都市伝説・・・奇憚・・・blog
都市伝説を中心にホラー、オカルト系の話題をお楽しみください。
メールはyoshizo0@hotmail.co.jpへ
☆☆投稿やまとめて欲しい話題のタレコミなど、情報提供受付中!
☆☆ありがとう5000万ヒット!☆☆
猫と父
2014.02.09 (Sun) | Category : 体験特集
うちの家は一家そろって大の猫好きでした。そしてうちに居つくのはなぜか大柄なキジ虎の猫で、初代の名を引き継いで歴代の猫は皆「タマ」と呼ばれていました。
うちのその当時の家族構成は、父方の祖母と父、母、そして私という構成でした(兄は結婚して他所ですが都内に住んでいました)。
その当時うちには「タマ」がいましたが、これは家猫ではなく、どこかの野良猫がえさをもらいに来て、うちの父親が餌をあげたことがきっかけで毎日のように餌をもらいに来る用になった猫でしたが、うちでは慣習に従って勝手にタマと呼んでいました。
タマは歴代のタマの特徴を兼ね備えた、やはり大柄なオス猫で、ごくたまに傷とか作ってやってきましたが、明らかに近所のボス猫の雰囲気をムンムンに漂わせていました。
一番率先してかわいがっていたのはうちの父で、ミルクとキャットフードとハム、もしくはベーコン(よく考えたらえらく猫の健康には悪いが…)、とフルコースを毎回用意し、タマは毎回ぺろりと平らげ、たまに餌場のうちの勝手口の土間で小1時間〜2時間くらいくつろいでから帰る、というのを3,4年繰り返していました。
そうこうするうちにあるとき面白いことに気がつきました。タマは決して若い猫ではなかったのでしたが、うちに来るようになってから1年半から2年位してから少し怪我やちょっとした病気が多くなってきました。
たまに2,3日来なくなったりとか、きてもcちょっと風邪を引いたりのか毛並みが悪く、目の潤んで元気が無いときが増えてきました。
それは、うちの祖母が具合が悪くなる(といっても風邪程度ですが)時期とシンクロするようで、いつしかタマはうちの祖母の健康のバロメーターのようになっていました。
そしてある日、ふっつりとタマが姿を見せなくなりました。我が家では、祖母の健康をチェックしていましたが、祖母はまったくぴんぴんしていました。
ところが、ある日父が心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。
父は体育会系で、大学時代はボート、社会人になってからはラグビー、サッカー、とずっと運動を続けてきて、もともとうちの家系は心臓が弱い家系だったので、酒もタバコもやめていましたが、それでも元体育会系のせいか自分の健康を過信する傾向が多々ありました。
祖母が90に近かったので、どう考えても父より祖母のほうが早く死ぬだろうと祖母も含め周りの人も考えていたので、これは本当にびっくりというか、大ショックでした。
急だったのと友引との関係で、お通夜の間に一日空きがありました。
ばたばたと葬式の準備をしているときに、ふと台所のドアを開けると、タマがそこに座っていました。
タマは私の顔を見るとにゃあと鳴きましたが、今までのタマの面影はまったく無いほどぼろぼろにやせこけていました。
私は母たちにタマが来たことを告げ、餌をあげました。
餌をあげながら、いつも一番かわいがっていたお父さんは死んじゃったんだよ、と分かるはずもないがと思いながら猫に語り掛けました。
その次の日はお通夜で、誰か親戚が残っていないといけないので、従姉妹が残ることになり、私たちはタマがもし来たらこれこれこの手順で餌をあげてくれ、といって家をでました。
お通夜から帰ってきたら、タマがやってきて餌を食べていったということ。
そして、次の日の告別式、いよいよその後はうちの父親は焼かれてお骨になります。
駐車場から車を出そうとして、家から出たら、家の前の道にタマが居ました。
2日前に見たときよりも更にやせこけていました。
ああ、タマもお別れを言いにきたのかしら、と思い、
「タマちゃん、お父さんとはこれでもう最後なんだよ」
と言いました。
タマは何のリアクションもありませんでしたが、車が出て行くまでじっとその車道に居ました。
それっきりタマの姿を二度と見ませんでした。
ちなみに祖母はそれからも長生きし、100歳の寿命を全うしました。
…一番のホラーは、猫云々というよりも、その当時はお棺の中に何でも仏様のものを入れられたので、旅行好きの父親がどこでもいけるようにと、パスポートと免許書を入れて燃やしてしまったおかげで、本人確認できるものを全部燃やしてしまったので、葬式代はおろか、生活費まで一時凍結しそうになったことでしょうかね…そっちのほうがよっぽど身が凍る思いでしたわ、遺族としては。
(※オーガスタスさんからの投稿です。ありがとうございました)
うちのその当時の家族構成は、父方の祖母と父、母、そして私という構成でした(兄は結婚して他所ですが都内に住んでいました)。
その当時うちには「タマ」がいましたが、これは家猫ではなく、どこかの野良猫がえさをもらいに来て、うちの父親が餌をあげたことがきっかけで毎日のように餌をもらいに来る用になった猫でしたが、うちでは慣習に従って勝手にタマと呼んでいました。
タマは歴代のタマの特徴を兼ね備えた、やはり大柄なオス猫で、ごくたまに傷とか作ってやってきましたが、明らかに近所のボス猫の雰囲気をムンムンに漂わせていました。
一番率先してかわいがっていたのはうちの父で、ミルクとキャットフードとハム、もしくはベーコン(よく考えたらえらく猫の健康には悪いが…)、とフルコースを毎回用意し、タマは毎回ぺろりと平らげ、たまに餌場のうちの勝手口の土間で小1時間〜2時間くらいくつろいでから帰る、というのを3,4年繰り返していました。
そうこうするうちにあるとき面白いことに気がつきました。タマは決して若い猫ではなかったのでしたが、うちに来るようになってから1年半から2年位してから少し怪我やちょっとした病気が多くなってきました。
たまに2,3日来なくなったりとか、きてもcちょっと風邪を引いたりのか毛並みが悪く、目の潤んで元気が無いときが増えてきました。
それは、うちの祖母が具合が悪くなる(といっても風邪程度ですが)時期とシンクロするようで、いつしかタマはうちの祖母の健康のバロメーターのようになっていました。
そしてある日、ふっつりとタマが姿を見せなくなりました。我が家では、祖母の健康をチェックしていましたが、祖母はまったくぴんぴんしていました。
ところが、ある日父が心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。
父は体育会系で、大学時代はボート、社会人になってからはラグビー、サッカー、とずっと運動を続けてきて、もともとうちの家系は心臓が弱い家系だったので、酒もタバコもやめていましたが、それでも元体育会系のせいか自分の健康を過信する傾向が多々ありました。
祖母が90に近かったので、どう考えても父より祖母のほうが早く死ぬだろうと祖母も含め周りの人も考えていたので、これは本当にびっくりというか、大ショックでした。
急だったのと友引との関係で、お通夜の間に一日空きがありました。
ばたばたと葬式の準備をしているときに、ふと台所のドアを開けると、タマがそこに座っていました。
タマは私の顔を見るとにゃあと鳴きましたが、今までのタマの面影はまったく無いほどぼろぼろにやせこけていました。
私は母たちにタマが来たことを告げ、餌をあげました。
餌をあげながら、いつも一番かわいがっていたお父さんは死んじゃったんだよ、と分かるはずもないがと思いながら猫に語り掛けました。
その次の日はお通夜で、誰か親戚が残っていないといけないので、従姉妹が残ることになり、私たちはタマがもし来たらこれこれこの手順で餌をあげてくれ、といって家をでました。
お通夜から帰ってきたら、タマがやってきて餌を食べていったということ。
そして、次の日の告別式、いよいよその後はうちの父親は焼かれてお骨になります。
駐車場から車を出そうとして、家から出たら、家の前の道にタマが居ました。
2日前に見たときよりも更にやせこけていました。
ああ、タマもお別れを言いにきたのかしら、と思い、
「タマちゃん、お父さんとはこれでもう最後なんだよ」
と言いました。
タマは何のリアクションもありませんでしたが、車が出て行くまでじっとその車道に居ました。
それっきりタマの姿を二度と見ませんでした。
ちなみに祖母はそれからも長生きし、100歳の寿命を全うしました。
…一番のホラーは、猫云々というよりも、その当時はお棺の中に何でも仏様のものを入れられたので、旅行好きの父親がどこでもいけるようにと、パスポートと免許書を入れて燃やしてしまったおかげで、本人確認できるものを全部燃やしてしまったので、葬式代はおろか、生活費まで一時凍結しそうになったことでしょうかね…そっちのほうがよっぽど身が凍る思いでしたわ、遺族としては。
(※オーガスタスさんからの投稿です。ありがとうございました)
PR
スポンサードリンク
ブログ内検索
カテゴリー
アーカイブ
過去50ヶ月分を表示しています
アクセス解析
カウンター
この記事にコメントする