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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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天使のような

2008.07.13 (Sun) Category : 誰も信じない人へ

俺の妹さ、俺が17の時死んだのよ。今からもう8年前。
まだ6歳でさ。末っ子で、男兄弟ばっかだから、兄貴も弟も猫かわいがりしてたね。
でも、元々病弱でさ、ちっちゃくてさ。
でも、めちゃくちゃ可愛くてさ、ちょっとしたことでも、泣くんだよ。 

「兄ちゃん、兄ちゃん」
って。いっつも俺の後ついてくんの。
街にあるケーキ屋のショートケーキが大好きでさ、一週間に一回ぐらい、バイト代で買ってやってた。
食ってるとき
「おいしいー」
って笑う妹が、とっても可愛くてさ、すっげぇ可愛くて…

妹が発作で倒れたって聞いて、俺、学校からバイク飛ばして中学校で弟拾って即効病院に行った。

色んな機械つけて、妹は寝てた。
おかんとばあちゃんが
「もうだめだぁ…」
って、なんかじいちゃんに拝んでるし。
「シノを連れてかんといて!お願いや」
って、じいちゃん、妹生まれてすぐに亡くなってる。 

シノを抱くことなく逝ってしまったじいちゃんは、死ぬ間際まで
「シノを抱っこしたいなぁ」
って言ってた。
俺が行って
「シノ!シノ!!」
って呼ぶと、意識が戻った。

「にーやん、あんねー、シノ、ショートケーキ食べたいん」
「いっぱい買って来てやるから死ぬな!寝るな!おきてんだぞ!」
って、俺はケーキ屋からあるだけのショートケーキ全部買ってきた。
でも、妹死んじゃったよ。
俺がショートケーキ買って来て、病室のドア開けると、妹が笑ってて、
「買ってきたぞ!シノ、食って元気出せ!」
って、一口食わしたら、
「おいしいー…ありがと、にいや」
って、笑って目を閉じてソレっきり。
すぐに、ピー―――――って、機械が。電気ショックとかやっても無駄だった。 

棺おけに入るときに、気に入ってた、おかんが作ってやった紺色の、フリルのいっぱいついたドレス着てた。
ばーちゃんが作ってやったお手玉もいれてやった。
お気に入りのテディベアも入れてやった。 

俺、一年ぐらい立ち直れんかった。
壁にさ、誕生日に妹がくれた
「にーやん達の顔」
って絵があってさ。 

まだ六歳だから下手糞でさ、でも、兄弟で笑ってんの。
俺と一番上の兄貴の間で、カチューシャ付けた妹が笑ってる絵。
もう、ソレ見るたびに泣けて来るんだよ。

でも、我が家でな、ちょっと不思議なことが起きるようになったのはそれからなんだ。
夜中に、ばーちゃんの部屋から声がすると思ったら、ばーちゃん(ボケてなくて、霊感あり)が、
「あぁ、じーさん、紫乃連れてきてくれたん。そう、その服気にいっとんのな、あぁ、そうかそうか、これて嬉しいか」
障子の隙間から見ると、ばーちゃんが笑ってんの。相槌まで打ってさ。
テーブルにお茶とジュースまで出してさ。
妹の好きな、地元の古い店が作ってる瓶のサイダー。 

俺、ついついばーちゃんの部屋あけちゃった。
そしたら、ばーちゃん、慌てもせずにさ
「ヒロトー、じいちゃんとシノがそこに来とる、挨拶せぇ」
って、俺にまでお茶出すし。
「これ飲んだら、かえるとこまで帰りんさい」
って、ばーちゃんは笑ってた。

まぁ、それくらいは序の口。

おかんが台所で、弟のおやつにホットケーキ作ってたら、作っといた一皿の、一枚の半分だけが無くなってんだって。
歯型ついてて。どう見てもシノの口の大きさでさ。
「あの子、ホットケーキも好きやったからなぁ」
って、ばーちゃんもおかんも涙してんの。
あとは、家に居るときに、シノの声を聞いたことは、全員ある。
おとんが、
「きっと、この家が好きで出て行かないんだろう」
って言ってたな。 

で、就職するからって東京で一人暮らし始めた。
その頃、好きな女もできて、告白しようか迷ってた。
ある日、夢ん中、妹とよく行った公園で、二人でベンチに座ってた。
「にーやんは、あの人すきなの?」
おかんが作ってやったフランス人形みたいなドレス着てさ、妹が笑ってんの。
向こう側のベンチに、俺の好きな人が座って、本を読んでて、それを指差しながら。
「うん」
って、俺が答えると、
「大丈夫、シノが何とかしたげる」
って笑ってた。

んで、しばらく経ったある日さ、その女の人から告白されてしまった。
それから、そのまま今に至るってわけで。 

結婚して、しばらく経って、実家に、シノとじーちゃんの墓参りに行った時、墓前でさ、俺の奥さんが言うんだよ。
「そういえばね、不思議な事があったの」
「なに」
「あなたに告白する前にね、不思議な子にあったの。新宿で買い物してたら、ちっちゃい女の子に声をかけられてね、紺色に白いフリルのドレス着てて…でね、『おねーさんは、にーやんのこと好きですか』って言われたの。 『にーやんってだれ?』って聞いたら、『大丈夫ー、おねーさんは、にーやんのお嫁さんになる、うちのにーやんもおねーさんの事好き』って言って、どっかに消えちゃったの。でね、その子が居なくなった後、不思議なんだけど、あなたの顔が頭に浮かんだの」 

「…シノ…」
しか、思い当たる所は無い。
そのことを、嫁に話すと、嫁は
「まさかー」
って笑ってたが、実家に戻って、茶の間に飾ってある、妹の写真見て、
「この子!!」
って、驚いてた。
あぁ、シノがくっつけてくれたんだ。 

で、またしばらくして、嫁が妊娠。
でも、ちょっと危なかった。
ある日、病院で、嫁の看護しながら、眠っちまった。
そしたら夢に、またシノが出てきた。 

「にーや、おとーさんになるの」
「そうだね」
また、公園だった。今度は俺の横に、腹が大きい嫁が座ってた。たまごクラブ読みながら。
「シノ、にーやの子供、守る」
って言って、
嫁も、
「お願いね」
って言ったら嫁の腹の中に入ってっちまったよ。
むしろ、消えたの方が正しいのか。 

目が覚めて、朝、嫁にその事を話したら、嫁も、同じ夢を見てたらしい。
で、嫁も
「お願いっていったら、おなかン中入ってっちゃった」
って笑ってて…

無事、生まれました、我が子。

健康な、女の子です。今年三歳になります。
しぐさが、妹に似てます。
笑い方とか、喋り方とかね。あと、性格とか、好きな物とか嫌いなものとか。
っていうか、妹の生まれ変わりだろうな。
っていうか、俺、親ばかになりました。
麻雀も、パチンコもやめたし、家にも早く帰るようになったし。

俺の実家に帰ると、もう、皆、猫っ可愛がり。
ばーちゃん大興奮。
おやじ、初孫の為にデジカメとデジタルビデオカメラ買いました。
おかん、連れてくと離しません。

とても元気で、いたずら盛りの我が娘、元気に育てよ。
まぁ、平和です、我が家。









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追い返される

2008.07.12 (Sat) Category : 誰も信じない人へ

去年の12月妹が交通事故にあった。
頭蓋骨骨折に脳挫傷、外傷性くも膜下出血、顔面骨折etcとヤバそうな病名?オンパレードで意識不明の重体だった。

どうにか峠を越したが意識不明の日々が続いたある日、妹がいきなり
「おじいちゃん」
と呟いて、目を覚ました。

回復してからその時のことを妹に尋ねると、
「おじいちゃんに追い返された」
と言う。
何でも、見知らぬ場所を歩いていたらいきなり母方の祖父(すでに死亡)が現れて
「帰れ」
と怒られたらしい。
その後のことは覚えていないが、気付いたら病室にいたと。

良く聞く話だとは思うが、まさか身内が体験するとは。
何はともあれ、じいちゃん、たった一人の妹を守ってくれてありがとう。
堅物でアナログな人だったからこのカキコは見れないかもしれないけど、気持ちだけでも届きますように。







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肘鉄

2008.07.12 (Sat) Category : 誰も信じない人へ

そのとき、振り回した私の肘が、側にいた青年の胸板に当たった。

「うっ!…」

彼はそう呻くと後ろに仰け反った…。
     ※     ※     ※
私が工事現場のガードマンをしていたときだから、もう10年以上前のことだ…。
その日は東京・目白の駅の近くのビル工事現場に来ていた。
普段は先輩のYさんが独りで切り盛りしているのであったが、その日は大型の工事車両の搬入が数十台予定されており、また現場前の道幅が狭く、大型車の車幅ぎりぎりしかないため、歩行者の誘導要員として、呼び出されていた。 

と、言ってもあらかじめ工事車両より無線で道路へ進入する連絡が入るので、ゆっくりと、歩行者を止め車を待てば良い手はずであり、楽勝の内容であった。

問題もなく作業は進み、ほとんどの予定車両は終了。あと数台を残すだけとなった。
あと数台で終わると、緊張が解けかけたそのとき、現場へ来客がやって来た。 

「おい、Nくん。お客さん来たから俺、監督呼んでくるね。ちょっとだけ独りで頼む!」 

先輩のYさんはそういうと、事務所へ監督を呼びに走っていった…。 

私は独り、無線を片手に工事車両からの連絡を待ちながら道路に立っていた。
5分、10分…Yさんは一向に戻ってくる気配はない。
無線からの連絡も無く、暇になった私は眼下に見える山手線をぼんやりと眺めていた…。

ブロロロロロ…

突然、大型車の排気音があたりに響いた。
私が顔を上げると、現場前の道路に工事車両がこちらに向かって走ってくる。
「や、やばい!」
私は辺りを見渡した。
幸い、学生達と数人の会社員風の男しかいない。
「今なら間に合う!」
私は、現場ゲートまで走って行った。
「すみません!工事車両が参りますので、少々お待ち下さい!」
私はそう叫ぶとと、私は手を大きく広げる動作をしながら、通行者へ背中を向けた。 

そのとき、振り回した私の肘が、側にいた一人の学生らしき青年の胸板に当たった。

「うっ!…」

彼はそう呻くと後ろに仰け反った。 

「ごめんなさい!」
目前に迫る工事車両を目の前に、私はろくに振り返りもせず、おざなりにお詫びをした。
すると、広げた私の手と青年の間に、サラリーマンらしき男2人が体を押し込んできた。
男ふたりは、体を使って私を前に押し出そうとしている。
「なんだ?、こいつら?」
業務の邪魔をされた私は、ぐっと足を踏ん張り、彼らをにらみ返した。
しかし、彼らは一向にひるむこともなく、私をにらみ返す。 

ゲート前では、ゆっくりと工事車両が入口前で切り回しながらゲートに入ろうとしている。
そのとき、ゲート前に戻ってきていたYさんと監督の姿が目に入った。
「○▼×↓※◎☆〒♀▲!!」
Yさんは泣きそうな顔をしながら、私に向かって声にならない声で何かを言っている。
両手はまるで私を拝んでいるかような仕草で、左右に振っている。
よく見ると、隣の監督も同じ様な仕草を繰り返していた。

やがて、工事車両がゲート内に入りきると、私の後ろの男達の威圧も収まった。
私は、ようやく両手を降ろすと、後ろの歩行者に対して懸命の笑顔を作り、
「お待たせいたしました、どうぞお通り下さい!」
と、会釈をしながら頭を下げた。 

しかし男達は歩き出さずに私を挟んで立っている。
男の、向こうを学生らしき若者達が通り過ぎて行く。
その中に私がエルボー(肘打ち)を食らわせた青年の姿が見えた。 

私は即座に、
「さっきは、ごめんね!痛かった?」
と、大きな声をかけた。
青年は、こちらを向き「にこり」と笑いながら
「大丈夫!」
と言うように軽く手を振ると、周りの友達と話しながら歩いていった。
そして青年が去ると、男達も私から離れて去っていった。

現場前では、Yさんと監督が、四つん這いになって肩を震わせていた…。
私は、何が起きたのかわからず、その場に立っていた。
     ※     ※     ※
その数週間後、何気なくテレビを見ていた私に、あの青年の婚約発表が飛び込んできた。
「礼宮さま、ご婚約!(現:秋篠宮殿下)」
プロポーズした場所は、現場前の道路出口の交差点だった…。


戦前なら、きっと処刑されていたなぁ…。









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消えないろうそく

2008.07.10 (Thu) Category : 誰も信じない人へ

祖母は今年71歳。とある農家の7人兄弟の6番目に生まれた子です。
長兄は戦争後復員され、今もご存命ですが次兄・三兄の方はそれぞれ、フィリピン(だったかな?)戦線・沖縄本土決戦にて戦死され祖母の妹にあたる四女の方は幼くして病死。
戦後生き残ったのは、長兄・長女・次女・三女(祖母)だったそうです。

それぞれの方に、ちょっとずつ不思議なエピソードがあるのですが今回は、祖母のお姉さんに当たる方のお話です。
それが長女の方か、次女の方かは覚えていません。ごめんなさい(汗 

祖母のお姉さんお二人は、それぞれ乳癌と脳関係でお亡くなりになっています。
乳癌でなくなった方のお姉さんは、お子さんが女の子ひとりきりでよく祖母に
「あんたのとこの子を一人くれ」
と言っていたとかいないとかで私の母や叔母がしょっちゅう遊びにいっていた経緯で私や私の妹弟も、随分と可愛がってもらった思い出があります。

随分と長い間、乳癌と闘っている間は
「押しかけてもご迷惑だ」
という両親の判断でお見舞いに行くこともかなわなかったのですが。

5年前、私と妹が親元を離れている時期に(確か春先に)、その大伯母はなくなりました。
葬式には父母と弟が参列したと後で聞きましたが、大伯母が無くなった際、配偶者である大伯父はたいそう悲しんで大伯母の戒名と一緒にご自分の戒名もつけてもらっていたそうです。
(生存者の戒名は、墓石や位牌に赤字で彫られるんですね)

夏休み、帰省した際に大伯母の戒名の記載されたハガキを見つけ
「里帰りついでに、仏壇におまいりしてこよう」
という話になり私はなんとなく、その戒名を眺めていました。 

鑑賞用の菊を趣味で世話していた大伯母らしく、戒名には菊や香といった漢字が並んでいたように思います。 

大伯父の家に行って仏壇に手を合わせ、火をつけたろうそくを消そうとしました。

母は小さい頃から私に
「仏壇のろうそくは息で吹き消しちゃだめだよ。必ず手で仰いで消しなさい。 仏様が何か言いたいとき、まだ帰らないで欲しいときは絶対消えないんだから。そのかわり満足してくれたら、すっと消させてくれるんだ」 

と教えてくれたとおり、そのときも手であおいで消そうとするのですがろうそくはなかなか消えてくれません。

室内で風もないのに、ゆらゆら揺れてたり、大きく膨らんだり縮んだりする炎をみて母と
「おばちゃん、まだいなさいって言ってるんだね」
と話していました。

ふと、仏壇真正面に安置されている大伯母の位牌が気になりました。 

「・・あれ?おばちゃんの戒名、覚えてきたのと違う・・」

最初は私の勘違いかと思って言い出せなかったのですが次になんとなくそわそわするので、部屋をぐるっと見渡すと、後ろの壁に戒名をしたためた紙が貼ってあるのに気がつきました。
近寄ってみてみると、その紙は出発前に覚えてきた戒名と同じ漢字が並んでいました。

「ねぇ、おじちゃん。おばちゃんの戒名間違って彫ってあるよ、多分」

大伯父が驚いたのは言うまでもありません。
それまで数ヶ月、毎日自分も手を合わせてきた妻の位牌が間違って彫られているとは・・。
大伯父をはじめ、お参りしてくれた沢山の方々も気づかなかったそうです。 

これは彫り直してもらわなきゃねーって話をした後、ろうそくの炎を軽く手で仰ぐと、本当に何の抵抗もなくふっと消えたのです。 

帰りの車の中で、ちょっとしんみりしながら
「おばちゃん、名前が違うーって言ってたんだね」
って話を母としました。







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本当の親子のよう

2008.07.09 (Wed) Category : 誰も信じない人へ

思いつくままつらつら書いたので長くなってしまいました。
苦痛な方はどうぞスルーしてください。苦労を支えあった義母との思い出です。

私が妊娠7ヶ月ごろのこと。大阪で娘家族と暮らしていたダンナのおかあさんが突然東京にいる私達と一緒に暮らしたいと言ってきた。
義姉は性格がかなりキツく、あきれるほどお金に汚い人で、きっといろいろあったのだろう。
義母は
「我が子ながら・・・くたびれた」
とつぶやいた。 

疲れ果てた義母を快く迎えてあげたかったのだが、そのときの私にはかなりの覚悟が必要だった。
なぜなら、ダンナは全く働かず、大きなお腹の私の収入でカツカツの生活をしていたからだ。
生まれてくる赤ちゃんにかわいらしいベビー服を用意してやるどころか、ダンナの借金もあり、赤ん坊を抱えて今後どうやって働いていくのか先が見えない状況だった。

が、義姉の
「かあちゃんそっちに送るからな!」
という一言で私の心は決まった。
母親をまるで荷物扱いの口調が許せなかった。
何不自由ない生活は無理っぽいけど、今より心穏やかな生活はさせてあげれる。
今だって苦労してるんだし、お義母さん一人増えたところで苦労ついでだわ・・・ 

そう決心すればあとはなにも躊躇する理由はない。
私は最大限の歓迎の気持ちをこめて、義母を迎えた。
小さなカバンひとつ持って、駅のホームに降り立った義母の姿を初めて見たとき(この時が初対面)私は心の底から安心感を覚えた。
それは義母に対する同情ではなく、実の母に対する愛情と同じものだった。
初めて会う人にそんな感情を抱くのが不思議だったが前世というものがあるのなら、義母と私はその昔、本当の親子だったのかもしれない。 

実際、私と義母は本当の親子のように仲がよかった。
よく話し、そしてよく笑った。親子げんかもした。
仕事で遅く帰ってくる私を、義母は寝ないで待っていてくれた。
二人でホットミルクを飲みながら、寝るまでのわずかな時間、義母はアルバムを開いては自分の半生を私に語った。
それはむすこであるダンナも知らない話ばかりで、語るというよりも私に伝える作業に似ていた。

私は女の子を出産した。
義母もとても喜んでくれた。そして私に、
「あんた、次もすぐだよ。次は男の子や。」
そういった。
「ええっ!冗談じゃないですよぉ。これ以上はやってけないですよぉ。」
「いやいや。そうじゃない。これは決まりごとだからね。大丈夫。いい子に育つよ。宝物だよ。」
そう言って、義母はにっこり微笑み赤ちゃんにほおずりした。

出産したからといって休んでいる暇は私にはなかった。
なにせ食い扶持がまたひとり増えたのだから。飢えさせてなるものか。
退院するとすぐにまた働き出した。
そんな生活でも私は確かに幸せだった。
幸か不幸かは自分で決めるものだとつくづく思う。
義母も幸せであったと信じたい。 

そんな中、義母が突然「大阪に帰りたい」と言い出した。
孫の顔も見せてもらった。あんたにも会えた。
次の孫の顔を見れないのが心残りだけどしょうがない。生まれ育った大阪で死にたい・・・・と。
とても元気な義母から「死ぬ」という言葉を聞き、不自然な不安を感じたのだが引き止めてはいけないような気がした。 

で、義母の気持ちに沿えるように、義母にはちょっと待っててもらってお金の工面をしたり、義姉と交渉したりして、義姉の近所にアパートを借りることができた。

義母を送り出した日、手を振る義母の姿を最後にするつもりは毛頭なかったのに。 

三ヶ月ほど経った頃だろうか。
義姉から義母が亡くなったという連絡を受けた。
無意識に覚悟をしていたのか、その連絡を私は厳粛な気持ちで受け止めた。
しかし、お葬式に行き、義母の遺品整理のため義母のアパートを訪れた時は胸をかきむしられた。
広告の裏に几帳面な小さな文字で、ここに来てからの家計簿が記されていた。 

わずかな年金と、わずかな私の仕送りを細々と書き記す義母の姿を思うといたたまれなかった。
何もしてあげられなかったと思う。
おいしいものをたくさん食べさせてあげたかったし、旅行にも一緒に行きたかった。
義母のために何かをプレゼントもしたかった。
結局なにもできずじまい。
心の中で義母に詫びた。

悲しみふさぐ気持ちを払拭してくれたのが義姉だった。
義姉も、義母が大阪に戻ってきた時に私と同じような予感を感じたらしい。
そして彼女は母親に生命保険をかけたのだ。
悲しみは義姉に対する怒りにかわった。 

「この金はあんたにやる義理はないからな!」
「面倒みて何ももらえんとおあいにくさまやな。」
そんな下品な言葉を聞き、一発なぐってやろうかとさえ思った。
だが義母の霊前でその娘をなぐるわけにもいかず、どんな無神経な発言も耐えることにした。
義姉を憎む気持ちはお葬式から帰ってきてからも消えなかった。 

深夜、ふと人の気配で目が覚めた。
見れば義母が正座して私を見つめている。
驚いて
「お義母さん、どうしたの!?」
と、飛び起きてたずねた。
すると頭の中に直接義母の声が響いた。
「あんたになにも残してあげれなくてごめんな。」
そういって、義母は畳に手をついて頭を下げた。 

いよいよ驚いて、私も布団の上に正座して
「そんなこと、なんにも思ってませんってば!!」
「○子(義姉の名前)のこと、許してやってね。あの子も今つらいんや。許したってね。」
母親の気持ちは母親になれば痛いほどわかる。
どんな子供であってもかわいいし、子供の欠点は自分のせいだと自分を責めるし、ましてや子供が苦しんでいるのなら自分が死んでたって心配するものだ。 

私も手をついて義母に頭を下げた。
「お義母さんごめんなさい。もうお義姉さんのこと許したから。もう悪く言いません。」
そういって頭を上げると、義母はすーっと消えていった。
私は布団の上に正座したまま、しばらく、義母と会話をした幸せな余韻を楽しんでいた。

義母とはその後、もう一度再会した。
義母の予言どおり、私はすぐに男の子をみごもり、そして出産。
ダンナの改心を願っての出産だった。
しかし願いは届かず、あいかわらず働かないのだ。二人の子供の父親なのに。
私は全てに失望しかけていた。生活に疲れすぎていたんだと思う。 

ある朝、仕事に行く時間が迫っても私はがんばる気力が出なくて
「仕事行きたくない・・・」
などとぼんやり考えながら椅子に座っていた。
私ばっかりなんでこんなにつらいんだろ・・・そう思うと涙がでそうになった。
その時だった。

「この甲斐性なしっっっ!!!!」

突然頭の中にとどろいた怒鳴り声。しかしそれはなつかしい、まぎれもなく義母の声だった。
びっくりして顔を上げると目の前に義母が立っていた。
義母は生まれたばかりの息子をだっこしている。
そして、
「この子を飢えさせる気?」
と言わんばかりの表情で、私に息子を突きつけてきた。

「あのぉ・・・甲斐性なしはあなたのむすこさんなんですけど・・・」
そうつぶやいてみたら、なぜだか急に笑えてきた。
きっと義母は何度もダンナの尻を叩きにきていたに違いない。
そのたびに
「やれやれ・・」
と消えては、また何度も出直す義母の姿を想像すると可笑しくて。 

ひとしきり笑ったら元気がでた。
「そうだね、がんばらなくっちゃね。ありがとう、お義母さん。」
そういうと、義母はにっこり微笑み、
「大丈夫だから。」
と言い残して消えていった。

ふいに赤ん坊の泣き声が聞こえた。いつから泣いていたんだろう。
泣き声が耳に入らないほど、私はどうかしていた。
もしかしたらノイローゼの一歩手前だったのかも。
それを義母が叱って助けてくれたものだと思っている。

きっとずっと見守っていてくれたのだと思う。
自分の努力で切り開いて生きてきたと思っていたけど、振り返れば、信じられないほどの幸運と転機がいくつもあった。
ダンナとはその後、離婚することになってしまったが。義母も理解してくれていると思う。 

現在、子供ふたりとも高校生。あっというまです。
娘はますますきれいに、息子は私を見下ろすぐらいに大きくたくましい青年に。
ふたりとも大学へむけての勉強に忙しくしています。
でも、仕事で忙しい私を気遣って、家事を分担してやってくれるやさしい子供達です。 

経営する会社も今のところ順調で、親孝行をする余裕もできました。
たくさん心配をかけた両親と、旅行に行ったり買い物をしたり。
そんなときには、心の中に必ず義母がいます。

義母との思い出をここに投稿させてもらったのは、先日義母と十数年ぶりに再会したからです。
その日は娘の誕生日でした。
夜中目を覚ますと、義母がまた正座して私を見ていました。
私もまた、義母と向かい合うようにベッドの上に正座しました。 

義母は何も言いません。ただ微笑んで「うんうん。」とうなずいているだけでした。
やがて静かに立ち上がるとすーっと消えていきました。
きっと私が建てた家を見に来てくれたんだろうと思います。義母に見せたかったから。
そして大きくなった孫を見て、私を誉めてくれたんだと思います。 

ここまでこれたのはあなたのおかげです。消えていく義母の後姿に手をついて頭を下げました。
その瞬間、義母と過ごした光景が鮮明に脳裏にうかびあがりました。
それは二人でよく行ったあの公園のベンチ。並んでアイスクリームを食べたあの日の光景。

義母は、娘としたかったことを全部私にしてくれたんだと・・・
私を嫁ではなく娘として愛してくれていたんだと、改めて気づきました。
そう思うと涙がぽろぽろこぼれて、頭を上げることができませんでした。
またいつか、義母に会いたい。
そして来世というものがあるのなら、また巡り会いたい。
私には母が二人います。
なんて幸せなことなんでしょう。

義母への感謝をなにかの形で書き残したく思いました。
長文、駄文、失礼しました。









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