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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.11.29 (Fri) Category : 

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最後の説教

2007.12.04 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

火曜日に、母方の祖母が亡くなりました。 
だんだんと体中が麻痺してゆく病気で、ここ2,3年はベッドから降りることも喋ることもできなくなっていました。 

通夜の晩、大叔母(祖母の妹)が棺の窓から自分の姉の顔を見つめながら、 
「姉ちゃんの急変した前の日ってね、母ちゃんの命日だったんだよ。……もしかしたら、母ちゃんが『もう苦しまなくてもいいよ』って呼んだんじゃないかねぇ……」と。 

私は、7ヶ月ほど前に亡くなった祖父が呼んだのでは、とも思っています。 
祖父は元気な人でしたが、季節柄ひいた風邪がこじれて肺炎で急死。 
じつは若い頃の祖父は、家の金をありったけ酒につぎこむような酒乱で、母や姉弟、祖母に暴力をふるう人だったそうですが、アル中で足腰が立たなくなり、リハビリのために入院したここ10年ほどは、
「婆さん元気かな?会ったらよろしく言っといてくれ」 
とよく別の病院に入院していた祖母のことを気遣っておりました。 
祖母もまだ喋れた頃には、その言葉を伝えるたびに照れたような笑みで、 
「そんなこと言ってたかい」って。 
ショックを受けてはいけないと、祖母には祖父の死を知らせていなかったのですが、見舞いに行った私たちの雰囲気で察してしまっていたかもしれません。 
祖母を良く知る人たちも、 
「一人で年を越すのはイヤだったんだろうねぇ……」 
涙が出ました。 

翌日の告別式には、私は仕事で出られなかったので以下は母から聞いた話です。 

先ほど出てきた大叔母、祖母の兄弟の中で唯一ボケの症状のない(汗)しっかりした人で、亡くなった日の晩と通夜の晩、二晩続けて寝ずの線香番をかって出ていたのだそうです。 

身近な親族だけが聖苑に泊り込んで、迎えた告別式の朝。 
やってきたのは祖母の長男である叔父でした。 
この叔父、そこそこ資産家の一人娘を嫁に取ったはいいけれど、 
向こうのお義父さんから「こっちへきて家を継いでくれ」と言われ、当時通っていた会社にも何の連絡もせずに夜逃げ同然で嫁さんの家へ越してしまった無責任な人です。 
向こうの実家はここからかなり遠く、叔父も祖父母の入院中、見舞いに来たことは一度もありません。 

その叔父の顔を見るなり、椅子に突っ伏して泣き出す大叔母。 
叔父を目の前に据えて、泣きながら説教し、掻き口説くこと数十分。 
……突然。 
大叔母が立ち上がり、きょろきょろしたかと思うと、 
「ここはどこ?なんでこんなとこ、あたしおるん?」 
「どうして姉ちゃんの写真、あんなふうに飾ってあんの?」 
フラフラと椅子の間を歩き回り、そしていきなり半狂乱で暴れだし……。 
あわてて彼女の息子たちが取りおさえ、落ち着くまで自宅で休ませることに。 
呆然とする叔父。固まる親族。 

結局、一時間後に正気に返った大叔母いわく、 
「いや~、ホントに何にも覚えてないんよ(困惑)」 
自分が泣きながら説教したことも、突然あばれだしたことも記憶にないそうです。 
極度の睡眠不足と、姉の死という大きなストレス。それに加えて親不孝息子の出現。 
これがスイッチになって、どっかプチッとキレたんでしょうね。 
ただ、うちの母が言うことには、 
「お婆ちゃんが自分の妹の体を借りて、あのバカ息子に対して最期のお灸を据えに戻ってきたのかもね」 

私も気をつけます……。 







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後悔はない

2007.12.04 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

俺が厨房の時の話。 

俺は河原を知らない男の人と歩いていた。 
その河原は灰色の漬け物石みたいな石がごろごろしていて、草一本生えて無いなんともまぁ無機質な所で。 
しばらく歩くと岩山みたいなのがあって、そこには真っ赤な鳥居があったんだよ。 
その鳥居をくぐって岩山を登ると、その河原の周りが一望できた。 
でも川が一本流れてる以外、やっぱり何もない。 
暫くぼーっとしてると、川の向こうで誰かが手を振ってきたんだよ。 
良く見たら、俺の母親なのね。 
両手を挙げて笑顔で手を振ってるの。俺も手を振り返した。 
そこで目が覚めた。 
で、周りを見回して状況を把握したんだよ。 
その時は母親の通夜2日目の最中で、俺はお線香の火の番をしてたんだって・・・。 

その時は周りの大人たちは母親の事を「若くして亡くなった可哀想な人」だとか、俺の事も「受験の目前に母親を無くした可哀想な子供」とか言って、兎に角「不幸な人」ってのに祭り上げちゃってくれてさ、それがすごい嫌だったのね。 
だけどその夢の中の母親の笑顔を思い出したらさ、そりゃ未練はあっただろうけど「後悔はない!」って表情だった気がしたんだ。 
確かに若くして亡くなったのは悲しい出来事で不幸な事だけど、 
決して今まで母親が生きて来た人生は「不幸」の一言でで片付けられるものじゃないし、俺も悲しんでるんじゃなくて、母親の死も乗り越えて強く生きてる方がきっと嬉しいんだろうな~って悟った。 

「ただの夢だろ?」って言われたらそれまでだけど、それを機に俺は精神的に強くなれた気がするよ。







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最後に会いたい人

2007.12.04 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

ペットの話はご法度かもしれないのですが...。伝聞なので書かせてください。 
祖母から聞いた話です。祖母が若いころ、かっていた犬は、雑種でしたが、とても賢く、曾祖母が
「買い物にでも行きましょうか」
と言えば、それがだれに対して言った言葉であっても反応し、曾祖母に「おんぶ」をねだったそうです。 
(おんぶしてもらって外に行くのが好きだったようです) 
野犬が社会問題となっていた時代で、首輪や鑑札など義務化されていない時代ですから、「犬団子」と呼ばれる、野犬を殺すための毒団子が道端にあったり、犬こ○しと呼ばれる職業の方が、首輪や鑑札のない犬をつかまえて、保健所へ連れて行くこともしばしばでした。 
ポチ(仮名)というその犬は、
「犬○ろしだ」
といえば、家の中にいてもスグに押し入れの中に設置された自分の寝場所へ戻り、おとなしく寝たふりをし、散歩中(といっても、引き綱などしていませんが)に、おいしそうなものを見つ 
けて走り寄っても
「毒団子だ」
といえば、決して口にしない、それほど賢い犬だったそうです。 
曾祖母と買い物に行ったとき、当時は珍しくなかった馬車が、カーブで少しゆらぎ、車輪があわや曾祖母をひっかける、と思った瞬間、ポチはそれほど大きな体ではなかったにもかかわらず、曾祖母の前に立ち、あっという間に馬車の車輪にひっかけられてしまったのだそうです。 
祖母はそのとき、女学生で学校へ行っていました。帰宅してみると、座布団の上に、ぐったりしたポチがのせられており、曾祖母が
「あんたが帰るまでと思ったけど、死んじゃったみたいだよ」と、しんみりと語ったそうです。 
ところが、呼吸も既に止まっていたはずのポチが、がっと首をもたげ、祖母を見た瞬間、がばっと血を吐き、くぅんと鳴いたあと、ゆっくりと頭をもとへ戻したのだそうです。 
祖母は、泣きながら
「ポチ!ポチ!」
と名を呼んだのですが、二度とポチが目を開けることはなかったといいます。 
曾祖母から、祖母は
「犬は、本当に会いたい人に会うまで、死ねないものなんだよ」と聞かされたそうです。 
長文失礼しました。 







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