都市伝説・・・奇憚・・・blog
ソロモンの秘宝埋蔵金伝説
2011.02.19 (Sat) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
父はダビデであり、キリスト教、イスラム教にも登場する偉大なる伝説の王である。
聖書などの話や、【27歳】にも記載した72柱の魔神のような話を聞くと空想上の人物のようにも思えるが、れっきとした実在の人物である。
大いなる知恵と知識の深さを知られる、紀元前1035年頃 - 紀元前925年頃を生きた偉大なる人物である。
で、なぜソロモン王の話が出てくるのかというと、なんと彼の埋蔵した秘宝が日本にあるというのだ。
それは、四国は徳島県の剣山。
紀元前1035年と言えば中国では周の時代(春秋戦国時代の前、太公望の頃)であり、日本は弥生時代に突入する直前。
こんな時代に、イスラエルから極東の日本にわざわざ宝を埋めに来る必要があったのか?
この説は、聖書研究家の碩学高根正教授が渡日説を唱えたことに端を発する。
ヨハネ黙示録の中に出てくる御座が剣山で、四国が黙示録の説明に合致したのだそうだ。
順に解説しよう。
かのモーゼが神と契約した「十戒」の石版とヘブライの秘宝を納めた箱が「契約の箱」と呼ばれ、これが「ソロモン王の秘宝」と呼ばれる。
箱の上部には鳥の彫刻が置かれ、神官たちが担いで神殿へと運んだものなのだとか。
この秘宝はヘブライ王国がアッシリアに攻め滅ぼされたときにも発見されなかったらしい。
伝説では「イスラエルの失われた十支族」が極秘に東方へと運んだ…という噂だけが残った。
秘宝はのちに、「失われたアーク(聖櫃)」と呼ばれることになる。
東へ東へと流浪した失われた十支族のうちの一部は、九州や四国から日本列島に上陸、その四国へとたどり着いた支族が、剣山の頂上に秘宝を埋めたのだ、とされるのである。
ところで、7月17日に京都は八坂神社の祇園祭と同じ日、徳島県剣山では山伏姿の修行者たちが神輿を山頂まで担ぎ上げる祭りがあるのはご存知だろうか。
この神輿は屋根の上に鳳凰の飾りを配したものであるという。
この祭りと、神官たちがアークを担いで山頂に埋めた、ということに共通点を見出した者たちが、剣山の発掘を行っている。
剣山の祭りはアークを埋めた故事にならったものである、ということらしい。
ただし、これらの話を日本でしているのはいかにも、なトンデモ論者が多いため、信憑性にはかなり欠ける。
もし信じるのであれば、発掘などしてみてはどうだろうか。
万が一、十戒の石版など見つけようものなら歴史に名前を連ねることができるだろう。
参考
倭国、大和国とヘブライ王国
http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/cc4251683d14a98521d2c94e42745d1e
剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その1)
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20070404/p2
マピオン大百科-紀元前1035年-
http://pedia.mapion.co.jp/art/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D1035%E5%B9%B4
wikipedia-ソロモン-
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3
村上水軍埋蔵金伝説
2011.01.15 (Sat) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
日本史上最大の海賊と言われる、瀬戸内海の覇者である。
詳細は【wikipedia】や【村上水軍博物館】に譲るが、ざっくりと纏めると以下のような感じ。
村上水軍は大きく分けて3つに分かれる。
・能島(のしま)村上水軍(能島衆)
中世後期に瀬戸内海の伊予国能島(野島・大島)を拠点に活躍した武装集団。
毛利支配下の水軍として、織田・豊臣両氏と対立する。
豊臣方に下った来島村上氏を許すことができず、執拗に攻撃し瀬戸内海より来島村上氏を追放する。
最終的に豊臣秀吉の四国攻め後、瀬戸内海を追放される。
・来島(くるしま)村上水軍
室町時代は伊予守護河野氏の重臣で、戦国期には毛利氏の水軍として働く。
五代目棟梁通総(みちふさ)のとき来島氏を称し、河野氏を離反、豊臣秀吉の水軍に編成される。
明治維新後は子爵となる。
・因島(いんのしま)村上水軍
広島県東南部に位置する因島を拠点とする。
豊臣秀吉と対立し能島村上氏は瀬戸内海から追放されるが、因島村上氏は小早川隆景に属し、毛利氏の船手組番頭としてその後も勢力を維持する。
これら3つの村上水軍、元は1つの家であり、清原源氏の流れを組むと言われているが、はっきりとわかってはいない。
なんにせよ最終的に敵味方に分かれて戦ったのだ。
豊臣の四国攻めの際、来島は豊臣方、能島と因島は敵方としてぶつかる。
今回の埋蔵金伝説はこの能島村上水軍のものと言われる。
豊臣に本拠地をつぶされた能島は瀬戸内海西よりの屋代島へ逃走。
その際に小豆島(しょうどしま)…香川県小豆郡土庄町、皇踏山麓(おうとさんろく)に埋めたと言われているのだ。
ただし、これに異を唱える説もある。
小豆島と屋代島は200kmほども離れている。大切な財宝をそんな遠くへ埋めるのはおかしい、というのだ。
すると、屋代島に近い島々に埋まっているはずなのであるが…。
今現在、この埋蔵金はまだみつかっていない。
明智光秀埋蔵金伝説
2010.11.08 (Mon) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
彼にも埋蔵金伝説がある。それどころか、実際に秀吉に討たれたのは影武者で、本人は生き延びていた、というまるで源義経のような伝説があるのだ。
なんと、天海僧正として徳川家康の冬の陣を助けた、というのだ。
そして出家した光秀は「護法救民のために宝を埋めた」という。
埋蔵地と言われる場所は4箇所。
ひとつは滋賀県大津市、琵琶湖底。次に京都府亀岡市亀山城跡地。そして京都府北桑田郡京北町。最後に兵庫県篠山市である。
兵庫県の金山城があった周囲には次のような歌が伝わる。
特に追入に関しては、宿屋にフラリと立ち寄った光秀が、宿の主人に鍋の蓋をもらい、そこに書いた、と言われるものだ。
追入に伝わる歌
「金山の 尾の尾の先の尾の先に 朝日照らす木のもとに小判千両 有り明の月」
宮田には
「夏栗の 尾の尾の先の尾の先に 黄金千両 有明の月」
草山には
「朝日射す 夕日輝く花の木のもとに 黄金千両 細縄千ひろ」
残り三箇所に関しては「護法救民の書」に書かれた歌に基づく。
その歌とは次のものである。
「身をも名も 惜しまねばこそ 松のみとりいろ濃き 弥生空 くちなは頭の影をふむ 岩戸苗のその下に こかね三百しろかね千貫」
当時の貨幣価値は別にして、江戸初期の1両はおよそ10万円とされるので、億は下らないだろう。
首都広島
2010.10.29 (Fri) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
過去…江戸時代以前は平安京や平城京など、日本の首都は奈良や京都、滋賀、兵庫、大阪などの関西地方にあった。
江戸城が開かれてからはずっと東京が日本の首都機能を担っている。
ところで、1年間だけ広島に首都があった、とする説があるのをご存知だろうか。
それほど昔の話ではない。
明治時代の事である。
その根拠は、日本の首都を直接定める現行法令が存在しないことによる。
2010年の現行法のみならず旧法、及び慣習法の読み方によって、東京(東京都)を唯一の首都と解さない論者もいるということだ。
まあ、今現在において(唯一無二の首都ではない、とする者はいるものの)、東京都が首都であることは慣習的に認められるものであろう。
(ちなみに、首都を定める法令は存在しないものの、、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域を首都圏と定める首都圏整備法は存在する)
話を広島に戻そう。
日清戦争中の1894年9月15日から1895年5月30日には、広島県広島市におかれた大本営(広島大本営)において、明治天皇が直接戦争の指揮にあたった(広島大本営は翌1896年4月1日に解散)。
1894年10月の第7回帝国議会は広島市で開催されている。
立法・行政・軍の統括が東京から広島に移転していたことになり、この時期は広島が一時的に首都機能を担った。
首都とは、一国の中心となる都市のことを指し、ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことである。
上記の理由から、一部で「広島が一時期首都であった」という論説があるのだ。
蘆名義広埋蔵金伝説
2010.10.05 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系

