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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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命の火

2026.03.17 (Tue) Category : 都市伝説・地域限定

北九州のK小学校の怪談です。

その学校では、ある不思議な噂が、子供たちの間で信じられていました。

四月四日の午後四時、あるいは四時四十四分に、四人が手を繋ぎあって体育館のまわりを四周する。
そうすると、この世界とは違う、不思議な世界に行くことが出来るそうです。

ある年の春、その噂が嘘か本当か、実際にやってみた四人の男子がいました。
夕暮れの体育館のまわりで手を繋ぎ、一周…二周…三周…と、早足で巡り歩く。

最後、四周を走り終わると、四人ともくたくたになって、その場に座り込んでしまいました。

少したって、

「なにも起こらないぜ」
「やっぱり作り話かぁ」
「疲れただけだよ」

と、なにも起きないことで緊張がゆるんだ四人は、そんな風に愚痴やらを話していました。

ところが、そこで思わぬことが起きます。
四人の先頭を走っていたF君と、最後を走っていたG君が、忽然と消えてしまったのです。

「ど、どうなってるんだ?」
「F君! Gくーん!」

後に残された二人が狼狽え、F君とG君の名前を呼んでいると、どこか遠くのほうから幽かに、

「おーい」

という声が聞こえてきました。
けれど、それっきり返事はなく、ふたりの少年は姿を消してしまいました。

ここから先は、いなくなったF君とG君の話です。

友人たちの前から姿を消して、どれくらい時間がたったのでしょうか。
F君とG君の二人は、地下室のような暗い場所に立っていました。目の前には大きな扉があります。

「ここ、どこ?」
「わからないよ」

二人共、どうやってここまで来たのかわかりません。気がつくとここにいたのです。

「中に入ってみようか」
「うん」

このままこうしていてもしかたがないと、二人は恐る恐る扉を開けます。
そして、押し開けた扉の隙間から、中を覗いてみた二人は、その先の光景に息を呑みました。

扉の先は大きな部屋でした。暗闇と一緒に、広々とした空間が続いています。
その部屋の中に、火の灯った蝋燭が何百も並び、無数の炎がゆらゆらと輝いていました。
短い蝋燭に、長い蝋燭。今にも消えそうな弱い火もあれば、勢い良く燃えている炎もあります。よく見ると、一本だけ火の消えている蝋燭もありました。

この世のものとは思えない蝋燭の間に、我を忘れて見入る二人。
さらに二人を驚かせたのは、それだけではありません。

目の前に並んでいる、すべての蝋燭に人の名前が書いてあったことです。

ほとんどは知らない名前ですが、よく見ると、知ってる人間の名前が書かれた蝋燭も何本かあります。
一本だけ火の消えている蝋燭にも名前が書かれてあり、それは、二年前に死んだ友達のものでした。

それを見たF君には、これがいつか本で読んだことのある、「命の火」だとわかりました。
蝋燭の火が消えたり、燃えつきた時にその人の一生が終わる。つまり死ぬのです。

「おい、ここにL子さんの蝋燭があるよ」
「本当だ」
「隣にあるのはM君のだ」

数百もある蝋燭の中から、次々とクラスメイトや同級生、友達の名前を見つける二人。
どうも、この部屋はK小学校の生徒たちの命の火が燃えているところのようです。

そのうち、ふたりとも自分の蝋燭が気になってしまいました。
たくさんある蝋燭の中から、自分の名前を探しながら歩きまわる二人。
その後まもなく、

「僕のだ」

F君は、自分の名前のある蝋燭を見つけ出しました。

「これが僕の寿命か」

F君は自分の命の炎を覗き込むようにして見ながら、思わず、

「ふぅ」

とため息をつきました。

その瞬間、ため息に吹き消されるように、蝋燭の火がふっと消えてしまいました。

翌日、再びこの世に戻って来たのはG君だけでした。
どのようにして帰ってきたのかは、G君自身も覚えておらず、F君がどうなったのかもわからないといいます。

それっきり、F君が帰ってくることはなかったそうです。



(※トンカラリン助さんからの投稿です。ありがとうございました)






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Title : 無題

ちゃんと布団に寝て協力者2人に頭と足の方の布団持ってもらって180°回転させて、「アジャラカモクレン、キューライス、テケレッツのパー」って唱えないから……
ああ……消えた……

七篠 2026.03.17 (Tue) 21:20 編集

Title : 無題

>>翌日、再びこの世に戻って来たのはG君だけでした。
>>どのようにして帰ってきたのかは、G君自身も覚えておらず、F君がどうなったのかもわからないといいます。

このように帰って来ないFくんがしたことが語れて、この話の詳細を語ったモノはナニか?これが怖いところだ。

砕天 2026.03.18 (Wed) 03:17 編集

Title : Googleジェミニに訊いてみた

文学作品において、「行方不明になった本人(死者)が、自分しか知らないはずの最期を語る」という形式が廃れ始めたのは、1920年代から1930年代(大正末期から昭和初期)にかけての「近代リアリズム」の浸透が大きな分岐点です。
この形式が衰退した背景には、読者の「リアリティ」に対する感覚の変化があります。
「語り得ぬはずの死」への違和感:
江戸期から明治初期の怪談(例えば三遊亭圓朝の『怪談牡丹灯籠』など)では、幽霊が自分の死の経緯を朗々と語るのは自然な演出でした。しかし、近代文学において「一人称(私)」という視点が確立されると、「死んだはずの人間がなぜこの手記を書けるのか(語れるのか)」という矛盾が、野暮な設定や不自然な嘘として意識されるようになりました。
「視点の限定」による恐怖の洗練:
大正期の江戸川乱歩や夏目漱石(『夢十夜』など)の時代になると、最期まで語り尽くすのではなく、「語り手が消えるところで物語が途切れる」、あるいは「残された者が不可解な失踪に怯える」といった、視点を制限することで恐怖を煽る手法が主流となりました。
「信頼できない語り手」への移行:
戦後のホラーや幻想文学では、死者が真実を語るのではなく、語り手自身が狂っているのか、あるいは異界に呑み込まれたのかを曖昧にする「不条理」が重視されました。これにより、「死者が事の真相をすべて解説する」という形式は、説話的(古い物語的)な手法として一線を画されるようになりました。
現代ではあえてこの「死者の独白」という古い形式を借りて、メタフィクション的に恐怖を再構築する作品もありますが、純粋な「怖がらせるための仕掛け」としては、100年ほど前に近代的な知性と入れ替わる形で第一線を退いたと言えます。
★★★以上ジェミニ★★★
砕天の個人的な印象では18-19世紀の西洋文学では転けてしまった。手書き手紙や印刷新聞がそこそこ高速で届くようになったら批判者の声が拡がりやすくなった。[社会を上手く泳げる人たち]や[ロジックに拘って上手く泳げない人たち]の感じる[ロジックに欠ける違和感キモチワルサ]が共感しやすくなったから。

砕天 2026.03.18 (Wed) 03:29 編集

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