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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2025.03.04 (Tue) Category : 

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メアリー・セレスト号事件

2009.09.08 (Tue) Category : トピックス

メアリー・セレスト号(英: Mary Celeste)は、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船。
発見当時、なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、航海史上最大の謎とされる場合もあるが、事件には様々な尾ひれが付けられ、実際以上に不可思議な事件として都市伝説化している。

なお、コナン・ドイルはメアリー・セレスト(Mary Celeste)号にまつわる一連の事件をもとに1884年『J・ハバクック・ジェフソンの証言』という小説を書いているが、ここでは船名が「マリー・セレスト(Marie Celeste)号」となっているため、実際には『マリー・セレスト号』という船名の方が有名かもしれない。

最も有名な例は次のようなものである。

『メアリー・セレスト号を発見したデイ・グラチア号の船員が乗り移ってみると、船内には食べかけの朝食がまだ暖かいまま残っており、ほんの一瞬前まで全員が何事もなく乗船していたようであった』

実際にはデイ・グラチア号の船員は、後の調査でそのような事は全く無かったと証言しており、これは後付されたデマである。
救命ボートがすべてそのまま残っていたとする話も伝えられているが、これも後に創作されたものであり、実際には救命ボートはなくなっていた。

現在判明している真相は下記の通りである。

1872年11月7日、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレスト号はニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コインから出荷された工業用アルコール(おそらくメタノール)を積み、ニューヨークからイタリア王国のジェノヴァへ向けて出航した。船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていた。

1872年12月4日(19世紀には標準時の制定前であるため、12月5日であったともいわれる)、メアリー・セレスト号は、デイ・グラチア号(Dei Gratia)に発見された。
デイ・グラチア号はメアリー・セレスト号の7日後にニューヨーク港を出港した船で、その船長モアハウスはブリッグズ船長と知り合いだった。デイ・グラチア号の乗組員は2時間ほどメアリー・セレスト号を観察し、「遭難信号を掲げていないがおそらく漂流中なのだろう」と判断した。

実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士オリバー・デボーは小さなボート数隻を率い、メアリー・セレスト号に向かった。デボーは「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ボンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していたという。船は他の点では良好な状態であるように思われたが誰も乗っていなかった。

前ハッチも食料貯蔵室も共に開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていた。六分儀とクロノメーターは失われており、船が故意に遺棄されたことを示唆していた。この船唯一の救命ボートは無理矢理引き離された、というよりも故意に降ろされていたようだった。3つの手すりに謎めいた血痕があり、1つの手すりには説明のできない引っかき傷があった。また、血まみれの刀剣(に見えたが、実際は赤錆だった)が船長の寝台の下に隠されていた。

1700樽のアルコールは後にジェノヴァで降ろされたとき9樽が空であったと分かったが、それ以外は無事で、6ヶ月分の食料と水も残されていた。船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つからなかった。最後の日誌の記入は11月24日の、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれており、11月25日にはアゾレスのセント・メアリー島に到着できる位置である。

 








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加茂前ゆきちゃん行方不明事件

2009.09.03 (Thu) Category : トピックス

【事件概要】

 1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前芳行さんの三女・ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。


――――――――


【ココアを残して消えた少女】

 板金工場で夜勤をしていた芳行さんはいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、妻の市子さんも当時パートに出ていた。当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。芳行さんがぐっすり眠っている時間である。普段からゆきちゃんは父親を起こさないように、家に帰ると物音をたてなかったので芳行さんは帰宅にきづかなかった。

 午後2時半には市子さんがパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女が帰ってきたとき、ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだ暖かいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。

 午後4時頃、芳行さんが起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。やがて長女や市子さんも帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族や小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。

 家の中を見ても、不審な点が多かった。
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていたこと。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだったこと。
・当時まだ寒く、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーも家に置かれていたこと、などである。
 また、ゆきちゃんはこの日、友人の遊びの誘いをなぜか断っている。他に何か用事があったのだろうか。

 その後、目撃証言が多数よせられた。
・学校のジャングルジムで遊んでいた。
・学校の横の十四川付近で遊んでいた。
・自宅から15mほどの地点で、白いライトバンの運転手と話していた。
・学校の近くの近鉄・富田駅にいた。
 この中で一番多かった目撃証言は富田駅近くにいたというものである。しかし、それらは有力な手がかりにはならなかった。


【怪文書】

 ゆきちゃんの家族はその後も、情報提供を願うビラや看板を作ったり、TV出演して事件の手がかりを待った。自宅では電話に逆探知装置をとりつけて待ったが、脅迫電話はなかった。そのかわり、無言電話が頻繁にくるようになった。

 事件から3年後、「加茂前秀行様」という間違った宛名(実際は芳行さん)で、一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書だったが、詳しい内容はよくわからなかった。→怪文書の内容
 
 それからしばらくして、一家にもう1通の手紙が届けられた。ダウジング(※)ができるという人物からの捜査協力の申し出である。福岡県に住む「緒方達生」というこの差出人は、ゆきちゃんはすでに亡くなっていると言い、ゆきちゃんの霊の協力の元、捜査をするという。さらに3日後、この人物は「ゆきちゃんの霊を邪魔する別の霊が現れ、捜査に協力することができなくなった」と書いてきた。以来、不審な手紙はない。

 2003年10月、一家に不審な電話がかかる。若い男の声で自分の体格や髪型などの特徴を述べた。この中で「自分の髪型はパンチパーマ」という発言があったのだが、パンチパーマの男というのは失踪当時の目撃情報で出てきた白いライトバンの運転手の特徴だった。この特徴というのは関係者にしか知らされていなかった。


 事件から10年以上がたち、今だにゆきちゃん発見につながる有力な情報は届けられていない。


リンク

三重県警 「情報提供のお願い」
http://www.police.pref.mie.jp/onegai/search/02_yuki.html

オレンジの旅人。
http://tabikaze.hp.infoseek.co.jp/kagerou.htm


≪参考文献≫

新潮社 「新潮45 08年2月号」
二見書房 「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」 近藤昭二


以上、加茂前ゆきちゃん行方不明事件より引用

 








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迷子

2009.08.29 (Sat) Category : トピックス

人は道に迷うと無意識にグルグルと回ってしまう、と昔から言われている。
特に砂漠や森の中など、目印がつけにくく周囲に変化が見られない場所ならなおさらであろう。

真っ直ぐに進んでいるつもりが同じところをグルグルと…。

この迷信とも教訓とも取れる話が、先日科学的な手法によって証明された。
興味深いので転載させていただく。
- - - - - -
「道に迷うと回る」は本当=森や砂漠、目隠し実験で確認-独研究所
8月29日13時59分配信 時事通信

 道に迷うと、同じ所をぐるぐる回ると昔から言い伝えられるが、ドイツのマックスプランク研究所の研究チームがこのことを実験で確認し、29日までに米科学誌カレント・バイオロジー電子版に発表した。目隠しをされた状態でも、最大20メートル程度は真っすぐ歩けるが、距離が長くなるにつれて曲がり、円を描いてしまう可能性が高かった。

 これは、左右の脚の長さの微妙な違いが原因ではなく、太陽や月、山などの手掛かりがないと、方向や身体バランスの感覚のずれを修正できず、ずれが次第に大きくなってしまうためと考えられるという。

 実験は、6人にドイツの暗い、平たんな森の中を数時間歩いてもらうほか、3人にサハラ砂漠を歩いてもらい、全地球測位システム(GPS)でコースを記録。さらに、15人に目隠しした状態で平らな場所を50分間歩いてもらった。

 その結果、太陽が見えない曇った日に森を歩いた4人が円を描き、月が見えない夜に砂漠を歩いた1人は途中でUターンして逆戻りした。目隠しをした15人のうち、一定の方向に歩くことができたのは3人だけで、12人が何回もぐるぐると回った。円の直径は最も小さい場合、わずか20メートル程度だった。 

 








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