都市伝説・・・奇憚・・・blog
受験勉強と祖父
2008.02.01 (Fri) | Category : 誰も信じない人へ
大学受験を控えた高3の冬に、祖父(母の父)が亡くなりました。
家が遠かったので、めったに会えなかったけど、小さい頃は遊びに行くと、すぐにお菓子屋やおもちゃ屋に連れて行ってくれて、目に留まるもの何でも買ってくれようとしては祖母にイヤミを言われて舌を出す、やさしい祖父でした。
ずっと実家に戻って看病していた母から、
「亡くなった」
との電話が家に入った夜のことでした。朝になったら、お通夜とお葬式に車で半日かけて祖父の家に行くんだな、と考えつつも、まだあまり亡くなった実感がなくって、ベッドに入ってもずっと眠れずにいたんです。
そうしたら、家の中(1F)で、誰かが何かをブツブツ短くつぶやきながら動き回る気配がするのです。何を言っているのかは、わかりませんが(言葉の出だしと語尾とがハッキリしない)、その声はしばらくすると、階段をつたって、2階の奥の私の部屋に近づいてきました。
私は、これは祖父だ、とわかったのですが、とても怖かったので、ひたすら毛布をかぶって
「わかったから、もう、あっちへ行って!」
と念じました。
すると、すぐ側まで来ていた声と気配は、そのまま遠ざかって行きました。
こんな体験はこのときだけだし、この話は、軽く人に話すことでもないと思って長く誰にも言わなかったけど、10年以上たったので、初めて最近母に実はこんなことがあった、と言いました。すると、祖父は、病床でずっと、私に
「大学に入学したら、お祝い金を上げるんだ」
と言っていたのだそうです。ケチな祖母に、そんなものあげなくていい、と反対されていたので、自分が死んだらちゃんとお祝い金をあげられるかどうかを、とても気にしていた、というのでした。
なくなった夜に、会いに来た祖父が私に何を言いたかったのかが、10年以上経って、初めてわかりました……。
ちなみに、祖父が闘病していたとき、私はすでにひとつの大学を推薦で合格していたけど、そこには行きたくなかったので、まだ受験勉強を続けていました。それで、あまりお見舞いにもいけませんでした。
その後受験した大学は、見事に不合格ばかりでしたが、本命だけは合格しました。もし、祖父が亡くなったあとで受けた大学が全て不合格だったら、はじめから受験などせずに看病すればよかった、と後悔するところだったでしょう。
そうはならないように、本命大学だけ、祖父が特別に合格させてくれたのかな、とも思うのでした。おじいちゃん、ありがとうね。
借金返済
2008.01.31 (Thu) | Category : 誰も信じない人へ
気持ちはわかる。
2008.01.30 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
学生時代に仲の良かった友達が死んだ。自殺だった。
もう何年も連絡してなかったから、どうしてそんなことになったのか、詳しい状況も理由も全然判らない。
葬式のただ中、慌ただしくしているご両親に訊ねる訳にもいかず、ましてや、連絡をとらずにいたのは俺なんだから聞く資格もなかった。ないと思った。
それでも彼の母は、ずっと前に数回遊びにいったきりの俺の顔を覚えていてくれた。
当時の俺たちのことを懐かしそうに、泣き笑いの表情で話すのを聞きながら、心臓掴まれたみたく胸が痛くなった。
お前には言わなかったけど、俺、引き篭りになりかけてたんだよ。
連絡とらなかったんじゃない、とれなかったんだ、恥ずかしくて。
挙げ句自殺未遂もした。ぎりぎりで助かったけど。
自殺未遂をやらかしたことを、俺は悪いと思ってなかった。
色々事情もあったし、あの時の俺はそうするしか仕方なかったんだって。
なんとか立ち直ってからはすっかり忘れた気になって、一人暮らしを始めて仕事が軌道に乗ってからは実際ほとんど忘れて、その頃のことなんか思い出しもしなくなってた。
葬式の後、帰ってから実家に電話した。母親が出た。
話しながら、彼の気配を感じた。
あんなこともあった、こんなこともあったと、帰りの電車でずっと奴を思い出していた俺の、ただの気のせいかもしれないけど。
そのまま少し話をして、切る直前にひとことだけ、ごめんと言った。
この10年間、どうやっても出なかった謝罪の言葉がはじめて、口をついて出た。
電話の向こうで母親は絶句して、泣いているようだった。
電話を切って、俺も泣いた。
お前も色々辛かったんだろう。
昔の俺みたいに、そうするしか仕方なかったのかもしれない。
この世界は時々、もの凄く生き難いし、ひと足先におりてしまったお前を残念に思っても、責めることは俺にはできない。
出来るならもう一度ぐらい声聞きたかったけど、まあそのへんは俺の自業自得だ。
お前の分までとは言えないけど、俺はこっちでもうちょっと頑張ってみるから、もう少しだけ待っててくれ。
ここ読んでたら、どうしても書きたくなった。
心霊あまり関係なくてスマソ。
物が壊れる日
2008.01.29 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
僭越ながら、涙ちょちょぎれるタイプの話ではないんだけど…
祖父が亡くなってからしばらく経ち、独り残された祖母の家の整理を手伝っていた時でした。冷蔵庫が壊れかかってた。
ちょうど自宅のストーブも今朝がた壊れた、てこともあり、父が車で冷蔵庫とストーブを買いに出かけた。
玉突き衝突に巻き込まれてしまった。4台の車がぶつかり合う割と大掛かりな事故。
運が良かったのか、玉突き衝突の車両の中間部だったはずの車に乗ってた父は、奇跡的に怪我ひとつなし。
電話で連絡を受けて家族であたふたしていた時のこと。ふとカレンダーを目にした母が
「あ、もしかして今日って…」
そう、祖父の四十九日だった。
祖父が、車とストーブと冷蔵庫を、彼岸に持っていったんだろうか。
後日談。
その話を、自称霊感あるらしいんだ、ていう知人に話してみたところ、
「おじいさんの四十九日になって、モノが一斉に壊れた、てのが面白いね」
とのこと。
もしも祖父が冷蔵庫やストーブ、車を壊すような状況に持っていった、と考えるとそれらの物は使い続けていると良くないことが起こるかもしれなかったのかもね、と付け足された。
ふーん、なんて聞いてたけど、なんとなく思い当たることもある。
祖母は賞味期限には興味を示さず、やばそうなものまで平気で冷蔵庫に保管する悪癖がある。
壊れかけた冷蔵庫に入れていたら、余計に物が痛むのが早くなること。
ストーブにしても、灯油漏れが何回かあったような使ってても怖かった物だったこと。
車にしても、車検まで数カ月(その車検で廃車確定、くらいの中古車)だったこと。
最初は
「あの世でも冷蔵庫やストーブが必要なんだろうかね」
なんて笑ってたけど、もしかしたら祖父には感謝するべきなのかもしれない。せめて胸の中で。ありがと、じいちゃん。
お仕事しているおじいちゃん
2008.01.28 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
父親方の実家に帰省したときの話。
田舎(といっても都会)は1階が工場となっており、2階が事務所その奥に婆ちゃんが住んでいる。
爺ちゃんは15年程前に他界しており、婆ちゃんは一人暮らし。
親父はその工場で働いていて、その日は仕事で外に出ていた。
嫁さん、そして4歳になる息子をつれて行っていた俺は、2階の事務所でテレビを見ながら他の親戚達と雑談をしていた。
その時、ふと気がつくと4歳の息子の姿が見えなくなっていた。
「また工場に行ったな」
と思い、(機械工場なので、旋盤やボール盤、溶接機等があり息子はそれらが面白いらしくてよく触ろうとする。休日だから工場にはだれもおらず、ドリルや鉄板等があるため危険)急いで2階の事務所の窓から下を覗いた。
そこには1人で誰かと話をしている息子がいた。
「親父、帰ってきたのか・・・」
と思い話を聞いていると、息子は
「おじいちゃんお仕事してるの?」
等と聞こえてくる。
やはり親父が現場から帰ってきたと思った俺は嫁にその事を告げ、工場へと降りて行った。
途中なにか違和感を感じながら・・・
下に降りると息子は話を続けていた。
「おじいちゃん帰ってきたのか?」
そう息子に声をかけると・・・
誰も居ない、そう、先程感じていた違和感とは息子と会話している相手の声が聞こえなかったのである。
「おじいちゃんが、あそこで仕事してる」
そう言った息子の指差す方を見ると、やはり誰も居ない。
しかし、そこは亡くなった爺ちゃん(息子にとっては曾爺ちゃん)が愛用していた旋盤であった。
もちろん息子は爺ちゃんを知らない。
仏壇にある写真でしか見たことがない。
ちょっとドキドキしながら
「あそこで誰がお仕事してるの?」
と息子に聞くと、
「写真のおじいちゃん」
と言った。
「お仕事の服着てあそこでお仕事してる」
と。
たしかに亡くなった爺ちゃんは工場を立ち上げた人で、仕事がとても好きな人だった。
俺も学生の頃バイトで働いていた時に失敗して潰したボルトを、爺ちゃんがこっそりとその旋盤で直してく
れた事は今でも覚えている。
妙に懐かしさがこみ上げてきた俺は、その方向に手を合わせて
「あんまり無理しない様にな、爺ちゃん」
と心の中で祈り、息子をつれて上がっていった。
「爺ちゃん楽しそうだったか?」
と聞くと
「うん、笑ってた」
と言った息子の言葉になんだか涙がでました。

