都市伝説・・・奇憚・・・blog
壁の精
2008.02.08 (Fri) | Category : 誰も信じない人へ
一番小さい頃の記憶、って人それぞれかと思うのですが(生まれた瞬間を覚えている、というすごい方もいらっしゃいますね)私の場合、ハイハイしている辺りの記憶が一番古いです。
その頃の私は、ちょっとヤヴァイ子供だったのか、壁や柱の精の声が聞こえていました。というより、そう思っていました。
壁や柱から、誰かの声が聞こえるんです。 男性の。
その男性は、私に向かって(?)「大きくなったね」とか「可愛いなあ」とかいつもそんなことを言っていました。
そこに誰もいないので、壁や柱がしゃべっているのだと思っていました。
成長して声が聞こえなくなるまで、ずっとそう思っていました。
そうして月日が流れて、幼稚園の頃です。
相変わらず、壁や柱から声が聞こえていたのですが、ついにそれが二人になりました。
男性と女性です。
「大きくなったんだね。もう歩けるんだね。」
「可愛いねえ。」
「ずっと一緒にいようね。」
とか二人で私にしゃべってきました。
別段それについては怖い、とは思いませんでした。
普通に皆が聞こえているものだと思っていました。
(ミンキーモモとかは動物と話したりしているので私もそうだと思っていましたw)
しかし、ある日男性のほうがこう言ったのです。
「連れて行こうか。」
それは恐怖でした。どこに連れて行かれるのか、と。
しかし、女性のほうが「それはダメ。」と男性を諭しました。
すると男性は少し怒ったような感じでした。
その日辺りから、二人の壁の精は喧嘩をしていることが多くなりました。
男性は私を連れて行きたいようでした。
女性もその気があるようではありましたが、最後には
「やっぱりダメ。」
と言いました。
小学校に入る頃、私は転勤で別の家に住むことになりました。
引っ越してしまった辺りから、壁の精の声を聞いた記憶がありません。
壁の精についてはそれっきりだったのですが、今思うと、アレは祖父母だったのかなあ、と思うんです。
壁の精が増えた幼稚園の頃、祖母が他界しているからです。
(祖父は私が生まれる前に他界しています。)
「連れて行こうか。」はちょっと怖かったですが、私は霊については、映画「シックスセンス」のイメージがあるので孫を目の前にすればそんな気も起きるもんなのかなあ、と。
「心霊ちょっといい話」を読んでからはああ、見守ってくれているのかな、と思っています。
なるべくお仏壇に手を合わせるようにしようと思います。
613 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 02/12/06 06:47
>>603
あなたの話とほとんど同じ話を、高校の時に同級生に聞いたことがある。
私の同級生も、やっぱり男女の声が聞こえて、ある日
「この子どうしようか」
「連れて行こうか」
って言われたんだって。もしかしたらあなたは私の同級生?(笑)
その人は産まれて間もなくの頃に一度呼吸が止まって、家族が死んだと思ったのに、しばらくして蘇生したって経験があったらしいけど。
他にもブラウン管が破壊されたテレビを部屋に放置しておいたら半年くらいで自然に直ってしまったとか言っていたなあ。
違ったらごめん。あまりに話の内容が同じなんで。
おじいちゃんのサンダル
2008.02.06 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
かなり長くなります、スミマセヌ(´・ω・`)
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うちの祖父は、結婚してから間もなく脳梗塞で倒れ、その後遺症で右半身が麻痺してしまいました。
祖父の若い頃の写真とはかけ離れた顔つきになり、頬はコケて目はくぼみ、恐ろしい形相。
小さな子が見たら思わず泣き出してしまいそうな顔でした。
よだれや鼻水、糞尿垂れ流し状態で家族の介護を受けていました。
私は子供心に「汚い」と思い、祖父との交流を避けがちでした。
こんな体になって何か楽しい事があるのだろうか?
いなくなってしまえばいいのに、とさえ思う事もありました。
体の不自由な祖父ですが散歩が大好きで、よく裏庭をゆっくり、ゆっくりと景色を眺めつつ歩いていた姿が胸に残っています。
よく足がもつれて転倒して怪我をしていましたが、それでも祖父は毎日裏庭を歩きました。
祖父の怪我を手当てする母の姿を見て、日を増すごとに祖父の存在が疎ましく思えたものです。
私は高校生になり、祖父は親戚の家に引き取られました。
鬱陶しかった祖父がいなくなり、私は内心喜んでいました。
---祖父が親戚に引き取られてから何ヶ月か経ち、夏になりました。
とても暑く寝苦しい夜、私は夢を見たのです。
なぜか『キィィィィィーーーーン…キィィィーーーン…』と、高い音が頭の中で響き、それに混じって鈴の音も聴こえました。
夢の中で私はベッドに寝ています。頭の中で何度も何度も鈴の音が響き、キィィーーンという音がぐるぐると回りました。
すると、ベッドの横で黒い影がムクッと起き上がりました。真っ黒で何も見えなかったけど、私はそれが祖父だと確信しました。
自分も起き上がろうとするけど、金縛りのように体がいう事をききません。
やっとの思いで、
「おじいちゃん……?」
と呼びかけました。
ここで目が覚めたのです。
夢と同じ風景、暗さ…。私はしばらく夢と現実の区別がつかず、ボーッとしていました。
その日の夜、親戚から祖父が脳梗塞が再発して倒れたと電話がありました。
母と病院に行くと、既に祖父は「脳死」の状態でした。
機械で呼吸をして、かすかに心臓が動いている状態。
まるで気持ち良さそうに眠っているかのような表情でした。
私は祖父の手を握り、
「おじいちゃん、おじいちゃん」
と呼びかけました。
しかしその声が祖父に届く事はありません。それから何日も、何日も、祖父の心臓は動き続けました。
病院から危篤状態だと連絡があり、何度も親戚が全員病室に集まりました。
しかしその度に祖父は持ち直し、それが何週間も続きました。
病室で母は涙を流しながら言っていました。
「はやくおじいちゃんを楽にさせてあげて…・」
と。
その翌日。母が玄関でなにやらゴソゴソとしていました。
聞くと、母も夢を見たそうです。
裏庭で悲しそうな顔をして佇む祖父。
「どうしたの?」
と聞くと、ぽつりと
「サンダルが無い。」
祖父の足元を見ると裸足だったそうです。
母が言うには、
「おじいちゃん裸足だから天国行けないんじゃないかな」
との事。。
大好きな散歩に出かける時にかならず履いていた物を、母は袋に入れました。
そのサンダルを病室に持って行った夜、祖父は静かに息を引き取りました。
葬儀の最中、祖父の安らかな顔を見て私の目からは涙が止まりませんでした。
どうしてもっと祖父と話さなかったんだろう、優しくしてあげなかったんだろう。
どうして真正面から向き合って接する事ができなかったんだろう。
もうおじいちゃんは戻って来ないのに。
なぜこんな大切な事がわからなかったんだろう。私は後悔でいっぱいでした。
それから5年経ち、私は1児の母親になりました。
もうすぐ3歳になる我が子を連れて、お墓参りに行こうと思います。
こんなに元気にやってるよ、孫もこんなに大きくなったよ、って。
最後のメッセージ
2008.02.05 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
私が高校生の頃に田舎の母方の祖母が末期ガンで、入院してたときの話。
ちょうどその頃、うちの弟も入院してたりで親戚やらの出入りが多くて、その日も父方の伯母が泊まりに来てた。
朝、夢を見てたんだけど、夢の中で誰かと一緒に車に乗ってる。
運転してるのはなんとなく祖母だなぁという感じがしてた。
実際の祖母は運転免許なんか持ってる人じゃないんだけど、祖母は運転しながらひたすら私に
「〇〇、頑張れよ、頑張れよ」
と声をかける。
頑張れよ、というのは私が色んなことで悩むたび、祖母に電話して必ず言われた言葉。
「おばあちゃんが励ましてくれてる」
とぼんやり夢の中で考えてたとき
いきなり家の電話が鳴った。
はっと目覚めるとホントに電話が鳴ってる。
飛び起きるなり
「おばあちゃんの容態が悪くなった!」
と叫んで、すでに起きていた父と伯母を押しのけて電話に出た。
電話に出ると母方の伯母が
「おばあちゃんの容態が急変した。もうアカンらしいから、お母さんをすぐにこっちへ来れるようにしてあげて」
と。
祖母はその日の昼に息を引き取ったのだけれど、最後まで私と弟のことを気にしていたらしい。
母がお葬式から帰ってきたときに、
「おばあちゃんが亡くなる寸前にあんたに書いた言葉があるよ」
とメモを2枚渡された。
1枚は
「〇〇 努力」
と書かれてあり、もう一枚は解読不能な言葉だった。
意識が朦朧としている中で、必死で書いた言葉だったんだろうと思う。
何に対しても怠けがちで、努力することが大嫌いだった私を、最後まで気にしていたんだなぁと申し訳なかった。
あのとき、夢に出てきたのは間違いなく祖母だったんだろうと今でも思う。
弟の状態も悪くて母と交代して病院に詰めることになったから、結局私はお葬式に行けなかった。
行けなくてごめんね、おばあちゃん。
長文スマソ…更に心霊っぽくないからsage。
2人分
2008.02.04 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
結婚して3年、妻は子が出来難い体質だったらしく不妊治療を重ねた上での妊娠だった。
その連絡を聞いて新幹線で病院に駆け付けた義母から不幸に追い討ちをかけるような知らせ。
義父が末期の癌に冒されているのが発見され入院したらしい。
正月、一時的に自宅でに帰っていた義父に電話での報告。
産まれていれば初孫になる筈だった子の死。受話器の向こうの低い嗚咽。
2月、順調に妊娠が進んでいれば出産予定だった日、病院に戻っていた義父は肺炎を併発して逝ってしまった。
それから1年程の間、外出する機会がめっきり減った。
子どもを目にするのがとても辛かったから。
二人とも心身共にボロボロだった。
4年後、何とか心の傷が癒え始めた頃再び不妊治療を始めた。
12月、その甲斐あって妻は妊娠4ヶ月に入っていた。
そしてクリスマスの25日、突然の出血があった。かなり多めの。
泣きながら職場に電話を架けてくる妻。またあの悲しみを繰り返すことになるのか。
二人して病院へ。エコーを採ってもらったところ腹の子はまだ生きているらしい。
年が明けてすぐに近所の総合病院へ入院することになった。
詳しく検査したところ、双児であったかもしれなかったとのこと。
複雑な思いで入院生活を送る妻。
見舞いに行って同じ病室の妊婦さん達が話しているのを聞くと妊娠して臨月までを順調に過ごし、出産して子どもと一緒に退院していくということが、とても幸運な、奇跡的なことのように思えてきた。
にこやかな顔で妻を見下ろして立っている。
今度は大丈夫だよ、ちゃんと産まれてくるから・・・そう言って優しく腹をさする義父。
とても安らかな気持ちになった妻は腹の子の出産を確信したそうだ。
その年の夏、予定日よりは1ヶ月程早かったが妻は女の子を無事出産した。
現在3歳になった娘。
その寝顔を見ながら二人で出産当時のことを思い出す事がある。
「なんか最初の時の妊娠がずっと続いていて、あの時二人分産んだ気がするんだよね」
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これ以上短くできませんでした。スイマセン。
なんか素っ気無い文章になってしまった。
今、唐突に思い出したんだけど、後日談っぽい話。
去年の丁度今頃、耳の病気で手術をし、1ヶ月程入院していたときの事です。
手術後3日程経って妻が一人娘(当時二歳)を連れて見舞いに来ました。
小一時間程して二人は帰ったんですが、その翌日。
同じ病室の患者さんに
「お子さん、お幾つ?」
「二歳ですよ」
「兄弟で仲がいいねぇ。上の子は?」
「・・・」
その後、検温を採りに来た看護婦さんに
「お子さん、お二人なんですか?」
「いえ、一人ですけど・・・」
「あれ、男の子と遊んでませんでしたっけ?」
「それ、どんな子でした?」
「あ、私の勘違いかな」
看護婦さんは作り笑いを浮かべて会話を終わらせてしまいました。
前日の見舞客の中には、それに該当するような子どもはいなかった筈なんですが・・・。
返済と利息
2008.02.03 (Sun) | Category : 誰も信じない人へ

