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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.11.24 (Sun) Category : 

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親切なお姉さん

2015.02.09 (Mon) Category : 誰も信じない人へ

89:本当にあった怖い名無し:2012/10/29(月)15:03:36.01ID:gwZugNNd0
本当にあったはなしなんだけど、あまりにベタすぎて、誰も信じてくれない話。

小5の同じクラスだった友だちHが調布へ引っ越した。
小6になった俺と友だちは日曜に調布へ遭いにいった。
もちろん、事前に連絡、住所、電車乗り換えを確認していった。
Hの言ってた時間 場所についた。扉が開いたら当時高校生のHのお姉さんが出て来た。

お姉さんは一人きりだった。
なにせこちらは小6だから、綺麗なお姉さんではあったけど興味は惹かれなかった。
お姉さんが言うにはHは両親と親戚の家へ行っていて後1時間位で戻るという話だった。
それからお姉さんは一緒にケーキを作ったり遊んでくれたり、俺たちを飽きさせないよう一生懸命面白い話などしていた。

時々、お姉さんは親戚の家へ電話していつ頃返れるか聞いていたようだった。
午後5時過ぎだろうか?また電話をかけてから
「ごめんね、Hは夜御飯を食べてから返るって」
と言い俺ら二人を玉川学園まで送ってくれた。
最後に
「今日はおもしろかったね、また遊びに来てね」
と言われた。

家に帰って来たらHから電話があった。
「一日中待ってたのに、何で来ないんだよ!!」
と怒っていた。
俺もお前のお姉さんと一緒に、お前が返って来るのをまってたんだよ。と反論した。

二人の頭の上には「?」が3っつ位浮かんでしまった。
結局、原因は俺たちの住所の記載ミスだったと分かった。

当時は
「頭のおかしいお姉さん」
だったんだ、、って思ってたけど。
歳をとってから、何となくアノお姉さんの気持ちも分かるような気がしてきた。

今でも、どこかで幸せに生きている事を心から願っている。


 








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2015.01.27 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

730:桜:2009/08/16(日)08:11:03ID:WZcs/2Sc0
今は亡くなった父方のじいさんから聞いた話。

じいさんは子供の頃から、花見が大好きで、庭の桜が咲くのを楽しみにしていた。
桜が咲くとお母さん(俺の曾祖母)が団子を作ってくれて、家族で花見をするんだけど、当時だからお団子は御馳走で、それも楽しみだったって。

じいさんが8歳くらいの頃、曾祖父が桜の木を切って、柿の木を植えようとした事があったのだが、じいさんがとてつもなくわんわん泣いて止めるから、じゃあ、切らずにこのままにしようと言う事になったらしい。

昭和18年の2月、じいさん24歳の時、じいさんは、あと2カ月もすれば桜が咲くと、凄く楽しみにしていたのだが、赤紙が来て出征しなければいけなくなった。
奥さん(俺のばあさんね)にも桜が見れんのは残念だなあってしきりに言ってたんだ。



731:桜:2009/08/16(日)08:11:54ID:WZcs/2Sc0
それが、出征の日。家から出たら、じいさんは仰天した。
2月にも関わらず、桜の花がホンの5、6個だけど咲いていたのね。

「俺のために桜が咲いてくれた。」
そう言って、じいさんは涙を流した。
後にも先にもじいさんが泣いたのはこの時だけだったから、ばあさんは凄く驚いたらしい。

そんな事があったから、戦争が終わってからも、じいさんは桜を大切にした。
もうひとつ驚いた事に、じいさんが亡くなってから2年後、桜は後を追うように枯死したって事。

今、庭には、枯れた桜から接ぎ木した、二代目の桜が毎年花を咲かせている。



 








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おかんが癌で亡くなって6年になる。

2015.01.23 (Fri) Category : 誰も信じない人へ

958:1/32006/02/24(金)04:22:06
おかんが癌で亡くなって6年になる。
癌を見つけたときにはもう余命一年の宣告。
親父と相談の上、おかんには告知しなかった。
一年、騙し続けた。

私はその時二番目の子供を妊娠中。
大きい腹でおかんの病室に通った。
ある日おかんが私の腹をなでて、まだ見ぬ孫の名をつけて呼んだ。
おかんの死後、丁度一ヶ月の日に娘は生まれた。
母が呼んでくれた名前を娘につけた。
すごく愛しそうに呼んでくれた名前だから、迷わなかった。

母は夢に出てくることも姿を見せることもなかった。
妹のところにも。私は、母を騙し続けたことに、とても罪悪感を感じていた。

例えモルヒネが処方されて
「お姉ちゃん(母は私をこう呼んでた)、この薬は何?」
と聞かれても、ただの鎮痛剤じゃね?とかいって誤魔化してた。

一日ずつ命が減っていく母に、それを悟られまいと必死で嘘ついてた。

母は私を恨んでる。
何の心の準備も出来ず、亡くなったのは私のせいだ。
親父は母の闘病中から娘より若い愛人を作って母のことは全部私に任せていたので、余計責任を感じてた。
私の所に出てこなくても当たり前だよな、そう思ってた。

(続きは『続きを読む』をクリック)


 









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