都市伝説・・・奇憚・・・blog
懺悔
2008.07.22 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、 過労だと思う、、
葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、
私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、 母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、謝りたい、心から母に謝りたかった。
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」
と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていた。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」
と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
結局、私は大学には行けなかった。
今は普通の会社員だ。
が、暇を見つけては絵を描いて、描きあがった絵は仏壇の前に飾っている。
絵を好きになったのは、美大に行きたかったのは、子供の頃
「上手に描けたね」
と言ってくれた母の一言がきっかけだった。
それに気づいたから。
今も、母の事を思うと自責の念で心が痛むけれど、その母のためにもがんばって生きていきたいと思う。
長文の上、乱文で申し訳ありませんでした。
いい話とはいえない話だったと思いますが、読んでくださった方、ありがとうございました。
ロベルト!
2008.07.20 (Sun) | Category : 誰も信じない人へ
これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、
その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビルを1人でブラブラ見に行ったんだ。
直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて
涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。
そしたら、ちょっと前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の肩を後ろから叩いて、
「よう!ロベルト、久しぶりだな!」
って声かけてくるんだよ。
俺も、不意打ちだったもんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」
ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して
「やっぱりロベルトじゃないか!」
って益々大きな声で言いだしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思ったから、
「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」
って言ったら、爺さんは笑いながら
「そんな事は知ってるわい!」
みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)
爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」
俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」
爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだよ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」
俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」
爺、にっこり笑って
「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。
だから、君を見かけた時、日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」
俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」
爺、急に笑顔から一変して渋い表情で
「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された方はいるかな?」
俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きてますよ!」
爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をしたと思っている。と伝えてくれ。」
と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。
俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」
爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺
をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。そして、イタリア人はテレビで見るような、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」
そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。
そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に戸惑った俺は、
「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」
とだけ言って、挨拶をしてその場を去り、また炎天下の中に戻っていった。
今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうかなんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくら
いぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるんじゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」
後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で他界した。
世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話しかけてたと言う。
母のかげ
2008.07.19 (Sat) | Category : 誰も信じない人へ
おいらは母親の記憶がない
2歳の頃病気で死んだから
10年以上前、5歳くらいの頃だったと思う
(記憶があいまいだけどがんばって書いてみる)
姉が熱を出し祖母はあわてて病院に行った
鍵のかかったアパートで2,3時間一人になった
とても暇で火遊びか何か危険なことをしようとしていたのだと思う(あまり記憶ないけど)
悪戯に夢中になっていたとき背後から声をかけられた
そんなことをしちゃいけませんって
そんなことを言われたような気がする
振り向くときれいなお姉さんがいた
少し怒ったような困ったような顔をしていたと思う
少し注意されたあと遊んでもらった
あや取りをしたのだと思う
祖母が帰宅した頃
いつのまにかお姉さんはいなくなっていた
ただそれだけのことなんだけど
最近気になっているのは
姉はあの時のお姉さんに似てきたなってこと
このあいだ叱られた時きがついたよ