都市伝説・・・奇憚・・・blog
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都市伝説の終焉―すかいらーく―
2009.10.19 (Mon) | Category : トピックス
以前紹介した記事に『すかいらーく伝説』がある。
看板のオスメスに関する噂でコーヒーサービス、というものだったのだが。
記事中で『現在では看板のマイナーチェンジをしたために』この都市伝説も消滅した、と書いたのだが…
もっと根本的なところで話は消えてしまうことになった。
少々残念ではある。
以下、引用
- - - - -
創業業態「すかいらーく」消滅へ 業界の注目が集まる次の嫁ぎ先
ダイヤモンド・オンライン10月19日(月) 10時 1分配信 / 経済 - 経済総合
外食業界の一つの時代が終わる。
投資会社の野村プリンシパル・ファイナンス(PF)傘下で経営再建中のすかいらーくは10月末までに、昨年来行なってきた創業ブランド「すかいらーく」の「ガスト」などへの転換を終了する。ついに日本から「すかいらーく」の看板が消える。
1970年、「すかいらーく」は創業家の横川4兄弟がつくった日本初のファミリーレストランだ。今では当たり前となっているセットメニューやチェーン展開するための店舗運営ノウハウ、郊外型の店舗展開などの多くは、「すかいらーく」が率先して取り入れ、原型をつくり上げた。今ある外食企業のほとんどは、同社の手法をまねて成長を遂げていったといっても過言ではない。
しかし2006年度に、過去に大量出店した店舗の老朽化や業態の陳腐化などから客離れが進み、最終赤字に転落。同年、経営再建のために野村PF傘下となった。08年にはその野村PFによって、業績不振を理由に創業家の3男である横川竟社長が解任され、野村PF主導で一気に店舗リストラが進められた。「すかいらーく」の看板が姿を消すことは「外食業界での歴史的役割が終わったということ」(大手外食企業幹部)だといえる。
財務と店舗のリストラという“外科手術”が終わり、すかいらーくの経営再建はひと区切りつくことになる。次の段階は“リハビリ”だ。ただ、“リハビリ”は、「メニュー開発や業態開発、店舗オペレーションの再構築など、外食業に精通しているプロ中のプロでなければできない。すかいらーくに対して野村ができることはここまでだ」(同)。
野村PFが早々にエグジット(保有株式の売却)する可能性は高い。この点について「今年中に具体化することはない。来年春くらいになるのではないか」(野村PF関係者)とささやかれているが、すでに大手外食企業や商社など複数社に野村PFは接触している。
実際、“手術後”のすかいらーくは業界他社にとって魅力的に映るはずだ。
今後の同社の主力業態となる「ガスト」は08年度下期(7~12月)から2半期連続で既存店売上高が前年を上回った。ファミレス御三家のうちの「デニーズ」と「ロイヤルホスト」が09年度上半期、同7~9%マイナスで推移していることからすれば、上出来の数字だ。「2社が回復する気配すらないなかで浮上したのは驚きだ。落ち込んでも立ち直る底力がある」と市場関係者も注目する。
また「すかいらーくの工場は日本でもトップクラス。他社にはない技術とノウハウが蓄積されている」(大手外食企業幹部)。
今でもすかいらーくグループの売上高は381億円を誇る。どこへ嫁ぐにも、外食業界の勢力図を大きく塗り替えることになる。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 片田江康男)
看板のオスメスに関する噂でコーヒーサービス、というものだったのだが。
記事中で『現在では看板のマイナーチェンジをしたために』この都市伝説も消滅した、と書いたのだが…
もっと根本的なところで話は消えてしまうことになった。
少々残念ではある。
以下、引用
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創業業態「すかいらーく」消滅へ 業界の注目が集まる次の嫁ぎ先
ダイヤモンド・オンライン10月19日(月) 10時 1分配信 / 経済 - 経済総合
外食業界の一つの時代が終わる。
投資会社の野村プリンシパル・ファイナンス(PF)傘下で経営再建中のすかいらーくは10月末までに、昨年来行なってきた創業ブランド「すかいらーく」の「ガスト」などへの転換を終了する。ついに日本から「すかいらーく」の看板が消える。
1970年、「すかいらーく」は創業家の横川4兄弟がつくった日本初のファミリーレストランだ。今では当たり前となっているセットメニューやチェーン展開するための店舗運営ノウハウ、郊外型の店舗展開などの多くは、「すかいらーく」が率先して取り入れ、原型をつくり上げた。今ある外食企業のほとんどは、同社の手法をまねて成長を遂げていったといっても過言ではない。
しかし2006年度に、過去に大量出店した店舗の老朽化や業態の陳腐化などから客離れが進み、最終赤字に転落。同年、経営再建のために野村PF傘下となった。08年にはその野村PFによって、業績不振を理由に創業家の3男である横川竟社長が解任され、野村PF主導で一気に店舗リストラが進められた。「すかいらーく」の看板が姿を消すことは「外食業界での歴史的役割が終わったということ」(大手外食企業幹部)だといえる。
財務と店舗のリストラという“外科手術”が終わり、すかいらーくの経営再建はひと区切りつくことになる。次の段階は“リハビリ”だ。ただ、“リハビリ”は、「メニュー開発や業態開発、店舗オペレーションの再構築など、外食業に精通しているプロ中のプロでなければできない。すかいらーくに対して野村ができることはここまでだ」(同)。
野村PFが早々にエグジット(保有株式の売却)する可能性は高い。この点について「今年中に具体化することはない。来年春くらいになるのではないか」(野村PF関係者)とささやかれているが、すでに大手外食企業や商社など複数社に野村PFは接触している。
実際、“手術後”のすかいらーくは業界他社にとって魅力的に映るはずだ。
今後の同社の主力業態となる「ガスト」は08年度下期(7~12月)から2半期連続で既存店売上高が前年を上回った。ファミレス御三家のうちの「デニーズ」と「ロイヤルホスト」が09年度上半期、同7~9%マイナスで推移していることからすれば、上出来の数字だ。「2社が回復する気配すらないなかで浮上したのは驚きだ。落ち込んでも立ち直る底力がある」と市場関係者も注目する。
また「すかいらーくの工場は日本でもトップクラス。他社にはない技術とノウハウが蓄積されている」(大手外食企業幹部)。
今でもすかいらーくグループの売上高は381億円を誇る。どこへ嫁ぐにも、外食業界の勢力図を大きく塗り替えることになる。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 片田江康男)
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メアリー・セレスト号事件
2009.09.08 (Tue) | Category : トピックス
メアリー・セレスト号(英: Mary Celeste)は、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船。
発見当時、なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、航海史上最大の謎とされる場合もあるが、事件には様々な尾ひれが付けられ、実際以上に不可思議な事件として都市伝説化している。
なお、コナン・ドイルはメアリー・セレスト(Mary Celeste)号にまつわる一連の事件をもとに1884年『J・ハバクック・ジェフソンの証言』という小説を書いているが、ここでは船名が「マリー・セレスト(Marie Celeste)号」となっているため、実際には『マリー・セレスト号』という船名の方が有名かもしれない。
最も有名な例は次のようなものである。
『メアリー・セレスト号を発見したデイ・グラチア号の船員が乗り移ってみると、船内には食べかけの朝食がまだ暖かいまま残っており、ほんの一瞬前まで全員が何事もなく乗船していたようであった』
実際にはデイ・グラチア号の船員は、後の調査でそのような事は全く無かったと証言しており、これは後付されたデマである。
救命ボートがすべてそのまま残っていたとする話も伝えられているが、これも後に創作されたものであり、実際には救命ボートはなくなっていた。
現在判明している真相は下記の通りである。
1872年11月7日、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレスト号はニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コインから出荷された工業用アルコール(おそらくメタノール)を積み、ニューヨークからイタリア王国のジェノヴァへ向けて出航した。船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていた。
1872年12月4日(19世紀には標準時の制定前であるため、12月5日であったともいわれる)、メアリー・セレスト号は、デイ・グラチア号(Dei Gratia)に発見された。
デイ・グラチア号はメアリー・セレスト号の7日後にニューヨーク港を出港した船で、その船長モアハウスはブリッグズ船長と知り合いだった。デイ・グラチア号の乗組員は2時間ほどメアリー・セレスト号を観察し、「遭難信号を掲げていないがおそらく漂流中なのだろう」と判断した。
実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士オリバー・デボーは小さなボート数隻を率い、メアリー・セレスト号に向かった。デボーは「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ボンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していたという。船は他の点では良好な状態であるように思われたが誰も乗っていなかった。
前ハッチも食料貯蔵室も共に開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていた。六分儀とクロノメーターは失われており、船が故意に遺棄されたことを示唆していた。この船唯一の救命ボートは無理矢理引き離された、というよりも故意に降ろされていたようだった。3つの手すりに謎めいた血痕があり、1つの手すりには説明のできない引っかき傷があった。また、血まみれの刀剣(に見えたが、実際は赤錆だった)が船長の寝台の下に隠されていた。
1700樽のアルコールは後にジェノヴァで降ろされたとき9樽が空であったと分かったが、それ以外は無事で、6ヶ月分の食料と水も残されていた。船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つからなかった。最後の日誌の記入は11月24日の、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれており、11月25日にはアゾレスのセント・メアリー島に到着できる位置である。
発見当時、なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、航海史上最大の謎とされる場合もあるが、事件には様々な尾ひれが付けられ、実際以上に不可思議な事件として都市伝説化している。
なお、コナン・ドイルはメアリー・セレスト(Mary Celeste)号にまつわる一連の事件をもとに1884年『J・ハバクック・ジェフソンの証言』という小説を書いているが、ここでは船名が「マリー・セレスト(Marie Celeste)号」となっているため、実際には『マリー・セレスト号』という船名の方が有名かもしれない。
最も有名な例は次のようなものである。
『メアリー・セレスト号を発見したデイ・グラチア号の船員が乗り移ってみると、船内には食べかけの朝食がまだ暖かいまま残っており、ほんの一瞬前まで全員が何事もなく乗船していたようであった』
実際にはデイ・グラチア号の船員は、後の調査でそのような事は全く無かったと証言しており、これは後付されたデマである。
救命ボートがすべてそのまま残っていたとする話も伝えられているが、これも後に創作されたものであり、実際には救命ボートはなくなっていた。
現在判明している真相は下記の通りである。
1872年11月7日、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレスト号はニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コインから出荷された工業用アルコール(おそらくメタノール)を積み、ニューヨークからイタリア王国のジェノヴァへ向けて出航した。船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていた。
1872年12月4日(19世紀には標準時の制定前であるため、12月5日であったともいわれる)、メアリー・セレスト号は、デイ・グラチア号(Dei Gratia)に発見された。
デイ・グラチア号はメアリー・セレスト号の7日後にニューヨーク港を出港した船で、その船長モアハウスはブリッグズ船長と知り合いだった。デイ・グラチア号の乗組員は2時間ほどメアリー・セレスト号を観察し、「遭難信号を掲げていないがおそらく漂流中なのだろう」と判断した。
実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士オリバー・デボーは小さなボート数隻を率い、メアリー・セレスト号に向かった。デボーは「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ボンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していたという。船は他の点では良好な状態であるように思われたが誰も乗っていなかった。
前ハッチも食料貯蔵室も共に開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていた。六分儀とクロノメーターは失われており、船が故意に遺棄されたことを示唆していた。この船唯一の救命ボートは無理矢理引き離された、というよりも故意に降ろされていたようだった。3つの手すりに謎めいた血痕があり、1つの手すりには説明のできない引っかき傷があった。また、血まみれの刀剣(に見えたが、実際は赤錆だった)が船長の寝台の下に隠されていた。
1700樽のアルコールは後にジェノヴァで降ろされたとき9樽が空であったと分かったが、それ以外は無事で、6ヶ月分の食料と水も残されていた。船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つからなかった。最後の日誌の記入は11月24日の、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれており、11月25日にはアゾレスのセント・メアリー島に到着できる位置である。
加茂前ゆきちゃん行方不明事件
2009.09.03 (Thu) | Category : トピックス
【事件概要】
1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前芳行さんの三女・ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。
――――――――
【ココアを残して消えた少女】
板金工場で夜勤をしていた芳行さんはいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、妻の市子さんも当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。芳行さんがぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは父親を起こさないように、家に帰ると物音をたてなかったので芳行さんは帰宅にきづかなかった。
午後2時半には市子さんがパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだ暖かいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
午後4時頃、芳行さんが起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や市子さんも帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族や小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。
家の中を見ても、不審な点が多かった。
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていたこと。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだったこと。
・当時まだ寒く、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーも家に置かれていたこと、などである。
また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いをなぜか断っている。他に何か用事があったのだろうか。
その後、目撃証言が多数よせられた。
・学校のジャングルジムで遊んでいた。
・学校の横の十四川付近で遊んでいた。
・自宅から15mほどの地点で、白いライトバンの運転手と話していた。
・学校の近くの近鉄・富田駅にいた。
この中で一番多かった目撃証言は富田駅近くにいたというものである。しかし、それらは有力な手がかりにはならなかった。
【怪文書】
ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。そのかわり、無言電話が頻繁にくるようになった。
事件から3年後、「加茂前秀行様」という間違った宛名(実際は芳行さん)で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。→怪文書の内容
それからしばらくして、一家にもう1通の手紙が届けられた。ダウジング(※)ができるという人物からの捜査協力の申し出である。福岡県に住む「緒方達生」というこの差出人は、ゆきちゃんはすでに亡くなっていると言い、ゆきちゃんの霊の協力の元、捜査をするという。さらに3日後、この人物は「ゆきちゃんの霊を邪魔する別の霊が現れ、捜査に協力することができなくなった」と書いてきた。以来、不審な手紙はない。
2003年10月、一家に不審な電話がかかる。若い男の声で自分の体格や髪型などの特徴を述べた。この中で「自分の髪型はパンチパーマ」という発言があったのだが、パンチパーマの男というのは失踪当時の目撃情報で出てきた白いライトバンの運転手の特徴だった。この特徴というのは関係者にしか知らされていなかった。
事件から10年以上がたち、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。
リンク
三重県警 「情報提供のお願い」
http://www.police.pref.mie.jp/onegai/search/02_yuki.html
オレンジの旅人。
http://tabikaze.hp.infoseek.co.jp/kagerou.htm
≪参考文献≫
新潮社 「新潮45 08年2月号」
二見書房 「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」 近藤昭二
以上、加茂前ゆきちゃん行方不明事件より引用
1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前芳行さんの三女・ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。
――――――――
【ココアを残して消えた少女】
板金工場で夜勤をしていた芳行さんはいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、妻の市子さんも当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。芳行さんがぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは父親を起こさないように、家に帰ると物音をたてなかったので芳行さんは帰宅にきづかなかった。
午後2時半には市子さんがパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだ暖かいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
午後4時頃、芳行さんが起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や市子さんも帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族や小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。
家の中を見ても、不審な点が多かった。
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていたこと。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだったこと。
・当時まだ寒く、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーも家に置かれていたこと、などである。
また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いをなぜか断っている。他に何か用事があったのだろうか。
その後、目撃証言が多数よせられた。
・学校のジャングルジムで遊んでいた。
・学校の横の十四川付近で遊んでいた。
・自宅から15mほどの地点で、白いライトバンの運転手と話していた。
・学校の近くの近鉄・富田駅にいた。
この中で一番多かった目撃証言は富田駅近くにいたというものである。しかし、それらは有力な手がかりにはならなかった。
【怪文書】
ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。そのかわり、無言電話が頻繁にくるようになった。
事件から3年後、「加茂前秀行様」という間違った宛名(実際は芳行さん)で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。→怪文書の内容
それからしばらくして、一家にもう1通の手紙が届けられた。ダウジング(※)ができるという人物からの捜査協力の申し出である。福岡県に住む「緒方達生」というこの差出人は、ゆきちゃんはすでに亡くなっていると言い、ゆきちゃんの霊の協力の元、捜査をするという。さらに3日後、この人物は「ゆきちゃんの霊を邪魔する別の霊が現れ、捜査に協力することができなくなった」と書いてきた。以来、不審な手紙はない。
2003年10月、一家に不審な電話がかかる。若い男の声で自分の体格や髪型などの特徴を述べた。この中で「自分の髪型はパンチパーマ」という発言があったのだが、パンチパーマの男というのは失踪当時の目撃情報で出てきた白いライトバンの運転手の特徴だった。この特徴というのは関係者にしか知らされていなかった。
事件から10年以上がたち、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。
リンク
三重県警 「情報提供のお願い」
http://www.police.pref.mie.jp/onegai/search/02_yuki.html
オレンジの旅人。
http://tabikaze.hp.infoseek.co.jp/kagerou.htm
≪参考文献≫
新潮社 「新潮45 08年2月号」
二見書房 「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」 近藤昭二
以上、加茂前ゆきちゃん行方不明事件より引用
迷子
2009.08.29 (Sat) | Category : トピックス
人は道に迷うと無意識にグルグルと回ってしまう、と昔から言われている。
特に砂漠や森の中など、目印がつけにくく周囲に変化が見られない場所ならなおさらであろう。
真っ直ぐに進んでいるつもりが同じところをグルグルと…。
この迷信とも教訓とも取れる話が、先日科学的な手法によって証明された。
興味深いので転載させていただく。
- - - - - -
「道に迷うと回る」は本当=森や砂漠、目隠し実験で確認-独研究所
8月29日13時59分配信 時事通信
道に迷うと、同じ所をぐるぐる回ると昔から言い伝えられるが、ドイツのマックスプランク研究所の研究チームがこのことを実験で確認し、29日までに米科学誌カレント・バイオロジー電子版に発表した。目隠しをされた状態でも、最大20メートル程度は真っすぐ歩けるが、距離が長くなるにつれて曲がり、円を描いてしまう可能性が高かった。
これは、左右の脚の長さの微妙な違いが原因ではなく、太陽や月、山などの手掛かりがないと、方向や身体バランスの感覚のずれを修正できず、ずれが次第に大きくなってしまうためと考えられるという。
実験は、6人にドイツの暗い、平たんな森の中を数時間歩いてもらうほか、3人にサハラ砂漠を歩いてもらい、全地球測位システム(GPS)でコースを記録。さらに、15人に目隠しした状態で平らな場所を50分間歩いてもらった。
その結果、太陽が見えない曇った日に森を歩いた4人が円を描き、月が見えない夜に砂漠を歩いた1人は途中でUターンして逆戻りした。目隠しをした15人のうち、一定の方向に歩くことができたのは3人だけで、12人が何回もぐるぐると回った。円の直径は最も小さい場合、わずか20メートル程度だった。
特に砂漠や森の中など、目印がつけにくく周囲に変化が見られない場所ならなおさらであろう。
真っ直ぐに進んでいるつもりが同じところをグルグルと…。
この迷信とも教訓とも取れる話が、先日科学的な手法によって証明された。
興味深いので転載させていただく。
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「道に迷うと回る」は本当=森や砂漠、目隠し実験で確認-独研究所
8月29日13時59分配信 時事通信
道に迷うと、同じ所をぐるぐる回ると昔から言い伝えられるが、ドイツのマックスプランク研究所の研究チームがこのことを実験で確認し、29日までに米科学誌カレント・バイオロジー電子版に発表した。目隠しをされた状態でも、最大20メートル程度は真っすぐ歩けるが、距離が長くなるにつれて曲がり、円を描いてしまう可能性が高かった。
これは、左右の脚の長さの微妙な違いが原因ではなく、太陽や月、山などの手掛かりがないと、方向や身体バランスの感覚のずれを修正できず、ずれが次第に大きくなってしまうためと考えられるという。
実験は、6人にドイツの暗い、平たんな森の中を数時間歩いてもらうほか、3人にサハラ砂漠を歩いてもらい、全地球測位システム(GPS)でコースを記録。さらに、15人に目隠しした状態で平らな場所を50分間歩いてもらった。
その結果、太陽が見えない曇った日に森を歩いた4人が円を描き、月が見えない夜に砂漠を歩いた1人は途中でUターンして逆戻りした。目隠しをした15人のうち、一定の方向に歩くことができたのは3人だけで、12人が何回もぐるぐると回った。円の直径は最も小さい場合、わずか20メートル程度だった。
千葉県・TDL(28)
2009.08.13 (Thu) | Category : トピックス
TDLの象徴ともいえる、シンデレラ城。
この建物は、遠近法(または強化遠近法)を使ってより遠くに(敷地をより広く)見せるための技法が使われているのをご存知だろうか。
遠くに見えるシンデレラ城へ向かって歩いてみると、
「あれ、こんなに近かったのか?」
と思われた方も少なくないと思う。
・周囲の原色に近い色を多用した建物に比べ淡色を使うことにより、遠くにあるように見せる
・石垣が上に向かうにしたがって小さく、細くなっている
・窓や扉などが上に向かうにしたがって小さくなっている
これらはシンデレラ城をより高く、より遠くに見せる技法である。
実際、シンデレラ城、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテン、ビッグサンダーマウンテンなどはほぼ同じ高さ(50m前後)なのだが、そうは見えないことからもわかるだろう。
この建物は、遠近法(または強化遠近法)を使ってより遠くに(敷地をより広く)見せるための技法が使われているのをご存知だろうか。
遠くに見えるシンデレラ城へ向かって歩いてみると、
「あれ、こんなに近かったのか?」
と思われた方も少なくないと思う。
・周囲の原色に近い色を多用した建物に比べ淡色を使うことにより、遠くにあるように見せる
・石垣が上に向かうにしたがって小さく、細くなっている
・窓や扉などが上に向かうにしたがって小さくなっている
これらはシンデレラ城をより高く、より遠くに見せる技法である。
実際、シンデレラ城、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテン、ビッグサンダーマウンテンなどはほぼ同じ高さ(50m前後)なのだが、そうは見えないことからもわかるだろう。
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