都市伝説・・・奇憚・・・blog
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真夜中の訪問者
2012.07.20 (Fri) | Category : 人を信じすぎる人へ
133: 本当にあった怖い名無し:04/08/13 13:34 ID:bXM6S1P+
父親は私が生まれた時からいなくて、ずっと母親と二人暮しでした。
(現在は結婚して、家は出ていますが)
私がまだ母と暮らしていた、17歳の頃の事です。
夜中の3時ぐらいに、ピーーと玄関のチャイムが鳴りました。
丁度その日は母と夜中までおしゃべりをしていて、二人とも起きていました。
「こんな遅くに誰だろね」
なんて話しつつ、私が
「はい」
とインターフォンをとりました。
そうすると女性の声で、
「あの…あの…突然すみません…。今晩、あの…泊めて頂けませんか」
と。
声の感じでは40代ぐらい。
その妙におどおどしていた感じが気になって、
「え?泊めてくださいって母の知り合いの方ですか?」
と聞き返しました。
すると相手は、
「いえ…全然違うんです…あの…私近所のマンションに住んでまして、あの…私会社をクビになって…あの…もう住む所がなくて…だから泊めて頂きたいと…」
話がよく理解できなかった私は、
「母の知り合いではないんですね?でも泊めるのは…」
と、おろおろしてしまいました。
そこで見かねた母が
「私が変わるから」
といって、インターフォンで話はじめました。
私は一体なんなんなんだろ?と思って、玄関の窓越しに相手を見に行きました。
140: 本当にあった怖い名無し:04/08/13 13:52 ID:bXM6S1P+
私が玄関の窓越しにみたその女性は、明らかに変な人でした。
まず、顔はもうどうみても50代なのに金髪の長髪。
白い帽子をかぶっていて、明るい緑のブラウスに、赤地に白の水玉のふわっとしたスカート。
右手には、たくさんの物が入った紙袋を持っていました。
その様子をみて、
「これは変な人だ!!」
と察知した私は、まだインターフォンで話している母に、
「ちょっとママ!玄関に来てる人、絶対変!怖いからもうやめよう!相手にしないで『駄目です』っていって断ろう!」
と、まくし立てました。
そしたら母は、
「ははははは」
と笑って、
「なんかこの雨の中、傘もなく歩いてきたんだって。怖いなら、傘だけでも貸して帰ってもらおう」
と言うじゃありませんか。
その日は、確かに雨がざんざん振りでした。
私はもう、その人の外見をみてるので泣きたくなって、こういう事にだけは度胸がある母をうらみました。
私は怖くなったので、玄関から離れた奥のリビングで、玄関の様子を伺っていました。
母が玄関を開けて話している声が聞こえてきて、しばらくすると、
「家には入れられません!帰ってください!」
と、母の怒鳴り声が聞こえました。
(続きは『続きを読む』をクリック)
父親は私が生まれた時からいなくて、ずっと母親と二人暮しでした。
(現在は結婚して、家は出ていますが)
私がまだ母と暮らしていた、17歳の頃の事です。
夜中の3時ぐらいに、ピーーと玄関のチャイムが鳴りました。
丁度その日は母と夜中までおしゃべりをしていて、二人とも起きていました。
「こんな遅くに誰だろね」
なんて話しつつ、私が
「はい」
とインターフォンをとりました。
そうすると女性の声で、
「あの…あの…突然すみません…。今晩、あの…泊めて頂けませんか」
と。
声の感じでは40代ぐらい。
その妙におどおどしていた感じが気になって、
「え?泊めてくださいって母の知り合いの方ですか?」
と聞き返しました。
すると相手は、
「いえ…全然違うんです…あの…私近所のマンションに住んでまして、あの…私会社をクビになって…あの…もう住む所がなくて…だから泊めて頂きたいと…」
話がよく理解できなかった私は、
「母の知り合いではないんですね?でも泊めるのは…」
と、おろおろしてしまいました。
そこで見かねた母が
「私が変わるから」
といって、インターフォンで話はじめました。
私は一体なんなんなんだろ?と思って、玄関の窓越しに相手を見に行きました。
140: 本当にあった怖い名無し:04/08/13 13:52 ID:bXM6S1P+
私が玄関の窓越しにみたその女性は、明らかに変な人でした。
まず、顔はもうどうみても50代なのに金髪の長髪。
白い帽子をかぶっていて、明るい緑のブラウスに、赤地に白の水玉のふわっとしたスカート。
右手には、たくさんの物が入った紙袋を持っていました。
その様子をみて、
「これは変な人だ!!」
と察知した私は、まだインターフォンで話している母に、
「ちょっとママ!玄関に来てる人、絶対変!怖いからもうやめよう!相手にしないで『駄目です』っていって断ろう!」
と、まくし立てました。
そしたら母は、
「ははははは」
と笑って、
「なんかこの雨の中、傘もなく歩いてきたんだって。怖いなら、傘だけでも貸して帰ってもらおう」
と言うじゃありませんか。
その日は、確かに雨がざんざん振りでした。
私はもう、その人の外見をみてるので泣きたくなって、こういう事にだけは度胸がある母をうらみました。
私は怖くなったので、玄関から離れた奥のリビングで、玄関の様子を伺っていました。
母が玄関を開けて話している声が聞こえてきて、しばらくすると、
「家には入れられません!帰ってください!」
と、母の怒鳴り声が聞こえました。
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付き合う相手を不幸にする
2012.07.06 (Fri) | Category : 人を信じすぎる人へ
439 :怖い:2008/02/27(水) 19:33:27 ID:xM8QgZLu0
昔のジャンル仲間のひとりが、疫病神が守護霊なんじゃないのかと思うくらい付き合う相手をことごとく不幸にしてたな。
彼女と会った後にはほぼ確実にケガをする・病にかかる・トラブルに巻き込まれる。
あの頃はオフが主流、というかオン同人なんてない時代で、イベント後に打ち上げで飲み会という流れがデフォだった。
不幸に遭いたくはないが、小さなジャンルだったし、彼女一人をハブにするのも悪いと思って、当時彼女と付き合いのある人は(自分も含めて)、常に厄除けとかのお守りを持ってたよ。
しかし、私らはケガや病気をしても数日~数ヶ月程度で済んだけど、もっと大変だったのは彼女の彼氏たち。
私が彼女と付き合いがあったのは4年くらいだったけど、その間だけで5人中4人が亡くなった。
死んでない一人は、ある日いきなり失踪してそれきりらしい。
いったい彼女はどんな業を背負っていたのだろう…。
441 :コワッ:2008/02/27(水) 19:44:53 ID:ck9YYAqT0
4年で5人という事は、彼氏が死んでも死んでも隙間無く次々と男と付き合ったワケか……。
そのタフさが恐い……。
442 :こわっ:2008/02/27(水) 21:23:47 ID:TDNX69id0
4人目や5人目はつき合うの怖くなかったんかねえ?
444 :恐:2008/02/27(水) 21:35:55 ID:boNQOCmQ0
>>442
むしろ、「俺がそのジンクスを破ってやる」的な男だったとか
445 :恐い:2008/02/27(水) 21:37:25 ID:y3yd3COk0
>442
流石につき合い初めやつき合う前に、
「私とつき合うと死にます。死ななくても不幸になります」
と自己紹介してからつき合う人はいないと思うよ。
特に、>439みたいなジンクス持ち本人としては、
「こんなジンクスはうそ。今度こそ大丈夫」
と思ってつきあいたいところだと思うし。
447 :439:2008/02/27(水) 22:40:02 ID:xM8QgZLu0
彼女はいわゆる元ヤンのオタで、交友範囲が広かったのもあってか、男が常に切れてなかったと記憶してる。
で、走り屋とか血の気の多いタイプが多かったようで、3人は事故死。
1人は喧嘩だかなんだかで頭打って、後日それが原因で亡くなったそう。
本人は>>445のように
「自分にそんなジンクスなんてない、あれは偶然」
と思っていたようで、自分から絶対にそんなことは言わなかったけど、それでも不安には思っていたようで、
「お払いに行った」
と言ってたこともあった。
その後にも周囲の不幸は続いてたから、あまり効果はなかったみたいだけど…。
(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)
昔のジャンル仲間のひとりが、疫病神が守護霊なんじゃないのかと思うくらい付き合う相手をことごとく不幸にしてたな。
彼女と会った後にはほぼ確実にケガをする・病にかかる・トラブルに巻き込まれる。
あの頃はオフが主流、というかオン同人なんてない時代で、イベント後に打ち上げで飲み会という流れがデフォだった。
不幸に遭いたくはないが、小さなジャンルだったし、彼女一人をハブにするのも悪いと思って、当時彼女と付き合いのある人は(自分も含めて)、常に厄除けとかのお守りを持ってたよ。
しかし、私らはケガや病気をしても数日~数ヶ月程度で済んだけど、もっと大変だったのは彼女の彼氏たち。
私が彼女と付き合いがあったのは4年くらいだったけど、その間だけで5人中4人が亡くなった。
死んでない一人は、ある日いきなり失踪してそれきりらしい。
いったい彼女はどんな業を背負っていたのだろう…。
441 :コワッ:2008/02/27(水) 19:44:53 ID:ck9YYAqT0
4年で5人という事は、彼氏が死んでも死んでも隙間無く次々と男と付き合ったワケか……。
そのタフさが恐い……。
442 :こわっ:2008/02/27(水) 21:23:47 ID:TDNX69id0
4人目や5人目はつき合うの怖くなかったんかねえ?
444 :恐:2008/02/27(水) 21:35:55 ID:boNQOCmQ0
>>442
むしろ、「俺がそのジンクスを破ってやる」的な男だったとか
445 :恐い:2008/02/27(水) 21:37:25 ID:y3yd3COk0
>442
流石につき合い初めやつき合う前に、
「私とつき合うと死にます。死ななくても不幸になります」
と自己紹介してからつき合う人はいないと思うよ。
特に、>439みたいなジンクス持ち本人としては、
「こんなジンクスはうそ。今度こそ大丈夫」
と思ってつきあいたいところだと思うし。
447 :439:2008/02/27(水) 22:40:02 ID:xM8QgZLu0
彼女はいわゆる元ヤンのオタで、交友範囲が広かったのもあってか、男が常に切れてなかったと記憶してる。
で、走り屋とか血の気の多いタイプが多かったようで、3人は事故死。
1人は喧嘩だかなんだかで頭打って、後日それが原因で亡くなったそう。
本人は>>445のように
「自分にそんなジンクスなんてない、あれは偶然」
と思っていたようで、自分から絶対にそんなことは言わなかったけど、それでも不安には思っていたようで、
「お払いに行った」
と言ってたこともあった。
その後にも周囲の不幸は続いてたから、あまり効果はなかったみたいだけど…。
(※白さんからの投稿です。ありがとうございました)
絵が好きだった姉
2012.06.22 (Fri) | Category : 人を信じすぎる人へ
534 :1/2:2009/10/12(月) 15:44:46
ネタ乙と言われてしまいそうだが、ネタだったらどんなによかったかという話吐き出し。
フェイクあり。
姉(5つ年上)と私の実父は、私が生後2ヶ月の時に病気で亡くなり、私が4才の時に母が再婚。
だが、新しい父はどういう訳か『絵を描く』という行為を異常に嫌悪しており、おえかき帳の落書き程度も許さないような人。
(何故そんなに『絵を描く』という行為が嫌いだったのかは、現在も不明のまま)
幼稚園や学校で描いた絵も、描いた本人(私と姉、父違いの弟と妹)にビリビリに破かせ、庭で火にくべさせる程。
漫画やのアニメ、絵本すら我が家では厳禁だった。
父は決して暴力は振るわなかったが、姉が中2の時に地域の学校の絵画コンクールで入選した時は、姉を半年間無視するという、所謂ネグレクトに近いことをやった。
元々絵を描くのが好きだった姉に対する父の仕打ちは、姉が高校に入ってから益々酷くなる。
姉が学校の漫研で出した会誌や隠れて作った同人誌を、姉の留守中に部屋に入って探し出し、姉自身に好きなキャラや作品への口汚い罵倒を書かせ、破いて燃やさせるなんてこともやった。
母は何度も父に抗議していたが、父は、
「絵なんかまともな人間が扱うものじゃない。俺は子供達が真人間になるよう教育しているだけだ」
と言って譲らない。
姉は美大に進学を希望していたが、当然父が許す訳がなく、母が伯父(実父の兄)に相談し、父には「極普通の大学に通う」と伝え、家を出て伯父宅から美大に通うことになった。
…が、伯母がうっかり口を滑らせ、姉が美大に通っていることが父にバレてしまった。
そしたら父は何と、役所に姉の死亡届を提出。
それが受理されたもんだから、後から大変な騒ぎになり、結局姉は美大を退学。
これが原因で、姉は完全に父と決別した。
騒ぎの数年後、姉は私と弟・妹以外の家族には一切何も告げずに結婚し家を出た。
私と弟と妹は、姉の助言もあり家では父に従っていた。
この頃から少し体調を崩していた父は、かつてのように留守中に部屋へ忍び込んで根掘り葉掘り探し出して…というようなことはしなくなっていたので、私は独立して家を出るまで、隠れてひっそり同人活動をしていた。
535 :2/2:2009/10/12(月) 15:45:54
数年前、父は末期癌と診断され、半年の闘病生活の末に亡くなった。
死亡届騒ぎ以来一切実家に顔を出さなかった姉だが、流石に父の葬儀に出ないのは駄目だと思ったのか、十数年ぶりに家族で実家に戻ってきた。
姉は葬儀の間中ずっとハンカチで口元を押さえていて、色々あったけどやはり父親の死は悲しいんだろうなぁ、と私も弟・妹も思っていた。
葬儀も滞りなく終わり、自宅に帰る前の晩に姉に呼ばれ、姉家族の車(ワンボックスカー)に入った。
姉はニコニコしながら「(私)ちゃんにだけいいもの見せてあげるね!」と言って、大きなダン箱を開いた。
中には、蝋で作った人形(ひとがた)が大量(100や200どころではなかったと思う)に入っていた。
しかも、その全てに無数の針が刺さっている。
姉は嬉々とした口調でこんなことを言っていた。
「これねぇ、あの時(死亡届騒ぎ)からずーっとアイツに呪いかけてたの。
1日1本、アイツの顔思い浮かべながら、『死ね、死ね、苦しみぬいて死ね』って念じながら刺してたの。
そしたら神様は聞き届けてくださったのねぇ、やっと死んでくれたわ!!
お葬式の時はもう嬉しくて嬉しくて、大笑いしたいのを必死に堪えてて大変だったけど、死体に唾吐いてやりゃ良かったって、今ちょっと後悔してるわwww
今度はねぇ、これ(蝋の人形)を1日1体『地獄で苦しめ』って念じながら燃やすの!
死んだって楽になんかさせてやらないんだから!!アタシが生きてる限りずっと呪ってやるんだから!!」
…その時の姉の顔を、私は生涯忘れることが出来ないだろう。
漫画とかで、精神がイッちゃった人の目を◎◎みたいに描いたりするけど、この時の姉は正にそういう目をしていた。
この時の姉があまりにも恐ろしくて、その後徐々に連絡の機会も減り、すっかり疎遠になってしまった。
やがて、弟も妹も成人。それぞれに好い人とめぐり合って結婚し、家督は弟が継いだ。
が、弟夫婦から『大(おお)姉さんが恐い』と、度々連絡が来るようになった。
536 :2/2+1:2009/10/12(月) 15:47:07
聞くと、ひと月に2~3度姉から電話が来るのだが、何を言っているのか全くわからないという。
一度会話を録音したものを聞かせてもらったが、確かに何を言っているのかわからない。
文法や文脈がおかしい、というものではなく、何と言うか、既に人類の言語ですらない。
「のくしーっかたかん!よまーっそっろめらつなちきしーーー!!!はのきせ~!」
みたいな、ただ単に五十音をでたらめに並べて叫んでいるだけ…といった感じ。
そして週に何度も、姉の長男(当時中3)と長女(当時小5)から、『お母さんがおかしなことを言う、恐い』という電話も来ていると。
当時義兄(姉の旦那)は単身赴任で遠方に住んでいて、子供達が母親の異変を訴えても、
『またまた~wwパパをびっくりさせようとしてもそのテには乗らないゾッ♪』
みたいに真に受けなかったらしい。
なので、私と母から義兄に連絡、急いで駆けつけた義兄は、録音された姉からの電話を聞いて、漸く事態の異常さを認識。
その後、姉は、“外から鍵がかかり、窓に鉄格子が嵌められた、場合によってはカメラで24時間監視”な病院に入院した。
その病院に辿り着くまで、義兄と伯父と母が、何人もの精神科医やカウンセラーに診察・相談し、何度も大病院の精神科に入院させたが、原因は一切不明で、症状が改善することもなかったそうだ。
別の病院にいた頃に、一度だけ姉を見舞ったことがあるが、その時の姉の目は、父の葬儀の時と同じ◎◎だった。
何か、私が同人者というだけで、直接同人には関係なかったな。
長文すみません。名無しに戻ります。
ネタ乙と言われてしまいそうだが、ネタだったらどんなによかったかという話吐き出し。
フェイクあり。
姉(5つ年上)と私の実父は、私が生後2ヶ月の時に病気で亡くなり、私が4才の時に母が再婚。
だが、新しい父はどういう訳か『絵を描く』という行為を異常に嫌悪しており、おえかき帳の落書き程度も許さないような人。
(何故そんなに『絵を描く』という行為が嫌いだったのかは、現在も不明のまま)
幼稚園や学校で描いた絵も、描いた本人(私と姉、父違いの弟と妹)にビリビリに破かせ、庭で火にくべさせる程。
漫画やのアニメ、絵本すら我が家では厳禁だった。
父は決して暴力は振るわなかったが、姉が中2の時に地域の学校の絵画コンクールで入選した時は、姉を半年間無視するという、所謂ネグレクトに近いことをやった。
元々絵を描くのが好きだった姉に対する父の仕打ちは、姉が高校に入ってから益々酷くなる。
姉が学校の漫研で出した会誌や隠れて作った同人誌を、姉の留守中に部屋に入って探し出し、姉自身に好きなキャラや作品への口汚い罵倒を書かせ、破いて燃やさせるなんてこともやった。
母は何度も父に抗議していたが、父は、
「絵なんかまともな人間が扱うものじゃない。俺は子供達が真人間になるよう教育しているだけだ」
と言って譲らない。
姉は美大に進学を希望していたが、当然父が許す訳がなく、母が伯父(実父の兄)に相談し、父には「極普通の大学に通う」と伝え、家を出て伯父宅から美大に通うことになった。
…が、伯母がうっかり口を滑らせ、姉が美大に通っていることが父にバレてしまった。
そしたら父は何と、役所に姉の死亡届を提出。
それが受理されたもんだから、後から大変な騒ぎになり、結局姉は美大を退学。
これが原因で、姉は完全に父と決別した。
騒ぎの数年後、姉は私と弟・妹以外の家族には一切何も告げずに結婚し家を出た。
私と弟と妹は、姉の助言もあり家では父に従っていた。
この頃から少し体調を崩していた父は、かつてのように留守中に部屋へ忍び込んで根掘り葉掘り探し出して…というようなことはしなくなっていたので、私は独立して家を出るまで、隠れてひっそり同人活動をしていた。
535 :2/2:2009/10/12(月) 15:45:54
数年前、父は末期癌と診断され、半年の闘病生活の末に亡くなった。
死亡届騒ぎ以来一切実家に顔を出さなかった姉だが、流石に父の葬儀に出ないのは駄目だと思ったのか、十数年ぶりに家族で実家に戻ってきた。
姉は葬儀の間中ずっとハンカチで口元を押さえていて、色々あったけどやはり父親の死は悲しいんだろうなぁ、と私も弟・妹も思っていた。
葬儀も滞りなく終わり、自宅に帰る前の晩に姉に呼ばれ、姉家族の車(ワンボックスカー)に入った。
姉はニコニコしながら「(私)ちゃんにだけいいもの見せてあげるね!」と言って、大きなダン箱を開いた。
中には、蝋で作った人形(ひとがた)が大量(100や200どころではなかったと思う)に入っていた。
しかも、その全てに無数の針が刺さっている。
姉は嬉々とした口調でこんなことを言っていた。
「これねぇ、あの時(死亡届騒ぎ)からずーっとアイツに呪いかけてたの。
1日1本、アイツの顔思い浮かべながら、『死ね、死ね、苦しみぬいて死ね』って念じながら刺してたの。
そしたら神様は聞き届けてくださったのねぇ、やっと死んでくれたわ!!
お葬式の時はもう嬉しくて嬉しくて、大笑いしたいのを必死に堪えてて大変だったけど、死体に唾吐いてやりゃ良かったって、今ちょっと後悔してるわwww
今度はねぇ、これ(蝋の人形)を1日1体『地獄で苦しめ』って念じながら燃やすの!
死んだって楽になんかさせてやらないんだから!!アタシが生きてる限りずっと呪ってやるんだから!!」
…その時の姉の顔を、私は生涯忘れることが出来ないだろう。
漫画とかで、精神がイッちゃった人の目を◎◎みたいに描いたりするけど、この時の姉は正にそういう目をしていた。
この時の姉があまりにも恐ろしくて、その後徐々に連絡の機会も減り、すっかり疎遠になってしまった。
やがて、弟も妹も成人。それぞれに好い人とめぐり合って結婚し、家督は弟が継いだ。
が、弟夫婦から『大(おお)姉さんが恐い』と、度々連絡が来るようになった。
536 :2/2+1:2009/10/12(月) 15:47:07
聞くと、ひと月に2~3度姉から電話が来るのだが、何を言っているのか全くわからないという。
一度会話を録音したものを聞かせてもらったが、確かに何を言っているのかわからない。
文法や文脈がおかしい、というものではなく、何と言うか、既に人類の言語ですらない。
「のくしーっかたかん!よまーっそっろめらつなちきしーーー!!!はのきせ~!」
みたいな、ただ単に五十音をでたらめに並べて叫んでいるだけ…といった感じ。
そして週に何度も、姉の長男(当時中3)と長女(当時小5)から、『お母さんがおかしなことを言う、恐い』という電話も来ていると。
当時義兄(姉の旦那)は単身赴任で遠方に住んでいて、子供達が母親の異変を訴えても、
『またまた~wwパパをびっくりさせようとしてもそのテには乗らないゾッ♪』
みたいに真に受けなかったらしい。
なので、私と母から義兄に連絡、急いで駆けつけた義兄は、録音された姉からの電話を聞いて、漸く事態の異常さを認識。
その後、姉は、“外から鍵がかかり、窓に鉄格子が嵌められた、場合によってはカメラで24時間監視”な病院に入院した。
その病院に辿り着くまで、義兄と伯父と母が、何人もの精神科医やカウンセラーに診察・相談し、何度も大病院の精神科に入院させたが、原因は一切不明で、症状が改善することもなかったそうだ。
別の病院にいた頃に、一度だけ姉を見舞ったことがあるが、その時の姉の目は、父の葬儀の時と同じ◎◎だった。
何か、私が同人者というだけで、直接同人には関係なかったな。
長文すみません。名無しに戻ります。
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