都市伝説・・・奇憚・・・blog
お仕事しているおじいちゃん
2008.01.28 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
父親方の実家に帰省したときの話。
田舎(といっても都会)は1階が工場となっており、2階が事務所その奥に婆ちゃんが住んでいる。
爺ちゃんは15年程前に他界しており、婆ちゃんは一人暮らし。
親父はその工場で働いていて、その日は仕事で外に出ていた。
嫁さん、そして4歳になる息子をつれて行っていた俺は、2階の事務所でテレビを見ながら他の親戚達と雑談をしていた。
その時、ふと気がつくと4歳の息子の姿が見えなくなっていた。
「また工場に行ったな」
と思い、(機械工場なので、旋盤やボール盤、溶接機等があり息子はそれらが面白いらしくてよく触ろうとする。休日だから工場にはだれもおらず、ドリルや鉄板等があるため危険)急いで2階の事務所の窓から下を覗いた。
そこには1人で誰かと話をしている息子がいた。
「親父、帰ってきたのか・・・」
と思い話を聞いていると、息子は
「おじいちゃんお仕事してるの?」
等と聞こえてくる。
やはり親父が現場から帰ってきたと思った俺は嫁にその事を告げ、工場へと降りて行った。
途中なにか違和感を感じながら・・・
下に降りると息子は話を続けていた。
「おじいちゃん帰ってきたのか?」
そう息子に声をかけると・・・
誰も居ない、そう、先程感じていた違和感とは息子と会話している相手の声が聞こえなかったのである。
「おじいちゃんが、あそこで仕事してる」
そう言った息子の指差す方を見ると、やはり誰も居ない。
しかし、そこは亡くなった爺ちゃん(息子にとっては曾爺ちゃん)が愛用していた旋盤であった。
もちろん息子は爺ちゃんを知らない。
仏壇にある写真でしか見たことがない。
ちょっとドキドキしながら
「あそこで誰がお仕事してるの?」
と息子に聞くと、
「写真のおじいちゃん」
と言った。
「お仕事の服着てあそこでお仕事してる」
と。
たしかに亡くなった爺ちゃんは工場を立ち上げた人で、仕事がとても好きな人だった。
俺も学生の頃バイトで働いていた時に失敗して潰したボルトを、爺ちゃんがこっそりとその旋盤で直してく
れた事は今でも覚えている。
妙に懐かしさがこみ上げてきた俺は、その方向に手を合わせて
「あんまり無理しない様にな、爺ちゃん」
と心の中で祈り、息子をつれて上がっていった。
「爺ちゃん楽しそうだったか?」
と聞くと
「うん、笑ってた」
と言った息子の言葉になんだか涙がでました。
呼びかけむなしく
2008.01.27 (Sun) | Category : 誰も信じない人へ
友達がアパートで病死して2年。
死後1週間以上立ってから発見されたのですがいつ電話をしても留守電になっているので
「変だ、変だ」
と回りが気が付くまでどんなに親しくっても一週間もかかるんです。
おりしも暑い頃だったので進行が早くて、死亡推定日の特定が難しく病院の話でも
「死後一週間以上です、ご命日は某月某日くらいでは?」
とのことでした。
お葬式のときに誰にも言いませんでしたが、今でも気になっていることがあります。
それは、友達が亡くなったとされる頃、家に不思議な電話があったことです。
夜中と昼間に一回ずつあったのですが、電話に出ると「ざー」という雑音が断続的に聞こえるだけなのです。
「ざ、ざざざー」と言う雑音が聞こえる電話で、ファックスのような機械的発信音ではなくテレビかラジオの周波数があっていないような感じでもあり、
「もしもし、もしもし」
となんども呼びかけたのですが反応がありません。このときは受話器が故障したのかとも思いましたが夜中な事もありちょっと気味も悪くなったので切ってしまいました。胸騒ぎというものを初めて経験しましたがそれがなんの胸騒ぎかはこの時は判りませんでした。
次の日、午後くらいでしたでしょうか、また同じ電話があったのです。
直前に電話を使っていたので受話器が故障しているのではないことは判っていましたから相手の電話がおかしいのだと思い
「もしもし、オタクの電話、故障していますよ。聞こえますか?」
と呼びかけましたが相変わらず雑音がするばかりでしたのであきらめて切りました。
それから4日ほどして友達が亡くなっているのが発見されたのです。
亡くなった友達の枕元には携帯電話と普通の回線の電話があり、着信発信も確かめたのですが最後の発信は携帯電話で最後に話をした人の話では変わった様子はなかったそうで、家に雑音の電話がかかってきた前の日が最後でした。
着信発信を確かめたとき
「もしかして」
と思ったのですが第一、わたし宛に電話をするのなら普通は携帯電話にかかってくるはずですしこの雑音電話の相手が亡くなった友達とは考えにくいのですが、今も思い出すのはこの電話を受けたときの激しい胸騒ぎ、そしてもしかしたらこの電話の時までかすかに生きていたのではないか?との思いが今でも頭を離れません。
思い出してはいたたまれない気持ちになるのです。
感心感心
2008.01.26 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ