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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.04.21 (Sun) Category : 

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ある絵師

2013.02.12 (Tue) Category : 人を信じすぎる人へ

187 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 19:10
メジャーだけど芥川の地獄変は既出?

或所に偏屈なお抱え絵師がいた。性格に難はあったが腕は確かで、多くの素晴らしい絵を描いていた。
ある日絵師は、殿様に「最高の絵を描いてくれ」と命じられた。
殿様は絵師の上からものを見るようなプライドの高いところが気に食わなかった。
わざと芸術家の魂を揺さぶらせるような言い回しで、「最高の絵を」と挑発気味に頼んだ。

完璧主義でもある絵師は、すばらしい絵を求めるあまり、暴走し始める。
或時は弟子を縛って身体に蛇を這わせ、恐怖におののく様を描いたりした。
しかし、どれも納得のいく作品には仕上がらなかった。何かが足りない。
そこで、絵師は悩んだ挙句、自分の娘を描くことに決めた。
絵師にとって、娘は唯一心を許せる存在だった。
周りの者が「普段は鬼のような男なのに、娘の前では仏になる」と噂するくらいだった。
娘は当然周囲の評判もよく、性格も優しかった。

しばらく経った或日、突然「絵を描いてごらんにいれるので、その場で見ていてください」と、絵師が殿様に申し立てる。
殿様は快諾し、果たしてどのようなものを描くのか、興味津々で絵師を見守る。
そこに現れたのは牛車。
牛車がちょうどいい場所に止まったところで、絵師はそれに火をかけるよう命じた。火はアッという間に回っていく。
突然、中から驚くような悲鳴が聞こえた。絵師の娘の声だった。
燃え盛り崩れる牛車の間から、慌てふためき、苦痛にゆがむ絵師の娘の姿が見えた。
皆が唖然とするなか、娘が焼け死ぬ様を絵師は涙を流しながら鬼の形相で描いた。
完成した絵は、この世のものとは思えないほど美しかった。

完成品を殿様に謙譲した絵師は、自分の屋敷で1人首を吊って自殺。
絵師の娘が死ぬ様を一部始終を見ていた殿様は発狂した。



192 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/13 00:57
>>187
実話で似たようなことした画家がいるよ。
伊藤晴雨っていう責画…SMの絵を描いた人なんだけど。
江戸時代の大蘇(月岡)芳年っていう浮世絵画家が描いた絵で、妊婦を逆さづりにした絵があるんだけど、
晴雨はそれを見て、実際をみて描いた絵か気になったんだ。
そして臨月の奥さんを逆さつりにして写真を撮って絵にしたんだよ。
その後死産、奥さんは発狂、入院。
すさまじいのは、その後モデルがいなくなったので、奥さんの妹を縛って責画のモデルにしたんだよ。
ちなみに、お葉という女性を竹久夢二と取り合って負けた事がある人。



193 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/13 01:09
で、結局実際に見て描いたとなったのかが気になる。
その絵って多分ヤマンバの絵でしょ?



198 :192:02/08/13 11:02
ちゃんと絵は描きました。手記も残されています。
実際に吊ってみると、腹が垂れ下がり、芳年の絵のように突き出したままにはならない。
よってあれはモデルなしで描かれた絵なのだ。とのことでした。
ちなみに臨月なので流産はしません。出産はしました。
ただ生まれたお子様は絶命していたと…

(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)




 








拍手[1回]

伊藤晴雨について。

1882年3月3日:浅草に生まれる。

1980年:8歳で琳派の絵師に弟子入りする。

1984年:父が彫金師だったために12歳で象牙彫刻師のもとへ丁稚奉公。

1905年:23歳で絵描きになるべく彫刻師修行を辞め京都へ移り、様々な職業を転々とするが身体を壊し東京に戻る。

1907年:25歳、毎夕新聞社入社。連載の講談、小説の挿絵や演劇評を担当。

1909年:27歳で包茎手術を行ない一度目の結婚をする(背景画家・玉置照信の義妹・竹尾)。

1910年:包茎だったため28歳まで童貞だったが本物の女を知って落胆するなど、性に対する憧れが先行するタイプだった。この頃挿絵画家としての地位が固まり、多くの執筆依頼が寄せられるも収入のほとんどは遊びに費やしていた。
(毎夕新聞から読売新聞社に転じる。「やまと新聞」の挿絵主任、「読売新聞」の演芸部長兼挿絵主任、「毎夕新聞」の挿絵主任、博文館の「演芸倶楽部」と「演芸画報」の嘱託。劇場真砂座の絵画部主任。これ以外にも絵の依頼があった)

1912年:30歳。長男・正明生まれる。

1916年:34歳でお兼(お葉)をモデルに責め絵を描く。当時お葉は12歳。お葉は12歳から15歳まで晴雨の愛人であった。

1917年:35歳。長女・菊生まれる。

1919年:37歳で竹尾と離婚、2度目の妻となる佐原キセと知り合う。

1921年:39歳。妊婦逆さ吊りの実験を行う。キセもまた美術学校のモデルで24歳。彼女は元々そうした性癖があったといい、晴雨の要求に積極的に参加していく。その後キセは、晴雨の食客としておいておいた早稲田出身の文士の卵といい仲になり晴雨の元を去る。

1931年:49歳の頃に三人目の妻が精神を病み3年の闘病の末に死去、これにより多大な借金をおう。

1944年:62歳。長男・正明、戦死。

1945年:東京大空襲で家財一切を焼失した晴雨は精力的に江戸の風俗を書き記し、『いろは引・江戸と東京風俗野史』を著した。また責めも興味の赴くままに行なうのではなく、様々な考証のもと行なうようになっている。

1960年:挿絵画家としての長年の功績に対し出版美術連盟賞を受賞。

1961年1月28日:死去。


これらの情報を見る限り妊婦の責め絵のモデルとなったのは2番目の妻キセであり、発狂して闘病生活を行っていたのは3番目の妻。
キセの子が死産かどうかまでは不明だが…。
どうも情報が錯綜しているようである。


参考:
wikipedia

責め絵師:伊藤晴雨

責め絵とお葉

伊藤晴雨・地獄の女

伊藤晴雨・自画自伝

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Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Title : 無題


晴雨の画は想像よりはオドロオドロしく無かった。

責め画ってホラーや宗教画に通じる物があって、安全な中で擬似的恐怖を見たり体感したいってどこか人間に備わった本能なのかもしれない。

怖い物を見る緊張感から、見終わって現実の平和に戻った解放感がクセになるのかな?

ねこたま 2013.02.12 (Tue) 18:24 編集

Re:無題

疑似体験だよね、多分。

2013.02.14 14:40

Title : 無題

伊藤晴雨のWikipediaの包茎手術の件にワロタw

ボンコ 2013.02.12 (Tue) 19:59 編集

Re:無題

笑ってやるなよ…('A`)

2013.02.14 14:42

Title : 無題

12歳から15歳まで愛人だと・・・。

しろ 2013.02.12 (Tue) 20:36 編集

Re:無題

やはりそこに食いつくか…w

2013.02.14 14:45

Title : 無題

絵師さんの中には稀に、情熱や執念が斜め上の方向である方がいらっしゃるんですよね…

火巳ヶ家 2013.02.13 (Wed) 00:36 編集

Re:無題

いるよね…
でも責め絵は普通のアートだと思う

2013.02.14 15:49

Title : 無題

俺の苗字でたから焦った

NONAME 2013.02.14 (Thu) 00:05 編集

Re:無題

竹尾さんチーッス
あれ、伊藤さんかな

2013.02.14 19:17

Title : 無題

地獄変の内容ちがうじゃん。
しかもミソの部分を適当に説明してるっていうさ…

NONAME 2013.02.19 (Tue) 15:36 編集

Re:無題

地獄変まではチェックしてなかったw

2013.02.25 22:48

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