都市伝説・・・奇憚・・・blog
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不思議な場所、意味深な場所004
2011.03.11 (Fri) | Category : 地図にない場所・不思議・意味深
新潟県、山形県、福島県の県境に位置する、飯豊山(いいでさん)は飯豊連峰の主峰。
ここの県境は非常にいびつな形になっているのをご存知だろうか。
大きな地図で見る
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画像で確認する場合と、こんな感じになる。


これだけだと何がなにやらわからないと思うので、色をつけてみた。
赤い部分が福島県、左下が新潟県、上が山形県である。

おわかりだろう。
ニョロニョロっと左上に突き出した、非常に奇妙な形となっている。
ここは、三国岳から種蒔山、飯豊神社を経て飯豊山、御西岳へ至る細い細い登山道。
その名を、飯豊回廊という。
以下、wikipediaから抜粋。
- - - - - -
飯豊山は山形県小国町と新潟県阿賀町の県境にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが福島県喜多方市になっており、山頂付近は喜多方市である。
理由は、明治期に廃藩置県後飯豊山付近が新潟県に編入されたが、飯豊山神社を本宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、参道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である。
652年(白雉3年)、知同和尚と役小角が開山したとされる古い山岳信仰の場である。
飯豊山大権現を祀る修験の場として栄え、江戸時代初期までには修験道の修験者が多く訪れた。元禄期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。
また、明治初年の神仏分離によって飯豊山神社となり、地域住民から崇敬された。
特に太平洋戦争前までは、飯豊山への登頂は少年の成人儀式として用いられたことから地域との密着性が高まった。
15歳までに登頂しなかったものは一人前として認めてもらえなかったことから、盛んに集団登山「御山駆け」が行われていたのである。
- - - - - -
…ということで、特にオカルティックな要素はないものの、非常に珍しいことには変わりない。
ここの県境は非常にいびつな形になっているのをご存知だろうか。
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画像で確認する場合と、こんな感じになる。
これだけだと何がなにやらわからないと思うので、色をつけてみた。
赤い部分が福島県、左下が新潟県、上が山形県である。
おわかりだろう。
ニョロニョロっと左上に突き出した、非常に奇妙な形となっている。
ここは、三国岳から種蒔山、飯豊神社を経て飯豊山、御西岳へ至る細い細い登山道。
その名を、飯豊回廊という。
以下、wikipediaから抜粋。
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飯豊山は山形県小国町と新潟県阿賀町の県境にあるが、南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが福島県喜多方市になっており、山頂付近は喜多方市である。
理由は、明治期に廃藩置県後飯豊山付近が新潟県に編入されたが、飯豊山神社を本宮とする福島県側の猛烈な反対運動により、参道にあたる登山道および山頂を再び福島県にすることで決着した結果である。
652年(白雉3年)、知同和尚と役小角が開山したとされる古い山岳信仰の場である。
飯豊山大権現を祀る修験の場として栄え、江戸時代初期までには修験道の修験者が多く訪れた。元禄期以降は修験色は弱まり、稲作信仰、成人儀礼、死者供養などを中心とする庶民信仰の形態に移行した。
また、明治初年の神仏分離によって飯豊山神社となり、地域住民から崇敬された。
特に太平洋戦争前までは、飯豊山への登頂は少年の成人儀式として用いられたことから地域との密着性が高まった。
15歳までに登頂しなかったものは一人前として認めてもらえなかったことから、盛んに集団登山「御山駆け」が行われていたのである。
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…ということで、特にオカルティックな要素はないものの、非常に珍しいことには変わりない。
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不思議な場所、意味深な場所003
2011.02.26 (Sat) | Category : 地図にない場所・不思議・意味深
不思議な場所、意味深な場所002
2011.02.14 (Mon) | Category : 地図にない場所・不思議・意味深
富士山麓の、孤立した集落。
【マップ】
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【航空写真】
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富士の山の中に存在する、集落。
山梨県南巨摩郡身延町八坂。
山梨県の公式資料(URLは後述)によれば、元々一条忠頼に使えた今福家が代々住んでいた、疎村であったようだ。
今福浄閑の孫、善九郎と市左衛門のうち、善九郎が村を治め、市左衛門は武田家に仕えたものの、武田滅亡に際して村に戻ってきているらしい。
その後は主に林業や、八坂金山神社関連の工芸品などを作って生活していたようだ。
2ちゃんねるなどで言われるほど不可解な集落ではないものの、現状の生活の利便性などを考えるに、多少なりとも疑念を感じるのはいたし方のないことなのだろうか。
参考
身延町公式サイト
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/search.php?cx=004437121128587016850:9srmeq8ww7o&cof=FORID:10&ie=UTF-8&q=%E5%85%AB%E5%9D%82&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&siteurl=www.town.minobu.lg.jp/chosei/
(PDF注意)
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/shimobe/shimobechoushi16.pdf
(PDF注意)
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/shimobe/shimobechoushi07.pdf
【マップ】
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【航空写真】
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富士の山の中に存在する、集落。
山梨県南巨摩郡身延町八坂。
山梨県の公式資料(URLは後述)によれば、元々一条忠頼に使えた今福家が代々住んでいた、疎村であったようだ。
今福浄閑の孫、善九郎と市左衛門のうち、善九郎が村を治め、市左衛門は武田家に仕えたものの、武田滅亡に際して村に戻ってきているらしい。
その後は主に林業や、八坂金山神社関連の工芸品などを作って生活していたようだ。
2ちゃんねるなどで言われるほど不可解な集落ではないものの、現状の生活の利便性などを考えるに、多少なりとも疑念を感じるのはいたし方のないことなのだろうか。
参考
身延町公式サイト
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/search.php?cx=004437121128587016850:9srmeq8ww7o&cof=FORID:10&ie=UTF-8&q=%E5%85%AB%E5%9D%82&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&siteurl=www.town.minobu.lg.jp/chosei/
(PDF注意)
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/shimobe/shimobechoushi16.pdf
(PDF注意)
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/shimobe/shimobechoushi07.pdf
不思議な場所、意味深な場所001(2011.02.12追記)
2011.02.11 (Fri) | Category : 地図にない場所・不思議・意味深
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