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司馬遼太郎は「私は魑魅魍魎談を好まないが、この話は信じたい」と記している。
2016.11.26 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
156:⑦⑦⑦:2016/11/13(Sun)22:35:00
日本軍がキスカ島から撤退するとき、無人のはずの島から万歳三唱が聞こえてきた。
ちなみに、この兵士たちはキスカ島から撤退する際、なぜか急に濃霧になったり等幸運が続いたおかげで無事に撤退できた。
キスカ撤退のとき、記録ではすぐそこまでアメリカ艦隊が接近していた。
しかしアメリカ艦隊は、レーダーに反応した”敵艦隊”に砲撃するのに夢中で日本軍を逃してしまった。
だが、実際にはレーダーに写った日本軍の艦隊などは存在しなかった。
これはアメリカ軍の公式文書にも載ってる話である。
キスカ島からの撤退が成功して、アッツ島沖を通り過ぎる際に、誰もいるはずの無い(全滅済)アッツ島から「万歳」という声がこだました。
これは司馬遼太郎の「街道を行く」に記されている。司馬遼太郎は「私は魑魅魍魎談を好まないが、この話は信じたい」と記している。
157:⑦⑦⑦:2016/11/13(Sun)22:38:00
アッツ島の状況
当時、アッツには守備隊の将兵約2600人、キスカには約6000人がいた。
米軍は当初キスカ攻略を予定していたが、充分な兵力を回す余裕がなく、日本軍の守備兵力が少ないと思われるアッツ攻略に変更された。
昭和18年5月12日、米軍作戦部隊11000人は上陸を開始した。
アッツの山崎守備隊長はいずれ増援があるだろうと努めて持久戦を展開、兵力の温存を図った。
しかし、大本営は日米の海、航空戦力の差が有りすぎることからアッツ、キスカよりの撤収を決定した。
これを受けた樋口北方軍司令官は山崎守備隊長に「最後に至らば潔く玉砕し皇国軍人精神の精華を発揮する覚悟あらんことを望む」の玉砕命令を打電した。
もう兵力の温存を図る必要はない。
その後は死に場所を求めるような積極果敢、無謀な作戦が徹底され、戦闘は壮絶を極めた。
5月30日零時過ぎ、後藤平付近にて最後の総攻撃をかけて守備隊は玉砕した。
天皇陛下は杉山参謀総長がアッツ守備隊の玉砕を上奏した時
「最後までよくやった。そのことを(守備隊に)伝えよ」
と言われ、杉山が無線機はすでに破壊されていると答えると、
「それでもよいから電波を出してやれ」
とおっしゃられたという。
〜出典:別冊歴史読本「玉砕戦」
158:⑦⑦⑦:2016/11/13(Sun)22:44:11
キスカ島の状況
アッツ島を奪回した米軍はその余勢をかって、天候の比較的静穏な8月中旬、キスカ島を一挙に奪回する計画だった。
去る2月、南のガダルカナル島に取り残された、餓死寸前の日本軍15000人の完全撤退を許してしまった戦訓から米軍はキスカ島周辺にアリの這い出る隙もない監視網を張っていた。
7月26日、カタリナ哨戒機が北進する7隻の日本艦隊を発見したが霧のため触接(発見した敵に張り付いてその動きを探る)することができなかった。
しかしキンケイド提督は戦艦2を含む支援部隊に出撃を命じた。
7月27日の夜、支援部隊主力がキスカ島南方に到着すると、珍しく霧が晴れていた。
翌朝の航空索敵により再び日本艦隊を捕捉、攻撃を決意した。
米軍に捕捉されたことは全く知らず日本艦隊は7月29日の撤退を目標にキスカに接近中であった。
28日午前零時7分、戦艦ミシシッピーのレーダーが怪しい艦影を捉えた。ついで戦艦アイダホ、重巡ポートランドらのレーダーも同じ艦影を捕捉した。
午前零時13分米艦隊はレーダー射撃を開始、駆逐艦は雷撃を加えた。
零時45分レーダーの映像が消滅したので、キンケイド提督は日本艦隊を撃沈したと判断、攻撃を止め、付近を捜索したが日本軍の物と思われる浮遊物は何も発見できずどす黒い北海の海がうねっているのみであった。
その頃日本艦隊ははるか北方のキスカ北西を北上中であった。
この戦闘における米艦隊の発射弾数は14インチ砲弾518発、中口径弾487発と記録されている。
米軍の後の調査によると、その時レーダーに映ったものは100マイルも北方のアムケトカ島の反対波であった。とされている。
この「幽霊艦隊」と戦闘した米艦隊は補給の為に後退せざるをえなくなり、キスカより南下した。
ちょうどその時刻、木村少将率いる日本艦隊はキスカ湾に侵入。守備隊全員の撤収を完了し、北千島に向け反転しつつあった。
8月16日、日本守備隊の完全撤退を夢にも知らない米軍は、無人のキスカ島に猛砲撃を加えた後、35000人の将兵を上陸させた。
ところが行けども行けども日本兵は見当たらず、旧日本軍司令部の跡では二匹のカラフト犬が尻尾を振って出迎えたという。
〜出典:丸エキストラ版第57集「世界の決戦場」
(※⑦⑦⑦さんからの投稿です。ありがとうございました)
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日本軍がキスカ島から撤退するとき、無人のはずの島から万歳三唱が聞こえてきた。
ちなみに、この兵士たちはキスカ島から撤退する際、なぜか急に濃霧になったり等幸運が続いたおかげで無事に撤退できた。
キスカ撤退のとき、記録ではすぐそこまでアメリカ艦隊が接近していた。
しかしアメリカ艦隊は、レーダーに反応した”敵艦隊”に砲撃するのに夢中で日本軍を逃してしまった。
だが、実際にはレーダーに写った日本軍の艦隊などは存在しなかった。
これはアメリカ軍の公式文書にも載ってる話である。
キスカ島からの撤退が成功して、アッツ島沖を通り過ぎる際に、誰もいるはずの無い(全滅済)アッツ島から「万歳」という声がこだました。
これは司馬遼太郎の「街道を行く」に記されている。司馬遼太郎は「私は魑魅魍魎談を好まないが、この話は信じたい」と記している。
157:⑦⑦⑦:2016/11/13(Sun)22:38:00
アッツ島の状況
当時、アッツには守備隊の将兵約2600人、キスカには約6000人がいた。
米軍は当初キスカ攻略を予定していたが、充分な兵力を回す余裕がなく、日本軍の守備兵力が少ないと思われるアッツ攻略に変更された。
昭和18年5月12日、米軍作戦部隊11000人は上陸を開始した。
アッツの山崎守備隊長はいずれ増援があるだろうと努めて持久戦を展開、兵力の温存を図った。
しかし、大本営は日米の海、航空戦力の差が有りすぎることからアッツ、キスカよりの撤収を決定した。
これを受けた樋口北方軍司令官は山崎守備隊長に「最後に至らば潔く玉砕し皇国軍人精神の精華を発揮する覚悟あらんことを望む」の玉砕命令を打電した。
もう兵力の温存を図る必要はない。
その後は死に場所を求めるような積極果敢、無謀な作戦が徹底され、戦闘は壮絶を極めた。
5月30日零時過ぎ、後藤平付近にて最後の総攻撃をかけて守備隊は玉砕した。
天皇陛下は杉山参謀総長がアッツ守備隊の玉砕を上奏した時
「最後までよくやった。そのことを(守備隊に)伝えよ」
と言われ、杉山が無線機はすでに破壊されていると答えると、
「それでもよいから電波を出してやれ」
とおっしゃられたという。
〜出典:別冊歴史読本「玉砕戦」
158:⑦⑦⑦:2016/11/13(Sun)22:44:11
キスカ島の状況
アッツ島を奪回した米軍はその余勢をかって、天候の比較的静穏な8月中旬、キスカ島を一挙に奪回する計画だった。
去る2月、南のガダルカナル島に取り残された、餓死寸前の日本軍15000人の完全撤退を許してしまった戦訓から米軍はキスカ島周辺にアリの這い出る隙もない監視網を張っていた。
7月26日、カタリナ哨戒機が北進する7隻の日本艦隊を発見したが霧のため触接(発見した敵に張り付いてその動きを探る)することができなかった。
しかしキンケイド提督は戦艦2を含む支援部隊に出撃を命じた。
7月27日の夜、支援部隊主力がキスカ島南方に到着すると、珍しく霧が晴れていた。
翌朝の航空索敵により再び日本艦隊を捕捉、攻撃を決意した。
米軍に捕捉されたことは全く知らず日本艦隊は7月29日の撤退を目標にキスカに接近中であった。
28日午前零時7分、戦艦ミシシッピーのレーダーが怪しい艦影を捉えた。ついで戦艦アイダホ、重巡ポートランドらのレーダーも同じ艦影を捕捉した。
午前零時13分米艦隊はレーダー射撃を開始、駆逐艦は雷撃を加えた。
零時45分レーダーの映像が消滅したので、キンケイド提督は日本艦隊を撃沈したと判断、攻撃を止め、付近を捜索したが日本軍の物と思われる浮遊物は何も発見できずどす黒い北海の海がうねっているのみであった。
その頃日本艦隊ははるか北方のキスカ北西を北上中であった。
この戦闘における米艦隊の発射弾数は14インチ砲弾518発、中口径弾487発と記録されている。
米軍の後の調査によると、その時レーダーに映ったものは100マイルも北方のアムケトカ島の反対波であった。とされている。
この「幽霊艦隊」と戦闘した米艦隊は補給の為に後退せざるをえなくなり、キスカより南下した。
ちょうどその時刻、木村少将率いる日本艦隊はキスカ湾に侵入。守備隊全員の撤収を完了し、北千島に向け反転しつつあった。
8月16日、日本守備隊の完全撤退を夢にも知らない米軍は、無人のキスカ島に猛砲撃を加えた後、35000人の将兵を上陸させた。
ところが行けども行けども日本兵は見当たらず、旧日本軍司令部の跡では二匹のカラフト犬が尻尾を振って出迎えたという。
〜出典:丸エキストラ版第57集「世界の決戦場」
(※⑦⑦⑦さんからの投稿です。ありがとうございました)
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Title : 無題
実質的に見捨てた司令部から「玉砕せよ」と命令されて、ばか正直に玉砕させるのか……
NONAME 2016.11.26 (Sat) 17:56 編集
Re:無題
そういう時代だったし…ねぇ…
2016.11.28 18:51