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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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親父よ

2007.12.05 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

何か書きたいけど、霊感ゼロだから何もかけない… 
唯一、ちょっとそれっぽいのと言えばこれかな? 

オヤジの葬式のとき、母親の古い友人(オヤジとも懇意)が体調を崩して一人で控え室に寝ていたんだそう。 
で、その人がうつらうつらしていたら、オヤジが控え室のふすまを開けて 
「和(母の友人の愛称)ー、大丈夫か?無理するなよー」 
と言ってくれたんだそう。 
多分どころかほぼ確実に夢だけど、それでもオヤジに言いたい。 

「俺らの心配はなしかい!!!」 

たまには顔見せに来いよー。 
初孫だって生まれたんだぞー。(俺のじゃなくて姉のだけど)







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お礼ならよそへ

2007.12.05 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

俺は中学・高校の時、寮に入ってた。 
その時の出来事。 

その寮では夜、自習時間というのがあって、自習は自習棟という、宿泊棟とは別のところで行われていた。 

Tという後輩が自習中、宿泊棟に忘れ物をしたので、こっそり取りに戻ったときの事だ。 
自習時間中は宿泊棟の電気は基本的には付けてはいけないので、電気を付けずにTは宿泊棟に入っていった。 

Tの部屋に行くには、Jの部屋の前を通らなければならない。 
Jはこのとき、体をこわして入院をして寮にはいなかった。 
Tは自分の部屋にいく途中、Jの部屋に人の気配を感じた。 
人がいるはずのないJの部屋に気配があるのはおかしい。 
そう思いながら、TはちらりとJの部屋に視線を送った。 
するとなんとそこには、Jのベッドの上で帽子をかぶって正座をしている女の子がいた。 
女の子がいるはずはなかった。ここは男子寮なんだから。 
Tは慌てて逃げた、忘れものも取らずに逃げた。 
その後も、Jのベッドでは帽子をかぶった女の子が何度か目撃された。 

数日後、Jは退院して寮に戻ってきた。 
みんなは、帽子をかぶった女の子の話をJにした。 
お前の部屋には霊がいると。 

Jはそれほど驚くことなく、 
「それはたぶん・・・」と話し始めた。 

Jの実家は開業医。 
Jがまだ小学生の頃、風邪をこじらせて長期で学校を休んでいたことがあった。 
Jは自分の家の病院に入院し数日が過ぎたある日、1人の女の子がその病院に担ぎ込まれてきた。 
その女の子は、交通事故にあい、頭に深い傷を負っていた。 
その病院は、脳外科とは違い専門外だったが緊急ということで、運ばれてきたという。 
応急処置をして、専門の病院に移される間、ベッドが空いていなかったこともあって、Jの横のベッドにその女の子は運ばれてきた。 

並んでベッドに横になる2人。 
どれぐらいの時間がたっただろうか、Jは女の子の視線を感じた。 
女の子の方を向くと、うつろな目でJをじっと見つめていたという。 

Jは彼女が自分を見ていないことがすぐ分かった。 
女の子の視線の先には、Jの為にクラスのみんなが織ってくれた千羽鶴があった。 
Jは千羽鶴から一羽の鶴をむしり取ると、女の子のベッドに投げてやった。 
女の子はとくに表情を変えることはなく、うつろな目のままだったという。 

しばらくして、女の子は専門の病院に移されていった。 
そして、Jはその子が亡くなったことを後日知らされた。 

Jは自分の部屋に来たのは、たぶんその女の子だろうと言った。 
また入院してしまった自分を応援しにきてくれたのだろうと・・・ 
そして、帽子は傷を負った頭を隠すためだろうと。 
その後その女の子は2度と現れなかった。 

この話を聞いて、お礼だったら寮じゃなくて、Jの入院する病院に行けばいいのに。と思ったりした。







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嫌だっつーの!

2007.12.05 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

去年母親が亡くなった。 
生前から「親父方の墓に入るのはいやだ」って言っていた。 
別に父方の家族と仲が悪いとかじゃなくて祖母が生前かった父方の墓は、よい環境、海の見える霊園。
そんな売り文句の、まぁど田舎の霊園で近くに住んでいる親族も居ないもんだから、どうしても、法事や彼岸以外に訪れる人が居ない。 
そんな寂しい墓には入りたくない、それなら自分の実家の墓が良いと。 
まぁそんな理由。 
でも、いざ亡くなってしまうと葬式の手配やらで忙しく手が回らず実家には分骨という形で、いつか墓地をもっと近くに移そう。とりあえず今はって事で結局、父方の墓地に納骨することに決まった。 
で49日の納骨の日。天気も良くて「晴れてよかったね」なんて 
家族で話しながら、骨壷入れる為に墓石を動かした瞬間大粒の雨。 
空からは日が差してるのに、霊園だけには激しく雨が降ってきて 
その後墓石を閉じて、坊さんにお経をあげて貰っていると徐々に雨脚が弱くなって行き、雨が上がっていった。 
それを見て親父がつぶやくように「アイツよっぽど嫌だったんだな」って。
だから、まだ墓地の場所は移せてないけれど、遠くても法事、彼岸以外にも時間を見つけて墓参りには行くようにしている。 







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吉野家コピペ

2007.12.05 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

↓さらにスレ違いの話題を吉野家スレにて発見 

昨日、母の葬式に出たんです。享年54歳。 
そしたらなんか自分、涙が一滴もこぼれないんです。 
で、よく見たら会ったこともないような親戚のおばさんですら泣いているんです。 
もうね、アホかと。馬鹿かと。 
俺な、親の死を目の前にして放心してんじゃねーよ、ボケが。 
目の前に人が死んでるんだよ、母親が。 
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で葬式か。ほんとありがとう。 
パパは息子さんに挨拶してくるから車で待ってなさい、とか言ってるの。いい親父だな。 
俺な、親が死んでんだからもっと泣けと。 
葬式ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
死に化粧をみた瞬間いつ涙があふれてきてもおかしくない、泣くか叫ぶか、そんな雰囲気が普通なんじゃねーか。オレ、なんなんだよ。 
で、やっと葬式が終わったかと思ったら、なんか次々と母のことが思い出されるんです。 
そこでまたぶち切れですよ。 
あのな、今さら思い出したところで意味ねーんだよ。ボケが。 
得意げな顔して何が、今度の休みには帰るよ、だ。 
俺は本当に休みに帰るつもりだったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 
俺、適当に親との距離をとりたかっただけちゃうんかと。 
親不孝者の俺から言わせてもらえば今、若者の間での最新流行はやっぱり、反抗期、これだね。 
親ってのはいつまでも生きているもんだと思っている。これがガキの考え方。 
親の期待をかなえたつもりで一人暮らし。そん代わりコミュニケーション少なくなる。これ。 
で、
「少しだけ仕送りいれといたから」
「ああ、無理すんなよ」
これ最期の会話。 
今になって後悔ばかりが思い出される、諸刃の剣。 
まあお前ら若いもんは、ほんの少しでもいいから親孝行しなさいってこった。







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大震災の後に

2007.12.05 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

初めにこの話は、オカルトではないかもしれないことを断っておきます。 

もう十年年たったので、やっと少し話せるようになった。 
大地震のために、大津波と大火災に襲われた島の話をしよう。 

皆さんもこう書けば、きっと憶えていることだろうから、その島の名前は書かない。書くことができないのだ、まだなまなまし過ぎて、申し訳ない。 
そこは、亡き母の生まれ故郷、そして私の第二の故郷でもある。記憶の宝箱のような島だ。 

大震災の一ヶ月後、私は、休暇をとり津波でなくなった親戚達の遺品を探しに島に入った。 
飛行機を降りると、なんと言う事だろうか、村は無くなっていたのだった。 
それ以上、言葉で言い表す事は出来ない。 
津波に襲われた所は、不謹慎かもしれないが、きれいに平らな更地になり、こんなに狭かったろうかと思うほどだった。写真一枚無かった。そもそも道も家もない。 
よくよく見ると。土台部分のアンカーボルトがひしゃげて残っているだけだったのだから・・・・ 
被災した島の人達も一部が仮設にはいったばかりで、まだ大部分が近くの小学校の体育館で、生活する事を余儀無くされていた。 

遺体の捜索活動がつづくなかで、親戚達の家があったと思われる周辺を10日間ずっと歩いた。 
先祖の位牌でも、手紙でも良い、とにかくその人達が生きていた印を見つけたい。そう思った。 
しかし、何かもが流されていた。高さ30メートルの津波というもは、ささやかな人々の暮しの跡をいとも簡単に吹き飛ばすのに十分すぎるエネルギーを持っていたのだと思う。 
数多くのボランティアの方々が、島に来て、毎日のように仮設を回り一人きりになった遺族達を訪ね物資を運び本当に頭が下がる思いだった。 
たが私の叔父や伯母や従姉の遺品はとうとう見つからなかった。 

10日目、いよいよ最後にせめて墓参りをして帰ろうと思った。数少ない生き残った叔父と墓場に出向いた。小高い丘に上に墓地があった。昔はその丘から港が一望できて、廿日盆には、皆で夕方からごちそうを重箱に詰めてお墓の前で賑やかに食べたものだ。 
でも、被災者にとっては、それどころでなはなかった。生きることが大変だったからだ。 
震源に近かったから当然に墓石も倒れているに違いない。そう覚悟していた。 

墓地に行って驚いた。倒れた墓石がすべて元に戻してあり、欠けた所も補修してあるではないか。 
こんな大変な時に誰が補修してくれたのだろうか。なにかキツネにでも鼻をつままれたような気がした。 
生き残った叔父のいる仮設に戻り「誰が墓石を直したのか」と問うと何処からか石材組合の方々が来て何も言わずもくもくと墓石を積み上げ、修復し何も言わずに帰っていった、という事だった。それも被災者に迷惑を掛けないように仮設で休んだり飲み食いはしなかったようだった。仕事が終わると次ぎの墓地に去っていったという。 

私は、その話を聞いて泣いた。嬉しい涙だった。こんな人達もいるのだと・・・ 
そして数年後阪神大震災が起きた。きっとそこでも人知れず自分の仕事をこつこつとした人々が数多くいたに違いない。 

翌日飛行機が出る直前に警察が漂着物を公開し、その中からかろうじて写真と手紙数枚を見つけ東京にいる遺族に渡す事が出来た。 







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