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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.11.24 (Sun) Category : 

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契り

2008.09.16 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

某サイトからコピペ

もう25年も遡った出来事ですが、思い出せば、今なお涙が出る話です。

当時わたしは18歳。高校を卒業し、大学に入って間もない5月のある日、 地元の総合病院で肝硬変の一歩手前と診断されたわたしは東京狛江にある大学病院を紹介され、その大学病院の内科病棟に入院して治療に専念しておりました。

入院生活も落ち着いた頃、わたしはひとりのフィリピン人ハーフの女の子に出会いました。
病棟には入院患者と見舞い客が懇談する場が病室以外にあります。その女の子はそこでひとり電話を掛けていました。

会話はほとんどが英語で、ところどころに英語以外と思われる単語が入ります。
今思えばそれはタガログ語だったに違いありませんが、その頃のわたしには知る由もありませんでした。

通話の途中で10円玉が無くなって困っている彼女に後ろからわたしがコインを差し出しました。
これが彼女との出会いになったわけであります。
通話を終えた彼女は、向き直ってわたしにあまり上手でない日本語で礼を言いました。
100円玉を出して返すと言いましたが、わたしは受け取りませんでした。

これをきっかけに、彼女は毎日のようにわたしの病室を訪れるようになり、 時には一日のうちのほとんどの時間をわたしの病室や屋上で一緒に過ごしました。
日本語と英語、それに時々タガログを交えた楽しい会話は尽きませんでした。
彼女は日本の外国人学校に通う19歳、病名は骨髄性白血病でわたしより早く数日前から入院していました。  

会話の中でわたしはフィリピンという国を初めて知り、また知れば知るほど興味が深くなっていきました。
わたしは考えていました。退院したら一度フィリピンを訪れてみようと。

ある晴れた日に、病院の屋上で彼女はわたしに言いました。
現在は内科的な服薬治療をしているが近々に放射線治療を始めること。
これが始まると髪が抜けたり肌が荒れたりする副作用が出てくること。

そして・・・彼女がわたしを愛しているということ・・・。
そして彼女はわたしに尋ねます。あなたはわたしを愛しているか・・・?と。

わたしは迷うことなく、その時の自分の気持ちを彼女に伝えました。
わたしもあなたを愛している・・・。すると更に彼女はわたしに言いました。

わたしの体が放射線治療によって醜くなる前に、綺麗な体でいられるうちに抱いて欲しい・・・と。
彼女の母親とふたりで話しをする機会がありました。

彼女の母親はピュアなフィリピン人。
その母親は彼女からわたしの話をきいていたらしく、彼女の気持ちから話し始めました。

そして話しは彼女の病状へ・・・。
彼女はあと半年も生きられないことを聞かされたときはショックで目の前が真っ白になりました。

彼女の母親は言いました。できることなら、彼女の願いを叶えてあげて欲しい・・・。
わたしはその日、彼女の顔を見ることができませんでした。
眠れないその日の夜、わたしは階下の喫煙室でひとり缶コーヒーを片手にタバコを吸っていました。

そこへ彼女はやってきました。
わたしは黙って彼女を抱き寄せ、キスをしました。
キスをしながら溢れてくる涙。彼女も涙を流していました。

ふたり何度もキスを交わしながら、そのまま朝を迎えたのでした。

その頃、内科病棟のナースステーションでもわたし達のことは周知であり、 ふたりで一緒に同じ日の外出許可の申請を出したことに対しても、誰も何も言いませんでした。

ただ彼女の主治医がわたしのところへ来て言いました。
彼女はヴァージンだから出血があった場合すぐに止血しなければならない。
そして止血の仕方をわたしに教えてくれました。

それから外出日の前日から血小板の成分輸血を彼女にすること。
万一何かあったらすぐに病院に戻る手段を講じること。
そしてもうひとつ、決してふたりで死のうなんてことは考えるなと言われました。

そして外出当日、午前中に病院を出たわたしたちは久しぶりに街の人いきれを感じながら食事をし、 お茶を飲み、デート気分を味わいました。

そしてホテルへ入った私たちは抱き合い、キスを交わしてお互いを求め合いました。
裸になりベッドへ。
ヴァージンだった彼女は苦痛に耐えながらも愛の言葉を囁き、 経験不足だったわたしも何とか彼女の痛みを最小限に抑えられるよう努力しました。

案の定出血は夥しく、彼女の主治医に教わったとおりに止血しました。
彼女曰く、生理のときの処置と同じだそうです。

裸のままの彼女を抱きしめながら、このままずっと一緒にいられたら・・・と思いました。
どうすれば・・・と考えたとき、「心中」という言葉が始めてわたしの頭の中をよぎりました。
主治医が言っていた言葉の意味がこのときやっと理解できました。

それまで考えたことのなかった自分の死。

彼女に迫る死を感じながら自分もその時になったら一緒に行こうと思いました。
何かを感じたか彼女がポツリ、怖い・・・と洩らしました。

わたしたちはタクシーに乗って病院へ帰りました。
ナースステーションでは笑顔で迎えられ、医局から主治医も飛び出してくる始末。
みんな心配してくれていたそうです。
わたしは彼女の主治医に深く頭を下げました。

1週間後、わたしは退院することになりました。退院しても1日置きに通院しなければなりません。
彼女とナース達に見送られ、彼女には通院の度に病室に寄ることを約束して病院をあとにしました。

彼女は笑顔で見送ってくれました。
約束どおり、わたしは2日に1回の通院の度に彼女の病室を訪れました。

その度にキスを交わし熱く抱き合いました。そして心底彼女を愛している自分と愛されている自分を実感していました。

放射線治療が始まり、少しずつ容姿が変わってきた彼女ではありましたが、わたしにはそんなこと関係なかった。
ただひたすらに彼女を愛していました。
彼女の誕生日には大きな赤いバラの花束を持って行きました。

そんなバラに埋もれた彼女は力なく笑ってアリガトウ・・・と。

8月のある日の夜更け、自宅で寝ているわたしのところへ彼女はやってきました。
彼女の姿は出会った頃以上に生き生きと美しく輝いていました。
あぁ、もう大丈夫だ、と安心したとき、電話のベルが鳴り響きました。
その瞬間にわたしはすべてを悟りました。

電話に出ると彼女の母親が来てくれ、と危篤状態の彼女を説明しようとしています。
わたしはすぐに家を出ました。

タクシーの後部座席、わたしの隣りには彼女がわたしを見つめて微笑んでいる。
ふたりでたくさんの会話をしました。たくさんのキスもしました。
彼女はわたしに言いました。You must buhay...(あなたは生きて・・・)
病室の廊下では彼女の母親がわたしを待っていました。

病室のベッドには白い布を顔に掛けた彼女。
そっと布をはずすと、さっきまで一緒にタクシーに乗っていた彼女がそこに眠っていました。
わたしは彼女にキスをしました。
ディズニーのプリンセスはみんなこうすると目覚めるんですよね。
でも彼女は目覚めませんでした。

その後数十時間のわたしの記憶はありません。
未だに戻ってこない記憶の中でわたしは何を感じ、何を考え、どこで何をしていたのだろうかと今でも考えます。

彼女が亡くなった1年後、わたしはフィリピンはバギオの彼女の実家を訪れました。
彼女のお母さんは既に帰国してわたしの訪比を待っていました。
彼女の墓は小高い丘の上にありました。

花を手向け手を組むと同時にわたしは泣き崩れました。
そんなわたしの肩をそっと抱いてくれた彼女のお母さん。
お母さんの肩も震えていました。

そのときの彼女のお母さんの暖かさ、そしてそのまま抱きかかえられるように丘を下って着いた彼女の実家での家族親戚同居人の優しさとぬくもり。

四半世紀経った今でもそれだけは鮮明に覚えています。







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