都市伝説・・・奇憚・・・blog
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兄との生活
2009.05.06 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
私が幼い頃、母兄私の3人で仲良く暮らしていまた。しかし兄が14歳になる頃母が事故死してからは親戚をたらい回しされ、私はまだ4歳でその時の記憶はほとんど無いのですが兄はかなり肩身の狭い思いをしたと言っていました。
我慢ができず兄は家を飛び出し幼い私は一人取り残されました、親戚の家では初めての女の子でまだ小さかったのもありかわいがってもらったのですがそれでも兄のいない寂しさは今でも覚えています。
1年ほど経った頃兄が私を迎えに来ました、住み込みで働ける所を見つけてきたのです。
親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び兄妹二人の貧乏生活が始まりました。
と言っても私は事の大変さが解っておらずいつもわがままを言い兄を困らせていました小学校に上がる時ランドセルを譲ってくれないかと中学生の家に行って町中を必死に探してきてくれたのに、回りの子と比べ新品じゃないとごねた事もありました。
人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても困って笑うだけで私を叱らない優しい兄が私が靴を万引きしたときはすごく叱りました。一時兄と気まずい時がありましたが事件から3日後玄関に新しい靴がおいてあるのです「やりくりすればこれくらい買えるんだからな」
と言うと仕事へ出って行った兄、こんなかわいらしい靴をどんな顔で買ったのやらと想像して笑って泣いた。
それからは私はわがままを言わず進んで兄の手伝いをしました。高校へ行かず働くと言ったは久々に兄
と喧嘩になったがガンコさに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活もたまに外食するくらい余裕が出てきた頃残念な事に兄が事故死しました。
散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが素敵な男性と出会い支えてもらいやっと立ち直れました。その男性と結婚が決まり結婚式前の夜、兄がやってきたのです
「お前が結婚か~」
とのんびりと話し出しました、その時私は何かの催眠術にかかった様に動けずしゃべれなかった、本当は大声で泣いて抱きつきたかったのに。
「あのな、今日は謝りに来たんや。お前が4つの時一人置いていった事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな、お前がわがまま言わんくなったとき俺はちょっとつらかった、高校へ行かんと言った時本当はこっそり泣いてんぞ、不憫で自分が情けなくて」
私はぽろぽろ涙を流しながら「何で謝るん?私の方がいっぱい謝らんなんのに…
ランドセルありがとう、制服も、学費も…靴今も大事に持ってるんよ…いっぱい迷惑かけてごめんね」心の中でそう言うと兄に聞こえたのか笑ってゆっくり消えて行った。
その日の夜は昔の夢を見ました。住み込みのボロアパートの前で兄と雪だるまを作っていました、母兄私の3つの雪だるまを楽しそうに作っているとこのころもう亡くなっているはずの母が現れ兄の手を取って
「じゃ行って来るね外は寒いからお家にはいってなさい」
と私に笑いかけました、私は何の疑いもなくうんと言うと走ってアパートの階段を駆け上がりました
後ろから兄が声をかけてきました
「おい、お前の事迷惑や何て思ったこと無いぞ。後、先に死んですまんな」
振り返った瞬間目が覚めました。
起きて号泣したせいで顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって本当は結婚式の写真は見たくないのですが何処かに兄が写ってるのでは?と何度も写真を見たものです。
今日は結婚記念日だったので思い出してみました。長文駄文におつき合いいただきありがとうございます。
我慢ができず兄は家を飛び出し幼い私は一人取り残されました、親戚の家では初めての女の子でまだ小さかったのもありかわいがってもらったのですがそれでも兄のいない寂しさは今でも覚えています。
1年ほど経った頃兄が私を迎えに来ました、住み込みで働ける所を見つけてきたのです。
親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び兄妹二人の貧乏生活が始まりました。
と言っても私は事の大変さが解っておらずいつもわがままを言い兄を困らせていました小学校に上がる時ランドセルを譲ってくれないかと中学生の家に行って町中を必死に探してきてくれたのに、回りの子と比べ新品じゃないとごねた事もありました。
人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても困って笑うだけで私を叱らない優しい兄が私が靴を万引きしたときはすごく叱りました。一時兄と気まずい時がありましたが事件から3日後玄関に新しい靴がおいてあるのです「やりくりすればこれくらい買えるんだからな」
と言うと仕事へ出って行った兄、こんなかわいらしい靴をどんな顔で買ったのやらと想像して笑って泣いた。
それからは私はわがままを言わず進んで兄の手伝いをしました。高校へ行かず働くと言ったは久々に兄
と喧嘩になったがガンコさに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活もたまに外食するくらい余裕が出てきた頃残念な事に兄が事故死しました。
散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが素敵な男性と出会い支えてもらいやっと立ち直れました。その男性と結婚が決まり結婚式前の夜、兄がやってきたのです
「お前が結婚か~」
とのんびりと話し出しました、その時私は何かの催眠術にかかった様に動けずしゃべれなかった、本当は大声で泣いて抱きつきたかったのに。
「あのな、今日は謝りに来たんや。お前が4つの時一人置いていった事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな、お前がわがまま言わんくなったとき俺はちょっとつらかった、高校へ行かんと言った時本当はこっそり泣いてんぞ、不憫で自分が情けなくて」
私はぽろぽろ涙を流しながら「何で謝るん?私の方がいっぱい謝らんなんのに…
ランドセルありがとう、制服も、学費も…靴今も大事に持ってるんよ…いっぱい迷惑かけてごめんね」心の中でそう言うと兄に聞こえたのか笑ってゆっくり消えて行った。
その日の夜は昔の夢を見ました。住み込みのボロアパートの前で兄と雪だるまを作っていました、母兄私の3つの雪だるまを楽しそうに作っているとこのころもう亡くなっているはずの母が現れ兄の手を取って
「じゃ行って来るね外は寒いからお家にはいってなさい」
と私に笑いかけました、私は何の疑いもなくうんと言うと走ってアパートの階段を駆け上がりました
後ろから兄が声をかけてきました
「おい、お前の事迷惑や何て思ったこと無いぞ。後、先に死んですまんな」
振り返った瞬間目が覚めました。
起きて号泣したせいで顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって本当は結婚式の写真は見たくないのですが何処かに兄が写ってるのでは?と何度も写真を見たものです。
今日は結婚記念日だったので思い出してみました。長文駄文におつき合いいただきありがとうございます。
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しるし
2009.05.05 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
祖母の三回忌の時に、お坊さんが教えてくれた話です。
子供が欲しくてもなかなか出来ずにいた夫婦に、念願の男の子が生まれた。
その夫婦は当然のように子供を溺愛し大切に育てていた。
しかし子供が6才になった時、海の事故で子供が溺死してしまったそうです。
その夫婦は、
『この子が生れ変って再びこの世に生を受けたら自分たちの元に来て欲しい』
との願いを込めて、子供の亡骸の足の裏に名前・住所・電話番号を書いて、送ったそうです。
そして数年後、夫婦のもとに一本の電話が・・・
その電話は、数年前に亡くした子供が生れ変ったことを知らせるものだったそうです。
電話の主は、他県の人でまったく面識のない人でその人の話では、数年前に生まれた子供の足の裏に生まれつきアザがあり成長とともにアザが人の書いた文字の様に見え、怖くなって霊能者に相談したところ住所と電話番号が書いてあることが判明し、連絡してきたそうです。
話をしてくれたお坊さんの友人の檀家の方で、実話だと言っていました。
今でも両家は、交流があるそうです。
子供が欲しくてもなかなか出来ずにいた夫婦に、念願の男の子が生まれた。
その夫婦は当然のように子供を溺愛し大切に育てていた。
しかし子供が6才になった時、海の事故で子供が溺死してしまったそうです。
その夫婦は、
『この子が生れ変って再びこの世に生を受けたら自分たちの元に来て欲しい』
との願いを込めて、子供の亡骸の足の裏に名前・住所・電話番号を書いて、送ったそうです。
そして数年後、夫婦のもとに一本の電話が・・・
その電話は、数年前に亡くした子供が生れ変ったことを知らせるものだったそうです。
電話の主は、他県の人でまったく面識のない人でその人の話では、数年前に生まれた子供の足の裏に生まれつきアザがあり成長とともにアザが人の書いた文字の様に見え、怖くなって霊能者に相談したところ住所と電話番号が書いてあることが判明し、連絡してきたそうです。
話をしてくれたお坊さんの友人の檀家の方で、実話だと言っていました。
今でも両家は、交流があるそうです。
硫黄島からの帰還
2009.05.02 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
335 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/23(土) 09:41:21 ID:wuYkGiGv0
781 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2006/12/20(水) 20:17:15 ID:U+KzDhYG0
まぁ、書くか
YS-11Mの機上整備員です
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが
「先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!」
「あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスにその話してみろ」
ロードマスターに上記の話をしたらどうも旧軍の霊らしいと日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も、定期便時(厚木→硫黄)は内地から和菓子、水、酒、弁当を1組積んで飛んでいきます。
こういう話も。
ある定期便か硫黄に向かうとき天候悪化で滑走路が見えずもう1度トライしてだめなら帰ると言うときに硫黄の滑走路端に灯りが見え無事にタッチ。
Pが礼を言いに行くと誰もサーチライトとかを付けてないと。
336 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/23(土) 09:41:52 ID:wuYkGiGv0
586 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/22(金) 21:57:33 ID:h5leYAsw0
前出のYS-11M機上整備員です。
実体験ですが
数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。
定刻に離陸なのですがいつもより滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。
夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというかひそひそ声でふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。
改めて寝直すと
「これで国に帰れる」
「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。流石に目が覚めて後部貨物室を見回してもなにも。。。。
海保さんもやや青ざめた顔で
「聴きましたか?」
と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが
「それで重かったのか、お盆も近いし」
と。
その後何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」
343 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/23(土) 14:06:46 ID:lNtaStWt0
硫黄島の方には冷たい水をあげるといい。
コップに入れて、どこでもいいから置いて、どうぞと勧める。
先日、関西ローカルのニュース番組で硫黄島の特集をやっていた。
暑い環境だったので、末期の水さえお湯だった。
それを知った人の中から、そう言うのが自然発生的に起こった。
中にはわざわざ冷蔵庫で水を冷やしてあげると言う。
それを聞いたレポーター(実はこの人の父は硫黄島で亡くなっている)がもしよければと水をと言っていた。
貴方が上のスレで涙されたのなら、今日だけでも冷たい水をあげてください。
その気持が向こうに届いて、救われると思います。
346 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:15:30 ID:YwzOOskS0
>343
ちょうど冷蔵庫で冷やしていたペットボトル入りの白湯があるのでさっきコップに入れて勧めてきた。
『とり散らかっておりますけれどどうぞ』って。
横にはふたを開けたペットボトルも。
冷たい水くらいしか用意できない己としてはせめてたくさん飲んで貰える様にと思う。
英霊の方たちが渇きを少しでも癒してくれるなら嬉しいんだけどね。
347 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:38:06 ID:dz5+r8Q30
私も、ベランダに冷たい水とタバコをお供えしたっす。
硫黄島で亡くなられた方達だけじゃなく、全ての英霊にと。
本当に、ほんの少しでも癒しになれたらいいな。
348 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:39:19 ID:8d6IHVSh0
734 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2006/12/23(土) 12:13:47 ID:kmUvrXC50
こういう話も
YS-11Mはもうよぼよぼの機体であっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が戻るか戻らないという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは霊の類は信じない人でしたがそれ以来硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。
781 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2006/12/20(水) 20:17:15 ID:U+KzDhYG0
まぁ、書くか
YS-11Mの機上整備員です
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが
「先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!」
「あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスにその話してみろ」
ロードマスターに上記の話をしたらどうも旧軍の霊らしいと日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も、定期便時(厚木→硫黄)は内地から和菓子、水、酒、弁当を1組積んで飛んでいきます。
こういう話も。
ある定期便か硫黄に向かうとき天候悪化で滑走路が見えずもう1度トライしてだめなら帰ると言うときに硫黄の滑走路端に灯りが見え無事にタッチ。
Pが礼を言いに行くと誰もサーチライトとかを付けてないと。
336 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/23(土) 09:41:52 ID:wuYkGiGv0
586 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/22(金) 21:57:33 ID:h5leYAsw0
前出のYS-11M機上整備員です。
実体験ですが
数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。
定刻に離陸なのですがいつもより滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。
夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというかひそひそ声でふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。
改めて寝直すと
「これで国に帰れる」
「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。流石に目が覚めて後部貨物室を見回してもなにも。。。。
海保さんもやや青ざめた顔で
「聴きましたか?」
と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を報告。
Pが
「それで重かったのか、お盆も近いし」
と。
その後何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」
343 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/23(土) 14:06:46 ID:lNtaStWt0
硫黄島の方には冷たい水をあげるといい。
コップに入れて、どこでもいいから置いて、どうぞと勧める。
先日、関西ローカルのニュース番組で硫黄島の特集をやっていた。
暑い環境だったので、末期の水さえお湯だった。
それを知った人の中から、そう言うのが自然発生的に起こった。
中にはわざわざ冷蔵庫で水を冷やしてあげると言う。
それを聞いたレポーター(実はこの人の父は硫黄島で亡くなっている)がもしよければと水をと言っていた。
貴方が上のスレで涙されたのなら、今日だけでも冷たい水をあげてください。
その気持が向こうに届いて、救われると思います。
346 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:15:30 ID:YwzOOskS0
>343
ちょうど冷蔵庫で冷やしていたペットボトル入りの白湯があるのでさっきコップに入れて勧めてきた。
『とり散らかっておりますけれどどうぞ』って。
横にはふたを開けたペットボトルも。
冷たい水くらいしか用意できない己としてはせめてたくさん飲んで貰える様にと思う。
英霊の方たちが渇きを少しでも癒してくれるなら嬉しいんだけどね。
347 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:38:06 ID:dz5+r8Q30
私も、ベランダに冷たい水とタバコをお供えしたっす。
硫黄島で亡くなられた方達だけじゃなく、全ての英霊にと。
本当に、ほんの少しでも癒しになれたらいいな。
348 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/24(日) 13:39:19 ID:8d6IHVSh0
734 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2006/12/23(土) 12:13:47 ID:kmUvrXC50
こういう話も
YS-11Mはもうよぼよぼの機体であっちを直すとこっちが壊れるというような機体で整備員泣かせですが厚木から向かった機がハイドロ漏れを起こしどうやっても治らない。
Pと硫黄島管制が戻るか戻らないという話を始めた少し後に漏れがぴたりと止まった。
この状態ならと言うことで硫黄島に到着。
エンジン部分を開けて点検をすると当該ハイドロポンプの漏れていた配管箇所に手の跡がくっきりと。
このときのPは霊の類は信じない人でしたがそれ以来硫黄島に行くたびに慰霊碑に手を合わせるようになったそうです。
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