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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.05.10 (Fri) Category : 

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水晶ドクロ

2009.04.16 (Thu) Category : ミステリー・オーパーツ



【概要】
この水晶ドクロは「ヘッジス・スカル」と呼ばれており1927年に中央アメリカ、ペリーズのルバントュム遺跡で
イギリス人探検家、ミッチェル・ヘッジスが発見した。

水晶ドクロは古代マヤ王国で制作されたとされており発見された遺跡が約1000年前のものなので少なくともそれ以降と思われるが詳しい製作年代は分かっていない。

この水晶ドクロは解剖学的に見てかなり正確に人間の頭蓋骨を再現しており下顎も取り外し出来るようになっている。
大きさは重さ約5キロ、高さと幅は12・5cm、長さが17・5cmで女性の頭蓋骨を型どったと推測されている。

水晶ドクロのすごい点は型の正確さだけでなくドクロの下から光をあてると、ドクロ全体が炎に包まれているように光ったり水晶が虹のように光を放ったり、目の部分が発光したりするというプリズム効果も考えられている点で他にも文字を書いた紙をドクロの下に置くと眼球部分から文字が読めまた、真上から覗くと下の文字が拡大されて見えるという。

これは水晶だから起きる現象ではなく水晶のプリズム効果・屈折率の知識がないと産み出せない技術だという。
水晶の光の屈折率は複雑で、現在の技術を用いてもこれと同じ物を作るのは不可能に近いという。

また水晶ドクロは製作方法も謎で水晶はダイヤ、サファイヤ、ルビー、トパーズの次に硬い鉱物で現在、マヤの道具として発見されているのは石や動物の骨から作られたものだけしか発見されておらずこれらの道具での加工は難しいとされる。

もし出来たとしても、プリズム効果まで考えて作るのは不可能だという。

水晶ドクロはこれまでにいくつか発見されておりその中のイギリスの大英博物館にある水晶ドクロの表面には
薄い平行線の傷が確認されている。
この平行線の傷は、回転工具を使用した証拠なのだがマヤ文明にはこの技術はなかったという。

また水晶ドクロには超常現象を起こすと言われている物もあり病気が治ったり、呪いがかかったりする物もあるという。

【解説】
一般にはイギリス人のF・A・ミッチェル=ヘッジスが1927年にベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで発見したとされるものを指すことが多い。

ミッチェルの養女アナの17歳の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して水晶髑髏を私蔵したため、様々な憶測を呼んだ。このヘッジスの水晶髑髏(ヘッジス・スカル、運命の髑髏などとも呼ばれる)は、実物大で、解剖学的にみても精緻に造られている。

カリフォルニア州にあるヒューレット・パッカードの研究所における1970年代の分析結果によると、

・ヘッジスの水晶ドクロは、1個の水晶から造られていて「下顎骨」部分は、取り外し可能である。
・道具による加工痕がない。また、ひびも入っていない。
・水晶の石目を無視して彫られている。
・復顔をした場合、マヤ人と同じモンゴロイドの顔立ちになる。しかし年齢は特定できない。
・制作年代は不明。

とのことであった。このため、オーパーツではないか、と言う憶測を呼んだ。

2008年4月、スミソニアン研究所で精密な調査が行われ、電子顕微鏡による精密な検査によって水晶髑髏の表面にはダイヤモンド研磨剤による切断跡が確認され、この髑髏が制作されたのは19世紀末以降であることが判明し、ベリーズの遺跡で発掘されたものではないことが発覚した。

事実、歯の部分やあごの取り付け部に金属ドリルによる加工痕があることが、以前の調査でも確認されている。

この髑髏はもともとセントラルロンドンの美術商シドニー・バーニーが所蔵していた物で、彼は1943年にサザビーズの競売に出品し、当時のサザビーズのカタログにも登録されている。しかし、バーニーは競売にかけられる直前に髑髏の出品を取り下げてヘッジスに400ポンドで売却した。

しかも、髑髏を「発見」したとされる日、既にヘッジスはベリーズからイギリスに帰国しており、発見者のアナもベリーズに入国したことが無いことも判明している。また、発掘作業の写真には水晶髑髏の写真はまったく無く、発掘に参加した他の学者も、水晶髑髏の存在を知らなかった。

これらの髑髏の素材となる水晶は硬度の高い物質であり、また割れやすく加工は難しい。現代の道具を用いずとも、時間をかけて磨いていけば人間の手でも髑髏への加工は可能と言われているが、人力による手作業では300年以上はかかるとする見解もあるが、一方では、手作業で半年ほどで制作してしまうグループがいる。

特殊なレンズ効果
ヘッジスの水晶髑髏には特殊な効果がある、と所有者(および支持者たち)は主張している。

・下から光を射すと、眼窩に光が集中する。
・その光を凝視していると1分弱で大半の人が催眠状態に陥るという主張もある。
・太陽の光を当てると全体が美しい虹色に光る。
・ロウソクの炎を当てると神秘的な紫色に光る。

この他にも主張者たちは、もし現在の技術や手段を用いて水晶髑髏を造ったとしても、この特殊なレンズ効果は今もって仕組み・構造がわかっておらず、今の最先端技術をもってしても再現は不可能であると主張している。

ただし、これらは実際に学術的な研究や検証などが行われた訳ではなく、また水晶の髑髏による効果とされるもののうちの幾つかは生理現象や物性による説明も可能であり、水晶の髑髏に神秘性を求める者たちの主張の域を出ているわけではない。

水晶髑髏に纏わる伝承
誰が言い出したのかは分からないが、「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」「2012年までに一箇所に集めないと世界は滅びる」などの迷信や俗説がある。

2008年現在は10個ほど「発見」されており、ピンク色の可愛らしいものや、かなりいびつな形をしたものまで様々である。偽物と判明してはいるが、ミッチェル・ヘッジスの髑髏が最も精巧な出来栄えである。ただし、後述の通り、偽物と断定されていない物も存在する。

その他の水晶髑髏
ヘッジスの水晶髑髏以外のものをいくつか記載する。ただし、オーパーツと判断しがたいものや、上記のように偽物と断定されたものも含む。

ブリティッシュ・スカル


アステカの遺跡から発見されたという大英博物館にある「頭蓋骨」。
円盤型の回転工具による加工痕があり、ヨーロッパで19世紀後半に製作したものであることが判明した。また含有物の調査により水晶はマダガスカル産であることも判明した。
この髑髏はパリで骨董品店を経営していたフランス人の古物商ユージン・ボバンが所有していた物で、1881年に店に3500フランで展示されたが買い手がつかず、ニューヨークの宝石商ティファニーに950ドルで販売された。ティファニーは1898年に大英博物館に売却した。

パリス・スカル


フランス・パリ人類学博物館所蔵。高さ11cm、重さ2.7kg。頭の天辺から底辺まで、垂直な穴が開いている。
因みに、フランスのケ・ブランリ美術館が所蔵する水晶髑髏は、ブラジル産の原石を使って19世紀後半にドイツで作られた物である事が2008年4月に判明した。
この髑髏は、前述のユージン・ボバンがアステカの遺跡から出土したと主張していたもので、ボバンが所有していた二つ目の髑髏である。

レインボー・スカル
2006年に日本に運ばれ、テレビ朝日系「ドスペ!古代ミステリー秘宝殿」で放送された際にスタジオに登場した。
ETスカル


フロリダに住む人物が所有。前頭葉と上顎が突き出しているためこのように呼ばれる。

シャ・ナ・ラー・スカル


サンフランシスコに住む人物が所有。1959年にメキシコの山中で発見したと主張しているが、この人物はパスポートなどの証拠提出は拒否している。

マヤ・スカル
グアテマラで発見され、マヤの神官が所有していたとされているが、発見場所の記録・神官が所有していた証拠は何もない。

アメジスト・スカル
紫水晶で作られた髑髏。現在行方不明。

ローズ・スカル


薔薇水晶で作られた髑髏。メキシコで発見されたとされている。下顎骨部分が取り外し可能。

カース・スカル


スミソニアン博物館所蔵。内部が空洞なのが特徴。1996年の調査で19世紀の偽物と判定され、その後X線回折を用いた調査によりカーボランダムによる加工痕を確認したことから、1950年代以降に作られたものと考えられている。

ほかに

・57ポンド・スカル
・ヘルメス・スカル
・イカボッド・スカル
・マドレ・スカル
・マハサマトマン・スカル
・など。

なお、これらを紹介する本の記事には「現代の技術をもってしても再現不可能」と冠せられていることも多いが、少なくとも現代では店舗で購入できるようなイミテーションと同水準の物もある。

そもそもこの表現自体、実証した例がない(ヒューレット・パッカード研究所の報告書にも「再現不可能」とは書いていない)事や、何年も前の本に同じように書かれている(記事の表現が転載されていないとは断定できない)事には留意すべきである。

しかしながら上記のそれと、一部の精巧な髑髏との作りの差は歴然であり、その多くが近代になって模倣されたものと見ることができる。最近では懐疑論者が粗悪品を持ち上げ、既に解明された事象という姿勢を見解を声高にしている。またそれらの情報元の多くが、信憑性が疑われる娯楽TV番組やゴシップ誌から波及したものであるという事実も無視できない。

水晶髑髏はいまだに高度な科学調査が行われていないのが現状であり、早急な結論を出すにはあまりにもデータ不足な事象と言えよう。


 








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コスタリカの石球

2009.04.01 (Wed) Category : ミステリー・オーパーツ

【概要】
1930年、中米コスタリカの太平洋岸ディキス地方のジャングルを伐採中に発見された。
今までに200個を越える球体が見つかっている。

大きさは様々で直径わずか2cmのものから最大のものは直径2.6m、重量実に25トンにも及ぶ。
この石球がすごいのは、すべてがほぼ真球に近いというところである。

直径の誤差は、最大でもわずか0.2%でしかも、直径2006.6mmのものが1/100レベルで誤差が全くない球体が2つも発見されている。

この石球の材質は、ほとんどが花崗岩(かこうがん)で花崗岩は硬度が高く、その辺にある簡単な道具ではこれほど滑らかに加工できないという。
しかも、この花崗岩は石球の置かれた地点から48kmも離れたディキス川河口にしかなく、石の中にはクレーンでも運べない程の大きさのものもあるので切り出した岩を発見現場まで運ぶ方法も不明な点が多い。

現在、石球を造ったのは紀元後4世紀から9世紀のディキス石器人とされているが、彼らはせいぜい銅やヒスイの工具程しか知らなかったという。

なら、どうやってこの石球を造ったのか?
また、何のために造ったのか?
(これについては太陽系の惑星をかたどったものではないかと考えられているが確かではない)
どちらもまだ解明されておらず、不明である。


【真相】
コスタリカの石球(Stone spheres of Costa Rica)とは、1930年代の初め、コスタリカの密林で発見された石の球体である。
現在までに200個以上が発見されている。

スペイン語でラス・ボラス・グランデス(大きな玉)。石球のほとんどはタラマンカ山地のふもとに産する花崗閃緑岩が素材であるが、貝殻石灰岩によるものも少数存在する。
大きさは直径2センチの小さなものから直径2メートルを超えるものまでと様々である。最大級の石球は重量にして約25トンである。現在、石球の持ち出しや売買は法律で禁じられている。

石球の詳細な作成年代や作成目的は不明である。見つかった際に周辺にあった遺構の年代より推定して、西暦300~800年にこの地で栄えたディキス石器文化が有力視されている。
付近にすむインディオにも特別な伝説などは残っていない。

誤差数ミリのほぼ真球であるとする主張もあるが、実際にはそのような計測結果は示されていないとする説もある。
直径が部分によって5cm以上異なる球体もあるし、最大級の球体に関しては、焼畑の際の過熱によりかなり表面が崩れているのでどれだけ真の球体に近かったかは既に計測不能である。

一方で表面の状態が良好なものも多く発見されており、南山宏や羽仁礼らが著した書籍において「米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある」と紹介されている。

ただし、上記のように全てがそのような精度と言うわけではなく、200個以上のうち数個と言う偶然の範疇に収まる数であることも事実であり、「ほぼすべてが真円状」とされている書籍は誤っている。

石球の配置には規則性があり、星座など天体を模しているという説もあったが、石球が持ち出されたり、黄金が詰まっているという噂が流れ石球が破壊されたりした為、配置について現在では調査不可能となってしまった。

近年の調査で球に彫刻が残っているものがあり(Carved Sphere と呼ばれている)、彫られた線が星座の形を現しているという説が提唱されている。

球体への加工は、石斧や石像を加工した場合と同様に、まず加熱と冷却を繰り返して表面を崩していき、球体に近づいたところで同種の固い石でこつこつと叩いて形を整え、最後には磨き上げたものと考えられている。

日本テレビの「FAR EAST RESEARCH Co.」2003年3月9日放送番組での検証で、日本の石材加工業者に依頼して、当時のやり方と思われる方法で作成したところ、時間さえかければ真球に限りなく近い石球を手作業で作ることも可能だと言う結論に達している。「現代でも石を真球体に加工するのは不可能」とか「困難である」としている本などは誤りである。


 








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ペルー、アンデスの頭蓋骨

2009.03.19 (Thu) Category : ミステリー・オーパーツ



【概要】
これはペルーのアンデスで発見された約2000年前の頭蓋骨である。
見ての通り、この頭蓋骨には穴が開いているのだが驚くべきことに、この穴の周囲には骨が再生した跡があるのだ。
このことから、生きているうちに頭蓋骨に穴を開けその後もしばらく生きていたということが判る。

この穴は戦いによって傷ついた戦士を手術した痕ではないかとされており脳内出血を避けるために、あえて頭に穴を開けて血を外に出したのではないかと考えられている。

また、この地方は乾燥地帯であり、細菌による感染症の心配が少ないことや麻酔薬として有名なコカインの産地でもあったのでこのような手術が可能になったと思われる。

他にも「トゥミ」と呼ばれる青銅製の手術用ナイフも出土しているという。
古代ペルーではこの様な脳外科手術がひんぱんに行われていたようで今までに数100個の手術後のある頭蓋骨が発見されている。
その中には手術後、数年間も生きていたとされる頭蓋骨もあるという。

【解説】
紀元前3世紀頃のパラカス文化(→ナスカ文化)に行われた外科手術の跡とされる穴の開いた人間の頭蓋骨。

ただし、頭蓋骨の一部を取り除くことは他の文明圏でも見られる。またこれらは、埋葬されたミイラ化による防腐処理された遺体のほとんど全てに見られたため、外科的な医療の痕跡ではなく、遺体の処置方法の一環である可能性がある。

その一方、インカ文明の集団墳墓では、頭骨骨折治療の痕跡と見られる治療痕(処置後の生存が確認できる穴周辺の骨の成長の跡が認められる)がみられるが、同文明の存在した期間は13~16世紀であり、この双方の遺物に直接の文化的連続性はない。


 








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