都市伝説・・・奇憚・・・blog
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最後の説教
2007.12.04 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
火曜日に、母方の祖母が亡くなりました。
だんだんと体中が麻痺してゆく病気で、ここ2,3年はベッドから降りることも喋ることもできなくなっていました。
通夜の晩、大叔母(祖母の妹)が棺の窓から自分の姉の顔を見つめながら、
「姉ちゃんの急変した前の日ってね、母ちゃんの命日だったんだよ。……もしかしたら、母ちゃんが『もう苦しまなくてもいいよ』って呼んだんじゃないかねぇ……」と。
私は、7ヶ月ほど前に亡くなった祖父が呼んだのでは、とも思っています。
祖父は元気な人でしたが、季節柄ひいた風邪がこじれて肺炎で急死。
じつは若い頃の祖父は、家の金をありったけ酒につぎこむような酒乱で、母や姉弟、祖母に暴力をふるう人だったそうですが、アル中で足腰が立たなくなり、リハビリのために入院したここ10年ほどは、
「婆さん元気かな?会ったらよろしく言っといてくれ」
とよく別の病院に入院していた祖母のことを気遣っておりました。
祖母もまだ喋れた頃には、その言葉を伝えるたびに照れたような笑みで、
「そんなこと言ってたかい」って。
ショックを受けてはいけないと、祖母には祖父の死を知らせていなかったのですが、見舞いに行った私たちの雰囲気で察してしまっていたかもしれません。
祖母を良く知る人たちも、
「一人で年を越すのはイヤだったんだろうねぇ……」
涙が出ました。
翌日の告別式には、私は仕事で出られなかったので以下は母から聞いた話です。
先ほど出てきた大叔母、祖母の兄弟の中で唯一ボケの症状のない(汗)しっかりした人で、亡くなった日の晩と通夜の晩、二晩続けて寝ずの線香番をかって出ていたのだそうです。
身近な親族だけが聖苑に泊り込んで、迎えた告別式の朝。
やってきたのは祖母の長男である叔父でした。
この叔父、そこそこ資産家の一人娘を嫁に取ったはいいけれど、
向こうのお義父さんから「こっちへきて家を継いでくれ」と言われ、当時通っていた会社にも何の連絡もせずに夜逃げ同然で嫁さんの家へ越してしまった無責任な人です。
向こうの実家はここからかなり遠く、叔父も祖父母の入院中、見舞いに来たことは一度もありません。
その叔父の顔を見るなり、椅子に突っ伏して泣き出す大叔母。
叔父を目の前に据えて、泣きながら説教し、掻き口説くこと数十分。
……突然。
大叔母が立ち上がり、きょろきょろしたかと思うと、
「ここはどこ?なんでこんなとこ、あたしおるん?」
「どうして姉ちゃんの写真、あんなふうに飾ってあんの?」
フラフラと椅子の間を歩き回り、そしていきなり半狂乱で暴れだし……。
あわてて彼女の息子たちが取りおさえ、落ち着くまで自宅で休ませることに。
呆然とする叔父。固まる親族。
結局、一時間後に正気に返った大叔母いわく、
「いや~、ホントに何にも覚えてないんよ(困惑)」
自分が泣きながら説教したことも、突然あばれだしたことも記憶にないそうです。
極度の睡眠不足と、姉の死という大きなストレス。それに加えて親不孝息子の出現。
これがスイッチになって、どっかプチッとキレたんでしょうね。
ただ、うちの母が言うことには、
「お婆ちゃんが自分の妹の体を借りて、あのバカ息子に対して最期のお灸を据えに戻ってきたのかもね」
私も気をつけます……。
だんだんと体中が麻痺してゆく病気で、ここ2,3年はベッドから降りることも喋ることもできなくなっていました。
通夜の晩、大叔母(祖母の妹)が棺の窓から自分の姉の顔を見つめながら、
「姉ちゃんの急変した前の日ってね、母ちゃんの命日だったんだよ。……もしかしたら、母ちゃんが『もう苦しまなくてもいいよ』って呼んだんじゃないかねぇ……」と。
私は、7ヶ月ほど前に亡くなった祖父が呼んだのでは、とも思っています。
祖父は元気な人でしたが、季節柄ひいた風邪がこじれて肺炎で急死。
じつは若い頃の祖父は、家の金をありったけ酒につぎこむような酒乱で、母や姉弟、祖母に暴力をふるう人だったそうですが、アル中で足腰が立たなくなり、リハビリのために入院したここ10年ほどは、
「婆さん元気かな?会ったらよろしく言っといてくれ」
とよく別の病院に入院していた祖母のことを気遣っておりました。
祖母もまだ喋れた頃には、その言葉を伝えるたびに照れたような笑みで、
「そんなこと言ってたかい」って。
ショックを受けてはいけないと、祖母には祖父の死を知らせていなかったのですが、見舞いに行った私たちの雰囲気で察してしまっていたかもしれません。
祖母を良く知る人たちも、
「一人で年を越すのはイヤだったんだろうねぇ……」
涙が出ました。
翌日の告別式には、私は仕事で出られなかったので以下は母から聞いた話です。
先ほど出てきた大叔母、祖母の兄弟の中で唯一ボケの症状のない(汗)しっかりした人で、亡くなった日の晩と通夜の晩、二晩続けて寝ずの線香番をかって出ていたのだそうです。
身近な親族だけが聖苑に泊り込んで、迎えた告別式の朝。
やってきたのは祖母の長男である叔父でした。
この叔父、そこそこ資産家の一人娘を嫁に取ったはいいけれど、
向こうのお義父さんから「こっちへきて家を継いでくれ」と言われ、当時通っていた会社にも何の連絡もせずに夜逃げ同然で嫁さんの家へ越してしまった無責任な人です。
向こうの実家はここからかなり遠く、叔父も祖父母の入院中、見舞いに来たことは一度もありません。
その叔父の顔を見るなり、椅子に突っ伏して泣き出す大叔母。
叔父を目の前に据えて、泣きながら説教し、掻き口説くこと数十分。
……突然。
大叔母が立ち上がり、きょろきょろしたかと思うと、
「ここはどこ?なんでこんなとこ、あたしおるん?」
「どうして姉ちゃんの写真、あんなふうに飾ってあんの?」
フラフラと椅子の間を歩き回り、そしていきなり半狂乱で暴れだし……。
あわてて彼女の息子たちが取りおさえ、落ち着くまで自宅で休ませることに。
呆然とする叔父。固まる親族。
結局、一時間後に正気に返った大叔母いわく、
「いや~、ホントに何にも覚えてないんよ(困惑)」
自分が泣きながら説教したことも、突然あばれだしたことも記憶にないそうです。
極度の睡眠不足と、姉の死という大きなストレス。それに加えて親不孝息子の出現。
これがスイッチになって、どっかプチッとキレたんでしょうね。
ただ、うちの母が言うことには、
「お婆ちゃんが自分の妹の体を借りて、あのバカ息子に対して最期のお灸を据えに戻ってきたのかもね」
私も気をつけます……。
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