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サティ
2011.08.11 (Thu) | Category : トピックス
サティー(Sati)といっても、例のチェーンストア(Saty)や生チョコ(Satie)、音楽家(Satie)ではない。
インドに伝わる恐るべき風習である。
サティー(サッティとも) は、ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦(=未亡人、後家。夫と死別し、まだ再婚していない女性のこと)が夫の亡骸とともに焼身自殺をする慣習。
本来は「貞淑な女性」を意味する言葉であった。
17世紀のムガル帝国で支配者層であったムスリムはサティーを野蛮な風習として反対していたが、被支配者層の絶対多数であるヒンドゥー教徒に配慮し、完全に禁じていたわけではなかった。
その代わり、サティーを自ら望む女性は太守に許可を申し出るよう義務付け、ムスリムの女性たちを使って可能な限り説得を行い、それでもなお希望する者にのみ許可を与えた。必ずしも寡婦の全てがサティーを望んだわけではない。また、全ての土地にムスリムの太守がいるわけではなく、説得が行われていない地域もあった。
中にはヨーロッパ人や家族の説得に応じて寸前で思いとどまった者もいたが、ほとんどの志願者は夫と共に焼け死ぬ貞淑な女性として自ら炎に包まれた。炎を前に怖気づいた者は周りを囲むバラモンに無理やり押し戻されるか、仮に逃げたとしてもそれを目的に見物に集まっていた異教徒たちに襲われその餌食となった。
18世紀の初めにはサティーはほとんど行われなくなったが、イギリス植民地時代の18世紀末以降、ベンガル地方の都市部で再び盛んになる。
1810年代に入り、16歳未満、妊娠中、幼子がいる場合、強制された場合を非合法とし官吏を立ち合わせたが、サティーの件数は増大し社会問題になった。
廃絶運動の結果、サティの禁止が法律に定められたのは1829年になってからだ。
禁止法の普及に伴って20世紀の初めにはサティーはほとんど行われなくなった。
が、禁止法が近代法制化された現在においても、稀にではあるが慣行として行われ続けている。
ヒンドゥーでは死者は、薪の山に乗せ、会葬者の前で火葬にふす。死は穢れであり、火が死者を天に昇らせる唯一の方法とされるからである。灰は体の燃え残りとして川に流され、シンガポールやバリ島の一部地域を除いて墓は作られない。
サティーの儀式は、こうした夫の葬儀の儀式の後に行われる。サティーの儀式の最後には、夫の葬儀で用いた石を供養する「石の礼拝」(シラー・プージャナ)を行う。これらが終わった後で、寡婦は炎に包まれる。
中世において、サティーはその家族の宗教的な罪科を滅する功徳ともされていたが、必ずしも自発的なものではなく、生活の苦難さによるもの、あるいは親族の強要によるもの、さらには、薬物を利用したものもみられた。
(以上、wikipediaより抜粋)
これが200年も前の話かと思ったら大間違い。
20世紀になって、この儀式が復活したのである。
- - - - - - -
(前略)
1987年9月4日、18歳のループ・カンワルは病死した夫の遺体と共に生きながら焼かれる。8ヵ月にも満たない結婚生活だった。
この事件が起きたデオララ村は、俗にピンク・シティーと呼ばれる有名な観光地ジャイプル(ラージャスターン州州都)から車で90分の所にある。カンワルは死後女神として讃えられ、村は巡礼地となり、25~30万人もの人々が詰め掛けたと言われる。
この村は寒村どころか、識字率も低くなく、カンワルは高卒の女性、夫は理工系大学を卒業、医師を志望していた。夫の父は修士課程を修了した公立高校教師だった。
カンワルは4千人もの群衆が見守る中、夫の頭を膝に乗せ焼かれていったと言われたが、その後の捜査より異なる事実が浮かび上がった。
彼女は火葬用の薪に上がる前、麻薬を大量に飲まされていたこと、火の中から叫び声をあげ3度逃げ出そうとするも、火の周りで彼女の心変わりを見張り、警護していたラージプート族が竹ざおで逃げ出すのを防止したこと、また叫び声もドラムの音にかき消されたこと、等によりサティーは強制されたものだったと報告された。
カンワルの実家に事の次第が知らされたのも、後になってからだった。要するに19世紀に広く行われたサティーと全く変わりなかったのだ。
(後略)
ソース:サティー/焼殺される妻たち その①
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4e593fd59667487c4a239c38d8f9f716
サティー/焼殺される妻たち その②
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/49b40a7b52bf9efb3d4e29731c9d4055
- - - - - - -
こうした風習は悪名高き幼児婚とも合わせ、若い女性たちの命を奪っていることを忘れてはいけない。
禁止されているとはいえ、夫の亡骸を燃やす炎の中に飛び込む女性たちが未だに存在するのだ。
インドに伝わる恐るべき風習である。
サティー(サッティとも) は、ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦(=未亡人、後家。夫と死別し、まだ再婚していない女性のこと)が夫の亡骸とともに焼身自殺をする慣習。
本来は「貞淑な女性」を意味する言葉であった。
17世紀のムガル帝国で支配者層であったムスリムはサティーを野蛮な風習として反対していたが、被支配者層の絶対多数であるヒンドゥー教徒に配慮し、完全に禁じていたわけではなかった。
その代わり、サティーを自ら望む女性は太守に許可を申し出るよう義務付け、ムスリムの女性たちを使って可能な限り説得を行い、それでもなお希望する者にのみ許可を与えた。必ずしも寡婦の全てがサティーを望んだわけではない。また、全ての土地にムスリムの太守がいるわけではなく、説得が行われていない地域もあった。
中にはヨーロッパ人や家族の説得に応じて寸前で思いとどまった者もいたが、ほとんどの志願者は夫と共に焼け死ぬ貞淑な女性として自ら炎に包まれた。炎を前に怖気づいた者は周りを囲むバラモンに無理やり押し戻されるか、仮に逃げたとしてもそれを目的に見物に集まっていた異教徒たちに襲われその餌食となった。
18世紀の初めにはサティーはほとんど行われなくなったが、イギリス植民地時代の18世紀末以降、ベンガル地方の都市部で再び盛んになる。
1810年代に入り、16歳未満、妊娠中、幼子がいる場合、強制された場合を非合法とし官吏を立ち合わせたが、サティーの件数は増大し社会問題になった。
廃絶運動の結果、サティの禁止が法律に定められたのは1829年になってからだ。
禁止法の普及に伴って20世紀の初めにはサティーはほとんど行われなくなった。
が、禁止法が近代法制化された現在においても、稀にではあるが慣行として行われ続けている。
ヒンドゥーでは死者は、薪の山に乗せ、会葬者の前で火葬にふす。死は穢れであり、火が死者を天に昇らせる唯一の方法とされるからである。灰は体の燃え残りとして川に流され、シンガポールやバリ島の一部地域を除いて墓は作られない。
サティーの儀式は、こうした夫の葬儀の儀式の後に行われる。サティーの儀式の最後には、夫の葬儀で用いた石を供養する「石の礼拝」(シラー・プージャナ)を行う。これらが終わった後で、寡婦は炎に包まれる。
中世において、サティーはその家族の宗教的な罪科を滅する功徳ともされていたが、必ずしも自発的なものではなく、生活の苦難さによるもの、あるいは親族の強要によるもの、さらには、薬物を利用したものもみられた。
(以上、wikipediaより抜粋)
これが200年も前の話かと思ったら大間違い。
20世紀になって、この儀式が復活したのである。
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(前略)
1987年9月4日、18歳のループ・カンワルは病死した夫の遺体と共に生きながら焼かれる。8ヵ月にも満たない結婚生活だった。
この事件が起きたデオララ村は、俗にピンク・シティーと呼ばれる有名な観光地ジャイプル(ラージャスターン州州都)から車で90分の所にある。カンワルは死後女神として讃えられ、村は巡礼地となり、25~30万人もの人々が詰め掛けたと言われる。
この村は寒村どころか、識字率も低くなく、カンワルは高卒の女性、夫は理工系大学を卒業、医師を志望していた。夫の父は修士課程を修了した公立高校教師だった。
カンワルは4千人もの群衆が見守る中、夫の頭を膝に乗せ焼かれていったと言われたが、その後の捜査より異なる事実が浮かび上がった。
彼女は火葬用の薪に上がる前、麻薬を大量に飲まされていたこと、火の中から叫び声をあげ3度逃げ出そうとするも、火の周りで彼女の心変わりを見張り、警護していたラージプート族が竹ざおで逃げ出すのを防止したこと、また叫び声もドラムの音にかき消されたこと、等によりサティーは強制されたものだったと報告された。
カンワルの実家に事の次第が知らされたのも、後になってからだった。要するに19世紀に広く行われたサティーと全く変わりなかったのだ。
(後略)
ソース:サティー/焼殺される妻たち その①
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4e593fd59667487c4a239c38d8f9f716
サティー/焼殺される妻たち その②
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/49b40a7b52bf9efb3d4e29731c9d4055
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こうした風習は悪名高き幼児婚とも合わせ、若い女性たちの命を奪っていることを忘れてはいけない。
禁止されているとはいえ、夫の亡骸を燃やす炎の中に飛び込む女性たちが未だに存在するのだ。
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Title : 無題
ゲームのペルソナで「サティ」ってペルソナいるけど、この風習と関係あんのかな?
一応ゲームじゃ火の属性で喪服みたいな黒っぽい服だし……
あっきぃ 2011.08.11 (Thu) 19:40 編集
Re:無題
ペルソナに登場するサティは、シバの最初のお妃、サティーだそうです。転生するとパールバティーになったり、カーリーになったりする女神様です。
2011.08.11 21:09
Title : ↑
関係もクソもシヴァ神の最初の奥さんであるサティ妃が
結婚を反対してきた親父に抗議するために焼身自殺したのが語源
シヴァ神はその後パールヴァティ女神をめとったけど、後付けでこのパールヴァティはサティの生まれ変わりとされた
だからバラモンヒンドゥーではサティ(焼身自殺)は貞淑な行為とされたんだよ
ペルソナつかメガテンで出てくるのはこのサティ妃
NONAME 2011.08.11 (Thu) 22:51 編集
Re:↑
詳しいですね!
2011.08.14 15:08
Title : 無題
強制する奴はカーリーに狩られちまえ
NONAME 2011.08.12 (Fri) 01:20 編集
Re:無題
寡婦はそれだけで罪、みたいですねアチラでは。
2011.08.14 15:29
Title : 無題
やらせの恐ろしさを感じました…
火巳ヶ家 2011.08.12 (Fri) 19:44 編集
Re:無題
やらせは、いくない
2011.08.14 19:33
Title : 無題
んじゃ、妻が死んだら夫も死ね!
それが平等と言うものだ(-ω-#)
ねこたま 2011.08.14 (Sun) 13:09 編集
Re:無題
いやあ…
典型的な男尊女卑の国なもんで…
2011.08.16 12:45
Title : 無題
最近サティに行ってないなー・・・
電 2011.08.15 (Mon) 01:59 編集
Re:無題
サティってまだあるの?
ところで。
2011.08.16 20:56