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聖徳太子の地球儀

2009.02.28 (Sat) Category : ミステリー・オーパーツ



【概要】
これは兵庫県揖保郡の斑鳩寺に伝わる聖徳太子が作ったとされる地球儀。
大きさはソフトボールくらいで家の壁を作るのに使われていた粘土状の土で作られているという。

この地球儀には日本、ユーラシア、アフリカさらに南北アメリカ大陸が刻まれておりなんと、南極大陸まで刻まれているのだ。

この地球儀は江戸時代にはすでに存在が確認されていて、当時はまだ南極大陸は発見されていなかった。
また、この地球儀にはムー大陸まで刻まれているという。

【解説】
2003年3月に放映された日本テレビの『特命リサーチ200X』で、材質などの科学的な分析が行われた。
分析結果により材質は石灰や海藻糊であることがわかった。
建材としてよく知られている漆喰の技法で造られた可能性が高い。
地球儀の表面には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれていることも判明した。


「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは、南半球に存在すると考えられていた想像上の大陸である。
南半球に巨大な大陸があるという説は、古くは2世紀ギリシャのプトレマイオスの地図に見られる。
大航海時代にマゼランが、マゼラン海峡を発見した際に、現在のティエラ・デル・フェゴ島を幻の南方大陸の一部として報告したことから、メガラニカ大陸の名称が広まった。

メガラニカとはマゼランのスペイン名にちなんで付けられた名称である。一般的には“未知の南方大陸”として知られている(伝説上の大陸)。


世界地図の伝来 
日本における世界地図の歴史は、中国で刊行された『坤輿万国全図』(1602年)から始まる。
イエズス会の宣教師マテオ・リッチにより伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。


地球儀の作製年代
メガラニカ大陸の名称が書かれていることから聖徳太子(574-622)の時代ではなく1602年以降の製作である可能性が高い。
『特命リサーチ200X』では、日本で最初の百科事典『和漢三才図会』(1712年)の編纂者、寺島良安が製作したという仮説を紹介している。『和漢三才図会』に掲載されている「山海興地図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。

これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高いと言える。


謎のムー大陸
しかし、聖徳太子の地球儀には「山海興地図」には存在しない大陸が描かれている。
それは太平洋上のムー大陸に相当する位置にある。

ムー大陸が太平洋上に存在したという仮説は、ジェームズ・チャーチワード (1852-1936) が、『失われたムー大陸』(1931年)で発表したのが初出であるから、「和漢三才図会」所載「山海興地図」よりも200年近く後ということになる。

江戸時代にムー大陸が知られていたとすれば、それはそれで大発見と言える。


 








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Title : 無題

メガラニカの文字だけが後で入れられたって可能性はないのかな?
聖徳太子の時代に作られた可能性を追及したいにゃ~( ´∀`)

まぁ聖徳太子自体、複数人だったって話もあるらしいし
現実的ではないのかもしれんけどね

ミクニン 2012.01.25 (Wed) 21:00 編集

Re:無題

・聖徳太子複数人説
・聖徳太子なんていなかったんや説

など、彼に関する話もだいぶ変わってきてますよね

2012.01.27 14:16

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