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2024.11.22 (Fri) Category : 

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古代電池

2009.02.12 (Thu) Category : ミステリー・オーパーツ

【概要】
この壺は1937年、バグダッドの南西にある遺跡から発見され、約2000年前に栄えたパルティア王国のものであることが分かった。

壺は高さが約15cmで粘土で造られていた。
壺の中には青銅の筒やアスファルトの残留物、腐食した鉄の棒が入っており、それはイタリアの物理学者ボルタが発明した電池そのものだった。

そしてアメリカの電気技術者グレイによって1.5ボルトの起電力が生じることが分かった。

この電池は銅などの上に金メッキをするために使ったとされている。
実際1970年、当時西ドイツのアールネ・エッゲブレヒト博士が壺の複製を使った電気分解による金メッキ実験に成功している。
だが、バグダッド付近の同時代の遺跡からはメッキされた遺物は発見されていないことから電池がパルティア以前のものである可能性がある。



【解説】
壷の様式はサーサーン朝式で、実は紀元後3世紀以後に製造されたものである可能性が高い。
また、同様の構造の壷は、サーサーン朝時代の遺跡から多数発見されている。

発掘当時は用途が不明の出土物であったとされているが、実際には、バクダット周辺から多数の似たような壷が発見されている。

セレウキアを発掘したリロイ・ウォーターマン、クテシフォン遺跡を発掘したエルンスト・クネルは、同様の壷を発見していて、中にパピルスの繊維を確認している。

また、壷が建物の基礎部分から発見されていることから、実際は宗教的な祈祷文を入れて埋める壷であり、金属棒はただの巻物の芯、周りの金属はただの保護容器である可能性が高い。

電池によく似た格好になったのはたまたまである。

しかし1938年に、
「これはガルバニ電池の一種ではないか」
とする論文がイラク国立博物館のドイツ人研究者ヴィルヘルム・ケーニヒの手によって発表された。
ただ、ケーニヒの本職は画家であって、考古学者ではない。彼は、壷が明らかにササン朝(AD3-7世紀)の様式にもかかわらず、パルティア時代(BC3-AD3)のものだと誤認していて、あまり知識の無いことが分かる。

電解液として酢やワインが使用されていたと想像され、実験の結果、電圧0.9~2ボルト程度で発電された。
ただしこの実験は発見された状態と違い開放状態で行われており、発見時と同じくアスファルトで口を閉鎖した場合はすぐに電流が止まってしまう。

使用目的としては感電による宗教体験を演出する装置、装飾品に金や銀のメッキを施す為(実際その近辺からメッキされたとしか言いようがない装飾品が出土している)など諸説あるが、電気を使わずとも水銀アマルガム法などでメッキを施す方法は古くから知られており、根拠としては薄い。

また現在ではバグダッド電池は電気メッキには不適当であるとされている。


 








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