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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.11.29 (Fri) Category : 

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気絶中の記憶

2007.12.02 (Sun) Category : 誰も信じない人へ

私は子供のころ雷に打たれたことがあります。 
左腕と両足にやけどを負いましたが、幸いにも大やけどではなく、現在は左腕と左足の指先にかすかにやけどの跡が残っているくらいに回復しました。 
よく雷に打たれた人が不思議な力を持つようになったとか、特別な能力に目覚めたとかそういう話を聞きますが、残念ながら私にはそういう覚醒みたいなことはありませんでした。 

ですが、不思議な経験をしたことが一度だけあります。 
それは、雷に打たれて病院に運ばれたときの話です。 
私は救急車で病院に運ばれたらしいのですが、病院に運ばれるまで意識が全くなかったらしいのですが、なぜかそのときの記憶が鮮明に今でも残っているんです。 
近所のおばさんが気絶している私を見つけ駆けよってきたとき、はだしだった事。 
知らせを聞いて駆けつけた母親がなぜか手ぬぐいをいっぱい抱えていた事。 
救急車に乗っていた退院の人の顔や、救急車の中の様子。 
病院であわただしく動いていた看護婦さん。真剣な顔で顔を覗き込んでいたお医者さん。 
などなど、なんだかテレビで見ているような感じですごく客観的に見ているような感覚で、そのときの様子が記憶に残っているんです。 

そのとき見えていたことを、母親に後で聞いてみると、なぜか全部あたっていたんです。 
私としては、半分はリアルな夢を見ていたことをその様に感じてしまっていたという気持ちがあり、半分は(変な話ですが)当然のことのような変な確信みたいなものがありました。 
ここまでは、臨死体験みたいな、幽体離脱みたいなことがあったのかなと思っているのですが、本当に不思議なのはここからなんです。 

その意識を失っている時に見ていたものの中に、現実にはいなかった人が見えていた記憶があるんです。 
うまく説明できませんが、救急車に乗せられるまでに私の側にいた人というのは、私の母親、近所のおばさん、そのうちの息子さん(救急車を呼んでくれた)、通りがかりで心配して車から下りてきた近所のお兄さん、の4人しかいなかったはずなのですが、私の記憶の中では、その4人以外に、あと数人誰かいたような気がするんです。 
なぜかそこの記憶だけあいまいなんですが、そのときの私と同じ年頃の子供が、3人か4人、もしかするともっといたかもしれないし、1人しかいなかったかもしれない(ごめんなさい..思い出そうとすると余計あいまいになってしまって…)。 
その彼(彼女?)らが、救急車がくるまで私の体を一生懸命さすっているんです。 
額のあたりをなでていたり、胸のあたりをぐるぐる手のひらでさすったり、やけどしていたところにじっと手を当てていたり… 
とても暖かいようなほっとするような、気持ちのいい感じでした。 

そのときは、何でそんなことをしてるんだろう?とは思いましたが、なんだか必死な感じがしたので助けようとしてくれてるんだろうかとかそういう風に思っていたのですが、後で母親にそのことを話すと、そんな子はいなかったし、下手に動かすと行けないからと、誰もさすったりなんかしてなかったそうです。 

ただ、うちの近所には昔火事で亡くなった兄弟がいて、その家の前には今でも5体のお地蔵さんが祭られているんです。
そこのおばちゃんが怪我で入院したときに数日そのおじぞうさんにお花とお菓子をお供えするのを手伝ったことがあって、私の母が言うには、その子達がお礼に命を助けてくれたのかもねと、そういうことなんじゃないのと言っていました。 

今は地元を離れて東京の方に出てきていますが、たまに実家に帰ったときは、簡単ながらお花をお供えして、そのときのお礼を言うようにしています。







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祖父の思い出と自分の体験

2007.12.02 (Sun) Category : 誰も信じない人へ

私は田舎の出身で、田舎って信仰深いところってありますよね。 
うちの田舎もそうでした。 
うちの村では、毎年夏休みのお盆過ぎになると、小学生の子供たちを集めて、お寺にお泊り会みたいなことをやっていました。 
一泊するのですが、お経を唱えたり、子供向けのお説教を頂いたり、夜にはキリスト教がクリスマスにキリストの誕生の子供劇をやるみたいにお釈迦様の誕生劇をやったりと、修行というよりは、楽しいお泊り会という感じでした。 

私が小学3年生くらいのとき、初めてそのお泊り会に参加したときのこと、お昼はいろんなイベントがあってみんなではしゃいで楽しかったのですが、夜寝るとき、お寺の本堂みたいなところでみんなで寝るのですが、周りのみんなは、はしゃぎ疲れてぐっすり眠ってしまったのですが、私だけなかなか寝付けず、何度も寝返りをうってごろごろしていました。 

夜中過ぎになってうとうとしてきたとき、どこからかかすかにお経を唱えるような声が聞こえてきました。 
私は怖くなって布団をかぶって震えてたのですが、お寺ということもあって、お坊さんがどこかでお経を唱えてるのかなと思って、そっと布団の端から外を覗いたとき、私と同じ年頃の子が 
私の布団のほうに向かって歩いてくるのが見えました。 
「あの子も怖いのかな・・」
とおもって、布団から出ると、その子に 
「なんか聞こえるよね」 
と声をかけたところ、びっくりしたような様子で私のほうを見ているその子が、私の知らない子だということに気づきました。 
村のお泊り会なので、参加しているのは友達とか先輩しかいなかったはずなのに、と少し思ったのですが、 
「おしっこいきたい」
とその子がいってきたので、いっしょにトイレまでいくことになりました。 

トイレまでいくと、その子は個室の方に入っていき、私は小の方を済ませると、トイレの外で待っていました。 
でも、いくら待っても出てきません。 
いい加減私も怖くなったので、トイレに入り、
「まだ?!」
と声をかけても返事がありません。個室の方を見ると、誰も入っていない・・・・ 
訳がわからず、気味が悪くなった私は小走りで本堂の方に戻り、友達を起こしました。 
すると友達だったはずの子も私の知らない子・・・パニックになってる私を、起こされたその子は、知ってる友達に話すように
「うっせーなー寝ろよ」
とまた寝てしまいました。 

それからのことはあまり覚えてません。 
そのまま気絶してしまったのか、その出来事が夢だったのかもしれません。 
気が付くと朝になっていて、私は自分の布団の中で目を覚ましました。 
周りの友達はみんな知っている顔。狐につままれたような気がして何人かの友達に話したのですが、
「夢じゃねーの?」
と笑われて、わたしも夢だったのだと思うことにしました。 

お泊り会が終わり、家にに帰った私は、ばあちゃんにおやつを作ってもらいました。 
そのときばあちゃんなら聞いてくれるかなと思い、昨晩のその話をしました。 
するとばあちゃんは、 
「そーかそーか、そりゃじーさんだねー。かわいがってたもんなぁ」
とあまり驚きもせずニコニコして聞いてくれたのを不思議に見ていた記憶があります。 

大きくなった後、ふとそのエピソードを思い出して、ばあちゃんにその話をすると、 
「ああ、じいさんもよーはなしてたよ。」
と・・・。 
「小さいころお寺に泊まったときに寝つけんかったら、知らん顔の子がいて便所に連れてってやったと、じーさんいってたが、ありゃおめーのことやったんだね」 

今になっても意味がよくわからない不思議な話ですが、ばあちゃんが言った通り、若くしてなくなってしまった私の祖父が、私のことを心配していつも見守ってくれたという話で落ち着いています。 
ただ、祖父も同じような経験を小さいころしていたというのと、ばあちゃんの
「かわいがってたもんなぁ」
のせりふが、私に対してかその他のものに対してかは分からないです。 
というのも、私が生まれる20年も前に祖父は亡くなっていましたから。 

スレ違いかもしれませんね。ちょっといいはなしというよりはちょっと不思議な話でした。。。。 







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亡き友人の説教

2007.12.02 (Sun) Category : 誰も信じない人へ

一昨年友人が亡くなりました。サーフィン仲間で、いつもいっしょに海に入っては、夜は時にはナンパしたり、時には今後のことなんかを真面目に朝まで語り合ったりと、ホントに気の通じ合える友人でした。 

葬式には本人の意思とかで親御さんと親族だけの出席しかなく、ひっそりとした葬式でしたが親御さんの希望でなぜか友人代表(?)のような形で自分が出席しました。 

その時、彼の親御さんに
「あいつの遺品やけど是非君に持っていてもらいたくて」
と波乗り日記(その日の波のコンディションや、いい波の立ったポイントなんかを毎日つけていたもの)と、彼がそのシーズンオーダーした新品のお気に入りのロングボードを、譲り受ける形になりました。 

遺品の波乗り日記には大雑把な彼が書いていたとは思えないほど、本当に細かく丁寧にほぼ毎日書き込んであり、私のことも簡単にですが書かれていることがありました。 

彼の死因は海中での頭部打撲による失神のための窒息死でした。 
たまたま一人で夕方に海に入り、パーリング(ボードから落ちること)してしまった際に自分のボードが頭にぶつかって失神してしまったまま海水の中で窒息してしまったそうです。 

その前日の彼の波乗り日記には、いつもは箇条書きで5行くらいに簡潔にまとめてあった内容が、なぜか4ページにわたって、海に対する思いが書き連ねてありました。 
そして、最後に私に対してのメッセージかと思えるようなことが3行だけ書かれてありました。 

その内容は、 
「○○とは話が合わない。○○は自分の考えの中でしか生きていない。あいつはあのままじゃだめだ。あいつはもっと旅をしたほうがいい。とてもいいやつだから特にそう思う。今度あったらじーっくり説教」(原文のままです。) 

私は最初それを読んだとき最初苦笑いをしてしまいました。 
前日にちょうどお互いのサーフィンに対する考えで大口論になっていたからです。 
口論はそのままお互いの人生論なんかにまで発展し、 
「二度とおまえとは海には入らん!」
の私の言葉でその夜はお開きになっていたからです。 

そういう口論はよくあることだったのですが、いつもは彼のほうが折れて話は終わってたのですが、なぜかその日は絶対に折れないで食い下がってくるもので、私のほうも頭に血が上りすぎていたのだと思います。 
実は私のほうはその日は帰ってフテ寝した後、朝になって頭が冷えると反省して、夜電話して謝ろうと思っていました。今思えば、なぜ朝すぐに電話をしなかったのかと悔やまれます。 

読み終わった後しばらくぼうっとしていたのですが、自分でもわからないままいつのまにか号泣していました。 
衝動的に言ったこととはいえ、本当に二度と彼とは一緒に海に入ることはないのだと思うと、涙が止まりませんでした。苦しすぎて声を出すこともできない、そんな感じで仕事も休み一日中泣きつづけました。 

次の日、また仕事を休み、早朝から海に行きました。 
ひとつは供養のつもりで、もうひとつはきっと彼は今も海に入ってるんじゃないかと柄にもなくおセンチなことを考えてしまって、一言謝りたいと思い、今は遺品となってしまった彼の新品のロングボードをもって海に入りました。 

「早くのりてー」
と言っていたロングボードに一度も乗れないまま逝ってしまった彼。 
さぞかし乗りたがっているだろうと思い、遺品でもあるし、綺麗に飾っておこうとも思ったのですが、代わりに一度だけ乗ってやろうと思い、乗ることにしました。 

沖に出たとき、まず、彼に
「ロング借りるよ」
と、次に
「ごめん」
とだけつぶやいて、波には乗らずボードにまたがって、しばらくボーっとしながら、いつも口論になった後はこんな感じで、気まずい思いでいる私のことが分かってかいつも 
「次ぎ行け!(次来る波に乗れよ!)」
とガハガハ笑いながら声をかけてきた彼のことを思い出していました。 

その時、はっきりと 
「次ぎ行け!」 
と後ろから声が聞こえた感じがしました。 

ハッとして、沖のほうを見るととてもいい感じの波。 
夢中で波に乗りました。涙が止まりませんでした。すごく長い時間波に乗っていたような気分でした。 

「空耳かも。。。」
と思った私は、罪悪感が聞こえさせたんだろうと苦笑いしていたのですが、また、
「次!」
と声が。さらに、確かに誰かがボードを後ろから押すような感覚がありました。 

今思い返すと、やっぱり罪悪感が感じさせた幻覚(?)みたいなもんなのかな、とも思うのですが、確かにその時はハッキリと声を聞いた感じがあり、押された感じも本当にリアルでした。 

だから私は、勝手に「許してくれたんだな」と思っています。 
なんだか一番キツイ説教をされたような気分です(ワラ 







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