都市伝説・・・奇憚・・・blog
びっくり箱
2008.07.10 (Thu) | Category : 都市伝説・ホラー・オカルト
ある日子供が思い切って話しかけて見ると
「あっちに森があるだろう?そこに土が盛り上がっているところがあるから後で掘ってみなさい。そこには下に箱が埋まっててビックリするものが入ってるぞ」
とおっさんが言う。
次の日。子供は一人でこっそり森に行くと土が盛り上がったところがあるのを発見する。
「昨日のおっさんの言うとおりだ!」
さっそく掘り返してみると中にかなり大きな箱が埋まっていた。わくわくしながら箱を開けてみるとビックリ!
昨日のおっさんの死体が入っていた。
紅殻(1)
2008.07.09 (Wed) | Category : 都市伝説・ホラー・オカルト
ある日大きな物音に目が覚めた少年が外を見ると大きめの物置の周りを数人の大人達が囲んでいた。
しばらくすると物置から一人の女性が連れ出される。女性の顔や腕はエビを茹でたように真っ赤で一瞬けが人なのかと思ったがそうでは無いようだ。
女性は両脇を抱えられワゴン車に乗せられる。周りにいた男達は
「今年のベンガラはなかなか上物だな!いい出来だよ。」
等と言いながら談笑していた。
気になった少年が同じく起きていた母親に尋ねると
「水銀使うからねえ。紅殻って言うんだけど…酷いことしたもんだよ。」
つぶやく様に言った後母親は大きく首を振り黙り込んだ。
後日ベンガラと呼ばれていた女性は亡くなった。
昭和初期。諏訪の一帯の農家に、軍から「紅殻」の生産が依頼された。紅殻とは着色力、耐久性が強い赤色顔料の一種で腐敗を防ぐ効果がある。
当時軍は紅殻を人体に投与する事で不死身の人間を作ろうとしたのだ。もちろんこの実験は失敗し多くの犠牲者を出すこととなるが「紅殻」を毎年若い女性に投与する風習だけは最近まで残り続けていたという。
ミイラ船
2008.07.08 (Tue) | Category : 都市伝説・ホラー・オカルト
1927年10月31日カナダ西海岸にて行方不明になっていた一隻の小型漁船「良栄丸」が発見された。
ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
そして船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」
「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。 井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・・。」 などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」
「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」
「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・・」
ここで日記はとだえる。
だが三鬼船長は杉板に最後の力を振り絞り家族宛ての遺書を残していた。
「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・・。私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。 いつまで書いてもおなじこと・・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・・帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・・」