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震災にて
2010.06.13 (Sun) | Category : 人を信じすぎる人へ
391 名前:震災にて 投稿日:03/05/12 14:19
自分の避難した体育館では、避難していた医師の指示で一部を区切って怪我人を寝かせてありました。
怪我人をステージの向かって右手。
風邪などの感染症は、向かって左手に。
自分は介護士でしたから、怪我人の世話をしていました。
余震で建物がきしむと、あちこちから悲鳴が上がり、夜に怪我人がうなされると
「うるさい、黙らせろ」
と、ヒステリックに叫びだす男性や、子供に風邪が移るのを恐れて、病人を追い出せと文句を言いにくる親達もいて、エゴむき出しの地獄でした。
そんな中で、経験した事です。
1)地震で倒れた家具の下敷きになった息子と妻は、怪我をしていました。
妻は肋骨を折っただけでしたが、息子は全身を強打しており意識不明で熱が下がりません。
1日目の夜、妻と自分は同じ夢を見ました。
息子が目の前に立ち、微笑みながら、はらはらと穏やかに泣いていました。
どうした、痛いのか?と聞くと、首を横に振り
「もう痛くないけど、行かなあかん。父さん母さん、ごめんな。ありがとな」
そういって消えました。
私達が聞いた、1歳の息子の初めてで、最後の声でした。
2)いつでも怪我人の世話が出来るように、自分は患者さんのスペースで寝ていました。
夜中に気が付くと、灰色の影が、患者さん達の間を歩いていました。
自分の傍にもその影がやってきて、目が合うと優しく悲しく微笑みました。
見ていると、彼は重症患者の枕元に歩み寄り、話しかけては移動して行きます。
その姿は、まるで熟練した看護婦の様でした。
重症患者の中には、彼に誘われるまま立ち上がり、その後を付いて歩く人々もいました。
その夜は6人が立ち上がり、彼の指示に従って手を繋いで輪になって次の瞬間、彼と患者さん達は、煙のように消えてゆきました。
その晩から朝に掛けて、6人の患者さんが亡くなりました。
その後、彼は昼間にも現れて、患者さんを連れて行きました。
自分の避難して居た時期、体育館では11名の怪我人が亡くなりました。
3)一人の坊主がいました。
その坊主は、坊主の癖に
「これは終末だ。世界は滅びる。悪魔が攻めてきた」
「悪魔に殺されると、穢されて極楽浄土に行けないから、自決しよう」
などと説教しだして、避難民数人が坊主に引き寄せられる様に付いて行こうとしたので居合わせた自警団の人達が坊主を捕まえて、縛って転がしておきました。
それでもトンデモ説法を止めようとしない坊主に、
「悪魔」はキリスト教系
「穢れ」は神道系
「極楽浄土」は仏教系
あんたは一体何者なの?とからかわれると、口に泡を貯めながら
「私は間違っていない。ハルマゲドンだっ!」
などと叫びだし、あまりに鬱陶しいので、猿轡して、ビニールロープで厳重拘束し直してから警察を呼んでくるまで、遺体の収容されている体育倉庫に放り込まれていました。
2人の警官がやってきて、猿轡のはずされた坊主は、暴力を振るわれ、遺体と一緒に監禁されたと喚き出す始末。
自警団の人々が、その坊主を、静かになるまで『ボカッボカッ』と優しく拳で説得し、目の前の警官に引き渡すと、その警官たちは真面目な顔で
「ご協力に、感謝します」
と言って、坊主を連れて行きました。
坊主よりも、自警団よりも、目の前の暴力行為を、暖かい目で見守っていた警官が、一番怖かった。
自分の避難した体育館では、避難していた医師の指示で一部を区切って怪我人を寝かせてありました。
怪我人をステージの向かって右手。
風邪などの感染症は、向かって左手に。
自分は介護士でしたから、怪我人の世話をしていました。
余震で建物がきしむと、あちこちから悲鳴が上がり、夜に怪我人がうなされると
「うるさい、黙らせろ」
と、ヒステリックに叫びだす男性や、子供に風邪が移るのを恐れて、病人を追い出せと文句を言いにくる親達もいて、エゴむき出しの地獄でした。
そんな中で、経験した事です。
1)地震で倒れた家具の下敷きになった息子と妻は、怪我をしていました。
妻は肋骨を折っただけでしたが、息子は全身を強打しており意識不明で熱が下がりません。
1日目の夜、妻と自分は同じ夢を見ました。
息子が目の前に立ち、微笑みながら、はらはらと穏やかに泣いていました。
どうした、痛いのか?と聞くと、首を横に振り
「もう痛くないけど、行かなあかん。父さん母さん、ごめんな。ありがとな」
そういって消えました。
私達が聞いた、1歳の息子の初めてで、最後の声でした。
2)いつでも怪我人の世話が出来るように、自分は患者さんのスペースで寝ていました。
夜中に気が付くと、灰色の影が、患者さん達の間を歩いていました。
自分の傍にもその影がやってきて、目が合うと優しく悲しく微笑みました。
見ていると、彼は重症患者の枕元に歩み寄り、話しかけては移動して行きます。
その姿は、まるで熟練した看護婦の様でした。
重症患者の中には、彼に誘われるまま立ち上がり、その後を付いて歩く人々もいました。
その夜は6人が立ち上がり、彼の指示に従って手を繋いで輪になって次の瞬間、彼と患者さん達は、煙のように消えてゆきました。
その晩から朝に掛けて、6人の患者さんが亡くなりました。
その後、彼は昼間にも現れて、患者さんを連れて行きました。
自分の避難して居た時期、体育館では11名の怪我人が亡くなりました。
3)一人の坊主がいました。
その坊主は、坊主の癖に
「これは終末だ。世界は滅びる。悪魔が攻めてきた」
「悪魔に殺されると、穢されて極楽浄土に行けないから、自決しよう」
などと説教しだして、避難民数人が坊主に引き寄せられる様に付いて行こうとしたので居合わせた自警団の人達が坊主を捕まえて、縛って転がしておきました。
それでもトンデモ説法を止めようとしない坊主に、
「悪魔」はキリスト教系
「穢れ」は神道系
「極楽浄土」は仏教系
あんたは一体何者なの?とからかわれると、口に泡を貯めながら
「私は間違っていない。ハルマゲドンだっ!」
などと叫びだし、あまりに鬱陶しいので、猿轡して、ビニールロープで厳重拘束し直してから警察を呼んでくるまで、遺体の収容されている体育倉庫に放り込まれていました。
2人の警官がやってきて、猿轡のはずされた坊主は、暴力を振るわれ、遺体と一緒に監禁されたと喚き出す始末。
自警団の人々が、その坊主を、静かになるまで『ボカッボカッ』と優しく拳で説得し、目の前の警官に引き渡すと、その警官たちは真面目な顔で
「ご協力に、感謝します」
と言って、坊主を連れて行きました。
坊主よりも、自警団よりも、目の前の暴力行為を、暖かい目で見守っていた警官が、一番怖かった。
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大家さん
2010.06.12 (Sat) | Category : 人を信じすぎる人へ
229 名前:1/3 投稿日:03/05/10 23:43
某有名メールマガジンにも投稿した話。
掲載されたけど、筆者本人だし文章は一から書き直しなので問題ないかと。
東京の大学に合格し、父親と下宿を探しに行った。
父親も私も、慣れない東京での部屋探しに手間をかける気になれず、学生課に紹介された、大家さんが同じ建物に住む古びたアパートで即決した。
そこの大家さんは、独り身で初老のおじさんで、理由は知らないが親族らと折り合いが悪く、しかし結構な財を成している為、生まれついた場所ではないその辺一帯の地所を多く持ち、アパート・借家の収入で、とくに働くこともなく一人静かに暮らしているおとなしい人だった。
後で知ることになるのだが、若い頃からの持病があり、ずっと病院通いだった事もそんな生活をしていた理由の一因だったらしい。
そのアパートがえらくボロかったこと、最終的にその建物(隣や向かいの同じ大家さんの持ち物である建物は除いて)に住んでいたのが、大家さんと私だけになった事を除けば、さしたる変化もなく数年が経った。
職に就いてはいなかったが、大家さんはマメな人で、いつも建物の掃除や手入れに余念が無く、私や他の住人にも、色々と世話を焼いてくれた。
地主や大家という人達への、私の幼稚な偏見を自覚させてくれた人だった。
大学3年の11月、年末の帰省の予定を立て始めた頃、大家さんが私の部屋をノックした。
「いやーちょっと持病がね・・・」
そう切り出した大家さんに、都内の大きな大学病院に入院する事を告げられた。
「ちょっとした療養と検査だから。時々は帰ってきて、掃除もするからね」
最後の住人であった私にそう言い残し、大家さんは病院へ行った。
多少心配していたものの、大家さんは意外に元気で、数日後にはアパートを掃除する大家さんと大学からの帰りに挨拶を交わし、私に杞憂であったと思わせた。
それからは、ボロアパートながら周囲を気にする必要のない一人住まいを満喫していた。時折、下の階に自室を持つ大家さんの帰宅があったが、日中だけのことであった。
そうこうする内に年末が来た。明日には田舎に帰省する。コタツでうとうとしながら、ごろ寝をしていると、階下の大家さんの部屋から「ガタゴト」と音が聞こえてくる。
「ああ・・・大家さん帰ってきたんだ・・・明日帰省するって言っとかないとな・・・」
そう思いつつも、コタツの誘惑に負け、「まあいいか・・・」とそのまま寝入った。
暗くなってから起き出したが、当然大家さんは病院へ戻ってしまったようだった。
次の日、火の元と戸締まりをしてから、帰省した旨書き置きをポストに突っ込み、帰路についた。
正月が過ぎ、アパートに戻った私の目に入ったのは、喪服を着た親族を名乗る人々だった。
「あの人、死んだから。このアパート、あなたしか住んでないでしょ?家賃一緒でいいから、向こうの建物に移ってね」
それにあたる人は居ないと聞いていた「相続人」を名乗る人が、そんな事をべらべらと喋り立てた。
あとから色々なツテで聞いたところによると、病の床で遠縁の者が、養子縁組だかなんだかでそういった立場に収まったらしい。数年を暮らしたボロアパートは、2ヶ月と建たず更地になり、近隣の不動産屋が管理者として看板を立てて行った。
かすかな憤懣はあったが、あずかり知らぬ他人様のお家事情。
しかし一つだけ疑問に思った事があった・・・
「相続人」を名乗る人間が垂れ流して行った大家さんの最期は、癌によるものだったそうだ。
そして命日の日付・・・
不可能ではないだろうか。癌で死ぬ人が、その前日に自室で「ガタゴト」と掃除をすることなど。
(管理人注:管理人の判断で、このカテゴリに入れてあります。レス主の意図とは違うかもしれませんが…)
某有名メールマガジンにも投稿した話。
掲載されたけど、筆者本人だし文章は一から書き直しなので問題ないかと。
東京の大学に合格し、父親と下宿を探しに行った。
父親も私も、慣れない東京での部屋探しに手間をかける気になれず、学生課に紹介された、大家さんが同じ建物に住む古びたアパートで即決した。
そこの大家さんは、独り身で初老のおじさんで、理由は知らないが親族らと折り合いが悪く、しかし結構な財を成している為、生まれついた場所ではないその辺一帯の地所を多く持ち、アパート・借家の収入で、とくに働くこともなく一人静かに暮らしているおとなしい人だった。
後で知ることになるのだが、若い頃からの持病があり、ずっと病院通いだった事もそんな生活をしていた理由の一因だったらしい。
そのアパートがえらくボロかったこと、最終的にその建物(隣や向かいの同じ大家さんの持ち物である建物は除いて)に住んでいたのが、大家さんと私だけになった事を除けば、さしたる変化もなく数年が経った。
職に就いてはいなかったが、大家さんはマメな人で、いつも建物の掃除や手入れに余念が無く、私や他の住人にも、色々と世話を焼いてくれた。
地主や大家という人達への、私の幼稚な偏見を自覚させてくれた人だった。
大学3年の11月、年末の帰省の予定を立て始めた頃、大家さんが私の部屋をノックした。
「いやーちょっと持病がね・・・」
そう切り出した大家さんに、都内の大きな大学病院に入院する事を告げられた。
「ちょっとした療養と検査だから。時々は帰ってきて、掃除もするからね」
最後の住人であった私にそう言い残し、大家さんは病院へ行った。
多少心配していたものの、大家さんは意外に元気で、数日後にはアパートを掃除する大家さんと大学からの帰りに挨拶を交わし、私に杞憂であったと思わせた。
それからは、ボロアパートながら周囲を気にする必要のない一人住まいを満喫していた。時折、下の階に自室を持つ大家さんの帰宅があったが、日中だけのことであった。
そうこうする内に年末が来た。明日には田舎に帰省する。コタツでうとうとしながら、ごろ寝をしていると、階下の大家さんの部屋から「ガタゴト」と音が聞こえてくる。
「ああ・・・大家さん帰ってきたんだ・・・明日帰省するって言っとかないとな・・・」
そう思いつつも、コタツの誘惑に負け、「まあいいか・・・」とそのまま寝入った。
暗くなってから起き出したが、当然大家さんは病院へ戻ってしまったようだった。
次の日、火の元と戸締まりをしてから、帰省した旨書き置きをポストに突っ込み、帰路についた。
正月が過ぎ、アパートに戻った私の目に入ったのは、喪服を着た親族を名乗る人々だった。
「あの人、死んだから。このアパート、あなたしか住んでないでしょ?家賃一緒でいいから、向こうの建物に移ってね」
それにあたる人は居ないと聞いていた「相続人」を名乗る人が、そんな事をべらべらと喋り立てた。
あとから色々なツテで聞いたところによると、病の床で遠縁の者が、養子縁組だかなんだかでそういった立場に収まったらしい。数年を暮らしたボロアパートは、2ヶ月と建たず更地になり、近隣の不動産屋が管理者として看板を立てて行った。
かすかな憤懣はあったが、あずかり知らぬ他人様のお家事情。
しかし一つだけ疑問に思った事があった・・・
「相続人」を名乗る人間が垂れ流して行った大家さんの最期は、癌によるものだったそうだ。
そして命日の日付・・・
不可能ではないだろうか。癌で死ぬ人が、その前日に自室で「ガタゴト」と掃除をすることなど。
(管理人注:管理人の判断で、このカテゴリに入れてあります。レス主の意図とは違うかもしれませんが…)
無痛症
2010.06.11 (Fri) | Category : 人を信じすぎる人へ
220 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/05/10 16:45
前スレの「無痛症」を読んで思い出した話です。
やはり無痛症になった子供と母親の話。
病気になった子供がちゃんと成長できるかどうか、いつも母親は心配していた。
痛みを感じないため、治療が遅れて小さな怪我でも致命傷になりかねないからだった。
そんなある日、その子供の乳歯が抜けた。
それを見た母親は、「ああ、この子も少しずつ成長しているんだ」とささやかな幸せに微笑んだ。
母親の嬉しそうな顔を見て、幼い子供も喜んだ。
翌朝、まだ眠っている子供を起こしに行って、母親は悲鳴を上げた。
子供の枕もとに、血のついた歯が何本も転がっていたからだ。
歯が一本抜けただけで喜んでいる母親を見た子供が、それならたくさん抜けば、もっと
喜んでくれるに違いないと思って、自分の歯を全部抜いたのだった。
以上は講談社の「メフィスト」平成10年5月号の座談会に載っていました。
実話ではないか、と書いてありましたが、詳細は不明です。
前スレの「無痛症」を読んで思い出した話です。
やはり無痛症になった子供と母親の話。
病気になった子供がちゃんと成長できるかどうか、いつも母親は心配していた。
痛みを感じないため、治療が遅れて小さな怪我でも致命傷になりかねないからだった。
そんなある日、その子供の乳歯が抜けた。
それを見た母親は、「ああ、この子も少しずつ成長しているんだ」とささやかな幸せに微笑んだ。
母親の嬉しそうな顔を見て、幼い子供も喜んだ。
翌朝、まだ眠っている子供を起こしに行って、母親は悲鳴を上げた。
子供の枕もとに、血のついた歯が何本も転がっていたからだ。
歯が一本抜けただけで喜んでいる母親を見た子供が、それならたくさん抜けば、もっと
喜んでくれるに違いないと思って、自分の歯を全部抜いたのだった。
以上は講談社の「メフィスト」平成10年5月号の座談会に載っていました。
実話ではないか、と書いてありましたが、詳細は不明です。
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