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母からの手紙
2007.12.04 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
心霊ではないんですが、母が死んだ次の日に手紙がきていたのには泣きました。
数年前私は東京の会社に勤めていて、母が倒れたことを聞き一度見舞いに地元には帰ったものの、ちょうどそのとき仕事の過渡期でなかなか休みをとれず、半年ほど様子見に買えることもできない日が続いてました。
ちょうどそのとき、私が付き合ってた女性のことを、両親とも認めてくれず、特に母親は
「絶対に結婚は許しません」
の一点張りで、プロポーズまでして、二人の間では婚約してはいたものの、結婚となると、家同士のこともありますし、なかなか出来ないでいました。
母が入院しているときにも、電話をかけると必ずその話になってしまい、病気だというのにもかかわらず、電話ごしにけんかするばかりで、正直なところ、心の中で母を憎んだこともありました。
そうこうしているときに、急な母の病状の悪化。
危篤の知らせが入った3時間後には息を引き取るという突然の死でした。
母の死に目にも会えず、急いで実家に戻った時にはもう母は実家に運ばれ、冷たくなった母の手を握り、とても後悔していました。
「何でもっとやさしくしてあげなかったんだろう。」
「何でもっとお見舞いにきてあげなかったんだろう。」
「何で結婚のことを反対されたからといって憎んでしまったりしたんだろう。」
後悔先に立たず、死んでからわかる親のありがたみ、そんな言葉が身に染みて分った気がします。
お通夜、葬式、後片付けなどを済まし、後ろ髪が引かれる思いで、仕事がたまってしまった東京に戻りました。
借りていたマンションの郵便受けに溜まった新聞や手紙。
何もする気が起きないまま、呆然とそれらをテーブルの上に投げ出したとき、目に飛び込んできたのは、母の字で書かれた私宛の手紙。
状況が飲み込めないまま、その手紙を手にとり、中身を読み出した私はその手紙が母からの最後の手紙ということを知りました。
なくなる前日に、珍しく手紙を書こうと思ったのでしょうか、病状が悪化し、震える手で、書いたであろうその手紙。
まさか自分が死んだ後に私に届くとは思ってなかったのでしょう。
「今度来るときはもうちょっと長くいれるようにしなさい。」
「仕事ばかりしてないで、たまには東京を案内して頂戴。」
と、生きていたころには、うざいと思っていつもけんかになるような内容。
でも、その時、初めてわたしは、母は寂しかったんじゃないか、と思いました。
そんな手紙の中に、意外な事がかかれていました。
「今度帰るときは○○さんもつれて帰ってきなさい。渡したいものがあるから。」
その一行に、最後の最後になって、母が私たちのことを認めてくれたということを悟りました。
よくある話ですが、私が小さいころから母は、大切にしていた指輪を私に見せながら、
「おまえが独り立ちして、お嫁さんを連れてくるようになったらこれをその子にあげるからね。」
と言っていました。多分その事なんだろうと・・・
それから数日して、改めて現在の私の奥さんとなる人を始めて実家に連れて行き、正式に父と亡き母を前に、結婚する旨を伝えました。
今思うと、母はなんとなく自分の命のことを分っていたのではないかと思います。
だから、最後の最後に、あのような手紙を送ってきたのではないかと。
そう考えると、とても切ない気持ちになります。
もうちょっと冷静にちゃんと話し合えばよかったなと。
今では、2人目の子供も無事生まれ、一人目もわんぱくざかりで、手に余るほどですが、でも、こうやって幸せな家庭をもてるようになったのも、母のおかげと、そして、いつも草葉の陰から見守ってくれているからだろうと奥さんともども感謝しています。
数年前私は東京の会社に勤めていて、母が倒れたことを聞き一度見舞いに地元には帰ったものの、ちょうどそのとき仕事の過渡期でなかなか休みをとれず、半年ほど様子見に買えることもできない日が続いてました。
ちょうどそのとき、私が付き合ってた女性のことを、両親とも認めてくれず、特に母親は
「絶対に結婚は許しません」
の一点張りで、プロポーズまでして、二人の間では婚約してはいたものの、結婚となると、家同士のこともありますし、なかなか出来ないでいました。
母が入院しているときにも、電話をかけると必ずその話になってしまい、病気だというのにもかかわらず、電話ごしにけんかするばかりで、正直なところ、心の中で母を憎んだこともありました。
そうこうしているときに、急な母の病状の悪化。
危篤の知らせが入った3時間後には息を引き取るという突然の死でした。
母の死に目にも会えず、急いで実家に戻った時にはもう母は実家に運ばれ、冷たくなった母の手を握り、とても後悔していました。
「何でもっとやさしくしてあげなかったんだろう。」
「何でもっとお見舞いにきてあげなかったんだろう。」
「何で結婚のことを反対されたからといって憎んでしまったりしたんだろう。」
後悔先に立たず、死んでからわかる親のありがたみ、そんな言葉が身に染みて分った気がします。
お通夜、葬式、後片付けなどを済まし、後ろ髪が引かれる思いで、仕事がたまってしまった東京に戻りました。
借りていたマンションの郵便受けに溜まった新聞や手紙。
何もする気が起きないまま、呆然とそれらをテーブルの上に投げ出したとき、目に飛び込んできたのは、母の字で書かれた私宛の手紙。
状況が飲み込めないまま、その手紙を手にとり、中身を読み出した私はその手紙が母からの最後の手紙ということを知りました。
なくなる前日に、珍しく手紙を書こうと思ったのでしょうか、病状が悪化し、震える手で、書いたであろうその手紙。
まさか自分が死んだ後に私に届くとは思ってなかったのでしょう。
「今度来るときはもうちょっと長くいれるようにしなさい。」
「仕事ばかりしてないで、たまには東京を案内して頂戴。」
と、生きていたころには、うざいと思っていつもけんかになるような内容。
でも、その時、初めてわたしは、母は寂しかったんじゃないか、と思いました。
そんな手紙の中に、意外な事がかかれていました。
「今度帰るときは○○さんもつれて帰ってきなさい。渡したいものがあるから。」
その一行に、最後の最後になって、母が私たちのことを認めてくれたということを悟りました。
よくある話ですが、私が小さいころから母は、大切にしていた指輪を私に見せながら、
「おまえが独り立ちして、お嫁さんを連れてくるようになったらこれをその子にあげるからね。」
と言っていました。多分その事なんだろうと・・・
それから数日して、改めて現在の私の奥さんとなる人を始めて実家に連れて行き、正式に父と亡き母を前に、結婚する旨を伝えました。
今思うと、母はなんとなく自分の命のことを分っていたのではないかと思います。
だから、最後の最後に、あのような手紙を送ってきたのではないかと。
そう考えると、とても切ない気持ちになります。
もうちょっと冷静にちゃんと話し合えばよかったなと。
今では、2人目の子供も無事生まれ、一人目もわんぱくざかりで、手に余るほどですが、でも、こうやって幸せな家庭をもてるようになったのも、母のおかげと、そして、いつも草葉の陰から見守ってくれているからだろうと奥さんともども感謝しています。
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