都市伝説・・・奇憚・・・blog
コソ化合物(コソの点火プラグ)
2009.03.11 (Wed) | Category : ミステリー・オーパーツ
【概要】
1961年にアメリカのカリフォルニア州、コソ山脈で鉱石収集家によって発見された謎の加工物。
晶洞石(空洞になった内部に結晶がついている石)の中から出てきたという。
化石化した木と思われる六角形の筒の中には直径19mmの固いセラミック製の本体に金属製のシャフト
そして直径2mmの軸が付属おり自動車用の点火プラグによく似ているという。
また、このセラミックはダイヤ製のノコギリの歯がボロボロになるほど固かったという。
この加工物の内部のを見ると、小型の機械部品や一種の電気装置としか考えられない構造をもっており
後に、この点火プラグが約50万年前の物であることが判明した。
なぜ約50万年も前にこんなメカニックな物があったのか?
【解説】
コソの点火プラグ(コソのてんかぷらぐ)とは、1961年にアメリカのカリフォルニア州オランチャ(Olancha)から北東に10kmほど離れた、コソ山脈(Coso Range)で発見された点火プラグのことである。コソ加工物と呼称される場合が多い。
通常、この点火プラグがオーパーツとして紹介される際には、プラグを覆っていた石化した土を地質学者が鑑定を行ったところ、50万年前という鑑定結果が出されたと言われることが多い。
しかし実際には、アメリカ点火プラグコレクター協会の会長、同協会副会長、コレクター、点火プラグの私立博物館館長という、全米を代表する4人の点火プラグコレクターたちが「コソ加工物」のX線写真をもとに鑑定を行っており、その結果「1920年代にアメリカのチャンピオン社によって造られた点火プラグに間違いない」という、メーカー名まで一致した鑑定結果が出されている。
ちなみに「ある地質学者が鑑定を行ったところ50万年前という鑑定結果が出た」という話については、発見者の一人であるヴァージニア・マクシー(Virginia Maxey)がそう言っているだけで、その地質学者が誰だか分からないなど、証拠となるものが何もなく、著しく信憑性に欠ける話である。また、鍾乳石の中から発見されたとされる場合もあるが、「実際は点火プラグを核に泥の塊になっていただけだ」との指摘もある。
なお、現物は行方不明となっており、写真しか現存していない。
聖徳太子の地球儀
2009.02.28 (Sat) | Category : ミステリー・オーパーツ
【概要】
これは兵庫県揖保郡の斑鳩寺に伝わる聖徳太子が作ったとされる地球儀。
大きさはソフトボールくらいで家の壁を作るのに使われていた粘土状の土で作られているという。
この地球儀には日本、ユーラシア、アフリカさらに南北アメリカ大陸が刻まれておりなんと、南極大陸まで刻まれているのだ。
この地球儀は江戸時代にはすでに存在が確認されていて、当時はまだ南極大陸は発見されていなかった。
また、この地球儀にはムー大陸まで刻まれているという。
【解説】
2003年3月に放映された日本テレビの『特命リサーチ200X』で、材質などの科学的な分析が行われた。
分析結果により材質は石灰や海藻糊であることがわかった。
建材としてよく知られている漆喰の技法で造られた可能性が高い。
地球儀の表面には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれていることも判明した。
「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは、南半球に存在すると考えられていた想像上の大陸である。
南半球に巨大な大陸があるという説は、古くは2世紀ギリシャのプトレマイオスの地図に見られる。
大航海時代にマゼランが、マゼラン海峡を発見した際に、現在のティエラ・デル・フェゴ島を幻の南方大陸の一部として報告したことから、メガラニカ大陸の名称が広まった。
メガラニカとはマゼランのスペイン名にちなんで付けられた名称である。一般的には“未知の南方大陸”として知られている(伝説上の大陸)。
世界地図の伝来
日本における世界地図の歴史は、中国で刊行された『坤輿万国全図』(1602年)から始まる。
イエズス会の宣教師マテオ・リッチにより伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。
地球儀の作製年代
メガラニカ大陸の名称が書かれていることから聖徳太子(574-622)の時代ではなく1602年以降の製作である可能性が高い。
『特命リサーチ200X』では、日本で最初の百科事典『和漢三才図会』(1712年)の編纂者、寺島良安が製作したという仮説を紹介している。『和漢三才図会』に掲載されている「山海興地図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。
これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高いと言える。
謎のムー大陸
しかし、聖徳太子の地球儀には「山海興地図」には存在しない大陸が描かれている。
それは太平洋上のムー大陸に相当する位置にある。
ムー大陸が太平洋上に存在したという仮説は、ジェームズ・チャーチワード (1852-1936) が、『失われたムー大陸』(1931年)で発表したのが初出であるから、「和漢三才図会」所載「山海興地図」よりも200年近く後ということになる。
江戸時代にムー大陸が知られていたとすれば、それはそれで大発見と言える。
古代コンピュータ(アンティキティラの機械)
2009.02.19 (Thu) | Category : ミステリー・オーパーツ
【概要】
この歯車は1900年9月に地中海のアンティキティラ島沖で引き揚げられた沈没船の中から発見された。
船は2000年前に沈没したギリシャ船だった。
1973年にイギリスの科学者によって復元された結果、自動回転式の地球儀だったことが判明した。
この天文学的コンピューターには大小40の歯車があり、目盛りを動かすことで太陽、月、さらに惑星の運行も算出していたとされる。
実際に月の軌道を計算したところ誤差はわずか100分の1度しかなかったという。
また、この歯車には500年前に発見されたばかりの惑星も示されていた。
刻まれた文字から、この地球儀が紀元前82年に作られたものだと判明したが、古代ギリシャの科学文献に載っている機械類で、これほど精密なものはなく、しかもそれを可能にする天文観測や作動ギヤ技術などはなかった。
【解説】
1973年、ケンブリッジ大学で科学史を研究するデレク・ディソラ・プライス博士が、X線で歯車の内部構造を調査した。
その結果、幾重にも重なった32枚の歯車を内部に発見した。
その発見は、古代ギリシャ文明の技術では数枚の歯車を使った程度の初歩的なものしか存在しないという、それまでの推測を打ち破ることになったのだ。
それだけでなく、1575年にドイツで造られた天文時計で初めて使用されたとされる差動歯車機構という技術も使われていたという。
その技術とは、回転の組み合わせによって回転数や回転速度を変えられる仕組みだが、プライス博士がその回転比を解析した結果、天動説における「地球を中心とした太陽と月の公転比」である「19:235」とピタリと一致したのだ。
それは、古代ギリシャ文明の天文学者が「太陽が地球の周りを19周する時に、月は地球の周りを235周する」事を知っていたということであり、表面に刻まれていた星座名や暦に関する記述で、この歯車の正体は「自動的に日付を合わせて太陽や月の位置を計測する天球儀」だったのではないかと考えられた。
アメリカ軍事大学のロブ・ライス博士により、残された文献をもとに世界中で古代ギリシャの品を再現するという試みが行われていたのだが、その結果、当時の技術力が現代の我々の想像以上に高度であることが分かってきたのだ。そして、この歯車もまた、プライス博士によって復元された。
まず、発見当初、木片の残骸が歯車の周りに付着していたことから、この歯車は元々木箱に入れられていたものだと考えられた。
復元された歯車の箱の表側には、地球を中心にした太陽と月の位置を表す表示板が取り付けられ、裏側には日付を表す2つの表示板が取り付けられた。
箱の横に取り付けたクランクハンドルを回して裏側の表示板に好きな日付を合わせると、表側の表示板にその日の地球から見た太陽と月の位置が表示される仕組みだ。しかも、その誤差は100分の1度という驚くほどの正確さだったのだ。
このことは、古代ギリシャ文明の技術力が、いかに高度なものであったのかを再認識する手がかりとなった。