都市伝説・・・奇憚・・・blog
約束したお祭り
2008.06.30 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
今回自宅PCからでID違いますが541-543です。
息子が入院中していた時の話をさせて下さい。
また長文で申し訳ないです、本当にすみません。
息子が入院中ある方が「こういった大きな病にかかる子供は、強くて優しい。神様がこの子なら耐えられると思っているからこそなんですよ。」と言われました。
私はその言葉が本当なら、そんな優しい子になぜ神様が苦痛を与えるのか納得できませんでしたが、入院していた子供たちは確かに強くて優しい子ばかりでした。
これから書くのは息子と仲良くしてくれたYちゃんという息子より六つ年上の、強くて優しい女の子の話です。
小児病棟は友達や兄弟が見舞いに来ても感染防止のため中学生以下は病室には入れません。同年代で話ができるのは同じように入院している子供だけなのですが息子と同年代の子は少なく、最初の頃息子は寂しそうでした。
そんな中、面倒見の良いYちゃんが息子のところにちょくちょく遊びに来てくれるようになりました。遊んでもらう内に息子もYちゃんが大好きになり、自然に私もYちゃんと話すようになりました。
Yちゃんも息子と同じ白血病ですが2度目の再発。移植のためドナーを待っている状態なのですがなかなか見つからず、やっと見つかったドナーの方にも土壇場で逃げられちゃったと笑って話してくれました。
もう人生のうち半分以上病院で過ごしていて、移植もできなくなったばかりなのに、、素直で明るくて前向きな子でした。
口から出てくるのは治ったあとの希望に満ちた言葉ばかりで、退院したら私たち家族もYちゃんの地元のお祭りにおいでと誘われました。
(そのお祭りだけがYちゃんにとって入院前のたった一つ記憶に残っている家族との楽しい時間だったそうです)
ある日、Yちゃんが一時退院でしばらく家に帰れるんだと話しに来ました。
その時、突然Yちゃんが「私、死んじゃうかもしれん」と言うのです。
びっくりしました。
今までYちゃんは「退院したら○○行きたいな」のように元気になるのを当然としていたのに、、
Yちゃんは
「おかあちゃん私のこと大好きでしょ?おかあちゃん結構弱いから私が死んだら大丈夫か心配なんだよ」
続けて言いました。
私は戸惑いながら
「退院したらお祭り案内してくれるんでしょ?馬鹿な事言っちゃダメだよ」
といった記憶があります。
Yちゃんは
「そうだね」
と笑って息子にたれぱんだのぬいぐるみをプレゼントしてくれた後、病院を後にしました。
それから1ヶ月を過ぎたくらいでしょうか、Yちゃんは再入院し、その1ヶ月後にお星様になりました。
息子が仲良かったため、Yちゃんのご両親が挨拶に見えましたが私にはかける言葉が見つかりませんでした。
立っているのがやっとといったご両親。そしてあの明るく優しいYちゃんにもう会えないんだと思うと、私も涙が止まりませんでした。
それから2年後、偶然Yちゃんのお母さんにお会いしました。
しばらく話をしたのですが、Yちゃんのお母さんは妊娠していてお腹の子はYちゃんなのだと話してくれました。
Yちゃんのお葬式の後、お母さんはノイローゼ気味になり何もやる気がおきなかったそうです。自分を責めてばかりで、泣いてばかりだったと。
そんな中、毎日Yちゃんが夢に出てくるようになったのだそうです。
「おかあちゃん、そんなに泣かないで。今度もおかあちゃんのところに生まれるから。」
そう言って夢の中でYちゃんは笑うのだと。
だからこの子は絶対女の子でYちゃんなのだと。
「おとうさんが仕事じゃない日に生まれるようにするね。」
とも言っていたと話してくれました。
そんな中、夏のある日、その子は生まれました。
女の子。それもお父さんがお休みの土曜日だったそうです。
さらに言うならYちゃんが私に話してくれたあのお祭りの日でした。
偶然かもしれません。夢もYちゃんを思う親心が見せたもので、女の子だったのもお父さんが休みの日だったのも全て。
でも私はYちゃんだと思いたいです。Yちゃんが誘ってくれたお祭りに、今度は逆に年上になってしまった息子と一緒に行けたらいいなぁと思うのです。
乱文、長文、本当に申し訳ありませんでした。
孫に会えたばあちゃん
2008.06.28 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
私のばあちゃんの話です。
文才も無く、長くなりそうですので無視、スルーOKです。
ばあちゃんは私を含め孫を本当にかわいがってくれた人でした。
ばあちゃんが作った和食が嫌で、当時くそガキの私は
「こんなんじゃなくてカレーが食べたい」
と出来上がったばかりの食事を前に言ったことがあります。
ばあちゃんは何も言わず今作ったばかりの食事を捨て、作ったこともないカレーを懸命に作ってくれました。
明治生まれのばあちゃんはカレーなど作ったことは無かったのでしょう。
勝手がわからず作ったであろうカレーは野菜は白菜、肉の変わりにソーセージや竹輪なんかが入っておりました。
できあがったカレーを見て、子供とはいえ私は悪いと思い、さすがに文句言わずに食べましたね。
今でもあの時のカレーの味は忘れられません。
ぼけ始めてからも孫が集まると
「内緒でお小遣いをあげるでお菓子買いな」
とお金を握らせてくれたばあちゃん。
(大金は持たせられないからという理由でお金を持っていないはずの祖母が握らせてくれたのは15円でした。)
いつも孫に優しい、穏やかで、ぼけてからもかわいいばあちゃんでした。
話がそれてますね、すみません。
「○○のお嫁さんを見たいねぇ」
「曾孫を見たいねぇ」
と言っていたばあちゃんは、私の嫁さんも、当然曾孫も見ることなく私が高校の時に亡くなりました。
そして7年の後、私は結婚。
結婚2年後には子供も生まれ本当に幸せでした。
が、息子が5歳の時それは突然やってきました。
「白血病」
この病気は自覚症状が少なく、まわりから見てもなかなかわかりません。
その上、調子が悪いから心配だと診て貰った医者では風邪だと診断。
発見はさらに遅くなり、入院時にはかなり進行した状態でした。
(型、発病年齢、進行状態等によりリスクが変わり、治療法も異なります)
自宅からかなり離れた大学病院を紹介され、病室で眠る息子を前に泣きました。
採血で何回も痛い注射をされ、点滴や心電図用のモニター等いくつもの機械に囲まれながら
「パパ、大丈夫?」
と私を気遣う息子。
こんなに優しい子がなぜ?という気持ちと、この子を失うかもしれない恐怖の中、私は一晩中泣きました。
泣きながら願いました。
神様に、そしてばあちゃんに。
「ばあちゃん、ばあちゃんの曾孫だよ。お願いだ!まだ連れて行かないでくれ!守ってやってくれ!」
その日から息子の辛い治療がはじまりました。
治療を進めていたある日、息子が言いました。
「もう大丈夫だって言ってたよ。」
医者は私に決して大丈夫などと言いませんでしたし、治療も先は長いものでしたから不思議に思い、誰がそういったのか息子に聞くとしらないおばあちゃんがベッドにきて
「悪いムシムシはいなくなるからね、もう大丈夫。」
と言ったとの事。
妻と私のどちらかが常に息子のそばにいるが、そんな人がきた事はない。
まして、来たのは面会時間以外のようだ。
腑に落ちないままになっていたある日、またあのおばあちゃんが来たと言う息子。
今回は私がお茶を買いに出た数分間のことですし、本当におばあさんがいたのなら廊下で必ず私とすれ違うはず。
実際私は看護士さん以外誰にもすれ違っていません。
?と思っている私に息子が、
「○○(私の名前)が心配だって言ってた。ちゃんとご飯食べなきゃって。」
なぜかはわかりませんが直感的に死んだばあちゃんだと思いました。
不思議なものでばあちゃんだと確信してしまったのです。
それ以降、ばあちゃんは息子の前に出てきませんでしたが私はばあちゃんが守ってくれているのだと思い、
心が少し軽くなった気持ちがしました。
”ばあちゃん、息子が元気になったら絶対墓参りに行くからな”心の中で思いました。
息子は退院し、今は小学校にもちゃんといっています。
この病気は再発は心配ですが、漠然と大丈夫だと思っています。
そういえば私には霊感など全くありませんが、病院では色々と不思議な話を聞いたり不思議な現象を見たりして驚きました。
なのに自分のこの事件は全く驚きもせず、不思議にも感じませんでした。
今思えば不思議ですね。
長文な上、文章下手ですみませんでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。
息子を頼む
2008.06.27 (Fri) | Category : 誰も信じない人へ
おれにとって,ばーちゃんは『優しさ』の権化みたいな人だった.
いつもにこにこしてて,言葉を荒げることもなく,本当に穏やかな人で,家族みんなが,ばーちゃんのこと,大好きだった.ばーちゃんは動物にも優しくて,家の周りにある三毛猫がうろつきはじめると,餌づけして,いつの間にか家のネコになってた.ほどなくして家族にもなついたんだけど,おれや妹が抱き上げて撫でてやっても,機嫌よくはしているんだけど,ノドをゴロゴロと鳴らすことはないくせに,ばーちゃんが視界に入るだけで,その三毛猫はゴロゴロとノドを鳴らしてた.
その様子にいつも可愛がってたおれや妹は憤慨したもんだ.なんでばーちゃんがいるだけでゴロゴロいいやがるんだ,こいつは(`Д´)と.
三毛猫が二度目の出産をしてしばらくたった頃,ばーちゃんが入院した.本人には知らせなかったがガンだった.入院からたったの一ヶ月.ホントにあっとゆー間にばーちゃんは逝っちゃった.
看病している時,一言も『痛い』と言わなかったばーちゃん.末期で凄まじい痛みがあるハズなのに,顔を見ては『ありがとう』と微笑むばーちゃん.逝ってしまう1週間くらい前だったかな?珍しくしかめっ面してベッドにいるばーちゃんに『痛いのか?』と聞いたら,小さく頷いた.おれが初めてみたばーちゃんの弱音だった.そんな我慢強い人だった.
死に顔は本当に安らかで,元気だった頃のばーちゃんの穏やかな顔そのもの.遺体を家に連れて帰って,葬儀をすませたその夜,気がつかない間に,三毛猫は生後二ヶ月の仔猫4匹を連れて家出した.それっきり帰ってこなかった.大好きなばーちゃんがいなくなったのを感じ取ったんだろうか...
あれから9年.ばーちゃんの事を思い出すのも滅多にないよーになってた.
先日,ばーちゃんに会わせてあげられなかった嫁が死産した.おれの子供が,嫁のお腹の中で死んでしまってた.前日までお腹蹴ったりしていたのに.母体への影響もあるということで,嫁は,普通分娩で2日かかって出産してくれた.
9ヶ月の男の子だった.体重2600g,身長49cmまでにもなっていたのに,産声を上げることなく出てきた.
おれも嫁も初めての子だっただけに,どうにも現実とは思えず,放心状態.
息子が出てきてくれた夜,丸二日寝てなかったのに,病院の簡易ベッドということもあり,なかなか寝つけなかった.うとうとし始めた頃に,夢にばーちゃんが出てきてくれた.
別に何を言うわけでもない.いつもの笑顔でおれを見つめて,ただ2度頷いてくれた.
目がさめて,まわりを見渡し,夢であったことを自覚すると,嫁にきづかれないように病室を出て駐車場のクルマまで一目散に行った.そして大泣きした.まさに号泣した.
ありがとう,ばーちゃん.きっと息子のことはまかせとけって言いにきてくれたんだよね.
忙しさにかまけて墓参りもまともに行ってない不幸者なのに,ちゃんと見守ってくれてたんだな.そう思うと,息子を亡くした悲しさと,ただ自分がつくりあげた妄想かも知れないが,夢にまで出てきてくれたばーちゃんや祖先にたいする感謝が塊となって襲ってきて,大声あげて泣いた.
まだ立ち直ったとは言い切れないけれど,おれは嫁と一緒にがんばっていくよ.心配ばっかかけてごめんな,ばーちゃん.どうかこれからも見守っててください.
そして,おれも嫁も知らない世界へ行った息子の魂を守ってやってください.