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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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悪魔の証明

2007.11.09 (Fri) Category : トピックス

悪魔の証明(あくまのしょうめい)とは、モノ・行為の存在を巡って、「あること」に比較して「ないこと」を証明することが極めて困難であることを比喩する言葉である。鬼の証明ともいう。後記のようにローマ法に由来する用語であるが、もともとの意味からは変容している。

もっとも、物事の有無とは無関係に、単に証明が極めて困難であること又は不可能であることの比喩として用いる場合もある。

「あることの証明」は、特定の「あること」を一例でも提示すれば済む。しかし、「ないことの証明」は、全ての存在・可能性について、「ないこと」を示さねばならない。したがって、調査範囲が限定されるような場合などを除き、「ないことの証明」は「あることの証明」に比べて困難である場合が多い。

そのため、通常は、証明責任は「ある」と主張する側が負うべきとされる。したがって、「あること」が証明されなければ、「ない」と見なされる。なぜなら、荒唐無稽な主張に対しても、否定する側が「そうではないこと」を証明しなければならないというのは不合理だからである。

もっとも、現実の論争の場で、これは絶対的なルールではない。何故なら状況証拠を収集して、推論を導き出す事は有効であると社会的に認められているからである。また、「ない」ことを証明することの方が難しいからといって「ある」ことを証明できないことを理由に「ない」と断定することは科学の停滞につながり「可能性が極めて低い」程度に抑えておくべきである。

なお、これは、証明責任を観念すべき場面における客観的証明責任の分配に関する準則であり、主観的証明責任・証明度・自由心証などの問題と混同しないように注意する必要がある。また、現実には、そもそも証明責任を観念しなくてよい問題も少なくない。







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