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海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2(8)

2019.01.15 (Tue) Category : ミステリー・不思議な話

1:本当にあった怖い名無し 2018/09/03(月)05:27:24.12ID:ZaefMXTA0
夜の海は怖いね、引きこまれそうでさ。
昼の海もね、ひしゃくを持った巨人が現れそうでさ。
夜光虫は不思議だよ。海蛍。
板一枚隔ててそこは地獄。
城ヶ島の自殺、流れ着くところは・・・・あの世でいっしょになろうね。
沈む死体と浮かぶ死体。スキューバで見た。
島に行きたい、遠くの島に。

いつの時代もそこにある異界、山。
知られざる深山、身近な里山、神社仏閣の「お山」、あるいは昔山や丘だった場所…

というわけで「海・山にまつわる怖い話・不思議な話」
海や山にまつわる怪談・奇談を語っていきましょう。

※ここは実話のみのスレではなく昔話、伝聞何でもありです
※荒らしはスルーでよろしく>ALL

前スレ
【新】海・山にまつわる怖い話・不思議な話1
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1502541708/


(※管理人注:雷鳥氏がいないと思ったら石じじいばかりになってしまった…)




402:本当にあった怖い名無し2018/12/22(土)19:49:04.62ID:iRa9xoFz0
石じじいの話です。

北海道の話をしましょう。
じじいの北海道の知り合いが話してくれたそうです。
ニシン漁が盛んだった頃、北海道の沿岸各地には雇われて東北や道南からたくさんの労働者がやって来ました。
「やんしゅう」という言葉は有名ですが、余市の漁場などでは彼等を指してヤン衆とは呼ばず、「若い衆」や「雇い」と呼んでいたそうです。

経営者側が残す記録や文書に見られる労働者の名称は「雇用漁夫」、出身地域を指して「秋田漁夫」「南部漁夫」などとしていたとか。
内地の人間は、彼らをヤン衆と呼ぶがニシン場内ではむしろ禁句であったそうです。

昔、地元漁村の女性が、そのようなヤン衆の男と「いい仲」になりました。
彼女は、その男と結婚することはなく地元の公務員と結婚しました。
彼女が60歳を超えた時に、その男性が再び村にやってきたそうです。ヤン衆として。
昔のままの若い姿だったそうです。
まったく変わっていない。
驚いて、本人かと思って話しかけても話は通じず当然別人でした。

その人物を知っている人たち全員が
「その人物が昔の男と別人とは思えない!まったく同じだ!」
と証言したそうです。

50年近くたって、まったく同じ顔をした若いもんが来た、ということです。
そのヤン衆と昔の男とは、出身地も名前も違っていましたが瓜二つだったと。
親子かも親族のものかもしれない、と思ったそうですが、そうではなかったようです。

「その二人は、ち○ぽも同じやったんかいのうぅ、ぐへへ」



403:本当にあった怖い名無し2018/12/22(土)19:57:37.23ID:iRa9xoFz0
石じじいの話です。

北海道の海の話です。
戦前、オホーツク海岸に「ガラス玉」が流れ着くことがあったそうです。
それは少し黄色みがかったガラスでできていて蹴鞠くらいの大きさでした。
触ると微妙に温かかったそうです。海水に浮かんでいたので冷えているはずなのに。

そのガラス玉を叩くと(衝撃を与えると)、中に白い霧が生じたそうです。
静かに置いておくとその白い霧のようなものは消えます。
昔は、網の浮きに使うためにガラス玉が使われましたが、それとは違って、完璧な球体のようだったと。
きれいなものだったので、家に飾っている人がいました。

泥棒に入られて、そのガラス玉を盗まれてしまったということでしたが、それはうそで、どこかに売り払ったのだ、という噂でした。
そのようなガラス玉は、別の海岸にもいくつか流れ着いていたらしいということでした。
稀なものだったので大事にされたのですが、誤って割れてしまったこともあったようです。
割れると、すぐにガラスが真っ黒に変色してしまったという話もありましたが真偽は不明でした。

ロシア(ソ連)の船が投棄していくのだ、とも、米軍の飛行機が投下した、とも言われていました。
また、それは米ソのものではなく、もともと海岸の近くにあるアイヌ(?)の住居の遺跡から出土するもので、それが海に流れ下るのだ、とも言われていたそうです。

海岸の近くには、多くのアイヌ人(あるいはもっと昔の人々)の集落の跡と思われる竪穴が多くありましたが、その一つから、流れ着くのと同じガラス玉が出てきたという話があったのです。
ある学校(おうむ、という町にあったとか)の先生は、大昔にも、そのガラス玉が流れ着くことがあり、昔のアイヌ人が拾って集落に持ち帰ったものが遺跡から出土するのではないか?といっていたそうです。



405:本当にあった怖い名無し2018/12/23(日)06:31:38.21ID:EJx0fhkF0
ゴメが鳴くからニシンが来ると赤いツッポのヤン衆が騒ぐ
雪に埋もれた番屋の隅で私ゃ夜通し飯を炊く
…………
変わらぬものは古代文字、私ゃ涙で娘盛りの夢をみる

(・ω・)なんか石狩挽歌の裏話みたいやの。



406:本当にあった怖い名無し2018/12/23(日)07:34:14.88ID:lVPtRUTh0
>>405
古代文字ってアイヌ文字?神代文字みたいなやつかな?



407:本当にあった怖い名無し2018/12/23(日)08:45:12.53ID:EJx0fhkF0
>>406
それは知らんけど、沖を通るは笠戸丸~♪とか実際の歴史的背景を元にした歌なんや。



408:本当にあった怖い名無し2018/12/23(日)11:52:42.72ID:M4lOGfv60
>>406
「古代文字」として有名なものは、1866年(慶応2年)に小樽の手宮洞窟で発見された岩絵でしょう。
石工の長兵衛という人が偶然発見したと伝えられています。
この洞窟内部の壁面に陰刻による彫刻がありました。
これを「古代の文字」であると考えた人々もおり、その説は広く流布しました。
さらに、1937年、1950年にも余市町のフゴッペで岩面での彫刻が発見されたとのことです。
「石狩挽歌」は1975年発表です。

石じじいは、北海道の不思議な文字という話をしていたと思います。
北海道の噂話として。
ただ、昔から神代文字(日本に感じが伝来する前の独自の文字)が存在した、という考えは日本にありますね。

(続きは『続きを読む』をクリック)






410:本当にあった怖い名無し2018/12/23(日)23:26:24.76ID:M4lOGfv60
石じじいの話です。

田んぼのほぼ中央部に大きな石が露出していました。
露出する広さは畳4枚分ほどあったとか。
じゃまなので掘り起こそうとしましたが、石は下に向かって広がっていて掘り起こすことは困難でした。
周りに長い鉄棒を刺し入れてみると、どうも丸い形をしているようでした。
これでは田植え・刈り入れのじゃまになります。
その石がある部分だけ収穫が減ってしまいますし。

叩いて砕いて取り除こうとしましたが非常に硬くて人力ではとても歯が立ちませんでした。
削岩機などはありませんでしたから取り除くことはできませんでした。
そのあたりの山の石はそれほど硬いものではないのに不思議なことだったと。
じじいが見たところ、それはそのあたりにある石(砂岩や泥岩)とは違った灰色の石灰岩のような石だったそうです。
それに黒い筋が何本も入っている。

石灰岩よりも硬く、また、酢をかけても泡がでなかったので石灰岩のようなカルシウム分はないのだろうということでした。
このあたりの知恵は、失踪した「石ばばあ」からの知恵かもしれません。
石の周りギリギリまで稲を植えていたのですが、石の周りの稲はある年は同じ田の他の場所のものよりもよくみのり、またある年は、その逆というような現象が見られたそうです。
その田んぼのコメがとくにまずい、ということはありませんでした。逆もない。

石を取り払う試みは諦められて、その後、減反などの影響でその田んぼは放棄されて雑草の中に埋もれてしまいました。
今でも、その石はあると思います。
その石のまわりでは、不思議なことが起きたようで、曰く、

夏の夜に、稲が育っている田で石の上に見知らぬ人が立っていた、とか、
石の周りで、なにか魚のようなものがたくさん跳ねていた、とか(夏も終わり、すでに魚が泳げるほどの水はないのに)、
野ばなしの犬がその石に向かってさかんに吠えていた、とか。

雨が降ると泣く石は、木内石亭の「雲根志」でも触れられているようです。



416:本当にあった怖い名無し2018/12/27(木)00:05:46.47ID:MLpuIQfv0
石じじいの話です。

じじいが子供の頃のことです。
「怖いことが書いてある石」が山中にあったそうです。
これはとてつもなく怖い。
それを読んで発狂した人もいました。
日本中がひっくり返るような内容だったと。

それは平たい石に彫られていた碑のようなもので、ずいぶん古いもののようだったそうです。
いつ頃からあり、何の目的で誰が作り、いつ頃から知られるようになったのかは不明でした。
じじいは見なかったそうです。

多くの人に読まれると危険だ(なぜ?)ということで三人の人間で破壊することになりました。
そのような「石」があるということは伏せられていて少人数しか知らなかったのですが、少しづつ話が漏れてきていました。
じじいの友人は、どうしてもそれを見てみたくて夜家族が寝静まった時に一人で見にいったそうです。
その夜は月夜だったそうですが、子供が一人で山に登るのはかなりの度胸と言えるでしょう。
その子は無事に帰ってきたそうですが、翌日じじいたちが何が書かれていたのか?と尋ねてみても、
「暗ろうてようみえんかった。」
だめです。

その子は昼間にも再びその石の場所を訪れたそうですが、
「漢字ばっかりでようわからんかった」
と。
しかし、その子がこっそり見たということが大人たちに知られて、こりゃ一刻の猶予もならんということで石はすぐに破壊されたとのこと。
叩き割って、岩屑を谷に捨てたそうです。

その後、破壊作業にあたった三人は老衰で死亡、病死、事故死となったそうです。
因果関係はわかりませんが、まあ普通の死に方でしょう。
二回も石を見たじじいの勇敢な友人は出征して戦死。

後日談があります。
戦後、ある人が山菜採りだか猟だかのために山に入った時に「その石」を見つけた、という話があったそうです。
その人は、当時珍しかったカメラでその「碑」の写真を撮影したということです。
じじいは写真は見ませんでしたが、見た人によると、よく撮れていたとのこと。

「何が彫られとったんかのう?たまげるような内容やったゆうんやけど。まあ、あの石は山のいろんなとこに出てくるのかもしれんのう。読んでもらうんを待っとるんよ。」
写真の所在、撮影者のその後もメモにありませんでした。
どうも、見たら死ぬ、という存在ではないようです。



418:本当にあった怖い名無し2018/12/27(木)11:36:57.34ID:MLpuIQfv0
石じじいの話です。

じじいが石探しの旅をしていたときに現地の人が話してくれたことです。
眠っている間に敷布団の下に絵が入っていることがあったそうです。
その布団の下に敷かれている絵は水墨画で、なかなかきれいな女性を描いていたそうです。
水墨画で美人画というのもちょっと変ですが。

絵は、墨が乾ききっていませんでしたから、描いて時間がたっていないもののように思えました。
布団を汚すということはなかったようですが。
それが続くので、その「美人画」はいくつもたまっていきました。
自分で床をのべて自分であげるので、寝る前や後に誰かが入れたのではない。
寝ている間に誰かが入れているのではないか?
家は雨戸を閉めて戸締りをしているので(そのような季節でした)外部からの侵入は容易ではなく、家人の仕業だと思われたのですが。
家人に確認しましたが、そのようないたずらをする者はいない。
また、それほどの絵心のある者もいない。

その人は眠りが浅いほうなので体が動かされたら目がさめるだろう、ということでした。
眠っている間に夢遊病のように自分が絵を描いて自分の布団の下に入れているのではないか?とも思ったそうですが、その人には絵の素養も無いし、筆墨も使われた形跡がない。
自分が一晩中おきていたり家人が不寝番をしていた夜には、もちろんそのようなことは起きません。
見張りはランダムに行われましたが家に誰かが来ることはない。

ただ、見張りをしている時には、たててある雨戸を小さく叩いたり、なぜていくような音がしたそうです。
この現象は二週間ほど続いて、大量の絵を残して終息したそうです。
「なんかの贈り物やったんかのう。」



428:本当にあった怖い名無し2019/01/04(金)12:36:01.94ID:PMOhVxQ30
石じじいの話です。

じじいの住む地方の町には、他の県とを結ぶ連絡船が出ている港がありました。
昔は一日に何便もありましたが、現在では便数が大幅に減っています。
夜遅く到着する便があったのですが、その便にいつも出迎えに来る女性がいました。
その人は、ほぼ毎日、夜遅い便が到着する頃に桟橋にやって来ます。
しかし、その女性が「人を迎えているところ」を見た人はいませんでした。
それどころか、その人を見知っている人もいない。
そして桟橋にいつ来て、いつ、いなくなるのかもわからない。
港の社員たちの間では、少しだけ話題になっていました。

「彼女は誰だろう?」
「何のために毎日来ているのだろう?」
「いつ来て、いつ去るのか?」
誰にもわかりませんでした。

ただ、ある係員は、桟橋への道を彼女が暗がりから歩いてやって来るのを見たことがあると言っていました。
じじいが友人たちと、友人が港で撮った記念写真を見ていた時に、
「あっ、この人が、あの夜来る女だ」
ということで、女性のことが話題になったのだそうです。
その友人は、汽船会社に勤めていて、実際に目撃していたのです。
ただ、その写真は昼の便のときに撮影されたものだったので、おかしなことだと。
その女性は夜にしか来なかったそうですから、同一人物だったか不明です。
友人は、絶対にこの人だと言ってゆずらなかったそうですが。

その女性は一人で桟橋に来ていたのですが、ただ一度だけ、小さな男の子の手を引いていたことがあったそうです。
もしかしたら、いつも一人で来るというのではなかったのかもしれません。

「それはだれやったん?」、
「わからん。だれも知らんかったし。戦争が終わってなん年もたっとったけん、復員兵なんどもおらんかったしのう。」
彼女はどこにいったのでしょうか?



433本当にあった怖い名無し2019/01/05(土)09:00:55.04ID:vW/pBDtj0
>>428
北海道では無いんだが。

俺の住んでる方だと、夜に船着き場に行くのは一種タブー視されてる。
昔から、水難事故で帰ってこれなかったの魂が還ってくるから。と言われてるんだよ
あの世とこの世の境が不確かになるので、夜の海は危険なんだそうだ。

ただそれでも、時々夜に桟橋にやってくる人はいる。
事故で死んだ人の遺族や縁者で、思い切れないから迎えに出る。
若しかしたら・・・と思うんだろうね。
だからそういう人を見ると、地元では見て見ぬふりでそっとしておいたんだそうだ。
万が一にでも死者の魂が帰ってきたときに、邪魔をしてはいけないから。

時間は偉大な治癒者だと言われるように、そんな気持ちもやがて時間と伴に受け入れられるようになる。
それで、これで最後。と決めた場合は、本来の待ち人が付くはずだった時間に迎えに行くんだと。
もうその後は、夜に迎えに行くことはしない。
そういう人の魂は、もう海にはいなくて還るべき所に行っているから。

その桟橋にいた女性もそういう人だったのかもしれない。



435:本当にあった怖い名無し2019/01/05(土)10:46:09.18ID:xhhl74Ks0
>>433
石じじいの話です。

連絡船が来る夜の港にやって来る女性。
わたしがじじいからこの話を聞いた時には、
「その女性や男の子は生きているものだったのだろうか?」
と思いました。
そのように当時のメモノートにあります。

幽霊が誰かを迎えに来るのか?探しに来るのか?と。
その「女性(たち)」がそれからどうなったかはメモにないのでわからりません。
おっしゃる通り、「時間の経過」によってその存在は消滅(摩耗)したのかもしれません。



429:本当にあった怖い名無し2019/01/04(金)13:05:35.86ID:PMOhVxQ30>>430
石じじいの話です。

歳をとると認知症になることがあります。
それを介護する家族の人々の苦労はたいへんなものです。
アルツハイマー病などは高齢者に特有のものではなく若年性のものもあります。
若い人でも、事故などで脳障害を起こし脳血管性の痴呆になったりします。
その場合は肢体の不自由を伴うことが多いので、さらに困ったことに。

ある老人男性がおかしくなりました。
彼によると、家族が全員偽物だというのです。
どうしてそう思うのか?
石が教えてくれるのだと。(出ましたねw)
石を手の上に載せて差し出すとわかるのだそうです。
その石は、神社の境内で感応して拾ったのだと。

以前お話した「真実を教えてくれる石」に似ています。
そうしている中、ある日、その男性が
「石が無くなった。眠っている間に盗られた。偽家族の仕業だ。」
と言い始めました。
その後、数日して死んだそうです。
死因は、子供のじじいには教えてもらわなかったそうですが、「狂死」ということでしょう。

生前の男性が言うには、
家族はだんだん偽物に置き換わっていった。
最初に孫の女の子が、
それから父親(自分の息子)、連れ合い(おばあさん)、と別人に置き換わって、最後まで嫁が残っていたが、それも最近偽物に置き換わった、と。

それなので、その男性は孫娘を含めて、むしろ彼女に対しては特に、家族に厳しくあたっていました。
周りの人達は、
「とうとうボケが始まった。家族の人たちも苦労する。ああはなりたくないものだ。」
と思いました。
その最初に偽物になったという孫、女の子は、普段じじいがよく遊んでいる子供で、まったく変わりがありませんでした。
偽物と指弾されていた家族の人たちも変わらず、偽物とは思えなかったと。



430:本当にあった怖い名無し2019/01/04(金)13:06:35.87ID:PMOhVxQ30
狂死した男性の葬式が終わり、四十九日が終わったあと家族はいなくなりました。
その朝は皆いたのに夕方には全員が失踪していたのです。
夜逃げではなく昼逃げです。
田舎なので、昼間に、ひと目に触れずに行動することは不可能なのに金目のものを含めて家財道具も、お金(現金、貯金)も手付かずで残されていて、家や田畑も売却されてはいなかったらしいのです。
ただ、位牌とお骨も残されていました。

そのときから、現在(じじいが子供の私に話してくれたとき)に至るまで、その家族の消息はようとして知れない、と。
家族の人たちにとっては、老人がボケることはよくあることだし、それを特に世間様への恥と考えるようなことは無く、恥じて姿をくらませる必要もないのです。
失踪する前兆もなかったし、理由も思い浮かびませんでした。
家業の農業もうまくいっていたし、旦那さんは町の役場に努めていたので生活は安定していました。

「もしかしたら、その死んだ男性が言っていたことは本当だったのではないか?」
と、子供のじじいは思ったこともあったそうです。

家族を含めて周りの人々が知らない間に「別のモノ」によって置き換わっていく、というのはSF小説や映画でたびたび出てくるモチーフです。
何度も映画化されている「ボディスナッチャー」は有名ですね。
ドナルド・サザーランドの絶叫が怖いラストシーンが印象的です。
一度、皆さんもまわりを確認してみてください。



432:本当にあった怖い名無し2019/01/05(土)01:42:28.24ID:SlRmtUpy0
石じじいのまとめ読んでてサンカが登場したので。

幼い頃、九州の福岡県に住んでいました
社宅のベランダから南の方角に、脊振山が見えた。小学校に上がる前、親の転勤で引っ越してしまったけど。

10年前程に、九州出身の人にサンカの話を聞いた

その人は脊振山の反対側方面に住んでいたらしく昔、町の川を挟んだ山からたびたび集団で町を襲いに来る集団がいて、町の連中が追っ払ってたらしい
普段は山に住んでいて、食料やらを奪いにやって来ては追い返す
さながら山賊みたいだけど、その人は彼らをサンカと呼称してた
本で読むのと全く異質だったので覚えてた



434:本当にあった怖い名無し2019/01/05(土)10:38:41.55ID:xhhl74Ks0
>>432
石じじいの話です。

山賊が襲ってくる、というのは「七人の侍」のようですね。
「のぶせり、たたっ殺すだっ!」w
脊振山(せふりさん)の音は「セブリ」に通じますね。
サンカと呼ばれる人々の居住地(定住地ではなく)の名称ですが。

漂泊民とされる「サンカ」についての知識は、戦前、三角寛による猟奇エログロ小説によって流布されましたが、そのほとんどは、彼の創作で嘘八百だったということです。
信用できる内容は無いに等しいと。
ただ、定住せず山間を移動して生活している人々は存在し、じじいもそのような人々にあったことがあるそうです。
そのような話を書いたおぼえがあります。

彼らは、近くの山村で物乞いをしたり、竹箕を作ったりしていた(行商)とのこと。
竹でできた手箕は農作業に欠かせず、また小学校の時に校庭の草むしりに使いました。
しかし、そのときには、手箕は工場で量産されていたと思います。
あるいは、その工作場はかつてのサンカのような技能を持った人々によって経営されていたのかもしれません。

セブリといえば、四国の山奥を舞台にした「瀬降り物語」という噴飯ものの映画がありました。やれやれ。
ちなみに、大昔の(当時子供であった私がわくわくしながら見た)怪獣映画には、山奥に住む未開の不気味な風習を持った奇怪な形相の人々の集落というのが出て来ますが、あれも、映画製作者たち(戦前の人々)が三角寛の猟奇小説の影響を受けていたのでしょう。




437:本当にあった怖い名無し2019/01/05(土)18:21:04.28ID:+WBhq6NH0
>>434
のせぶり分からなかったからググったらそういう意味か。
関連がづらづら出てきてわろたw

当時小学校の校歌に「せぶりやま雲湧くところ」ってフレーズがあったのでうちらはセブリやまって呼んでました。
好きな歌だったので、家から見える背振山に憧れの念を抱いてましたね。







引用元:海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1535920044/402-437





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