都市伝説・・・奇憚・・・blog
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爺ちゃんありがとう
2015.08.14 (Fri) | Category : 誰も信じない人へ
179:1/2:2015/06/20(土)04:27:28ID:N0G×
数年前、父方の曽祖父の三十三回忌が行われ、親戚が集まった際に聞いた話。
曽祖父は鳶職で、地元の神社の祭礼を仕切ったり、地元では有名な人だった。
そして、子供好きでも有名だった。
小学校の設備が壊れたといえば、お金を寄付したり、人手が足りないといえば若い衆を引き連れて駆けつける。
昭和54年10月。
今も記録に残る世界で最も低い中心気圧の台風が日本にやってきた時のこと、小中学校は臨時休校となり、地元の川は大氾濫。
今も昔もそんな時に
「川を見に行こう」
という馬鹿ガキはいるもので、小学生3人が川に流された。
うち2人はすぐに助けられたのだが、残る1人は行方不明。
激しさを増し続ける豪雨と強風に
「こりゃもう流されたんだろう」
と、警察も消防も二次災害を恐れて捜索を諦めた頃、町内会の集会場に、行方不明の子が1人で歩いてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と泣きながら、全身ずぶ濡れになりながら。
流されたと思っていた大人たちはビックリして、どうやって助かったんだと聞くと、
「鳶の○○ジイサン(うちの曽祖父)に助けてもらった」
と。
子供の話しによれば、グングン流されて、鼻まで川の水に沈んだ瞬間、川の中で鳶のジイサンがガッシリ抱えてくれて、
「ナニをやっとるか、バッカモン!」
と叱りながら、岸まで泳いで助けてくれた、と。
子供が岸で泣いていると
「この道を真っすぐ行けば帰れるから。早く帰りなさい! 早くしないと拳骨だぞ!」
そして、鳶のジイサンは、子供と反対方向に歩いて行った、と。
数日後、その子どもと両親とが、我が家へ挨拶に来たのだが……
我が家はびっくり仰天、曾祖母は
「絶対にうちの父ちゃんじゃない」
と。
しかし、子供の言う特徴の、老鳶職人といえば、ここいらあたりでは御宅の親方に違いないと言い張る。
曾祖母「絶対に違う。だって、うちの父ちゃんは、台風が来る2日前から入院しているんだから」。
台風の当日も、曾祖母は病院にずっと付き添っていて、
「あの日、父ちゃんはずっと眠っていて、病室から一歩も出なかった」
(癌で投薬していて、意識がなかった)。
親子が首を傾げながら帰っていった後、曾祖母が念のため、柳行李に仕舞っていた曽祖父の鳶半纏を確かめると……
自慢の鳶半纏がぐっしょり濡れている。
「まさか」
と裏口の下駄箱に入れてある地下足袋を見ると、これまたぐっしょり……
(続きは『続きを読む』をクリック)
数年前、父方の曽祖父の三十三回忌が行われ、親戚が集まった際に聞いた話。
曽祖父は鳶職で、地元の神社の祭礼を仕切ったり、地元では有名な人だった。
そして、子供好きでも有名だった。
小学校の設備が壊れたといえば、お金を寄付したり、人手が足りないといえば若い衆を引き連れて駆けつける。
昭和54年10月。
今も記録に残る世界で最も低い中心気圧の台風が日本にやってきた時のこと、小中学校は臨時休校となり、地元の川は大氾濫。
今も昔もそんな時に
「川を見に行こう」
という馬鹿ガキはいるもので、小学生3人が川に流された。
うち2人はすぐに助けられたのだが、残る1人は行方不明。
激しさを増し続ける豪雨と強風に
「こりゃもう流されたんだろう」
と、警察も消防も二次災害を恐れて捜索を諦めた頃、町内会の集会場に、行方不明の子が1人で歩いてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と泣きながら、全身ずぶ濡れになりながら。
流されたと思っていた大人たちはビックリして、どうやって助かったんだと聞くと、
「鳶の○○ジイサン(うちの曽祖父)に助けてもらった」
と。
子供の話しによれば、グングン流されて、鼻まで川の水に沈んだ瞬間、川の中で鳶のジイサンがガッシリ抱えてくれて、
「ナニをやっとるか、バッカモン!」
と叱りながら、岸まで泳いで助けてくれた、と。
子供が岸で泣いていると
「この道を真っすぐ行けば帰れるから。早く帰りなさい! 早くしないと拳骨だぞ!」
そして、鳶のジイサンは、子供と反対方向に歩いて行った、と。
数日後、その子どもと両親とが、我が家へ挨拶に来たのだが……
我が家はびっくり仰天、曾祖母は
「絶対にうちの父ちゃんじゃない」
と。
しかし、子供の言う特徴の、老鳶職人といえば、ここいらあたりでは御宅の親方に違いないと言い張る。
曾祖母「絶対に違う。だって、うちの父ちゃんは、台風が来る2日前から入院しているんだから」。
台風の当日も、曾祖母は病院にずっと付き添っていて、
「あの日、父ちゃんはずっと眠っていて、病室から一歩も出なかった」
(癌で投薬していて、意識がなかった)。
親子が首を傾げながら帰っていった後、曾祖母が念のため、柳行李に仕舞っていた曽祖父の鳶半纏を確かめると……
自慢の鳶半纏がぐっしょり濡れている。
「まさか」
と裏口の下駄箱に入れてある地下足袋を見ると、これまたぐっしょり……
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四十九日までは
2015.08.09 (Sun) | Category : 誰も信じない人へ
571:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/08/06(木)08:18:58.35ID:TyN4WKYs0.net
怖い話とはちょっと違うんだけど
572:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/08/06(木)08:19:25.43ID:TyN4WKYs0.net
この四月の第土曜日のことなんだが、自分は中学校に勤めていて、その日は部活動の指導があって学校に出ていた。
その後、午後から職員室で仕事をしてた。そのときはもう二人男の同僚が来てた。
そしたら急に職員室のドアがガラガラって開いて、3月までその学校にいて転任した先生が
「どうも」
と言いながら入ってきた。
でも、その先生は春休み中に自分の子供を連れて山スキーに行って、立木に頭をぶつけ、おそらくその影響で一時間ほど後に尾根から転落して亡くなってるんだ。
葬式は内輪でやったので呼ばれなかったけど、自分は家にお線香をあげに行ってるんだ。
こっちも
「どうも」
と言い返したら、その先生は、
「山滑りに行くのはいいよな。また行きたいな」
と言い、職員室の後ろに置いてある来客用のソファに背中から滑りこむような格好をして、反対側から立ち上がり、
「じゃ」
と言って出て行ったんだ。
(続きは『続きを読む』をクリック)
怖い話とはちょっと違うんだけど
572:本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/08/06(木)08:19:25.43ID:TyN4WKYs0.net
この四月の第土曜日のことなんだが、自分は中学校に勤めていて、その日は部活動の指導があって学校に出ていた。
その後、午後から職員室で仕事をしてた。そのときはもう二人男の同僚が来てた。
そしたら急に職員室のドアがガラガラって開いて、3月までその学校にいて転任した先生が
「どうも」
と言いながら入ってきた。
でも、その先生は春休み中に自分の子供を連れて山スキーに行って、立木に頭をぶつけ、おそらくその影響で一時間ほど後に尾根から転落して亡くなってるんだ。
葬式は内輪でやったので呼ばれなかったけど、自分は家にお線香をあげに行ってるんだ。
こっちも
「どうも」
と言い返したら、その先生は、
「山滑りに行くのはいいよな。また行きたいな」
と言い、職員室の後ろに置いてある来客用のソファに背中から滑りこむような格好をして、反対側から立ち上がり、
「じゃ」
と言って出て行ったんだ。
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ヒョットコと落書き
2015.08.08 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
828:本当にあった怖い名無し:2014/01/11(土)03:01:04.15ID:asJabj/z0
この正月に少しほんのりした出来事
40数年前、私が小1だった時のこと
同居していた祖父が、8畳の茶の間の白ふすま四枚に墨汁でびっしり「遺言」を書いてしまった
長くガンを患っていて、本人も死を覚悟していたのだろう
子供の私に内容は読めなかったが、大酒飲みで洒脱な祖父らしく、遺書のところどころにヒョットコの顔や、徳利と盃の絵が描かれていたのを覚えている
場所が茶の間だから、孫の私や弟を喜ばせようとしたのかもしれない
その翌年に祖父は亡くなり、相続税を払うため我が家はその家を人手に渡して手狭な家に移った
遺書が記されたふすまは、引っ越し時に処分されてしまったらしい
あとから知ったのだが、そのふすまは遺言に必要な体裁を整えておらず法的には無効だったそうだ
それでも一応形見の品なので、屏風か掛け軸にでも仕立て直せば良かったのにと思うが
相続でてんやわんやだった両親にはそんな精神的余裕がなかったのだろう
写真の一枚も撮っておらず、幼かった弟にはそのふすまの記憶がないので祖母と両親が亡くなった今、「遺言のふすま」をハッキリ覚えているのは私一人となった
829:本当にあった怖い名無し:2014/01/11(土)03:04:56.26ID:asJabj/z0
その後、私は結婚して一人娘をさずかり、その娘も結婚して男の子をもうけた
現在、娘は第二子妊娠中でおなかが大きく、4歳の息子を連れて実家に戻るのはキツイので正月2日に主人と一緒に娘夫婦のマンションを訪ねた
すると、リビングの壁一面に白い紙が貼られ、孫息子が描いた色とりどりの絵が踊っている
いくら叱っても落書きをやめないので、紙を貼って自由に描かせることにしたのだそうだ
へえー、と笑いながら孫の落書きをながめていて、私は思わずギョッとした
何故かそこだけ黒いサインペンで、ヒョットコのような顔と、徳利と盃らしきものが描かれている
娘に
「これ、ヒョットコ?」
と聞くと、
「漫画のキャラでしょ。R(孫の名)はヒョットコなんて知らないわよ」
徳利と盃を指して孫にも
「これ何?ジュース?」
と聞いてみたが、彼は
「うーん?」
と気まずそうに首をひねって答えてくれなかった
偶然だとは思うが、、、、
孫が祖父のように大酒飲みになって肝臓を傷めないことを祈るばかりですw
この正月に少しほんのりした出来事
40数年前、私が小1だった時のこと
同居していた祖父が、8畳の茶の間の白ふすま四枚に墨汁でびっしり「遺言」を書いてしまった
長くガンを患っていて、本人も死を覚悟していたのだろう
子供の私に内容は読めなかったが、大酒飲みで洒脱な祖父らしく、遺書のところどころにヒョットコの顔や、徳利と盃の絵が描かれていたのを覚えている
場所が茶の間だから、孫の私や弟を喜ばせようとしたのかもしれない
その翌年に祖父は亡くなり、相続税を払うため我が家はその家を人手に渡して手狭な家に移った
遺書が記されたふすまは、引っ越し時に処分されてしまったらしい
あとから知ったのだが、そのふすまは遺言に必要な体裁を整えておらず法的には無効だったそうだ
それでも一応形見の品なので、屏風か掛け軸にでも仕立て直せば良かったのにと思うが
相続でてんやわんやだった両親にはそんな精神的余裕がなかったのだろう
写真の一枚も撮っておらず、幼かった弟にはそのふすまの記憶がないので祖母と両親が亡くなった今、「遺言のふすま」をハッキリ覚えているのは私一人となった
829:本当にあった怖い名無し:2014/01/11(土)03:04:56.26ID:asJabj/z0
その後、私は結婚して一人娘をさずかり、その娘も結婚して男の子をもうけた
現在、娘は第二子妊娠中でおなかが大きく、4歳の息子を連れて実家に戻るのはキツイので正月2日に主人と一緒に娘夫婦のマンションを訪ねた
すると、リビングの壁一面に白い紙が貼られ、孫息子が描いた色とりどりの絵が踊っている
いくら叱っても落書きをやめないので、紙を貼って自由に描かせることにしたのだそうだ
へえー、と笑いながら孫の落書きをながめていて、私は思わずギョッとした
何故かそこだけ黒いサインペンで、ヒョットコのような顔と、徳利と盃らしきものが描かれている
娘に
「これ、ヒョットコ?」
と聞くと、
「漫画のキャラでしょ。R(孫の名)はヒョットコなんて知らないわよ」
徳利と盃を指して孫にも
「これ何?ジュース?」
と聞いてみたが、彼は
「うーん?」
と気まずそうに首をひねって答えてくれなかった
偶然だとは思うが、、、、
孫が祖父のように大酒飲みになって肝臓を傷めないことを祈るばかりですw
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