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8周年記念百物語No86:あの子怖いから
2013.10.01 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
53 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2007/05/16(水) 00:25:52 ID:Pwwnp9zB0
ラジオか何かで聞いた話。
どっかの中学校にいじめられて自殺しちゃった女の子がいたんだけど、生前良くしてくれた友人の枕元に毎晩出てきたんだって。
で、あまりに毎晩出るもんだから友人は怒って
「なんで私のところに来るの?化けて出るならいじめたあいつらのところでしょ!」
って叱りつけたんだって。
そしたら女の子は
「だって・・・あの子怖いから・・・」
とか言ったらしい。
その後友人に励まされて、女の子はいじめた子の所に行ったそうな。
このスレ読んで、霊になっても嫌なものは嫌なんだなーと思ってこの話思い出した。
ラジオか何かで聞いた話。
どっかの中学校にいじめられて自殺しちゃった女の子がいたんだけど、生前良くしてくれた友人の枕元に毎晩出てきたんだって。
で、あまりに毎晩出るもんだから友人は怒って
「なんで私のところに来るの?化けて出るならいじめたあいつらのところでしょ!」
って叱りつけたんだって。
そしたら女の子は
「だって・・・あの子怖いから・・・」
とか言ったらしい。
その後友人に励まされて、女の子はいじめた子の所に行ったそうな。
このスレ読んで、霊になっても嫌なものは嫌なんだなーと思ってこの話思い出した。
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8周年記念百物語No55:樵面
2013.09.30 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
836:1/12:2005/12/11(日) 20:07:10 ID:CUnu3Rn40
私が生まれる前の話なので、直接見聞きしたことではなく、その点では私の想像で補ってしまう分もあることを先に申しておきます。
それから地名、人名等は仮名としました。もったいぶった始め方ですが、この話の終わりには家の戸口に影が立つこともあるかも知れません・・・
私の生まれた村はつい先日合併によって閉村し、別の名前の町に生まれ変わりました。
しかし千羽神楽の名は残っています。
室町時代から脈々と続くこの夜神楽は、かつて村の4つの家によって継承されてきました。
稲には実りを、また山には厳しい寒さをもたらす神々を、歓待し楽しませるための舞を踊るのです。
村にある神社を1年間で順繰りに回り、氏子たちが見守る中で夜が更けるまで舞い続けます。
舞うのは4つの家の太夫と、かつては決まっていたようですが現在では1家を除いて家筋の消息が不明となり、若者不足も重なって舞太夫には誰でもなれるようになっています。
もともと4家に神楽を伝えたのは熊野より落着した日野家であると、資料にはあります。
当主であった日野草四郎篤矩がそのとき持参したといわれる神楽面が、のちに村の家々の戸口に影を立たせることになるのです。
837:2/12:2005/12/11(日) 20:09:57 ID:CUnu3Rn40
千羽神楽では素面の舞もありますが、面をつけての舞がほとんどです。
神楽面は舞太夫が人から人外のものへと変わるための装置であり、衣装を合わせ面をつけた時、それは太夫ではなく鬼神や魔物そのものが舞っているものとして認識されます。
そのため、神社の中とはいえ人の領域の内に鬼神を招くための結界として、はじめに注連縄が張られるのです。
受け継がれてきた古い面には力があり、けして粗末な扱いをしてはならないとされています。
江戸中期に記された『千羽山譚』には、
「特に翁の面は怪力を持ち他の面と同じ行李に入れていては、他の面を食い破る」
という不気味なことが書かれており、現在も神楽面の中で唯一翁面だけが竹で編んだ小さな行李に単独で保管されています。
私の父はこの翁面の舞手でしたが、いつもこの面を着けるときだけは手に汗が浮くと言っていました。
さて、室町時代より500年にも亘って続く千羽神楽ですが、その長い歴史の中で演目が亡失するということもあったようです。
千羽郷に赴任された役人の古河伝介が記したという『千羽山譚』や、その他の旧資料に現れる神楽の記述によると、 もう舞われなくなっている4つの舞があることがわかります。
このいずれも、面も祭文も残っておらず、資料の挿絵によって衣装が辛うじてわかるくらいでした。
ことの発端は、この失われた舞が復活する次第よりはじまるのです。
(続きは『続きを読む』をクリック)
私が生まれる前の話なので、直接見聞きしたことではなく、その点では私の想像で補ってしまう分もあることを先に申しておきます。
それから地名、人名等は仮名としました。もったいぶった始め方ですが、この話の終わりには家の戸口に影が立つこともあるかも知れません・・・
私の生まれた村はつい先日合併によって閉村し、別の名前の町に生まれ変わりました。
しかし千羽神楽の名は残っています。
室町時代から脈々と続くこの夜神楽は、かつて村の4つの家によって継承されてきました。
稲には実りを、また山には厳しい寒さをもたらす神々を、歓待し楽しませるための舞を踊るのです。
村にある神社を1年間で順繰りに回り、氏子たちが見守る中で夜が更けるまで舞い続けます。
舞うのは4つの家の太夫と、かつては決まっていたようですが現在では1家を除いて家筋の消息が不明となり、若者不足も重なって舞太夫には誰でもなれるようになっています。
もともと4家に神楽を伝えたのは熊野より落着した日野家であると、資料にはあります。
当主であった日野草四郎篤矩がそのとき持参したといわれる神楽面が、のちに村の家々の戸口に影を立たせることになるのです。
837:2/12:2005/12/11(日) 20:09:57 ID:CUnu3Rn40
千羽神楽では素面の舞もありますが、面をつけての舞がほとんどです。
神楽面は舞太夫が人から人外のものへと変わるための装置であり、衣装を合わせ面をつけた時、それは太夫ではなく鬼神や魔物そのものが舞っているものとして認識されます。
そのため、神社の中とはいえ人の領域の内に鬼神を招くための結界として、はじめに注連縄が張られるのです。
受け継がれてきた古い面には力があり、けして粗末な扱いをしてはならないとされています。
江戸中期に記された『千羽山譚』には、
「特に翁の面は怪力を持ち他の面と同じ行李に入れていては、他の面を食い破る」
という不気味なことが書かれており、現在も神楽面の中で唯一翁面だけが竹で編んだ小さな行李に単独で保管されています。
私の父はこの翁面の舞手でしたが、いつもこの面を着けるときだけは手に汗が浮くと言っていました。
さて、室町時代より500年にも亘って続く千羽神楽ですが、その長い歴史の中で演目が亡失するということもあったようです。
千羽郷に赴任された役人の古河伝介が記したという『千羽山譚』や、その他の旧資料に現れる神楽の記述によると、 もう舞われなくなっている4つの舞があることがわかります。
このいずれも、面も祭文も残っておらず、資料の挿絵によって衣装が辛うじてわかるくらいでした。
ことの発端は、この失われた舞が復活する次第よりはじまるのです。
(続きは『続きを読む』をクリック)
8周年記念百物語No20:そんな話初めて聞いたよ
2013.09.28 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
86:本当にあった怖い名無し:2008/03/09(日) 16:29:52 ID:jF8XLe0O0
親戚の法事やった時に住職が言っていたのだが。
霊、つまり亡くなった人も生きている人しか見えないんだと。
あの世に行ってしまっても、ちゃんとお参りしてあげないと寂しいという事らしい。
で、ちょっと住職に聞いてみた。
良くある自殺の名所とかで沢山死んでるけど、あれは霊が数を増やしているんじゃないかって?
嫌そうに住職は答えてくれた。
あれはどんなに多くの人がそこで亡くなっても、皆自分だけが霊になったと思ってる。
だから生きてる人間を求めるんだと。
沢山亡くなれば、それだけ沢山の霊がそこで生者を求めて彷徨う。
だから、そういう場所には出来るだけ近づかない、お守りがあったらちゃんと持っていくって事をしなきゃならんのだと。
まだまだ自分は死ぬ歳じゃないが、初めて死にたくねえなって思ったよ。
怖くない話で済まないな。
親戚の法事やった時に住職が言っていたのだが。
霊、つまり亡くなった人も生きている人しか見えないんだと。
あの世に行ってしまっても、ちゃんとお参りしてあげないと寂しいという事らしい。
で、ちょっと住職に聞いてみた。
良くある自殺の名所とかで沢山死んでるけど、あれは霊が数を増やしているんじゃないかって?
嫌そうに住職は答えてくれた。
あれはどんなに多くの人がそこで亡くなっても、皆自分だけが霊になったと思ってる。
だから生きてる人間を求めるんだと。
沢山亡くなれば、それだけ沢山の霊がそこで生者を求めて彷徨う。
だから、そういう場所には出来るだけ近づかない、お守りがあったらちゃんと持っていくって事をしなきゃならんのだと。
まだまだ自分は死ぬ歳じゃないが、初めて死にたくねえなって思ったよ。
怖くない話で済まないな。
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