨城の話が出て「やべぇ工場がその忌み地だったらどーすんべ」と焦ったけど調べたら違う地方だったので一安心。牛久って河童の伝説があるんですね。

ドラスタ娘 2014.10.14 (Tue) 22:00 編集

Re:無題

奥多摩はいろいろ話があるよね。
忌み地っていうより、現実的には何らかの利権絡みでゴニョゴニョなパターンも多いんだろうけれど。

それはともかく、牛久ったら大仏だよね!

2014.10.20 12:31

Title : 無題

べらぼうに長いので流し読みしたところ

イハイザス → トイザラス
ショウズカ婆 → ショウガジル鍋
ゴズメ → ゴメス
マケヤマ・マケハタ → マハリク・マハリタ

と言うように何やら脳内変換しておりました。
う~~~~む、日本の地名は奥が深いのぉ~~www

NONAME 2014.10.15 (Wed) 15:37 編集

Re:無題

マハリークマハーリタヤンバラヤンヤンヤン♪

2014.10.21 19:53

Title : 無題

耕作するとたたられるが
放置したり住んだりするぶんには別にってのが多いけど
いったいどういうたたりなんだろ

NONAME 2014.10.15 (Wed) 19:03 編集

Re:無題

土を耕しちゃなんね、ってことなのかね。
五行とかだと金と土って相性悪いんだっけ?

2014.10.21 19:54

Title : 無題

泥田坊が「田を返せ」を履き違えて、田んぼではなくその土地自体の領有権を主張し始めた可能性が微レ存?

七篠 2014.10.16 (Thu) 18:43 編集

Re:無題

強欲だなぁ泥田坊…

2014.10.21 19:59

Title : 牛久大仏

ネズミとりやってますので車で行かれる方はご注意を。

2014.10.21 (Tue) 23:24 編集

Re:牛久大仏

とのことです!
法定速度を守りましょうね!

2014.10.22 20:14

Title : 無題

耕してはいけないってのは日本住吸血虫がいたところが多い
九州と中国地方の一部、それと山梨全域がそう
その地域には吸血虫のキャリアである貝が淡水に住んでいて、その水で稲作を行うと当時はほぼ100%死に至る
しかも腹に水が溜まって死ぬという、昔の人からすると奇病そのものな症状
井戸水だったり、川や田んぼに肌を晒さなければ感染しないから、住む分には大丈夫と言われてる
今は撲滅したからいないけど、甲府盆地有する山梨が田んぼでは無く畑だらけなのもこの影響が大きい
日本住吸血虫については「死の貝」っていう本に詳しく載ってる

NONAME 2016.10.21 (Fri) 20:50 編集

Re:無題

山梨の地方病のポスターが怖い
http://blog.livedoor.jp/kiha1314/archives/28230578.html

終息宣言が1996年てのがまた怖い
たった20年前ですぜ!

2016.11.01 21:33

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