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ー羅漢の門ー <オオ○キ教授シリーズ>
2018.01.12 (Fri) | Category : 創作作品
653:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:29:45ID:F7jXgblw0
羅漢の門 1/8
広島のS寺で聞いた甕の情報は、奈良県のある遺構に関係していた。
1日で訪問するには移動距離があったので、この日は広島に泊まり、翌日、奈良まで戻ることにした。
飛び込みのビジネスホテルに個室を取ってもらった私は、
「少し疲れたかな。具合が悪い」
と、隣室で早々に寝てしまった教授を気にしつつ、兄貴に電話をした。
「お疲れ」
兄貴の労う声が、広島の街で抱え込んできた戦争の重さと、明日への不安を軽くしてくれる。
「うん。疲れた」
と、素直に泣き言を伝えた。
今日の行動を簡単に伝え、明日の予定を告げると、兄貴は、
「藤原京?」
と、ことさらに興味を惹かれた様子で食いついてきた。
そう。明日の訪問先は橿原市にある藤原京の発掘現場。
藤原京っていうのは、教科書では馴染みのない名前かもしれない。
実際、教授に詳しく説明してもらうまで、私も、どの時代に当たるのかがわからなかった。
654:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:31:45ID:F7jXgblw0
羅漢の門 2/8
「藤原京って、大化の改新時に飛鳥から遷都された都だろ?中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が建てたんだっけ?」
ほらほらほら。兄貴も勘違いしてるぞ(笑)。
「それが違うんだってば。中大兄皇子は後に天智天皇になってるよね。遷都は、その娘の持統天皇の時代だよ。30年後ね」
聖徳太子や蘇我氏が活躍した飛鳥時代。
政治、宗教、文化ともに大きく花開いた時代だったようだけど、途中で【乙巳の変(いっしのへん)】という暗殺事件が起こって、様相が一変する。
中大兄皇子と中臣鎌足が、当時の最高権力者だった蘇我入鹿を殺し、世代交代を図ったのだ。
その後に行われたのが、有名な大化の改新。
私は、暗殺事件そのものが大化の改新って言うのかと思ってたけど、正確には、税金の納め方などを法で整備した政治改革のことらしい。
大化の改新を経て、都を手中にした中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏の始祖)は、さらに大きな力を得るために都を移した。
藤原京は、中国の風水の思想を取り入れた造りになっていたそうだ。
南の入り口に当たる門は【朱雀門】、北は【玄武門】、東には【青龍門】、西には【白虎門】。
都の道路は碁盤の目で区切られ、中央の門から順に数字が割り当てられている。
その後に作られた平城京も平安京もこの造りを真似ているから、京都の通りは今でも、一条通、二条通、という名称なんだって。
655:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:32:50ID:F7jXgblw0
羅漢の門 3/8
「その構造を強く勧めたのが藤原氏だったらしいよ」
と、私は、教授の受け売りを説明し続けた。
「藤原氏はもともと神官の能力を持った家系だったの。だから、藤原京を造るときにも、自然の気の力を重んじたんだって」
「神官…ねえ…」
兄貴は、意味ありげに繰り返す。
「なあに?おかしなこと言った?」
と聞くと、
「陰陽師って知ってる?」
と、逆に聞き返された。
…えっと…。安倍晴明みたいな人のこと…?
「陰陽師は、風水と同じく中国から渡ってきた陰陽道っていう思想を実践する人のことね。清明もその1人だけど、その以前の有名人が藤原不比等(ふじわらのふひと)」
兄貴が出した名前に、思わず、
「その人!藤原不比等が当時の実権を握ってたんだよ」
と大声で賛同してしまった(汗)。
そっかあ。歴史的にも有名人だったんだ。
656:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:34:16ID:F7jXgblw0
羅漢の門 4/8
私の反応に笑いながら、兄貴は続ける。
「陰陽道っていうのは、正しい気の流れを司る目的があったから、しばしば、怨霊…つまり、負の気ね、それを抑える呪法も行ったんだ」
「うんうん」
兄貴の話は教授の話と合致する。
「俺も方法は詳しく知らん。護摩壇や祈祷は陰陽道でも行われていたらしいけど。さっき、お前が言った【四神の門】は結界の一種だな。魔を都に入れないための手法だ」
そうだよ、兄貴。さすが、破戒僧でもお坊さんだ。
「教授が言うには、藤原京は、門の他にも、大和三山を結界にしてるらしいよ。だから、3つの山に囲まれた土地に建てる必要があったんだって」
と補足すると、兄貴は、
「なるほどねえ」
と感心する。
658:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:36:27ID:F7jXgblw0
羅漢の門 5/8
「そこで甕の話に戻るけど」
長い前置きに区切りをつけて、私は話題を変えた。
「あの甕は、藤原京の朱雀門のさらに南で、飛鳥から怨霊が入り込むのを防ぐ役割をしていた、と、S寺の和尚さんが言ってたの」
「怨霊って…蘇我入鹿か?」
兄貴の察しが格段によくなったので、話が早い。
「そう。藤原氏にとっては、自分の一族が直接手にかけた入鹿を、ことさらに怖がる理由があったみたいなんだ」
「入鹿は祟ったって言うしな」
兄貴も笑いながら賛同する。
実際、入鹿の霊を慰めるための首塚が、いまでも飛鳥寺に残されている。
「甕が怨霊を防いだってことは、結界を張るのに使われたってこと?」
兄貴の質問に、私は答える。
「藤原京には飛鳥からの直通道路があって、怨霊もその道を通って都に侵入する可能性があったわけ。だから、その道路、【中つ道】の途中に霊力のある甕を埋めて、人は通れるけど魔は通れないって意味づけをしたみたいだよ」
「甕の霊力って…あの厄介な祟りのこと?」
電話口で兄貴が苦笑する。
659:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:38:25ID:F7jXgblw0
羅漢の門 6/8
ここからは、S寺の住職の話から、教授が導き出した甕のいきさつになる。
藤原京の安泰のために施された中つ道の結界には、多数の修験者が関わったらしい。
修験者というのは、山岳などの厳しい自然の中で苦行を積んだ僧侶たちのこと。
彼らは、寺院を持たないことから、一般の僧侶よりも下の階級に見られ、後の時代には羅漢(らかん)とも呼ばれた。
五百羅漢など、屋外に野ざらしにされている仏様を、現在でも見ることがあるでしょ?ああいう待遇。
藤原氏は、修行で高次の霊力を得た羅漢たちを強制的に集め、中つ道のどこかに拘束して、藤原京のために祈らせたのだろう。
たぶん、寝食すらまともに与えずに。
呪具として、羅漢たちと一緒に置かれた甕は、彼らの飢えの苦しさを受け入れた。何人もの餓死者の無念を。
それが祟りの正体だ。
と、教授は推察している。
「ありえるな。あの甕の呪力は、一人二人の恨みじゃ追いつかないからね」
と、兄貴。
「いまでも、声が聞こえる?」
と私。
「ああ。あれはハッタリ。お前が教授の妹さんを怖がってたから、ああ言えばおとなしく甕に戻ると思って言っただけ」
と、兄貴…。
……ほんっとに、ほんっとに、兄貴って、霊感ないんだね(汗)。
662:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:42:00ID:F7jXgblw0
羅漢の門 7/8
「ところで、教授はまだ起きてる?」
兄貴が聞くので、教授の体調がよくないことを伝えた。
「あらら…。もし重篤化したら、お前、病院とか手配できる?」
「病院に連れて行くことぐらいはできるけど…」
正直、心細い…。
「兄貴が来てくれたら嬉しいんだけど…」
と伝えると、兄貴は、
「うーん」
と唸って、考え込んだ。
「俺も行ってやりたいけど、明日、檀家の一人が亡くなる予定だから、待機してないといけないんだよね」
「…」
よ、予定?(汗)
「縁起の悪いこと言わないでよ」
と叱ると、兄貴は声を潜めて言う。
「だってさ、いま本堂の横で電話してんだけど、本堂にその爺さんが来て座ってんだよ。あれ、絶対に実体じゃねーぞ」
反射的に時計を見た。午後10時に近い。
足元から寒気が上ってきた。
「私1人で大丈夫だから!兄貴が来ると、教授、余計に弱りそうだから!」
【丁重に】断ると、
「その意気だ」
と兄貴は笑った。
663:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:42:58ID:F7jXgblw0
羅漢の門 8/8
電話を切ってから、教授の部屋を見舞うと、案の定、教授は高熱を出し始めてた。
「救急車、呼んでもらいましょうか?」
と聞くと、
「明日には引くだろうから、様子見で」
と弱々しい答えが返ってきた。
心配だったので、自分の部屋には帰らずに、教授の部屋のソファで転がった。
心細い。
ルーツが知れるにつれ、甕が力を増して、教授を連れて行きそうで。
引用元:【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ5【友人・知人】
https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1219147569/653-663
羅漢の門 1/8
広島のS寺で聞いた甕の情報は、奈良県のある遺構に関係していた。
1日で訪問するには移動距離があったので、この日は広島に泊まり、翌日、奈良まで戻ることにした。
飛び込みのビジネスホテルに個室を取ってもらった私は、
「少し疲れたかな。具合が悪い」
と、隣室で早々に寝てしまった教授を気にしつつ、兄貴に電話をした。
「お疲れ」
兄貴の労う声が、広島の街で抱え込んできた戦争の重さと、明日への不安を軽くしてくれる。
「うん。疲れた」
と、素直に泣き言を伝えた。
今日の行動を簡単に伝え、明日の予定を告げると、兄貴は、
「藤原京?」
と、ことさらに興味を惹かれた様子で食いついてきた。
そう。明日の訪問先は橿原市にある藤原京の発掘現場。
藤原京っていうのは、教科書では馴染みのない名前かもしれない。
実際、教授に詳しく説明してもらうまで、私も、どの時代に当たるのかがわからなかった。
654:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:31:45ID:F7jXgblw0
羅漢の門 2/8
「藤原京って、大化の改新時に飛鳥から遷都された都だろ?中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が建てたんだっけ?」
ほらほらほら。兄貴も勘違いしてるぞ(笑)。
「それが違うんだってば。中大兄皇子は後に天智天皇になってるよね。遷都は、その娘の持統天皇の時代だよ。30年後ね」
聖徳太子や蘇我氏が活躍した飛鳥時代。
政治、宗教、文化ともに大きく花開いた時代だったようだけど、途中で【乙巳の変(いっしのへん)】という暗殺事件が起こって、様相が一変する。
中大兄皇子と中臣鎌足が、当時の最高権力者だった蘇我入鹿を殺し、世代交代を図ったのだ。
その後に行われたのが、有名な大化の改新。
私は、暗殺事件そのものが大化の改新って言うのかと思ってたけど、正確には、税金の納め方などを法で整備した政治改革のことらしい。
大化の改新を経て、都を手中にした中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏の始祖)は、さらに大きな力を得るために都を移した。
藤原京は、中国の風水の思想を取り入れた造りになっていたそうだ。
南の入り口に当たる門は【朱雀門】、北は【玄武門】、東には【青龍門】、西には【白虎門】。
都の道路は碁盤の目で区切られ、中央の門から順に数字が割り当てられている。
その後に作られた平城京も平安京もこの造りを真似ているから、京都の通りは今でも、一条通、二条通、という名称なんだって。
655:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:32:50ID:F7jXgblw0
羅漢の門 3/8
「その構造を強く勧めたのが藤原氏だったらしいよ」
と、私は、教授の受け売りを説明し続けた。
「藤原氏はもともと神官の能力を持った家系だったの。だから、藤原京を造るときにも、自然の気の力を重んじたんだって」
「神官…ねえ…」
兄貴は、意味ありげに繰り返す。
「なあに?おかしなこと言った?」
と聞くと、
「陰陽師って知ってる?」
と、逆に聞き返された。
…えっと…。安倍晴明みたいな人のこと…?
「陰陽師は、風水と同じく中国から渡ってきた陰陽道っていう思想を実践する人のことね。清明もその1人だけど、その以前の有名人が藤原不比等(ふじわらのふひと)」
兄貴が出した名前に、思わず、
「その人!藤原不比等が当時の実権を握ってたんだよ」
と大声で賛同してしまった(汗)。
そっかあ。歴史的にも有名人だったんだ。
656:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:34:16ID:F7jXgblw0
羅漢の門 4/8
私の反応に笑いながら、兄貴は続ける。
「陰陽道っていうのは、正しい気の流れを司る目的があったから、しばしば、怨霊…つまり、負の気ね、それを抑える呪法も行ったんだ」
「うんうん」
兄貴の話は教授の話と合致する。
「俺も方法は詳しく知らん。護摩壇や祈祷は陰陽道でも行われていたらしいけど。さっき、お前が言った【四神の門】は結界の一種だな。魔を都に入れないための手法だ」
そうだよ、兄貴。さすが、破戒僧でもお坊さんだ。
「教授が言うには、藤原京は、門の他にも、大和三山を結界にしてるらしいよ。だから、3つの山に囲まれた土地に建てる必要があったんだって」
と補足すると、兄貴は、
「なるほどねえ」
と感心する。
658:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:36:27ID:F7jXgblw0
羅漢の門 5/8
「そこで甕の話に戻るけど」
長い前置きに区切りをつけて、私は話題を変えた。
「あの甕は、藤原京の朱雀門のさらに南で、飛鳥から怨霊が入り込むのを防ぐ役割をしていた、と、S寺の和尚さんが言ってたの」
「怨霊って…蘇我入鹿か?」
兄貴の察しが格段によくなったので、話が早い。
「そう。藤原氏にとっては、自分の一族が直接手にかけた入鹿を、ことさらに怖がる理由があったみたいなんだ」
「入鹿は祟ったって言うしな」
兄貴も笑いながら賛同する。
実際、入鹿の霊を慰めるための首塚が、いまでも飛鳥寺に残されている。
「甕が怨霊を防いだってことは、結界を張るのに使われたってこと?」
兄貴の質問に、私は答える。
「藤原京には飛鳥からの直通道路があって、怨霊もその道を通って都に侵入する可能性があったわけ。だから、その道路、【中つ道】の途中に霊力のある甕を埋めて、人は通れるけど魔は通れないって意味づけをしたみたいだよ」
「甕の霊力って…あの厄介な祟りのこと?」
電話口で兄貴が苦笑する。
659:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:38:25ID:F7jXgblw0
羅漢の門 6/8
ここからは、S寺の住職の話から、教授が導き出した甕のいきさつになる。
藤原京の安泰のために施された中つ道の結界には、多数の修験者が関わったらしい。
修験者というのは、山岳などの厳しい自然の中で苦行を積んだ僧侶たちのこと。
彼らは、寺院を持たないことから、一般の僧侶よりも下の階級に見られ、後の時代には羅漢(らかん)とも呼ばれた。
五百羅漢など、屋外に野ざらしにされている仏様を、現在でも見ることがあるでしょ?ああいう待遇。
藤原氏は、修行で高次の霊力を得た羅漢たちを強制的に集め、中つ道のどこかに拘束して、藤原京のために祈らせたのだろう。
たぶん、寝食すらまともに与えずに。
呪具として、羅漢たちと一緒に置かれた甕は、彼らの飢えの苦しさを受け入れた。何人もの餓死者の無念を。
それが祟りの正体だ。
と、教授は推察している。
「ありえるな。あの甕の呪力は、一人二人の恨みじゃ追いつかないからね」
と、兄貴。
「いまでも、声が聞こえる?」
と私。
「ああ。あれはハッタリ。お前が教授の妹さんを怖がってたから、ああ言えばおとなしく甕に戻ると思って言っただけ」
と、兄貴…。
……ほんっとに、ほんっとに、兄貴って、霊感ないんだね(汗)。
662:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:42:00ID:F7jXgblw0
羅漢の門 7/8
「ところで、教授はまだ起きてる?」
兄貴が聞くので、教授の体調がよくないことを伝えた。
「あらら…。もし重篤化したら、お前、病院とか手配できる?」
「病院に連れて行くことぐらいはできるけど…」
正直、心細い…。
「兄貴が来てくれたら嬉しいんだけど…」
と伝えると、兄貴は、
「うーん」
と唸って、考え込んだ。
「俺も行ってやりたいけど、明日、檀家の一人が亡くなる予定だから、待機してないといけないんだよね」
「…」
よ、予定?(汗)
「縁起の悪いこと言わないでよ」
と叱ると、兄貴は声を潜めて言う。
「だってさ、いま本堂の横で電話してんだけど、本堂にその爺さんが来て座ってんだよ。あれ、絶対に実体じゃねーぞ」
反射的に時計を見た。午後10時に近い。
足元から寒気が上ってきた。
「私1人で大丈夫だから!兄貴が来ると、教授、余計に弱りそうだから!」
【丁重に】断ると、
「その意気だ」
と兄貴は笑った。
663:オオ○キ教授◆.QTJk/NbmY:2008/09/28(日)23:42:58ID:F7jXgblw0
羅漢の門 8/8
電話を切ってから、教授の部屋を見舞うと、案の定、教授は高熱を出し始めてた。
「救急車、呼んでもらいましょうか?」
と聞くと、
「明日には引くだろうから、様子見で」
と弱々しい答えが返ってきた。
心配だったので、自分の部屋には帰らずに、教授の部屋のソファで転がった。
心細い。
ルーツが知れるにつれ、甕が力を増して、教授を連れて行きそうで。
引用元:【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ5【友人・知人】
https://anchorage.5ch.net/test/read.cgi/occult/1219147569/653-663
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