都市伝説・・・奇憚・・・blog
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満開の桜
2008.08.27 (Wed) | Category : 誰も信じない人へ
父の体にガンが巣食っていると判明した時には、既に手遅れでした。
あと一年の命と宣告され、きっかり一年後に旅立ちました。
すい臓ガンは発見しにくく、見つかった時には遅いというケースが多いそうです。
亡くなる少し前から、父は
「○月○日に退院したい」
としきりに訴えていました。
病状は悪化の一途を辿っていたので、もちろん許可は下りませんでしたが。
弱った体を支えて花見に行った数日後、夜半に危篤の連絡を受けて病院に行きました。既に意識はなく、家族に見送られて父は逝きました。
その日はまさに、退院したいと父が言っていた○月○日。死亡退院となりました。
葬式の日は天気がよく、桜が満開でした。ハラハラと桜が散る中、皆泣きながら父を見送りました。
中でも、母と祖母の嘆きは酷く、祖母は
「私も連れていって」
と繰り返し泣いていたのを覚えています。
それから私は家を出て、東京で一人暮しを始めました。
父の三回忌の為、仕事を休んで実家に戻ることになりました。帰郷にはもう一つ目的があり、それは祖母のお見舞いでした。
少し前に祖母がガンになり、あと半年の命だということが判明したのです。
父と同じすい臓ガン。不思議な巡り合わせを感じながら、祖母を見舞いに病院へ行きました。
「あなたの母と手を取り合って、頑張って生きていきなさい」
祖母はそう言って、私の手を握り締めました。
母を長年虐めてきたのは祖母なのに、と私は半ば冷めた気持ちで聞いていましたが。
それでも祖母のことは好きでしたし、
「そんなすぐ死にそうなこと言わないでよ。もっと生きてね」
と祖母を励まして帰りました。
法要の予約は父の命日の少し前にいれてあり、無事に三回忌を済ませました。
それですぐに東京に戻ろうと思ったのですが、急に酷い風邪を引いて実家で数日寝こんでしまいました。
それでも仕事を休めるのには限界があるので、命日の夕方、さすがに帰らなければと仕度をしていた時です。
一本の電話があり、祖母の容態が悪化したというのです。
病院に向かうと、大勢の親戚が皆揃っていました。父の三回忌なので、遠方の親戚も集まっていたのです。
みんなに見守られながら、祖母も亡くなってしまいました。
あと半年残っていたはずなのに、医者も驚くほど急に悪くなったそうです。
そして、葬式の日。
その日は桜が綺麗に咲いていました。あの日と全く同じに。
以上です。いい話かはやはり微妙ですがw
たまたま葬儀場も一緒だったり、お坊さんも偶然同じ人だったり、と重なることが多くて、親戚一同不思議がっていました。
嘆き続けていた祖母を見かねて、父が一緒に連れていったのかもしれません。
何度か、父の夢を見ました。
二人で何気ない雑談をしている夢です。
私は父が亡くなったことを知っていて、それでも
「口に出したら消えてしまうかもしれない」
という恐れから、知らないふりをして楽しく話し続ける夢です。
起きてから泣きました。
もっとたくさん話せばよかった。
比較的会話の多い家族だったとは思いますが、それでも足りない。
頭がよく、雑学をたくさん知っていた父。
もうすぐ私は結婚しますが、その姿を見せてあげたかったと思います。
あと一年の命と宣告され、きっかり一年後に旅立ちました。
すい臓ガンは発見しにくく、見つかった時には遅いというケースが多いそうです。
亡くなる少し前から、父は
「○月○日に退院したい」
としきりに訴えていました。
病状は悪化の一途を辿っていたので、もちろん許可は下りませんでしたが。
弱った体を支えて花見に行った数日後、夜半に危篤の連絡を受けて病院に行きました。既に意識はなく、家族に見送られて父は逝きました。
その日はまさに、退院したいと父が言っていた○月○日。死亡退院となりました。
葬式の日は天気がよく、桜が満開でした。ハラハラと桜が散る中、皆泣きながら父を見送りました。
中でも、母と祖母の嘆きは酷く、祖母は
「私も連れていって」
と繰り返し泣いていたのを覚えています。
それから私は家を出て、東京で一人暮しを始めました。
父の三回忌の為、仕事を休んで実家に戻ることになりました。帰郷にはもう一つ目的があり、それは祖母のお見舞いでした。
少し前に祖母がガンになり、あと半年の命だということが判明したのです。
父と同じすい臓ガン。不思議な巡り合わせを感じながら、祖母を見舞いに病院へ行きました。
「あなたの母と手を取り合って、頑張って生きていきなさい」
祖母はそう言って、私の手を握り締めました。
母を長年虐めてきたのは祖母なのに、と私は半ば冷めた気持ちで聞いていましたが。
それでも祖母のことは好きでしたし、
「そんなすぐ死にそうなこと言わないでよ。もっと生きてね」
と祖母を励まして帰りました。
法要の予約は父の命日の少し前にいれてあり、無事に三回忌を済ませました。
それですぐに東京に戻ろうと思ったのですが、急に酷い風邪を引いて実家で数日寝こんでしまいました。
それでも仕事を休めるのには限界があるので、命日の夕方、さすがに帰らなければと仕度をしていた時です。
一本の電話があり、祖母の容態が悪化したというのです。
病院に向かうと、大勢の親戚が皆揃っていました。父の三回忌なので、遠方の親戚も集まっていたのです。
みんなに見守られながら、祖母も亡くなってしまいました。
あと半年残っていたはずなのに、医者も驚くほど急に悪くなったそうです。
そして、葬式の日。
その日は桜が綺麗に咲いていました。あの日と全く同じに。
以上です。いい話かはやはり微妙ですがw
たまたま葬儀場も一緒だったり、お坊さんも偶然同じ人だったり、と重なることが多くて、親戚一同不思議がっていました。
嘆き続けていた祖母を見かねて、父が一緒に連れていったのかもしれません。
何度か、父の夢を見ました。
二人で何気ない雑談をしている夢です。
私は父が亡くなったことを知っていて、それでも
「口に出したら消えてしまうかもしれない」
という恐れから、知らないふりをして楽しく話し続ける夢です。
起きてから泣きました。
もっとたくさん話せばよかった。
比較的会話の多い家族だったとは思いますが、それでも足りない。
頭がよく、雑学をたくさん知っていた父。
もうすぐ私は結婚しますが、その姿を見せてあげたかったと思います。
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見守られている家
2008.08.26 (Tue) | Category : 誰も信じない人へ
いいスレですね。
私の実家は20年くらい前に父が建てたものです。
その前は空き地だったんですが、なぜか家の中で足音が聞こえるようになりました。
誰もいない廊下でトントンと、明かに人が移動していくような音がします。
家族全員揃っているのに、階段を誰かが上っていったりしたこともありました。
従兄弟と部屋で遊んでいた時に、ドアを何度もノックされたりもしました。(その時、他に人はおらず)ピシっというラップ音も多く、ドアが勝手に閉まるのも日常茶飯事です。
でも、風が吹いたんだとか(窓は開いていないけど)、家鳴りがしてるんだろうと
「気のせい」
ということにしてきました。
なぜか怖いという感じはしなくて、むしろほっとする気持ちになることが多かったですし。
それから10年以上が経ち、父も祖母も他界しました。
私も家を出ていたのですが、先日七回忌で実家に帰った時、またその足音の話になりました。
母が友人と一緒に一階で過ごしていたところ、二階からトントンと階段を降りる音がし、そのまま足音は和室に向かい、仏壇の前でピタリと音が止んだそうです。
それは、前からいた人(?)なのか、それとも父か、祖母なのか…
正体は解かりませんでしたが、誰かがこの家を見守ってくれているんだなぁと温かい気持ちになりました。
…って、別段いい話じゃなかったですね。
父と祖母の死んだ時にも、少し不思議なことが起こったのですが、それはまた別の機会に。
私の実家は20年くらい前に父が建てたものです。
その前は空き地だったんですが、なぜか家の中で足音が聞こえるようになりました。
誰もいない廊下でトントンと、明かに人が移動していくような音がします。
家族全員揃っているのに、階段を誰かが上っていったりしたこともありました。
従兄弟と部屋で遊んでいた時に、ドアを何度もノックされたりもしました。(その時、他に人はおらず)ピシっというラップ音も多く、ドアが勝手に閉まるのも日常茶飯事です。
でも、風が吹いたんだとか(窓は開いていないけど)、家鳴りがしてるんだろうと
「気のせい」
ということにしてきました。
なぜか怖いという感じはしなくて、むしろほっとする気持ちになることが多かったですし。
それから10年以上が経ち、父も祖母も他界しました。
私も家を出ていたのですが、先日七回忌で実家に帰った時、またその足音の話になりました。
母が友人と一緒に一階で過ごしていたところ、二階からトントンと階段を降りる音がし、そのまま足音は和室に向かい、仏壇の前でピタリと音が止んだそうです。
それは、前からいた人(?)なのか、それとも父か、祖母なのか…
正体は解かりませんでしたが、誰かがこの家を見守ってくれているんだなぁと温かい気持ちになりました。
…って、別段いい話じゃなかったですね。
父と祖母の死んだ時にも、少し不思議なことが起こったのですが、それはまた別の機会に。
赤ん坊の微笑み
2008.08.25 (Mon) | Category : 誰も信じない人へ
この話、俺の体験なんだけど、記憶は無い。まだ腰も座ってない赤ん坊の頃の話。
母から聞いた話で、俺自身記憶が無いわけだから、信じがたい話だけど、信じたい。
ひい祖母ちゃんは生粋の関西人という感じの気は強いがカラッとした性格で、家族から相当信頼されてたらしい。
しかし、晩年は老人性認知症で俺が産まれるほぼ一ヶ月前に亡くなったらしい。
生前は俺が腹の中にいる頃の母が見舞いに行くたびに
「生まれたのかい?」
と聞かれたらしい。
家族の団欒でも、ひい祖母ちゃんは良く話題にあがり、その話を聞くたびに、俺は
「一目でいいから会いたかったな」
って独り言を言うのが口癖だった。
でも、ある日、母と二人でドライブ中に上の展開になり、その口癖を言った。
すると母は
「ひいお祖母ちゃんは、ちゃんとアンタに会いに来とんさった」
と言い出した。
俺は当然
「…っ!!??」
母の話を要約すると、赤ちゃんってのは、一人でベビーベッドにいて、あやしてない時でも、ひとりでに笑うことがある。世界共通で赤ちゃんは視線を中空に向け笑う様だが、アメリカや諸外国では
「赤ん坊が天使を見ている」
と表現されるそうだ。
俺も例に漏れず笑っていたそうだが、その頻度が、兄や妹より多かったらしい。
きっと、ひい祖母ちゃんが楽しみにしてた曾孫の顔を見に来ていたのだと。
俺自身、仏壇に飾ってあった、ひい祖母ちゃんの写真しか「ひい祖母ちゃん」の顔は知らないが、きっとひい祖母ちゃんは俺に会いに来てくれてたんだと思う。
そして、気さくなひい祖母ちゃんだったと聞いていたから、俺をあやしてくれていたんだと、そう信じたい。
説明混ぜると長くなってしまいました。申し訳ないです。
別に「泣ける」話ではないけど、「ちょっと」いい話ってことで書き込みさせていただきました。
母から聞いた話で、俺自身記憶が無いわけだから、信じがたい話だけど、信じたい。
ひい祖母ちゃんは生粋の関西人という感じの気は強いがカラッとした性格で、家族から相当信頼されてたらしい。
しかし、晩年は老人性認知症で俺が産まれるほぼ一ヶ月前に亡くなったらしい。
生前は俺が腹の中にいる頃の母が見舞いに行くたびに
「生まれたのかい?」
と聞かれたらしい。
家族の団欒でも、ひい祖母ちゃんは良く話題にあがり、その話を聞くたびに、俺は
「一目でいいから会いたかったな」
って独り言を言うのが口癖だった。
でも、ある日、母と二人でドライブ中に上の展開になり、その口癖を言った。
すると母は
「ひいお祖母ちゃんは、ちゃんとアンタに会いに来とんさった」
と言い出した。
俺は当然
「…っ!!??」
母の話を要約すると、赤ちゃんってのは、一人でベビーベッドにいて、あやしてない時でも、ひとりでに笑うことがある。世界共通で赤ちゃんは視線を中空に向け笑う様だが、アメリカや諸外国では
「赤ん坊が天使を見ている」
と表現されるそうだ。
俺も例に漏れず笑っていたそうだが、その頻度が、兄や妹より多かったらしい。
きっと、ひい祖母ちゃんが楽しみにしてた曾孫の顔を見に来ていたのだと。
俺自身、仏壇に飾ってあった、ひい祖母ちゃんの写真しか「ひい祖母ちゃん」の顔は知らないが、きっとひい祖母ちゃんは俺に会いに来てくれてたんだと思う。
そして、気さくなひい祖母ちゃんだったと聞いていたから、俺をあやしてくれていたんだと、そう信じたい。
説明混ぜると長くなってしまいました。申し訳ないです。
別に「泣ける」話ではないけど、「ちょっと」いい話ってことで書き込みさせていただきました。
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