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百人一首にある二首について
2012.11.26 (Mon) | Category : ホラー・怪奇現象・不思議現象
568 1/2 New! 2007/02/11(日) 15:21:11 ID:gYmID+lS0
百人一首の中の2首について奇妙な話を先生からこの前聞いた。
どういう話かというと、
『あひみての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり』
という詩がある。これは権中納言敦忠という人が詠ったもので、意味は
「ゆうべ、あなたとふたりきりでお会いしたあとの、今のこの苦しさにくらべたら、会いたい会いたいと思っていた
頃の恋のつらさなんかなにも物思いをしないのとおなじようなものでした。」
ということらしい。
そして権中納言敦忠は右近という人と恋に落ちていて、その時詠んだのがこれだった。
その右近の詩も百人一首の中にある。
『忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな』
意味はというと、
「忘れられる我が身は何とも思わない。忘れないと誓った人の命が、神の怒りにふれて失われるのが惜しいことです。」
らしい。。
先生によると、敦忠はあれだけかっこいいことを言っといて浮気したらしい。
その時ほったらかしにされた右近はその思いを詩にしたらしい。
569 2/2 New! 2007/02/11(日) 15:31:21 ID:gYmID+lS0
「忘れないと誓った人の命が、神の怒りにふれて失われるのが惜しいことです」
・・・敦忠はどうやって死んだと思う?
先生はここまで話してにこっと笑った。そして話し始めた。
『私もね、この話を聞いたのは大学の先生からだったんだよねぇ~。先生が静かにいったの。「この後どうなったか知りたい人は、自分で調べなさい・・・』って。それで、私は気になったから調べてみたらね。・・・絶句だったよ。
これを天罰といわずなんというかと思ったなぁ。。。
「敦忠さんね、雷にうたれて死んだそうよ。」
(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)
百人一首の中の2首について奇妙な話を先生からこの前聞いた。
どういう話かというと、
『あひみての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり』
という詩がある。これは権中納言敦忠という人が詠ったもので、意味は
「ゆうべ、あなたとふたりきりでお会いしたあとの、今のこの苦しさにくらべたら、会いたい会いたいと思っていた
頃の恋のつらさなんかなにも物思いをしないのとおなじようなものでした。」
ということらしい。
そして権中納言敦忠は右近という人と恋に落ちていて、その時詠んだのがこれだった。
その右近の詩も百人一首の中にある。
『忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな』
意味はというと、
「忘れられる我が身は何とも思わない。忘れないと誓った人の命が、神の怒りにふれて失われるのが惜しいことです。」
らしい。。
先生によると、敦忠はあれだけかっこいいことを言っといて浮気したらしい。
その時ほったらかしにされた右近はその思いを詩にしたらしい。
569 2/2 New! 2007/02/11(日) 15:31:21 ID:gYmID+lS0
「忘れないと誓った人の命が、神の怒りにふれて失われるのが惜しいことです」
・・・敦忠はどうやって死んだと思う?
先生はここまで話してにこっと笑った。そして話し始めた。
『私もね、この話を聞いたのは大学の先生からだったんだよねぇ~。先生が静かにいったの。「この後どうなったか知りたい人は、自分で調べなさい・・・』って。それで、私は気になったから調べてみたらね。・・・絶句だったよ。
これを天罰といわずなんというかと思ったなぁ。。。
「敦忠さんね、雷にうたれて死んだそうよ。」
(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)
571 本当にあった怖い名無し sage New! 2007/02/11(日) 16:14:20 ID:lJHBlWLw0
>>568
「神の怒りにふれて」って訳は死んだ理由を知った後の人のこじつけ
句から読み取れないでしょ
振られた私の(身を案じる)ことよりも、誓いあったあなたの死が惜しまれて悲しい
(私は怒ってないよ、みたいな)
って死んだ後に詠ったものだと思うがどうだろう?
572 本当にあった怖い名無し sage New! 2007/02/11(日) 16:19:09 ID:lJHBlWLw0
浮気する→死ぬ→詩 が
浮気する→しんじまえって詩→死ぬ
ってオカルト的な悪意で変えられたって話ね
(※以下管理人より)
権中納言敦忠、本名藤原敦忠。
ちなみに、敦忠が落雷で死亡した、という事実はなく、死因ははっきりしていない。
38歳という若さでなくなったことは間違いないようだ。
敦忠の父親である藤原時平が落雷で死亡したという話はでてくるものの、これも事実ではなく、実際は清涼殿落雷事件で死んだ藤原清貫に時平がかの藤原道真監視の仕事を依頼していただけである。
右近は右近少将季縄の娘で、醍醐帝皇后の七条后穏子に官女として仕え、父親の官職に因んで女房名を右近とされた。
この右近にしても恋多き女性で、大和物語などで分かっているだけでも藤原敦忠・師輔・朝忠、源順、元良親王などと恋愛関係があった。
特に藤原敦忠は928~930のの2年間に恋愛関係、藤原師輔には931~933に恋愛関係があったことがわかっている。
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Title : 無題
つうか人間同士の痴話喧嘩がいちいち神の怒りにふれるんじゃ、神は近年の日本の若者よりはるかにキレやすいんじゃねえかって話だよね。・・・あ、キレやすいのは「かみ」だからか。ちょきちょき。
kz 2012.11.26 (Mon) 16:04 編集
Re:無題
ハゲちゃうわ!
2012.11.26 20:07
Title : 無題
この時代の恋愛は、今より乱れまくってたみたいね。男色も当たり前だった様だし…
ボンコ 2012.11.26 (Mon) 18:15 編集
Re:無題
自由だった、と言ってほしいなw
2012.11.26 20:07
Title : 無題
右近「サンダガ!!」
キョン 2012.11.26 (Mon) 18:28 編集
Re:無題
ギガデイン!
2012.11.26 20:08