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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.05.15 (Wed) Category : 

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佐々成政埋蔵金伝説

2007.09.25 (Tue) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

実は我が国にも暗号によって隠し場所が記されていると言われる埋蔵金の伝説が残っている。

天正12年(1584年)、越中冨山五十四万石の領主であった佐々成政は、真冬の日本アルプスを越えて浜松の徳川家康の元へ向かっていた。

羽柴(豊臣)秀吉に対抗するために同盟を結んでいた家康が約束を違え、勝手に秀吉と和睦を結んでしまったためである。

単独では秀吉に対抗しえない成政にとって、家康と秀吉の和睦は自らの滅亡を意味する。
雪の日本アルプスを越えるという危険を冒したのも、家康を再び同盟に引き入れない限り、破滅は免れ得ないからだ。

ところが、浜松で面会した家康は、再起を促す成政の申し入れを拒絶する。
結局成政は何の成果も得ることが出来ないまま、冨山城まで引き返すことになった。
これが俗に言う“ささら越え”の顛末である。

さて、ここからいよいよ本題の埋蔵金の話しに入る。
ささら越えの道中、佐々成政は49個の壷に詰められたおよそ100万両もの小判を運搬させていた。
どうやらこの小判は、徳川家康に献上するための軍資金であったらしい。
ところが、家康が色よい返事をくれなかったため、結局成政はこの小判を持ち帰ることになる。

帰り道の道中、厳しい雪山の中で供のものが一人、また一人と倒れていく中、成政は行軍の邪魔になる小判を雪の中に埋めさせることにした。その小判の隠し場所を示したといわれる里歌がこれだ。

「朝日さす 夕日かがやく 鍬崎に 七つむすび 七むすび 黄金一ぱい 光かがやく」





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埋蔵金伝説(1)

2007.09.25 (Tue) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

1822年、トーマス・ジェファソン・ビールという男がヴァージニア州リンチバーグでホテルを経営している友人のロバート・モリスに
「大事な書類が入っている」
という鉄製の箱を預け、どこかへ旅立っていった。

それからしばらくして、モリスの元にビールからの手紙が届く。

その手紙には
「もし10年経っても私が戻ってこなかったら、錠前を壊して箱を開けてください」
と記されていた。
この手紙を最後にビールからの連絡は途絶え、彼がモリスの前に姿を現すことは二度となかった。



誠実な男であったモリスは、それでもビールの帰りを待ち続け、10年、20年と時が流れても箱を守り続けた。
しかし、ビールが箱を預けてから23年後の1845年になると、ついにモリスも待ちくたびれたのか、あるいは好奇心に負けてか錠前を破壊する。

すると箱の中には、三枚の意味不明な数字が羅列された紙と、驚くべき内容の書かれたビールからの手紙が入っていた。
その手紙によると、ビールは西部を旅していたときに大きな金脈を発見。
およそ三千五百万ドル相当もの金塊を採掘して、それをある場所に埋めたというのである。
そして財宝を埋めた場所を暗号化したものこそが、箱に一緒に入っていた三枚の紙なのだ。

このビールの財宝と暗号の話は1885年に小冊子として発行され、広く知られるようになった。
三枚の暗号文のうち、二枚目のものは小冊子の著者(匿名の謎の人物。ロバート・モリスの友人であるらしい)自身の手によって解読されていたが、肝心の財宝のありかが記されているという一枚目の暗号文は、この小冊子の発行から100年以上が経過しているというのにいまだに解読されていない。

アマチュアの暗号愛好家からアメリカ情報部に勤める暗号解読のプロフェッショナルまで、数多くの人々がこの暗号文に挑戦し続けてきたにもかかわらずにである。

こうなると全ては小冊子の著者がでっち上げた作り話だとも思えてくるが、専門家によると問題の数字はどうもデタラメに並んでいるわけではないようで、何らかの規則性を持って並べられていることは確からしい。

つまり、少なくともこれが本物の暗号文である可能性は極めて高いのだ。



参考リンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビール暗号






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山窩(サンカ)

2007.09.25 (Tue) Category : 都市伝説・伝説・伝承系

山窩(サンカまたはサンガ)は日本の山地を漂泊し、河川漁労、竹細工などを生業としていた非定住民の集団である。

山家とも呼ばれる。独特の隠語を喋り、サンカ文字を使用し、農耕せず、定住せず、政治権力に服従しないなど、大和民族とは明らかに文化が違っていた。

その実態は明らかでなはく、分類や起源には様々な説があり、謎に包まれているがゆえに一部には滑稽な珍説も見られる。

サンカが、日本の少数民族の範疇なのか、歴史的に様々な姿や呼称で日本の様々な時代に記録されてきた、非定住文化をもつ日本人なのかは現在不明である。

少なくとも、近世以降、政治権力に公認された共同体である、町や村に編成された人々ではなかった。柳田国男は、「人類学雑誌」に彼等の記述を行っている。


サンカは、明治から徐々に被差別部落や都市労働者層に吸収され、また戸籍と定住を強要され徴兵されていった結果、戦後に日本文化と同化し、姿を消した。



参考リンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/サンカ





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