都市伝説・・・奇憚・・・blog
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箱根駅伝と埋蔵金伝説
2010.01.23 (Sat) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
毎年正月の大イベントの一つ、箱根駅伝。
なぜあのような激しい高低差の、苛烈を極めるコースで毎年駅伝が行われるのか…。
その理由のひとつ(と言われる都市伝説)に、埋蔵金伝説がある。
実は箱根の山、それも第5区(第6区)といわれる小田原―箱根―芦ノ湖周辺に埋蔵金があり、国がそれを掘られるのを避けるために毎年駅伝を敢行しているのだという。
大手町から小田原まではきちんと整備された幹線道路を走るのに、小田原から芦ノ湖まではトンネルも掘らず、山越えを行うのはそのため、なんだそうだ。
たかだか(と言っては失礼だが)駅伝のためにトンネルを掘るのは本末転倒だと思うのであるが…。
その他
・箱根山には戦時中の遺体を大量遺棄したため、掘ると何万体もの骨が出てきてしまうから
・箱根山で戦後大量の不発弾が見つかり、それを埋め戻したために危険だから
など、意味不明な噂もある。
地図を見れば一目瞭然であるが、そもそも箱根山はコースの北側であり、仮にこの話が本当だとしたら対象なのは浅間山、城山、湯坂山のはず。
この山々であれば、トンネルを掘らずとも小田原厚木道路~箱根新道と併走する県道732号線があるのだ。
この県道が箱根駅伝のようなビッグイベントに耐えうる道かどうかは疑問(山岳ドライブのための道なので、まずムリ)であるが、これを開発するほうがトンネル工事よりはるかにコストはかからないだろう。
というか箱根の山道よりはずっと「走るためのコース」としての適正はあると思われる。
箱根駅伝は正式名称『東京箱根間往復大学駅伝競走』。
第一回大会は1920年(大正6年)2月14日。
元々箱根駅伝は、日本人によるアメリカ大陸横断のための予選会という位置づけで創設された。
そのためにロッキー山脈越えを想定し、コースの中に山がある箱根のコースが選ばれた。
だから、あの山越えなのである。
開始年月日をみればわかる通り、第二次世界大戦(1939~1945)は始まっておらず、第一次世界大戦(1914~1918)は主戦場はヨーロッパのため、関係ない。
すべて都市伝説を作るために後付で考案されたものなのである。
では、埋蔵金はないのかといえばそんなことも無い。
大久保長安埋蔵金と言われるものがある。
徳川家康の重臣、大久保長安は全国の金山、銀山の開発を行っていた。
伊豆では土肥、湯ヶ島、縄地などの金山も開発し徳川幕府の財政の基礎をつくった。
その後、長安は幕府転覆の陰謀や金銀の横領のかどで斬首されるが、この横領したと言われる財宝が眠っている、というのである。
その場所が神奈川県足柄下郡箱根町仙石原と言われており、箱根ではあるが駅伝のコースからはかなり北側にずれている。
なぜあのような激しい高低差の、苛烈を極めるコースで毎年駅伝が行われるのか…。
その理由のひとつ(と言われる都市伝説)に、埋蔵金伝説がある。
実は箱根の山、それも第5区(第6区)といわれる小田原―箱根―芦ノ湖周辺に埋蔵金があり、国がそれを掘られるのを避けるために毎年駅伝を敢行しているのだという。
大手町から小田原まではきちんと整備された幹線道路を走るのに、小田原から芦ノ湖まではトンネルも掘らず、山越えを行うのはそのため、なんだそうだ。
たかだか(と言っては失礼だが)駅伝のためにトンネルを掘るのは本末転倒だと思うのであるが…。
その他
・箱根山には戦時中の遺体を大量遺棄したため、掘ると何万体もの骨が出てきてしまうから
・箱根山で戦後大量の不発弾が見つかり、それを埋め戻したために危険だから
など、意味不明な噂もある。
地図を見れば一目瞭然であるが、そもそも箱根山はコースの北側であり、仮にこの話が本当だとしたら対象なのは浅間山、城山、湯坂山のはず。
この山々であれば、トンネルを掘らずとも小田原厚木道路~箱根新道と併走する県道732号線があるのだ。
この県道が箱根駅伝のようなビッグイベントに耐えうる道かどうかは疑問(山岳ドライブのための道なので、まずムリ)であるが、これを開発するほうがトンネル工事よりはるかにコストはかからないだろう。
というか箱根の山道よりはずっと「走るためのコース」としての適正はあると思われる。
箱根駅伝は正式名称『東京箱根間往復大学駅伝競走』。
第一回大会は1920年(大正6年)2月14日。
元々箱根駅伝は、日本人によるアメリカ大陸横断のための予選会という位置づけで創設された。
そのためにロッキー山脈越えを想定し、コースの中に山がある箱根のコースが選ばれた。
だから、あの山越えなのである。
開始年月日をみればわかる通り、第二次世界大戦(1939~1945)は始まっておらず、第一次世界大戦(1914~1918)は主戦場はヨーロッパのため、関係ない。
すべて都市伝説を作るために後付で考案されたものなのである。
では、埋蔵金はないのかといえばそんなことも無い。
大久保長安埋蔵金と言われるものがある。
徳川家康の重臣、大久保長安は全国の金山、銀山の開発を行っていた。
伊豆では土肥、湯ヶ島、縄地などの金山も開発し徳川幕府の財政の基礎をつくった。
その後、長安は幕府転覆の陰謀や金銀の横領のかどで斬首されるが、この横領したと言われる財宝が眠っている、というのである。
その場所が神奈川県足柄下郡箱根町仙石原と言われており、箱根ではあるが駅伝のコースからはかなり北側にずれている。
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豊臣秀吉埋蔵金伝説
2010.01.22 (Fri) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
日本で最も有力とされているのがこの豊臣埋蔵金。
なんと場所まで特定されているのである。
その場所とは兵庫県川辺郡猪名川町多田銀山跡。
1598(慶長3)年夏、豊臣秀吉が死の床についたとき、まだ幼い世継ぎのために、勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させたというのだ。
それは、朝鮮出兵の軍用金の残り、天正長大判4億5000万両と金塊3万貫で、場所は現在の兵庫県猪名川町の多田銀山の坑道内。
もし本当なら、およそ2×2.505×10^16円(約5京円)。
日本の国家予算が2009年度で82兆円なので、実に611年分の金額となる。
いまだカケラも見つかっていないが、もし気になる人はチャレンジしてみてはどうだろうか。
なんと場所まで特定されているのである。
その場所とは兵庫県川辺郡猪名川町多田銀山跡。
1598(慶長3)年夏、豊臣秀吉が死の床についたとき、まだ幼い世継ぎのために、勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させたというのだ。
それは、朝鮮出兵の軍用金の残り、天正長大判4億5000万両と金塊3万貫で、場所は現在の兵庫県猪名川町の多田銀山の坑道内。
もし本当なら、およそ2×2.505×10^16円(約5京円)。
日本の国家予算が2009年度で82兆円なので、実に611年分の金額となる。
いまだカケラも見つかっていないが、もし気になる人はチャレンジしてみてはどうだろうか。
なまはげ
2009.11.17 (Tue) | Category : 都市伝説・伝説・伝承系
なまはげの墓が秋田県に存在する。
何故ならば、なまはげは「大内 額作(おおうち ぬかさく)」という実在の人物をモデルにしているからだ。
大内額作は独り身であったが、子供好きで、村の子供を集めては色々な遊びをして遊んでやっていた。
ある日、額作は村近くの洞穴で遊んでいた子供を叱りつけた。
その子供というのが大地主の息子であったために、額作は村を追い出されてしまった。
しかし翌日、大地主が子供の遊んでいた洞穴の前を通りすがったところ、洞穴は見事に崩れていた。
額作はその洞穴が近々崩れることが分かっていて、子供を叱りつけたのだ。
額作の死後、大地主の息子である弥助が洞穴のあった場所に墓を建て、墓は今なお大地主の子孫によって管理されている。
そして、額作をモデルとした「戒めることで子を守る者」として「なまはげ」は生み出されたのだ。
何故ならば、なまはげは「大内 額作(おおうち ぬかさく)」という実在の人物をモデルにしているからだ。
大内額作は独り身であったが、子供好きで、村の子供を集めては色々な遊びをして遊んでやっていた。
ある日、額作は村近くの洞穴で遊んでいた子供を叱りつけた。
その子供というのが大地主の息子であったために、額作は村を追い出されてしまった。
しかし翌日、大地主が子供の遊んでいた洞穴の前を通りすがったところ、洞穴は見事に崩れていた。
額作はその洞穴が近々崩れることが分かっていて、子供を叱りつけたのだ。
額作の死後、大地主の息子である弥助が洞穴のあった場所に墓を建て、墓は今なお大地主の子孫によって管理されている。
そして、額作をモデルとした「戒めることで子を守る者」として「なまはげ」は生み出されたのだ。
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