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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.04.19 (Fri) Category : 

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リンカーンとケネディ

2007.10.04 (Thu) Category : 都市伝説・考察・真相

<100年差の出来事に関する項目>
 ●リンカーンが初めて下院議員に当選した年は1846年。
  ケネディが初めて下院議員に当選した年は1946年。
  ちょうど100年違いである。
                        
 ●エイブラハム・リンカーンが大統領に選ばれたのは1860年。
  ジョン・F・ケネディが大統領に選ばれたのは1960年。
  これも100年違い。

 ●リンカーンの後を引き継いだアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。
  ケネディの後を引き継いだリンドン・ジョンソンはその100年後の1908年生まれ。
                                       
 ●リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースは1839年生まれ。
  ケネディを暗殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドはその100年後の1939年生まれ。
                             
 米大統領の任期は4年である。つまり大統領選挙(就任の前年に行なわれる)は4年毎に行なわれるわけで、これは誰かが大統領に選ばれれば、4年の倍数年に当たる100年後にもまた必然的に誰かが大統領に選ばれるという事を意味する。(もちろん前大統領が再選される場合もある。) 
したがって、初代大統領ジョージ・ワシントンのちょうど100年後にベンジャミン・ハリソンが大統領に選ばれたように、リンカーンが大統領に選ばれたその100年後にケネディが大統領に選ばれたという事実自体には何の不思議もない。そこにはただ単に100年という歳月の隔たりがあるだけである。 
しかし、ここで問題になっているのは、同じ人物たちに関連して、同じような出来事がちょうど100年違いで次々と起こっているという事だろう。 
ところが、これらの中の一つはそもそも基本的な事実自体が間違っている。事実確認という基礎的で初歩的なチェックを行なえばすぐに気が付くことだが、 暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースは1839年生まれではない。1838年生まれである。
では残りの項目はどうだろうか? 
それらは間違っていない。主張されている通りの年度にそれぞれの出来事が起きている。 
だが、ちょっと待った。リンカーンとケネディの話では議員や大統領に選出された年が問題にされているのに、二人のジョンソンの話ではそれぞれの誕生日が問題にされてしまっている。「100年差の一致」は"職歴"に関わるものではなかったのか? 
職歴を基準にするなら、アンドリュー・ジョンソンの議員になった年とリンドン・ジョンソンの議員になった年は100年違いではない。(副大統領になった年は当然100年違いだが‥。(笑)) 
誕生日を基準にするなら、リンカーンの生まれた年とケネディの生まれた年も100年違いではない。 
ではこの話で説かれる"運命を操る見えざる手"は、いったい何を基準にその対象とする事柄を選ぶのだろうか? 
もちろん、そもそも「呪い」とか「神秘」というものは人知を超えたものだろうから、基準を云々言っても、"それは人知の及ぶところではない"と考える人もいるかもしれない。しかし、よく考えてほしい。これは当たり前過ぎてつい忘れられがちな事だが、 「人間の一生には様々な出来事が起こる」のである。例えば、これを読んでいるきみの、この世に生まれてから今に至るまでの人生には、いったいどれほどたくさんの出来事が起こってきただろうか? 大小合わせれば、とても数え切れるものではないだろう。それはきみの友人、関係者、まったくの赤の他人、すべての人間に当てはまる。仮に細かく比較する事ができるとしたら、そしてどんな内容の事柄を選んでもいいのであれば、きみが自分の人生と他の人間の人生の中に類似の出来事を見つけ出すのは決して難しい事ではないはずだ。
リンカーンとアンドリュー・ジョンソン、ケネディとリンドン・ジョンソンの場合も同様である。この二つのグループは、それぞれ「同じ時代」に生きた人物たちから成っている。そしてもちろん、彼らの一生にも様々な出来事が起きている。
だとしたら、これらの人物たちの一生を見渡して、その人生に起こった無数の出来事の中に、たまたま「ちょうど100年違い」で一致する出来事をいくつか見つけ出せたとしても、別に驚くような事ではないだろう。なぜなら、それぞれの時代は「約1世紀」離れているのだから。

そしてもう一度、大統領の任期が4年ということを思い出してほしい。そうすれば、例えば、今、合衆国で政治家として活動している人物が大統領になるチャンスは、あらかじめ決められた年、つまり大統領選挙の行なわれるごく限られた年にしかないというごく当たり前の事実に気付かされるだろう。 100年違いで政治家(議員)としてのデビューを飾った人物たちに大統領になる機会は同じ周期でしかやって来ない。しかも大抵の場合、それは数えるほどの回数しかやって来ないはずだ。そう考えると、リンカーンとケネディの「大統領に選出された年」が同様に100年違いである事も、特別驚くような事柄ではないのである。
<名前の文字数に関する項目>
 ●リンカーンとケネディは名前を綴る文字数がどちらもアルファベット7文字である。

 ●二人のジョンソンの名前はどちらもファーストネームまで合わせてアルファベット
  13文字から成る。

 ●ブースとオズワルドは、それぞれ「ジョン・ウィルクス・ブース」「リー・ハーヴェイ 
  ・オズワルド」というように三つの名前で人々に知られ、その三つの名前はアルファベ
  ット15文字で綴られる。   

 本当に"しょーもない主張"である。
リンカーンとケネディの組み合わせではラストネームの文字数を一致項目にしているのに、二人のジョンソンに関する主張では、「ファーストネームまで合わせた文字数の合計」という話にすり替わっている。
さらに二人の暗殺者に関する主張になると、今度はファーストとミドルとラストの名前を合わせた文字数の合計(つまりフルネームの合計)が一致項目にされてしまっている。
このようにその場その場の都合で選択する基準を自由自在に変えてしまっていいのであれば、他の無数の名前の組み合わせからでも、いくらでも一致する文字数を見つけることができるだろう。

だがそれ以前の問題として、世の中に同じ文字数の名前など数え切れないほど存在するではないか?
例えば、Lincoln(リンカーン)もKennedy(ケネディ)もラストネーム[苗字]の文字数は確かに7文字だが、彼らの後を継いだ二人のJohnson(ジョンソン)を含め、アメリカの歴代大統領でラストネームが7文字の人物なら合計8名もいる。ついでに数えてみると、ラストネームが4文字なら計5名、5文字なら計7名、6文字なら計9名、8文字なら計7名の歴代大統領がいる。そんな事は冷静に考えれば一致項目でも何でもないはずだ。
"三つの名前を持った人物"にしても同様の話だろう。ケネディが"フィッツジェラルド"というミドルネームを持っているように、欧米人にミドルネームを持った人物なら、それこそ山ほど存在する。別に珍しい事でも何でもないのだ。
要するに、これらの名前の文字数に関する主張は、"一致している"というよりも、意味のない数字の羅列の中から無理やり一致項目が作り出されているだけの話である。普通に考えたら一致しているとも言えないような事が、大げさに一致項目に仕立て上げられているだけだ。
<二人のジョンソンに関する項目>
 ●リンカーンの後を引き継いだ大統領の名はジョンソン。
  ケネディの後を引き継いだ大統領の名も同じジョンソン。

 ●アンドリュー・ジョンソンはリンカーンの死の10年後に死亡。 
  リンドン・ジョンソンはケネディの死の10年後に死亡。

 ●どちらのジョンソンも南部出身者である。 

 リンカーンとケネディ、両者の副大統領のラストネームがジョンソンだった事は事実だし、これは確かに一致していると言える。 
ただねぇ‥。何せ、その一致している名前が「 ジョンソン 」だからなぁ‥。(笑)
例えば、日本人であるきみが、「あの二人はどちらも山田君だ!」とか、「あちらは田中さん、こちらも田中さん‥」って話を耳にしたって、何か驚くようなことがあるだろうか? 
また、前大統領の死によって大統領に昇格したこれら二人の人物が、どちらも前大統領の死から10年後に死去しているのも事実ではあるが・・・、アンドリュー・ジョンソンが死んだのが1875年であるのに対し、リンドン・ジョンソンが死んだのは1973年・・・。 
「100年差の一致」はいったいどうなっちゃったんでしょう? (笑) 
これも基準を持たない"こじつけ"の一致例と言っていい。「一致している」と考えるよりも、解釈する側が「一致を作り出している」と考えた方が適切である。

それに両方が南部の出身者だという事が、あえて一致事例として挙げるような事だろうか? 確率的にいってもそれは驚くような事でも何でもないはずだ。まあ、おそらくは、リンカーンの黒人擁護政策に反対した南部人の"呪い"みたいな事をほのめかしたいのだろうが(つまり、100年の呪いはそもそも"南部の呪い"によって生じたという理屈である。)、例えば、「きみの友人の二人の山田君はどちらも関西出身だ!」とか言われても僕は驚かないよ。 
さらに付け加えるなら、アンドリュー・ジョンソンは南部出身者ではあっても奴隷開放政策に賛成した人物である。 "南部の呪い"も成り立たない。

<暗殺事件に関する項目>
 ●二人の暗殺事件はどちらも金曜日に起きている。

 ●二人とも殺された武器は銃で背後から頭を撃たれている。

 ●リンカーンが撃たれた場所はフォード劇場。
  ケネディが撃たれた時乗っていた車はフォード社製リンカーン。

 ●リンカーンは暗殺される1週間前にメリーランドのモンローにいた。
  ケネディは暗殺される1週間前にマリリン・モンローと一緒にいた。

 ●二人とも妻の目の前で撃たれた。

 ●リンカーンの秘書は、大統領に劇場へ行かないように警告した。
  ケネディの秘書は、大統領にダラスへ行かないように警告した。

 ●暗殺後、ブースは劇場から逃走し、倉庫で捕らえられた。
  暗殺後、オズワルドは倉庫から逃走し、劇場で捕らえられた。

 ●ブースとオズワルドは、どちらも裁判が行なわれる前に殺されている。 

 ●これら暗殺者二人も南部出身者である。

 そもそも民間人による大統領の暗殺が成り立つためには、国家の要職にある当の大統領が民衆の前に姿を現さない事には始まらない。そして大統領が公の場に姿を現す時は妻であるファースト・レディを伴うのが普通である。したがって、二人の大統領がどちらも妻の目の前で撃たれている事に驚くような要素は何もない。
暗殺に使われた道具が銃である事も同様である。(どちらも"吹き矢"が使用されたというなら話は別だが‥。(笑))
おまけに銃は銃でも、リンカーン暗殺に使用されたのはピストルで、ケネディ暗殺に使用されたのはライフルだ。
また、暗殺者が銃を使い、その暗殺は成功しているのだから、撃たれた部分が頭である事も特別驚くような事ではないだろう。撃たれたのが頭以外の個所だったなら大統領は命を取り留めていたかもしれないのだから。(実はブースもオズワルドも暗殺時の状況から言って大統領の頭以外に狙う個所がなかったという事実もある。)
それに、事件が起きた場所である"フォード劇場"の対比として"乗っていた車の車種"を持ち出されても・・・、おやじギャグじゃあるまいし、そりゃ無理が有り過ぎて苦笑するしかない。

二つの暗殺事件が金曜日に起きている事についても、冷静になって考えればどうという事もない一致項目だ。 1週間は7日だから、ある人物が暗殺されたとして、その暗殺された日が金曜日である確率は言うまでもなく1/7になる。 という事は、違う時期に大統領であった二人の人物の暗殺された日が同じ「金曜日」である確率は 1/7 × 1/7 = 1/49 となり、これは単純に考えればそれなりに低い確率であると言っても良さそうである。だが、実際にはこの「金曜日」という曜日には何も特別な意味があるわけではない。一致していれば別に何曜日でもいいのである。だから、ここでは暗殺された日が「同じ曜日」である確率を求めるべきで、これは 1/49 × 7 = 7/49 となるから、結局は、やはり1/7の確率でしかないのである。曜日が一致しているからといっても、そもそも選択肢はたった7つしかないのだから、あえて一致項目として挙げるような事でもないだろう?
ついでに付け加えるなら、同様に殺害された第25代大統領ウィリアム・マッキンリーの暗殺事件も同じ金曜日に起きている。もっとも、歴史に詳しい人ならこう言うかもしれない。マッキンリーの場合は撃たれてすぐに死んだわけではなく、事件後も約8日間は生きていた。実際に死んだ日は土曜日である、と。
だが、それを言うならリンカーンの場合も、死亡したのは暗殺事件が起こった金曜日ではなく、翌日の「土曜日」の事なのだ。
それよりも、もっと強調しておくべきなのは、リンカーンの暗殺事件は1865年4月14日の事であり、ケネディの暗殺事件は1963年11月22日の出来事であるという事実だ。まったく一致などしていない。(ただし、この部分を「二人の暗殺事件が起きた年は、"ほぼ"100年違い」というふうに紹介している例もある。(爆笑) く、くるしすぎるぞ~。)

結局のところ、いくらこうした些細な類似点を挙げていっても、冷静に二つの暗殺事件を比較すれば、事件の状況にあえて似ていると言える部分などほとんどないのである。リンカーンは劇場の二階の特別席で(つまり屋内で)芝居を観劇中、背後から忍び寄って来た暗殺者に"至近距離"で撃たれている。ケネディは、大勢の市民の見守る中、ダラスの大道路をオープンカーでパレード中(つまり戸外で)、暗殺者に"遠距離"から撃たれている。


事件の前の出来事として「"秘書"が大統領に警告していた」という項目については、実は『"妻"が大統領に警告していた』という別バージョンが存在している。残念ながらどちらがオリジナルなのか、それとも両方とも正しい話なのか僕には判別できない。だがいずれにせよ、だからどうしたというような内容の話である。 国家の最重要職にある人物が、それも発砲事件が日常茶飯事で起こるような国の大統領が、民衆の前に姿を現そうというのに、事前に何の警告も受けていなかったとしたらその方が驚きである。 ましてやリンカーンもケネディもそれぞれの政治上の立場からいって、そもそも事件が起きた当時は非常に危険な状況にあったのだ。そういう公の場に出かけるたびに、毎度毎度、危険については警告を受けていたのに違いないのである。

また、リンカーンが1週間前にいた"場所"であるモンローに対してケネディが1週間前に会っていた"人物"モンローを持ち出すおかしさについてはわざわざ説明する必要もないだろう。だが実を言うと、一致事例とされるすべての項目の中で、この項目は個人的には一番お気に入りの部分ではある。と言うのは、この部分が"まじめに"紹介される場合は「ケネディはWith Marilyn Monroe (マリリン・モンローと一緒にいた)」と表現されるわけだが、実はこの部分は本来、リンカーンの「In Monroe(モンローにいた)」のフレーズと韻を踏んで「ケネディはIn Marilyn Monroe (マリリン・モンローの中にいた)」と表現されるのがオリジナルなのである。(笑) 
つまり、この項目はケネディとマリリン・モンローのただならぬ関係を茶化した"とても素敵なギャグ"なのだ。(下ネタともいう。)  
にもかかわらず、この項目を真剣に紹介している例も多いので要注意である。だが、ギャグにしろ何にしろ、マリリン・モンローは 1962年8月に死亡 している。いかに女たらしのジョン・F・ケネディと言えども、1963年の11月に" イン・モンロー "できたわけがないのだ。

事件後の暗殺者二人がたどった運命についての主張もこじつけがひどすぎる。劇場から倉庫、倉庫から劇場という具合に、出来事が起きた場所が逆転している事を無理矢理「対象性を持った一致」みたいな事にしてしまっているが、冷静になって考えれば、異なるタイプの場所から逃走し、異なるタイプの場所で捕まっているわけだから・・・、結局、"出来事は一致していない"わけである。(笑)
その点を大目に見たとしても、やはりこじつけはこじつけでしかない。ブースの場合は確かに「劇場」から逃走しているが、オズワルドが捕まったのは「映画館」である。また、ブースの話でいうところの倉庫とは「納屋」の事であり、オズワルドの話に出てくる倉庫とは「教科書倉庫ビル」の事だ。 
また、ブースは捕まってなどいない。犯行後、現場から逃走したブースは何日間にも渡り当局の手を逃れていたが、最終的には事件から12日後、バージニア州ポート・ロワイヤル近くの農場にいる時、もう一人の仲間と共に連邦軍の一隊に包囲された。(そう、ブースには"共犯者"がいたのだ!) ブースが立てこもった農場の納屋には火が付けられたが、武装を放棄して降伏せよという警告を拒否し抵抗を示すブースに対し、隊員の一人がやむなく発砲。それで彼は死亡した。つまり、ブースは捕まったわけでも、また、オズワルドのように逮捕後に民間人によって暗殺されたわけでもなく、当局に対する抵抗の末、射殺されたのである。 (しかも隊員が狙ったのは本当は銃を持ったブースの腕だった。狙いが外れてしまったというわけだ)
どちらも裁判が行なわれる前に殺されたのは事実であるが、このように内容的にはまったくと言っていいほど異なっているのだ。

また、ブースとオズワルドの両方が「南部出身者である」という主張の馬鹿馬鹿しさについては、すでにジョンソンの項目で同様の内容を説明したのでここでは繰り返さない。ただ、一つだけ指摘しておく。 ジョン・ウィルクス・ブースは南部思想の同調者だったが、実は南部出身者ではない。彼は合衆国中東部メリーランドの生まれである。( 【注】メリーランドはもともと奴隷州であったが、北部自由州と南部奴隷州が戦った南北戦争において北部側についた。 ) 

<その他の項目>
 ●二人とも黒人の人権問題に深く関わりがあった大統領である。

 ●二人とも戦争に深く関わりがあった大統領である。

 ●どちらの大統領の妻も、ホワイトハウスに在住中、子どもを亡くしている。 

 ●リンカーンの秘書の名はケネディ。ケネディの秘書の名はリンカーン。

 両大統領が黒人の人権問題に関わりがあった事も、戦争に関わりがあった事も事実である。しかし、両大統領のそれらの問題との関わり方、また、それらの問題の内容、性質、すべては大きく異なっており、それを一致項目として捉えるのは非常にナンセンスな話である。
そもそもリンカーンが米国史にその名を留めるのは「奴隷解放宣言」、および、合衆国の分裂を防いだ「南北戦争」の勝利という業績があったからこそで、それらは合衆国の有り方・存続という根本的な問題に関わる重大事件だった。したがって彼が黒人の人権問題と戦争に深く関与していたというのは正当な主張であると言えるが、「奴隷解放宣言」と「南北戦争」の二つの事柄は相互に深い関係があり、それぞれは独立して捉えるべき事柄ではない。 (リンカーンの「奴隷解放宣言」というのは、南部諸州が合衆国から離脱した事による戦争遂行上の必要からやむ無く出されたものである。) また、「奴隷解放宣言」は奴隷制の廃止に関するものであって黒人の公民権について保障したものでもない。
一方、ケネディの黒人の人権問題との関わりは、黒人の人種差別撤廃を目的とした「公民権法」案を議会に提出した事のみであり、これをリンカーンの「奴隷解放宣言」と比較するのは無理があるだろう。ケネディは、当時、フランクリン・D・ルーズベルトのニューディール政策を発展させた「ニューフロンティア政策」を打ち出しており、様々な社会改革に取り組んでいた。黒人問題はその当時山積みになっていた社会的諸問題の一つであり、ケネディはそうした社会改革の一環として「公民権法」にタッチしたに過ぎない。また、あくまでも彼はそれを議会に提出しただけで、「公民権法」が制定されたのは後継のジョンソン政権の時である。
さらに、ケネディが関わった二つの戦争、「ピッグス湾侵攻作戦」と「ベトナム戦争」を「南北戦争」と比較するのはもっと無理があるだろう。
キューバのカストロ政権打倒を目的とした「ピッグス湾侵攻作戦」は、CIA主導で秘密裏に準備され、米軍がほとんど関与する事なく実行された特異な戦争だった。合衆国の土台そのものに関わる内戦「南北戦争」とはまったく異なり、それは外国で行なわれた短期間の小さな戦争、そして、失敗に終わった戦争である。
また、もう一つの「ベトナム戦争」は、北ベトナムと南ベトナムの戦いにアメリカが軍事介入を行ない、ケネディの後継ジョンソン政権の時に本格化したものである。泥沼化し、長期に渡ったアメリカ軍のベトナムへの介入は、国際世論の非難を受け、次代のニクソン政権の時代にようやく終局を迎えた。 (ベトナム戦争自体は1975年4月に北ベトナム勝利で終了した。) アメリカにとってこの戦争がもたらしたものは、数多くの戦死者と悲劇、国内外の大きな批判、そして実質的な敗北である。これを、性質が完全に異なる「南北戦争」と比較するのは、まったくナンセンスな話である。 
両大統領の妻が子供を亡くしているという主張については、まずはこの「妻が子供を亡くしている」という表現に注目してほしい。最初のうちは気に留めていなかったが、この話で主張されている一致項目を一つ一つメモに取っていくうち、どうもこの部分の表現には少し不自然なところがある事に気が付いた。そもそもこれらの項目は「両大統領」にまつわる不思議な一致点についての主張のはずである。それがなぜ、「妻が子供を亡くしている」なのか? もちろん「大統領の妻」も大統領にまつわる人物には違いないからこの話の中に登場して来てもおかしくはない。しかし、普通に考えればこの項目は、『両方の大統領は任期中に子供を亡くしている』というふうに表現されるべきである。なのに「両大統領」ではなく、わざわざ「大統領の妻」になっているのは何か妙ではないだろうか?
この疑問は、両大統領の伝記から該当する事実を見つけ出す事でたちまち氷解した。
リンカーンには四人の子供がおり、確かに、この内の第三子にあたるウィリアムが、リンカーンが大統領職にあった1862年に、腸チフスにより死亡している(弱冠11歳)。
そして、これに対応するケネディの子供というのは、どうやら、彼が任期中の1963年8月に死亡した子供の事のようである。
しかし、この子供、生まれたのも同じ1963年8月なのだ。
要するに、ケネディの場合の「死亡した子供」というのは、妻ジャクリーンの"早産"によって生まれた「未熟児」の事だったのである。早過ぎる出産というアクシデントのため、未熟児として誕生したこの子供(パトリックと名付けられた)は、たちまちのうちに病気にかかり、生まれてからわずか39時間後に死亡した。結局、これは死産や流産とほとんど同じ状況だったわけで、一般的にこのような場合は「夫が子供を亡くした」とは言わない。(例えば、流産のようなケースで、"夫が流産した"とは言わないのと同じである。)
つまり、この項目において、『両方の大統領は~』ではなく、『両方の大統領の妻は~』という表現になっているのには、実は一致を主張する側のこのような"都合(裏事情)"があったわけだ。嘘にはならないにしろ、これは、両方の出来事の本質的な違いから目をそらさせるためのレトリックである。


最後に、大統領の秘書の名前についての主張であるが、この項目は内容的にこれまで挙げてきたすべての項目の中で最も劇的な部分と言えるかもしれない。その他の一致項目のほとんどが馬鹿げたものであるにしても、この部分が全体に与えている効果はかなり大きいものであるように思える。
ところが、この話を伝える数多くの紹介例を一つ一つ当たっていくうち、この項目にも内容の大きく異なる別バージョンが存在する事に気付いたのである。
その内容とは、『リンカーンの秘書の名はケネディのファーストネームと同じジョン。ケネディの秘書の名はラストネームがリンカーン。』というものである。
明らかに前半の部分が異なっている。これはどういう事だろう? 間違いにしてはどうも変な間違え方だ。
不審に思ってさらに深く調べてみると・・・、ありゃりゃ!? 何と、この別バージョンの方が正しかったのである!  ケネディには確かに「リンカーン」という名の秘書がいたが、リンカーンの秘書には「ケネディ」という名の人物などいなかったそうだ。 代わりに「ジョン」という名の秘書ならいたらしい。
僕が思うに、おそらくこの別バージョンの方がオリジナルで、最初のうちは正しい内容で伝えられていたのだろう。ところが、ファーストネームの一致とラストネームの一致を比較させる不自然さ、しかもそのファーストネームが最もありふれた名前の「ジョン」などというあまりの説得力の無さから、話が伝言ゲームの要領で伝わるうちに(故意か偶然かはわからないが)『リンカーンの秘書の名はケネディ』という"大嘘"に変化してしまったものと思われる。(もっとも、間違いに気付いた誰かが、無理やり「ジョン」という名前にこじつけたという可能性もあるが‥。)
いずれにせよ、当初、劇的な一致点に思えたこの部分の歴史的事実というのは、真相がわかってみれば、「ケネディの数多くの関係者の中にはリンカーンという名の人物もいたよ」というだけの" ホントしょーもない "内容だったのである。

<まとめ> 
 以上、見てきたように、オカルト話にたびたび登場するこのリンカーンとケネディの「奇妙な一致」の伝説は、一見すると確かに驚くような内容に思えるかもしれないが、冷静になって吟味すれば、そのほとんどが上辺だけ、あるいは言葉だけの類似点を並べ立てただけのガラクタに過ぎない。人は何でもない事柄から自分の見たいものを見つけ出す才能を持っている。ここで使われている論法のように、出来事を選択する基準を都合に合わせて、あっちにコロコロこっちにコロコロ、自由に動かしていいのであれば、結局はどのような人物の組み合わせからでも無数の類似点を見つけ出す事ができるだろう。
しかし、"無理なこじつけ"、"何でもない類似の誇張"、そして"ただの嘘"の部分を取り除いてしまえば、この話で本当に一致していると言える部分はほんのわずかな事柄だけである。そしてそのほんのわずかな類似点に、あえて、「人生のシナリオ」、「運命のプログラム」、「100年の呪い」などという大袈裟な神秘現象を持ち出す必要がどこにあるだろうか? 何よりもリンカーンとケネディの二人はともに非常に有名な人物であり、それぞれの人生は詳細に、そして幅広く、世に知られている。貧しい農民の子として生まれたエイブラハム・リンカーンは、数多くの挫折を経験しながらもコツコツと努力を積み重ね、大統領にまで昇りつめた人物である。それに対してジョン・F・ケネディは、裕福な家庭に生まれ、父ジョセフの財力をバックにエリート・コースを突き進んで行った人物である。それらの伝記に少しでも目を通した事のある者であれば、両方が暗殺された大統領であるという事実以外、この二人の人生に本質的に似ていると言える部分などまるでない事は、実は初めからわかり切った事なのである。







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Title : う~ん

100年の呪いにこじつけ感を感じるのは間違いないけど、この解説も強引過ぎる。

NONAME 2009.09.18 (Fri) 18:24 編集

Re:う~ん

そうですか?
例えばどのヘンでしょうか。

2009.09.19 17:06

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