都市伝説・・・奇憚・・・blog
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唇の感触
2007.12.05 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
重い病の為、幼子2人を残してこの世を去った妻
別れの挨拶も交わせず・・・
その事が頭から離れませんでした
それから約一年後、背景は朝もやのかかったパステル調な所
場所はわからないけど自分一人がいる
前方のもやの中に人影が見える
こちらへ音も無く寄ってくる
誰?と思った瞬間、目の前に懐かしい妻の顔
沈黙の内、妻を思わず抱きしめる
そしてキスをした
そのままの時間がしばらく続いた。
そして、目がさめた
自分の顔が、今まで笑っていたんだと感じた
本当に会っていたような、唇に残る感覚
たったこれだけの夢を見ただけで
その日は、朝から気分が良かった
妻を夢で見たのは前にも先にもこれが一回きりです
普段の欲望・欲求が夢になったかも知れませんが
それでも、いいんです。
別れの挨拶も交わせず・・・
その事が頭から離れませんでした
それから約一年後、背景は朝もやのかかったパステル調な所
場所はわからないけど自分一人がいる
前方のもやの中に人影が見える
こちらへ音も無く寄ってくる
誰?と思った瞬間、目の前に懐かしい妻の顔
沈黙の内、妻を思わず抱きしめる
そしてキスをした
そのままの時間がしばらく続いた。
そして、目がさめた
自分の顔が、今まで笑っていたんだと感じた
本当に会っていたような、唇に残る感覚
たったこれだけの夢を見ただけで
その日は、朝から気分が良かった
妻を夢で見たのは前にも先にもこれが一回きりです
普段の欲望・欲求が夢になったかも知れませんが
それでも、いいんです。
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幸せにね
2007.12.05 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
695 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/08 19:30
ここのスレを読んでいてふと思い出したので書きます。
私の祖母は小学五年生の時に亡くなりました。
私が24歳ぐらいの時(二浪して就職まぎわ、藁)にいきなり夢に現れました。そして、長い暗い洞窟を手を引いて歩くのです。
「おばあちゃんここどこ?」
と聞くと
「ヨナグニだよ」
と言います。私はそこはいったい外国なのか、なんなのかわからないまま祖母に手を引かれて歩きました。
祖母は洞窟の突き当たりまで来ると、紙のようなものと入れ歯を燃し始めました。
「おばあちゃん、何やってるの」
と聞いたら
「●●さんが入れ歯忘れたからね、届けてるの」
と言います。私は心細くなって
「帰ろう」
と言うと
「幸せにね」
と言いました。その後、いきなり真っ暗な島のシルエットを一瞬見ました。
そうかと思うと、満開の桜の花が視界いっぱいに咲き乱れていました。
夢なので、こまぎれなのです。
目が醒めて、私はその夢の話を母にしたところ、話は親戚に伝わりました。
祖母の言う●●さんは、祖母の義理の姉で、祖母の死後にすぐ亡くなったのだけれど、バタバタした葬式だったということでした。後で仏壇を探したら入れ歯が出てきたとか…夢のおかげでお墓に納めることが出来たと感謝されました。が、これだけでは終わりませんでした。つづきます。
696 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/08 19:36
「ヨナグニ」という言葉がひっかかっていたので、地図を調べたら、沖縄に「与那国島」という島があることを知りました。
当時、私がなんとなくつきあっていたオトコノヒトが沖縄出身だったので、何気なくその話をしたら、
「与那国は神様の島。きっとおばあちゃんが燃していた紙はジーチンという死者に捧げる紙のお金だよ」
と言いました。
だいぶ後になって、その人と結婚する時に祖母が「幸せにね」と言った言葉がはじめて蘇りました。
そういう意味だったんだね…おばあちゃん…
わかりづらい話ですいません。桜が咲くとなぜか思い出します。
699 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/09 02:53
その紙燃やした分、あの世で使えるみたいだよ。沢山燃やせば燃やすほどあの世では大金持ち!
と、子供の頃に近所で燃やしてる人に聞いた。
700 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/09 05:15
香港などでは紙で出来たベンツ、家、1000ドル札、100万ドル札
なんかを一諸に燃やすよ。
701 名前: 695 02/04/09 11:50
>>699-700
その風習が無い地方なので、夢を家族の誰に話しても「紙?」という感じでした。親族に誰も沖縄出身のひとがいないんです。フシギ。
付け加えるまでも無いかもしれませんが、私は沖縄出身ではなく、その夢を見た時にその男性(今の主人)とは友達以上てな感じでしたので「幸せにね」がケコーンする時にやっと気がついた次第です。
祖母はわたしが小さい時から、私の結婚式には出たい出たいと言ってましたので、結婚式には白無垢と祖母が残した和服を着ました。
喜んでくれたと思います…ゴメソ自分でも泣けてきた。逝ってきます。
ここのスレを読んでいてふと思い出したので書きます。
私の祖母は小学五年生の時に亡くなりました。
私が24歳ぐらいの時(二浪して就職まぎわ、藁)にいきなり夢に現れました。そして、長い暗い洞窟を手を引いて歩くのです。
「おばあちゃんここどこ?」
と聞くと
「ヨナグニだよ」
と言います。私はそこはいったい外国なのか、なんなのかわからないまま祖母に手を引かれて歩きました。
祖母は洞窟の突き当たりまで来ると、紙のようなものと入れ歯を燃し始めました。
「おばあちゃん、何やってるの」
と聞いたら
「●●さんが入れ歯忘れたからね、届けてるの」
と言います。私は心細くなって
「帰ろう」
と言うと
「幸せにね」
と言いました。その後、いきなり真っ暗な島のシルエットを一瞬見ました。
そうかと思うと、満開の桜の花が視界いっぱいに咲き乱れていました。
夢なので、こまぎれなのです。
目が醒めて、私はその夢の話を母にしたところ、話は親戚に伝わりました。
祖母の言う●●さんは、祖母の義理の姉で、祖母の死後にすぐ亡くなったのだけれど、バタバタした葬式だったということでした。後で仏壇を探したら入れ歯が出てきたとか…夢のおかげでお墓に納めることが出来たと感謝されました。が、これだけでは終わりませんでした。つづきます。
696 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/08 19:36
「ヨナグニ」という言葉がひっかかっていたので、地図を調べたら、沖縄に「与那国島」という島があることを知りました。
当時、私がなんとなくつきあっていたオトコノヒトが沖縄出身だったので、何気なくその話をしたら、
「与那国は神様の島。きっとおばあちゃんが燃していた紙はジーチンという死者に捧げる紙のお金だよ」
と言いました。
だいぶ後になって、その人と結婚する時に祖母が「幸せにね」と言った言葉がはじめて蘇りました。
そういう意味だったんだね…おばあちゃん…
わかりづらい話ですいません。桜が咲くとなぜか思い出します。
699 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/09 02:53
その紙燃やした分、あの世で使えるみたいだよ。沢山燃やせば燃やすほどあの世では大金持ち!
と、子供の頃に近所で燃やしてる人に聞いた。
700 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/04/09 05:15
香港などでは紙で出来たベンツ、家、1000ドル札、100万ドル札
なんかを一諸に燃やすよ。
701 名前: 695 02/04/09 11:50
>>699-700
その風習が無い地方なので、夢を家族の誰に話しても「紙?」という感じでした。親族に誰も沖縄出身のひとがいないんです。フシギ。
付け加えるまでも無いかもしれませんが、私は沖縄出身ではなく、その夢を見た時にその男性(今の主人)とは友達以上てな感じでしたので「幸せにね」がケコーンする時にやっと気がついた次第です。
祖母はわたしが小さい時から、私の結婚式には出たい出たいと言ってましたので、結婚式には白無垢と祖母が残した和服を着ました。
喜んでくれたと思います…ゴメソ自分でも泣けてきた。逝ってきます。
むこうづねの痛み
2007.12.05 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
私は今でもそうですが、猫が恐ろしくて恐ろしくてなりません。
従姉妹が「チロ」という、白い雄猫を可愛がっていたのですが、
小さかった頃、私はこの猫にずいぶんといじめられたからです。
裸足で従姉妹の部屋を歩いたりすると、隙を見て、かかとに噛み付いてきたり、しゃっ!と鋭い爪でむこうずねをひと掻きしていくのです。
従姉妹の家に遊びに行くたびに、そんな目に遭いました。
今にして思えば、私のことを遊び相手……いい「おもちゃ」、からかい相手にしていたのかもしれませんね。
その従姉妹は5年前、急に肝臓ガンで亡くなりました。
もういけない、という電話があちこち駆け巡って、苦しむ従姉妹の周りに親戚皆が揃いました。
私も当然その中にいました。
従姉妹はもう、麻酔がなければ一刻もじっとしていられないほどの、ひどい苦しみ方でした。見ていて辛くてなりませんでした。
ところが、沢山の泣きはらした目が見守る中、もう意識が戻らないだろうと思われていた彼女が、まるで親戚一同が揃うのを待っていたかのように、ぽっかりと目を開けたのです。
そうして周りの皆にか細い声で
「今までありがとう」
そう別れを告げたあと、こう続けました。
「窓のところにチロが来てるの。私が迷わないように迎えに来たのね……」
従姉妹はその数時間後、息を引き取りました。
担当のお医者さんが伯母の方を見て、ゆっくり首を左右に振った、その瞬間です。
私のむこうずねに鋭い痛みが走りました。
思わず声をあげたくなるほどの強烈なものでした。
すすり泣きが始まった病室をそっと抜け出して、後ろ手にドアを閉め、外であわてて靴下を脱いでみました。
そこにははっきりと、猫の爪によるものとおぼしき、引っ掻き傷が出来ていました。
従姉妹の言ったことは本当だったんだ。
本当にチロは来ていたんだ。
そう直感しました。
「大丈夫。俺が一緒について行くから」
きっと彼は彼なりに、私にそう伝えたかったのかもしれません。
そう。
昔、さんざんからかって遊んだ、泣き虫のむこうずねを、昔そうしたように、ちょいと引っ掻いて行くことによって……。
従姉妹が「チロ」という、白い雄猫を可愛がっていたのですが、
小さかった頃、私はこの猫にずいぶんといじめられたからです。
裸足で従姉妹の部屋を歩いたりすると、隙を見て、かかとに噛み付いてきたり、しゃっ!と鋭い爪でむこうずねをひと掻きしていくのです。
従姉妹の家に遊びに行くたびに、そんな目に遭いました。
今にして思えば、私のことを遊び相手……いい「おもちゃ」、からかい相手にしていたのかもしれませんね。
その従姉妹は5年前、急に肝臓ガンで亡くなりました。
もういけない、という電話があちこち駆け巡って、苦しむ従姉妹の周りに親戚皆が揃いました。
私も当然その中にいました。
従姉妹はもう、麻酔がなければ一刻もじっとしていられないほどの、ひどい苦しみ方でした。見ていて辛くてなりませんでした。
ところが、沢山の泣きはらした目が見守る中、もう意識が戻らないだろうと思われていた彼女が、まるで親戚一同が揃うのを待っていたかのように、ぽっかりと目を開けたのです。
そうして周りの皆にか細い声で
「今までありがとう」
そう別れを告げたあと、こう続けました。
「窓のところにチロが来てるの。私が迷わないように迎えに来たのね……」
従姉妹はその数時間後、息を引き取りました。
担当のお医者さんが伯母の方を見て、ゆっくり首を左右に振った、その瞬間です。
私のむこうずねに鋭い痛みが走りました。
思わず声をあげたくなるほどの強烈なものでした。
すすり泣きが始まった病室をそっと抜け出して、後ろ手にドアを閉め、外であわてて靴下を脱いでみました。
そこにははっきりと、猫の爪によるものとおぼしき、引っ掻き傷が出来ていました。
従姉妹の言ったことは本当だったんだ。
本当にチロは来ていたんだ。
そう直感しました。
「大丈夫。俺が一緒について行くから」
きっと彼は彼なりに、私にそう伝えたかったのかもしれません。
そう。
昔、さんざんからかって遊んだ、泣き虫のむこうずねを、昔そうしたように、ちょいと引っ掻いて行くことによって……。
嫁と姑
2007.12.05 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
10年程前、祖母が死去。死因は肺炎。寝たきりの老人にはよくあるヤツ。
祖母は死ぬ3年位前からボケはじめ、徘徊したり家中で排泄したり大声だしたりそれは大変だった。その頃私は仕事で転勤していて自宅には居なかった。
両親と兄が一緒になって世話をしていた。特に母親は虐められた事を忘れたかの様に一生懸命介護していた。
徘徊している時に怪我をし、そのまま寝たきりになってしまった。
母親は祖母の横に眠り、まるで我が子の様に一緒にいた。
元気な頃、祖母は近所中に母親の悪口を言い回っていたんだけどボケてからは、何故か母親の悪口を言う人に対して怒鳴って怒っていた。理由はわからんが、あのコは私の娘、いやそれ以上だと言っていたらしい。
そんな生活が続き、家族中が疲れ果てた頃、私がまた転勤になり今度は自宅から通える場所になった。
それを知ってか知らずか、祖母は泣いて喜び、私を離さなかった。
ボケながらも祖母は私にこずかいをくれるとか言っていた。
が、祖母の本当の娘達、その子供達にお金や金品は取られたらしい。
母親も実の娘だから強く言えなかったと言っていた。
祖母はお金やその類のモノは全てなくなっている事に気が付いていなかった。祖母のお金がなくなると、実の娘達は全く連絡をよこさなくなった。
そして祖母は亡くなった・・・。
我家は結構大きな敷地で家も大きい。相続の問題が出てきた途端に実の娘達の登場・・。
いや~な空気が流れた時、母親がキッパリと言った。
この家は祖母がキチンと渡すべき人に渡す様にしているはずだと言った。我々の知らない時、祖母が元気な時に名義変更してくれていたらしく、名義は随分と昔に父親になっていた。
不思議なことは、母親がこの発言をした事を覚えていない事。
実の娘達に逆らった事が無い母親がはじめて逆らい、皆驚いたと同時にその時の顔が祖母に見えたと皆がビックリしていた。
葬式が終わり、色々と片している時、ふと祖母が私を呼んでいる様な気がした。
はて、何だろう・・・と声のする場所に行くと、両親それぞれの
名義の預金通帳があった。祖母は生前、自分の葬式代くらいは自分で用意する様に、と口うるさく言っていた事を思い出した。
そのお金で仏壇やら何やら購入し、全て祖母に使う形になった。
残りは法事の時に使う様にと、そのまま残した。
それから、不思議な事にその娘達には何やら色々と大変な問題が起きている。離婚やら病気やら借金やら・・・。
内一人は旦那様が亡くなり、自宅もなくなってしまった。
今は何処に居るのかもしらない・・・。
私達家族は、その逆に幸せな日々を過ごしている。
良い話かどうかは疑問な所だが、最近母親が妙にしっかりしてきている。祖母が憑いているのか、ツイテいるのか・・・。
嫁姑でも実の親子以上の関係になれると思った。
でも死ぬ前に仲良くしてれば、と思った。
祖母は死ぬ3年位前からボケはじめ、徘徊したり家中で排泄したり大声だしたりそれは大変だった。その頃私は仕事で転勤していて自宅には居なかった。
両親と兄が一緒になって世話をしていた。特に母親は虐められた事を忘れたかの様に一生懸命介護していた。
徘徊している時に怪我をし、そのまま寝たきりになってしまった。
母親は祖母の横に眠り、まるで我が子の様に一緒にいた。
元気な頃、祖母は近所中に母親の悪口を言い回っていたんだけどボケてからは、何故か母親の悪口を言う人に対して怒鳴って怒っていた。理由はわからんが、あのコは私の娘、いやそれ以上だと言っていたらしい。
そんな生活が続き、家族中が疲れ果てた頃、私がまた転勤になり今度は自宅から通える場所になった。
それを知ってか知らずか、祖母は泣いて喜び、私を離さなかった。
ボケながらも祖母は私にこずかいをくれるとか言っていた。
が、祖母の本当の娘達、その子供達にお金や金品は取られたらしい。
母親も実の娘だから強く言えなかったと言っていた。
祖母はお金やその類のモノは全てなくなっている事に気が付いていなかった。祖母のお金がなくなると、実の娘達は全く連絡をよこさなくなった。
そして祖母は亡くなった・・・。
我家は結構大きな敷地で家も大きい。相続の問題が出てきた途端に実の娘達の登場・・。
いや~な空気が流れた時、母親がキッパリと言った。
この家は祖母がキチンと渡すべき人に渡す様にしているはずだと言った。我々の知らない時、祖母が元気な時に名義変更してくれていたらしく、名義は随分と昔に父親になっていた。
不思議なことは、母親がこの発言をした事を覚えていない事。
実の娘達に逆らった事が無い母親がはじめて逆らい、皆驚いたと同時にその時の顔が祖母に見えたと皆がビックリしていた。
葬式が終わり、色々と片している時、ふと祖母が私を呼んでいる様な気がした。
はて、何だろう・・・と声のする場所に行くと、両親それぞれの
名義の預金通帳があった。祖母は生前、自分の葬式代くらいは自分で用意する様に、と口うるさく言っていた事を思い出した。
そのお金で仏壇やら何やら購入し、全て祖母に使う形になった。
残りは法事の時に使う様にと、そのまま残した。
それから、不思議な事にその娘達には何やら色々と大変な問題が起きている。離婚やら病気やら借金やら・・・。
内一人は旦那様が亡くなり、自宅もなくなってしまった。
今は何処に居るのかもしらない・・・。
私達家族は、その逆に幸せな日々を過ごしている。
良い話かどうかは疑問な所だが、最近母親が妙にしっかりしてきている。祖母が憑いているのか、ツイテいるのか・・・。
嫁姑でも実の親子以上の関係になれると思った。
でも死ぬ前に仲良くしてれば、と思った。
一緒に戦った先輩
2007.12.05 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
大学に入学してすぐにラグビー部に入った。
入部するなり、一人の4年生の先輩に
「お前は入学時の俺にそっくりだ」
と言われた。
その先輩は僕と同じポジションで、それから2年間(先輩が留年した為に2年間一緒だった)、一緒に酒を飲んだり、麻雀をしたり、ご飯を食べに行ったりと、口では表しきれないほどお世話になった。
その先輩が卒業し、2年間みっちりと鍛えられた僕は、他の先輩を差し置いてレギュラーになることができた。
その年の夏合宿の最中、すごく尊敬していたその先輩が亡くなったと連絡が入った。
バイクでの単独事故だった。
告別式、お通夜は、合宿地から300キロ程離れた先輩の田舎だったが、合宿中ということもあり、キャプテンだけが参列するという方向で部内では話が進んだ。
僕は
「もし葬式に出れないのならば、今ここで部活を止める」
と駄々をこね、結局キャプテンと一緒に僕もお通夜に参列する事ができた。
僕が一番可愛がってもらってたことを皆知っていたので、無理を言っても反論する人はいなかった。
初めて会った先輩のご両親は、僕の事を亡くなった先輩から聞いていたらしく、
「ありがとう、ありがとう」
と、泣きながら出迎えてくれた。
僕も涙が溢れ出てしまい、せっかくとってもらった先輩の大好物だった寿司屋の寿司を味わう事はできなかった。
その秋のリーグ戦では、皆心の中に
「死んだ先輩の分まで…」
という気持が有ったためか、チーム初の決勝進出を果たす事ができた。
決勝の相手は3年連続優勝している強豪チームで、僕等のチームは練習試合も含めて4年間そのチームに勝った事がなかった。
でもその決勝はいつもとは違った。
普段なら押される事はあっても、絶対に押す事のできなかったスクラムはこちらが常に押しつづけ、楕円のボールのバウンドは常に僕達に有利に転がった。
試合が終る少し前にキャプテンが言った。
「このグラウンドに〇〇さんがいる…」
僕も皆もそれはなんとなく気付いていた。
密集の中なんかでも、うしろから誰かが支えてくれている感触が確かに有った。
そして僕達は3点差で試合に勝って初優勝することができた。
試合後、遠いいところを応援に来てくれていた先輩のご両親に優勝の報告をしに行くと、
「少し前に〇〇がこのグラウンドで試合をしていて、試合に勝つ夢を見た。だから今日は、このグラウンドを見た瞬間に、君達が優勝する事を確信していた」
と、おっしゃっていた。
「このグラウンドには初めて来たが、〇〇が夢の中で試合をしていたグラウンドは確かにここだった」
とも言っていた。
次の日に全員でお墓参りをして、先輩のおかげで勝つ事ができました、と報告をした。
今でも当時の部員が集まる機会があると、
「あの時の試合には、絶対に死んだ〇〇さんがいた。」
「16人対15人で勝つんじゃセコイけど、それも〇〇さんらしいよな」
なんて話題でいつも盛り上がり、そして未だにしんみりしている。
文章が下手なので、皆さんのように感動させる力作には程遠いいのですが、このスレを見ていてどうしても書きたくなってしまいました。
今年の夏がちょうど亡くなった先輩の10回忌なので、皆を誘って先輩の田舎に押しかけようと思っています。
入部するなり、一人の4年生の先輩に
「お前は入学時の俺にそっくりだ」
と言われた。
その先輩は僕と同じポジションで、それから2年間(先輩が留年した為に2年間一緒だった)、一緒に酒を飲んだり、麻雀をしたり、ご飯を食べに行ったりと、口では表しきれないほどお世話になった。
その先輩が卒業し、2年間みっちりと鍛えられた僕は、他の先輩を差し置いてレギュラーになることができた。
その年の夏合宿の最中、すごく尊敬していたその先輩が亡くなったと連絡が入った。
バイクでの単独事故だった。
告別式、お通夜は、合宿地から300キロ程離れた先輩の田舎だったが、合宿中ということもあり、キャプテンだけが参列するという方向で部内では話が進んだ。
僕は
「もし葬式に出れないのならば、今ここで部活を止める」
と駄々をこね、結局キャプテンと一緒に僕もお通夜に参列する事ができた。
僕が一番可愛がってもらってたことを皆知っていたので、無理を言っても反論する人はいなかった。
初めて会った先輩のご両親は、僕の事を亡くなった先輩から聞いていたらしく、
「ありがとう、ありがとう」
と、泣きながら出迎えてくれた。
僕も涙が溢れ出てしまい、せっかくとってもらった先輩の大好物だった寿司屋の寿司を味わう事はできなかった。
その秋のリーグ戦では、皆心の中に
「死んだ先輩の分まで…」
という気持が有ったためか、チーム初の決勝進出を果たす事ができた。
決勝の相手は3年連続優勝している強豪チームで、僕等のチームは練習試合も含めて4年間そのチームに勝った事がなかった。
でもその決勝はいつもとは違った。
普段なら押される事はあっても、絶対に押す事のできなかったスクラムはこちらが常に押しつづけ、楕円のボールのバウンドは常に僕達に有利に転がった。
試合が終る少し前にキャプテンが言った。
「このグラウンドに〇〇さんがいる…」
僕も皆もそれはなんとなく気付いていた。
密集の中なんかでも、うしろから誰かが支えてくれている感触が確かに有った。
そして僕達は3点差で試合に勝って初優勝することができた。
試合後、遠いいところを応援に来てくれていた先輩のご両親に優勝の報告をしに行くと、
「少し前に〇〇がこのグラウンドで試合をしていて、試合に勝つ夢を見た。だから今日は、このグラウンドを見た瞬間に、君達が優勝する事を確信していた」
と、おっしゃっていた。
「このグラウンドには初めて来たが、〇〇が夢の中で試合をしていたグラウンドは確かにここだった」
とも言っていた。
次の日に全員でお墓参りをして、先輩のおかげで勝つ事ができました、と報告をした。
今でも当時の部員が集まる機会があると、
「あの時の試合には、絶対に死んだ〇〇さんがいた。」
「16人対15人で勝つんじゃセコイけど、それも〇〇さんらしいよな」
なんて話題でいつも盛り上がり、そして未だにしんみりしている。
文章が下手なので、皆さんのように感動させる力作には程遠いいのですが、このスレを見ていてどうしても書きたくなってしまいました。
今年の夏がちょうど亡くなった先輩の10回忌なので、皆を誘って先輩の田舎に押しかけようと思っています。
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