都市伝説・・・奇憚・・・blog
牛の首異聞
2007.09.25 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
戦前のある村での話だそうです。
その村には森と川を挟んだところに隣村がありました。
(仮に「ある村」をA村、「隣村」をB村としておきます。)
B村はいわゆる部落差別を受けていた村で、A村の人間はB村を異常に忌み嫌っていました。
ある朝、A村で事件が起きました。
村の牛が1頭、死体で発見されたのですが、その牛の死体がなんとも奇妙なもので、頭が切断され消えていたのです。
その切り口はズタズタで、しかし獣に食いちぎられたという感じでもなく、切れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけ、引きちぎられたといった感じでした。
気味が悪いということでその牛の死体はすぐに焼かれました。
しかし、首のない牛の死体はその1頭では終わりませんでした。
その後次々と村の牛が殺され、その死体はどれも頭がなかったのです。
普段からB村に不信感を抱いていたA村の人々はその奇妙な牛殺しを
「B村のやつらの仕業に違いない」
とウワサし、B村を責めたてました。
しかし同じ頃、B村でも事件が起きていました。
村の若い女が次々と行方不明になっていたのです。
いつもA村の人々から酷い嫌がらせを受けていたB村の人々は、この謎の神隠しも
「A村のやつらがさらっていったのに違いない」
とウワサし、A村を憎みました。
そうしてお互い、村で起きた事件を相手の村のせいにしてふたつの村はそれまで以上に疑い合い、にらみ合い、憎しみ合いました。
しかし、そのふたつの事件は実はひとつだったのです。
ある晩、村境の川にかかった橋でB村の村人たちが見張りをしていました。
こんな事件があったので4人づつ交代で見張りをつけることにしたのです。
夜も更けてきた頃、A村の方から誰かがふらふらと歩いてきます。
見張りの男たちは闇に目を凝らしました。
そして橋の向こう側まで来たその姿を見て腰を抜かしました。
それは全裸の男でした。その男は興奮した様子で性器を勃起させています。
しかしなにより驚いたのはその男の頭は人間のそれではなく、牛の頭だったのです。
牛頭の男は見張りに気付き、森の中へ逃げ込みました。
牛頭の男はA村でも牛の番をしてた村人に目撃されていました。
その牛頭の男こそ、ふたつの事件の犯人に違いないと、A村とB村の人々は牛頭の男を狩り出す為、森を探索しました。
結局牛頭の男は捕まりませんでした。
・・・いえ、実際には捕まっていました。
しかし、男を捕まえたA村の人々は彼を隠し、みんな口を揃えて
「そんな男は存在しなかった」
と言い出したのです。
A村の人々のその奇妙な行動には理由がありました。
A村の人々は牛頭の男を捕まえました。
その男は実際に牛頭なのではなく、牛の頭の生皮を被った男でした。
A村の人々は男の頭から牛の皮を脱がせ、その男の顔を見て驚きました。
その男はA村の権力者の息子だったのです。この男は生まれつき、知的障害がありました。
歳ももぅ30歳ちかいのですが、毎日村をふらふらしてるだけの男でした。
村の権力者である父親がやってきて問い詰めましたが、
「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」
と、ワケの分からないことばかり言って要領を得ません。
そこで男がよく遊んでいた、父親の所有している山を調べると、女の死体と牛の首がいくつも見つかりました。
異常なのは女の死体の首は切り取られ、そこに牛の首がくっついていたのです。
男は、B村から女をさらい、女の首を切り取り牛の首とすげ替え、その牛頭の女の死体と交わっていたのです。
権力者である父親は息子がやったことが外に漏れるのを恐れ、山で見つかった死体を燃やし、A村の村人に口封じをし、村に駐在する警官にも金を渡して黙らせました。
そして息子を家の土蔵に閉じ込め、その存在を世間から消し去ったのです。
しかし、村の女たちが行方不明のままのB村の人々は黙っていません。
特に、あの夜実際に牛頭の男を見た見張りの4人は、
「牛頭の男など存在しなかった」
と言われては納得いきません。
村人みんなで相談して、その4人が警察に抗議に行くことにしました。
次の日、川の橋に4人の生首と4頭の牛の生首が並べられました。
A村の人々は真実が暴露されるのを恐れ、B村を出た4人を捕らえ、真実を知っているにも関わらず、B村の4人に全ての罪をかぶせ、私刑(リンチ)し、見せしめに4人の首をはね、さらし首にしたのです。
一緒に牛の生首を並べたのには、
「4人が牛殺しの犯人である」
という意味(もちろんデマカセではあるが)と、
「真実を口外すれば同じ目にあうぞ」
という脅しの意味がありました。
この見せしめの効果は大きく、B村の人々はもちろん、A村の人々自身も
「この出来事を人に話せば殺される」
と恐れ、あまりの恐怖にこの事件については誰も一言も話そうとはしなくなりました。
ふたつの村の間で起きたこの出来事は全て村人たちの記憶の奥深くに隠され、故意に忘れさられ、土蔵に閉じ込められた男と一緒にその存在自体を無にされたのです。
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牛の首
2007.09.25 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
この話は江戸時代にはすでに知られていたようで、寛永年間に書かれた庶民の日記にすでにその名は出ている。
とはいえ、そこに記されているのは「牛の首」という怪談の名前だけで、話の内容は「今日、牛の首という怪談を聞いたが、あまりにも恐ろしい話なのでここには書けない」として語られてはいないのだが。
このように文献にはっきりとした形で残ることはなかった「牛の首」だが、その物語は口授で今日まで語り継がれている。
だが、私はその話をここに記すつもりはない。
あまりに恐ろしい話なので、思い出したくないのだ。
その代わりに「牛の首」を知っている数少ない人物の一人の身に起きたエピソードを語ってみようと思う。
その人物は小学校の教師である。
彼は学校の遠足の時に、バスの中で怪談を子供たちに語り聞かせていた。
普段は騒々しい子供たちも今日は真剣に彼の話に耳をそばだて、本気で怖がっている。
これに気をよくした彼は、最後にとっておきの怪談である「牛の首」を披露することにした。
彼は声を潜めると子供たちにこう言った。
「これから話すのは『牛の首』という怪談だ。牛の首とは・・・」
ところが、彼が話を始めた途端にバスの中に異変が起きる。
子供たちが物語のあまりの恐ろしさに怯え、口々に
「先生、もうその話しはやめて!」
と訴えだしたのだ。
ある子供は真っ青になりながら耳を塞ぎ、別の子供は大声を上げて泣き叫ぶ。
ところが、それでも彼は話をやめようとしない。
彼の目は虚ろで、まるで何かに取り付かれたかのようであった・・・
しばらくするとバスが急に停止した。
異変を感じて正気に戻った彼が運転席を見ると、バスの運転手が脂汗を流しながらぶるぶると震えている。
おそらくこれ以上は運転を続けられないと思い車を止めたのであろう。
さらに辺りを見まわすと、生徒たちは皆口から泡を吹いて失神していた。
それ以来、彼が「牛の首」について何かを話す事はなかったという。
【真相というふれこみの都市伝説】
牛の首の怪談とは、この世の中で一番怖く、また有名な怪談であるが、あまりの怖 さ 故に、語った者、聞いた者には死が訪れる。
よってその話がどんなものかは誰も知 ら ない、という話。
私も長い間はこんなのは嘘だ出鱈目だ一人歩きした怪談話さと、たかを括っていたんですが・・・ まあお聞きください。
明治初期、廃藩置県に伴って、全国の検地と人口調査が行われた。
これは地価に基づく定額金納制度と、徴兵による常備軍を確立するためであった。
東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。
調査台帳には特記事項としてその数を記し、検地を終えると、そこから一番近い南村へと調査を移した。
その南村での調査を終え、村はずれにある宿に泊まった役人は、この村に来る前に出くわした、不可解な骨のことを夕食の席で、宿の主人に尋ねた。宿の主人は、関係あるかどうかは分からないが・・・と前置きをして次の話を語っ た。
以下はその言葉を書き取ったものであります。
天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。
当時の農書によると
「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」
といった悲惨な状況であった。
天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。
数人の村人がつかまえようとしたその時、
松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、
「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」
口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。
また、その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかた。
翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、近づく者もおらず、今は久しく、その名を呼ぶ者もいない。
重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻り、調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。
先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。
大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、弱った者から食らったのであろう。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。
牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。
また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、この事が話されるのもはばかりあることであろう。
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、心の奥底にしまい込んだ。
日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。
この孫の中の一人が、自分である。
当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。
何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、
食らったのが真実である。そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・
それゆえ、牛の首の話は、繰り返されてはならない事だが、話されてもならない話であり、呪いの言葉が付くようになった。
誰の口にも上らず、内容も分からぬはずであるが、多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものである。
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杉沢村
2007.09.25 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
今から50年ほど昔、青森県八甲田山系の裾野に杉沢村という小さな村があった。
ところがある日のこと、この村に住む一人の男が突然発狂して住民全員を手斧で殺害、犯行後男もまた自らの命を絶ってしまったため村には人が一人もいなくなってしまったのだ。
この事件により村として成立しなくなった杉沢村は、事件を覆い隠そうとする自治体によって密かにその存在を抹消された。
地図の上から名前を消され、青森県の公式記録の中からも名前を消され。
廃墟と化した杉沢村にはそれ以来近づくものはなく、50年の歳月が静かに流れていった。
ところが・・・
いかに青森県が真実を隠蔽しようとしても、人々の記憶までは消せるものではない。
杉沢村の事件は地元の老人たちによって語り伝えられ続けていた。
一説では作家の横溝正史はこの杉沢村の事件を伝え聞き、その話をモデルにして「八つ墓村」を執筆したとも言われている。
杉沢村の事件は地元の住人にとっては言わば公然の秘密であったのだ。
ある日のこと、青森県の山中をドライブしていた3人の若い男女が道に迷い、山奥にある古ぼけた鳥居の前にたどりついた。
鳥居のすぐ下には大きな石が二つあり、そのうちの一つはドクロのような形に見える。
運転手の若者はこの時、昔聞いたある噂のことを思い出した。
ドクロ岩のまつられた鳥居が杉沢村の入り口であるという噂を。
男たち二人は車から降りると
「恐いからやめようよ」
といやがる女を連れだし、杉沢村を探検してみることにした。
鳥居をくぐり100mほど杉林の中を歩いて行くと、不意に3人の前に空き地が広がりそこに4軒の古びた廃屋が姿を現した。
そのうちの一軒の家に3人が足を踏み入れると、その家の内壁には大量の乾いた血の跡がある。
男たちが背筋に寒いものを感じたとき、連れの女性が突然こう叫びだした。
「ねえ、絶対に何かおかしいわ。人の気配がするの!」
驚いた3人が慌てて廃屋の外に飛び出すと、確かに彼らを囲むように大勢の人がいる気配を感じる。
3人は大急ぎで車へ向かい走り始めた。
ところが、どうしたことだろう。
どんなに走り続けても、なぜか車のもとへたどりつくことができないではないか。
広場から車までの距離はほんの100mほどであったはずだし、道も一本なので迷いようがない。
それなのに、3人は行けども行けども杉林の中から抜け出すことができないのだ。
いつしか3人ははぐれてしまい、女性一人だけが長い間走りつづけた後にどうにか車まで戻ることが出来た。
幸い車のキーは刺したままになっている。
彼女は助けを呼びに行こうと運転席に乗り込み、車を発進させようとキーを回した。
ところが、なぜかいくらキーを回してもエンジンがかからない。
彼女は泣き出しそうになりながら何度も、何度もキーを回し続けた。その時・・・
「ドン、ドン、ドン!」
突然車のフロントガラスから大きな音が鳴り響いた。
見ると車のフロントガラスを血に染まった真っ赤な手が激しく打ちつけているはないか。
いや、フロントガラスだけではない。
車の前後左右の窓に無数の血まみれの手が現れ、一斉に窓ガラスを突き破るかのような勢いで叩き始めたのだ。
彼女は恐怖でその場にうずくまると、やがて意識を失ってしまった・・・
翌日の朝、地元のとある住人が山道の途中で、血の手形が無数につけられた車の中で茫然自失となっている彼女の姿を発見した。
彼女の髪は恐怖ためか一夜にして白髪と化していたという。
病院に運び込まれた彼女はそこでこの恐怖の体験を物語った後、突然姿を消してしまった。
これ以後彼女の姿を見たものはなく、彼女の連れであった二人の男性もまた姿をくらましたままである。
呪われし悪霊の村・杉沢村。
ここに足を踏み入れたものに、命の保証はないのだ。
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件(くだん)
2007.09.25 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
件は人語を解する。
件は短命で、生後四、五日程度しか生きられないのだが、その間に多くの(あるいは一つの)予言をなすといわれている。この予言は必ず的中する。
憲兵隊の資料によると、第二次世界大戦時において「どこそこに件が生まれたらしい」という噂が日本各地で発生していたようだ。同資料を研究した佐藤健二氏の著書「流言蜚語(1995年、有信堂高文社)」によると、「件」の噂はブラジル・サンパウロ市の日本人街にまで広がっていたらしい。
日本各地に次々と誕生した件たちは、皆口々に戦争の終結を予言して死んでいった。当時の世間の空気の中では“終戦”を語ることはタブーである。戦争の終結を望みながら、それを口に出すこともかなわない多くの人たち。その人々の願いが「件」という幻獣に託され、「件の予言」という形で語られていたのではないだろうか。
ところで、この「件」の噂の中にひとつ気になるものがある。それは憲兵隊の資料内にある、松山市で流れたという次のような流言だ。
「神戸地方では『件』が生まれ、自分の話を聞いた者は、これを信じて三日以内に小豆飯か『オハギ』を喰えば空襲の被害を免れるといったそうだ(「流言蜚語」P.166)」
神戸といえば戦時中に「牛女」の噂が流れた地域である。人頭牛身の「件」と牛頭人身の「牛女」。これはまったくの偶然なのだろうか。あるいは、両者の間には何らかの繋がりがあるのだろうか…
確かに「くだんのはは」の影響から「牛女」と「件」を同一視する向きは多い。しかし、良く観察してみれば、両者の属性が完全に異なっているのもまた事実だ。
「件」と「牛女」の間には、深くて暗い川がある。まだまだ謎は多い。
『件(くだん)』関連奇憚内リンク
2000.01.06 (Thu) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系

