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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.11.25 (Mon) Category : 

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狐様と山神様

2012.12.28 (Fri) Category : 誰も信じない人へ

427: 本当にあった怖い名無し:2009/10/08(木) 10:43:30 ID:hi+KGTx5O
携帯から書き込みます
読みにくいと思いますが御了承下さい

今から10年前の、中学1年生の時の話です。
秋田県に住む婆ちゃんに会いに、独りで東京から電車で向かいました。
秋田県の駅名は覚えてないんですが、駅に着くと親戚の叔父が車で迎えに来てくれて、そこから2時間くらいかな?山をいくつも越え、婆ちゃんの住む家に到着。

当時80歳の婆ちゃんにしては元気で、腰も曲がっておらず、薪を斧のようなものでバシバシ割っていた記憶が、ハッキリとしています。
「婆ちゃん久し振りです」
と挨拶すると、大きくなったな~と頭ナデナデされ、家に荷物を置き、婆ちゃんがオニギリを出してくれた。

食べようと手を伸ばすと、
「待ちなさい、まだ狐様と山神様が来てないからね」
と言われ、婆ちゃんボケたな~と思いつつ、しばらく正座で待たされた。

ここから目を疑う光景が。
玄関に狐と蛇が来たんだ。
え?と思っていると、狐が卓袱台のオニギリを1つパクッと食べた。
山神さんにオニギリ渡しなさいと言われて、オニギリを玄関にいる蛇の前に置いた。(滅茶苦茶ビビりながら)
蛇は食べずに、オニギリの周りを一周していなくなった。
な、なんなんだ?おっかね~と思いながら婆ちゃんは当たり前な顔して



428: 本当にあった怖い名無し:2009/10/08(木) 10:57:11 ID:hi+KGTx5O
すみません途中で文章切れてしまいました
「おあがんなさい」
と言うので、腹一杯オニギリを食いました。

食休みして遊びに行こうとしたら、婆ちゃんに言われた注意事項!
山で暗くまで遊んで迷ったら、葉っぱを一枚食べて、一番大きな木の下にいなさい!
川で遊ぶなら、石を投げたりしないこと!
深い所には行かないこと!
夕方過ぎに道狐様に会ったら、きちんと頭下げること!

面倒だな~と思いながら、近所の川に遊びに行った。
水が綺麗で川の流れをぼけーっと眺めてたら、反対岸に狐が2匹いた!
面倒くさいけど、婆ちゃんに言われた通りに頭を下げた。

次の瞬間から記憶がない。
次の記憶が、何故か家の前にいて、竹細工のバックを持っていて、そのバックには桑の実があり得ないくらい入っていた!

怖くなって婆ちゃんを呼ぶと、頭ナデナデしながら
「狐様が下さった」
と。
次の日から、お化けや妖怪を信じるようになった。

ちなみに竹細工のバックは、婆ちゃんが亡くなるまで大切に婆ちゃんが使ってた。





 









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謎の少女

2012.12.18 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

88.本当にあった怖い名無し [sage]04/08/02 20:41ID:N2l3elpt
怖い話かどうかはわかりません。
私の実家(っていうか今居る)の階段に小さい女の子が出ます。
彼女が出るようになったのは4年ほど前です。

彼女は毎晩11時を過ぎると階段をひたすら昇っては降り、昇っては降り。
それを朝方3時過ぎまで延々と続けます。
祖母が言うには、彼女は6歳で亡くなった俺の叔母によく似ているそうです。
だから、彼女が出るようになってから4年、階段の下から4段目。
叔母がよく腰掛けていた段には、毎日何かしらお菓子が供えられています。



93.>>88 続き [sage]04/08/02 20:50ID:N2l3elpt
あれは去年の今頃、暑い夜でした。
ある晩、その少女が夢に出てきたのです。
正確には夢ではなかったのかもしれません。

気が付くと、視界には寝る直前に見ていた自室の天井が見えていました。
そこにベッドの横から、セミロングの少女が顔を覗かせました。
不思議と恐怖はなく、しばらく目を合わせていると、彼女は無邪気な笑みを浮かべ、部屋の端にある俺のベースの元へ歩いていきました。

すると彼女はベースに貼ってあるスマイリーのステッカーを幾度か撫で、俺に手を振りながら、朝方のまだ薄暗い部屋に溶けるように消えました。
また寝てしまったのか、再び目を覚ましたのは朝の10時でした。



94.>>93 続き [sage]04/08/02 20:57ID:N2l3elpt
それから一週間後、ライブの帰り道でした。
俺はバイクに轢かれました(藁

大きな怪我は無かったのですが、打ち所が悪く、気を失い、気が付いたのは病院の緊急治療室のベッドの上でした。
心配そうに俺を見る両親、祖父母、妹。
泣きながら謝るバイクの運転手。
ドラマで聞きなれた生命維持装置の音。

そして俺の意識を一気に引き戻したのが、病室の椅子の上にあった砕けたベースでした。
そのとき父は、小さい声で、
「よかった・・。よかった、姉ちゃん・・。助かったよ・・・」
そう言っていました。



96.>>94 続き [sage]04/08/02 21:05ID:N2l3elpt
それ以来、俺は大学の帰りにはコンビニで甘い物を見繕い、買って帰って、真っ先に階段の四段目に置いています。
未だにその子が叔母なのかどうかは分かりません。
その子が助けてくれたのかどうかも分かりません。
もしかしたら、単なる偶然なのかもしれません。
それでも、俺の部屋の隅には、新しいベースと並んで、セロハンテープで無理矢理くっ付けた、砕けたベースが置いてあります。

彼女の足音は今でも聞こえてきます。
今夜も聞こえるでしょう。
おそらく、これからも。

俺が嫁貰ったら何て説明すればいいんだろう・・・orz




 








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一人の園児

2012.12.14 (Fri) Category : 誰も信じない人へ

5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/12(月) 17:45:55.73 ID:YJ9AsY1a0
広島新交通システム橋桁落下事故

1991年(平成3年)3月14日午後2時5分頃、広島県広島市安佐南区上安2丁目で、前日仮設置していた長さ65m、重さ43tの鋼鉄製の橋桁が、10m下の道路に落下する事故が発生した。

この事故で、橋桁は並行する県道下り線を赤信号で停車していた乗用車など11台を直撃し、橋桁の上で作業していて、投げ出された作業員5人と乗用車を運転していた市民10人が死亡、8人が負傷するという大惨事になった。

乗用車の中には高さ50cmまで圧縮されたうえに、火災が発生したものもあり、原形を留めない状態になった。
運転席が押しつぶされ、100Gを超える衝撃を受け全身挫滅で即死した者もいた。

中国新聞1991年3月27日付けの紙面によれば、事故に巻き込まれた乗用車のすぐ後ろに、卒園遠足から帰る途中の市内の幼稚園児97名と保護者らを乗せたバス3台があったという。

本来なら事故に巻き込まれかねない時間に事故現場に差し掛かるはずだったが、一人の幼稚園児が「トイレに行きたい」と切望したので近くのパチンコ屋のトイレを借り用を済ませることになった。

結果、事故には遭遇せずに済んだ。 しかし、事故が起こってから一年後、テレビ番組が取材した際、トイレに行った幼児は誰か聞いたところ、誰もなかなか思い出せなかった。最終的に2人が候補に浮かび上がったが、1人は遠足を欠席しており、もう1人はすでに事故の時点で転園していた。 




 








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