都市伝説・・・奇憚・・・blog
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北海道・栗山町
2009.01.31 (Sat) | Category : ホラー・心霊スポット・廃墟
空知支庁栗山町桜丘三丁目。
栗山町の公式ホームページに記載がある心霊スポットである。
以下、公式ページから引用。
開拓の犠牲になった囚人や、不幸な境遇を苦に自殺した女性の霊がニレの老木に乗り移ったと伝えられ、切り倒そうとのこぎりを当てると「キューヒー」と木が泣き、事故が続出しました。
霊木としてまつられていましたが、1970年に切り倒されてしまいました。
切り倒した人もまた亡くなったと言われています。現在、切り株には「泣く木二世」を移植し霊を慰めています。
栗山町の公式ホームページに記載がある心霊スポットである。
以下、公式ページから引用。
開拓の犠牲になった囚人や、不幸な境遇を苦に自殺した女性の霊がニレの老木に乗り移ったと伝えられ、切り倒そうとのこぎりを当てると「キューヒー」と木が泣き、事故が続出しました。
霊木としてまつられていましたが、1970年に切り倒されてしまいました。
切り倒した人もまた亡くなったと言われています。現在、切り株には「泣く木二世」を移植し霊を慰めています。
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北海道・チョマトー
2009.01.26 (Mon) | Category : ホラー・心霊スポット・廃墟
チョマトーは、北海道帯広市(十勝国河西郡)にある沼である。
アイヌ民族の聖地とされる。チョマト沼・チョチョマ沼とも。
語源はアイヌ語の「チ・ホマ(害を受けるの意)」と沼を意味する「トウ」から構成される(従って、”チョマト沼”は沼が重複している)。
1800年頃(或いはそれ以前)に北見アイヌ(一説には日高アイヌ。以下同じ。)が宝物や美女を獲得すべく十勝アイヌのコタンを攻撃した。
当初は劣勢に立たされていた十勝アイヌが神に祈りを捧げると状況は変わり、北見アイヌはチョマトに退避する。
北見アイヌはそこで水鳥を捕獲して空腹を満たしていると、十勝アイヌに包囲されており、逃げ場を失った北見アイヌは沼に飛び込んだ。
沼が赤く見えるのはその時の戦士達の血が多く流れたからだという。
その為『血で染まった沼チョマト-』とも云われ、漢字では「血妖魔沼」と表記し、「血妖魔沼戦没者慰霊碑」が建っている。
十勝地方に古くから伝わる伝説の中でも登場する史蹟が現存するのは数少なく、伝説の信憑性に疑義が唱えられてはいるが歴史的価値は高いと評価されている。
伝説の信憑性が疑われる理由の一つに、アイヌ民族の長老達は沼の事を「トウカムイ(神のいる沼)」と呼んでいる為、神聖な沼に戦士達が飛び込むとは考え難いという。
アイヌ民族の聖地とされる。チョマト沼・チョチョマ沼とも。
語源はアイヌ語の「チ・ホマ(害を受けるの意)」と沼を意味する「トウ」から構成される(従って、”チョマト沼”は沼が重複している)。
1800年頃(或いはそれ以前)に北見アイヌ(一説には日高アイヌ。以下同じ。)が宝物や美女を獲得すべく十勝アイヌのコタンを攻撃した。
当初は劣勢に立たされていた十勝アイヌが神に祈りを捧げると状況は変わり、北見アイヌはチョマトに退避する。
北見アイヌはそこで水鳥を捕獲して空腹を満たしていると、十勝アイヌに包囲されており、逃げ場を失った北見アイヌは沼に飛び込んだ。
沼が赤く見えるのはその時の戦士達の血が多く流れたからだという。
その為『血で染まった沼チョマト-』とも云われ、漢字では「血妖魔沼」と表記し、「血妖魔沼戦没者慰霊碑」が建っている。
十勝地方に古くから伝わる伝説の中でも登場する史蹟が現存するのは数少なく、伝説の信憑性に疑義が唱えられてはいるが歴史的価値は高いと評価されている。
伝説の信憑性が疑われる理由の一つに、アイヌ民族の長老達は沼の事を「トウカムイ(神のいる沼)」と呼んでいる為、神聖な沼に戦士達が飛び込むとは考え難いという。
北海道・常紋トンネル
2009.01.18 (Sun) | Category : ホラー・心霊スポット・廃墟
常紋トンネル はJR北海道石北本線にある、トンネルの一つ。
1914年(大正3年)開通。
同じ石北本線の石北トンネル(北見峠)同様、人家の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約300 m、全長507 mのトンネルを掘るのに3年を要した。
このトンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。
1968年の十勝沖地震で壁面が損傷し、その改修工事(1970年)の際、壁から立ったままの人骨が発見された。
また入口付近でも大量の人骨が発見された。人骨の一部には外力による損傷が見られたという。これにより「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る」という鉄道員間の噂の一部が確認された。
施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという。
1914年(大正3年)開通。
同じ石北本線の石北トンネル(北見峠)同様、人家の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約300 m、全長507 mのトンネルを掘るのに3年を要した。
このトンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。
1968年の十勝沖地震で壁面が損傷し、その改修工事(1970年)の際、壁から立ったままの人骨が発見された。
また入口付近でも大量の人骨が発見された。人骨の一部には外力による損傷が見られたという。これにより「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る」という鉄道員間の噂の一部が確認された。
施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという。
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