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応援更新No005 ―過食症の姉―
2012.09.25 (Tue) | Category : 人を信じすぎる人へ
119: 本当にあった怖い名無し:2012/03/04(日) 02:24:05.26 ID:zO6uNh/P0
私の姉の話で、私自身が体験した話です。
私の姉は過食症でした。
高校二年の頃から姉はよく食べるようになりました。
元々よく食べる方だったのですが間食も増え、一回の食事の量は二人前は当たり前。
自発的に運動は少ししていたようですが食欲は増すばかりで今まで標準体型だったのが3年の夏にはどうみても肥満体系に。
それが過食症だと私は薄々気づいていたのですが家族(特に母)はほとんど姉に関心がなく、見てみぬふり。
姉は大人しい性格で母や父のせいもあり学校や友達の話などほとんど語りませんが、学校での成績は中の中、運動神経は中の上友達は少人数ながらも良く家に連れてきたり遊びにいったりと充実した様子で、誰に対してもいつもにこにことして良く接していました。
ですが、夏ごろになるとそれが顕著になり私が心配して
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ちょっと食べすぎだよ」
と言うと
「え?何が?大丈夫だよ」
「大丈夫、あとで運動するから!」
と笑ってはぐらかすようになりました。
母はと言えば、丸々太ってもなお際限なく食べる娘が醜くなったのか
「お前は家を食い潰す気か!それ以上その食生活続けるなら家を出て行け!」
と怒鳴りつけてしまいました。
姉は少し悲しそうな顔をしましたが反論することもなく、次の日からすっぱりと普通の食事量に戻りました。
一週間経っても何事もなかったかのようにその食事を続けていたので私も
「あれ?過食症ってこんなにあっさり治るんだ」
と思いました。
120: 本当にあった怖い名無し:2012/03/04(日) 02:25:39.24 ID:zO6uNh/P0
しかし、そんな簡単に治るものではありません。
それから2週間程経った8月の夜中1時過ぎ。
私は寝苦しさから水を飲もうと二階の自室から一階のリビングに降りていきました。
私は癖で電気を点けずに歩いていたのでリビングでライトを点けようとした時、奥のキッチンから物音と人の気配が。しかもうっすら明かりが。
えっ、もしかして強盗?と思い用心してライトは点けずにキッチンの方に向かうとそこに居たのは強盗ではなく姉でした。
姉は半開きの冷蔵庫の前に座り込み一心不乱に何かを食べていました。
くちゃくちゃとガムを噛む様な音がしていましたがライトを点けるとそれが何かはすぐに分かりました。生肉です。
母が買っていた、焼いてない生の牛肉でした。
しかも食べていたのは生肉だけではありません。座り込んだ姉の周りは鶏肉、生の野菜、ハム、生卵、マーガリン、ソースやマヨネーズといった調味料、後ろの引き出しも開けられており乾物類やホットケーキミックスなどの粉物なども散乱そして姉が吐いたと思われるおびただしい量の嘔吐物が床一面に広がっていました。
私はパニックになりながら
「お姉ちゃん!何やってるの!?何食べてるの!!!どうしたの!!」
と姉の肩を掴んで慌てて生肉を取り上げると見たことも無い、完全に正常ではない目つきで私を見て
「ん?あー、大丈夫。あはは。大丈夫」
と口調だけはいつもと同じ、何気ない返事でした。
どうみても壊れた姉に恐怖が限界を超え私は泣き叫びました。
助けてやお母さんと言う言葉も出ずただ泣いているとそれを聞いた父と母が飛んできて
「何これ!?あんた何やってんの!!」
「おい、どうした!」
と口々に説明を求められましたが私は泣き続け姉も以前と同じく少し悲しそうな顔をしてだんまり。
その後また吐き戻した姉を見て急いで地元の病院に駆け込み。
直ぐに姉は胃洗浄され処置を受けましたが当然お腹に菌が入り回復するまで入院+治療。
母も父ようやく娘の異常性を認めたようで入院、退院後はそれまでの放任が嘘だったように姉の事を気にかけるようになりました。
姉はというと暴れたり暴言を吐くわけでもなく、その後もただ前と変わらずにこにこと私達に接していました。
今までの異常性については
「自分でもおかしいと思ってたよ」
「ごめんなさい」
と認める発言もあり精神的な面の治療も順調でした。
(続きは『続きを読む』をクリック)
私の姉の話で、私自身が体験した話です。
私の姉は過食症でした。
高校二年の頃から姉はよく食べるようになりました。
元々よく食べる方だったのですが間食も増え、一回の食事の量は二人前は当たり前。
自発的に運動は少ししていたようですが食欲は増すばかりで今まで標準体型だったのが3年の夏にはどうみても肥満体系に。
それが過食症だと私は薄々気づいていたのですが家族(特に母)はほとんど姉に関心がなく、見てみぬふり。
姉は大人しい性格で母や父のせいもあり学校や友達の話などほとんど語りませんが、学校での成績は中の中、運動神経は中の上友達は少人数ながらも良く家に連れてきたり遊びにいったりと充実した様子で、誰に対してもいつもにこにことして良く接していました。
ですが、夏ごろになるとそれが顕著になり私が心配して
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ちょっと食べすぎだよ」
と言うと
「え?何が?大丈夫だよ」
「大丈夫、あとで運動するから!」
と笑ってはぐらかすようになりました。
母はと言えば、丸々太ってもなお際限なく食べる娘が醜くなったのか
「お前は家を食い潰す気か!それ以上その食生活続けるなら家を出て行け!」
と怒鳴りつけてしまいました。
姉は少し悲しそうな顔をしましたが反論することもなく、次の日からすっぱりと普通の食事量に戻りました。
一週間経っても何事もなかったかのようにその食事を続けていたので私も
「あれ?過食症ってこんなにあっさり治るんだ」
と思いました。
120: 本当にあった怖い名無し:2012/03/04(日) 02:25:39.24 ID:zO6uNh/P0
しかし、そんな簡単に治るものではありません。
それから2週間程経った8月の夜中1時過ぎ。
私は寝苦しさから水を飲もうと二階の自室から一階のリビングに降りていきました。
私は癖で電気を点けずに歩いていたのでリビングでライトを点けようとした時、奥のキッチンから物音と人の気配が。しかもうっすら明かりが。
えっ、もしかして強盗?と思い用心してライトは点けずにキッチンの方に向かうとそこに居たのは強盗ではなく姉でした。
姉は半開きの冷蔵庫の前に座り込み一心不乱に何かを食べていました。
くちゃくちゃとガムを噛む様な音がしていましたがライトを点けるとそれが何かはすぐに分かりました。生肉です。
母が買っていた、焼いてない生の牛肉でした。
しかも食べていたのは生肉だけではありません。座り込んだ姉の周りは鶏肉、生の野菜、ハム、生卵、マーガリン、ソースやマヨネーズといった調味料、後ろの引き出しも開けられており乾物類やホットケーキミックスなどの粉物なども散乱そして姉が吐いたと思われるおびただしい量の嘔吐物が床一面に広がっていました。
私はパニックになりながら
「お姉ちゃん!何やってるの!?何食べてるの!!!どうしたの!!」
と姉の肩を掴んで慌てて生肉を取り上げると見たことも無い、完全に正常ではない目つきで私を見て
「ん?あー、大丈夫。あはは。大丈夫」
と口調だけはいつもと同じ、何気ない返事でした。
どうみても壊れた姉に恐怖が限界を超え私は泣き叫びました。
助けてやお母さんと言う言葉も出ずただ泣いているとそれを聞いた父と母が飛んできて
「何これ!?あんた何やってんの!!」
「おい、どうした!」
と口々に説明を求められましたが私は泣き続け姉も以前と同じく少し悲しそうな顔をしてだんまり。
その後また吐き戻した姉を見て急いで地元の病院に駆け込み。
直ぐに姉は胃洗浄され処置を受けましたが当然お腹に菌が入り回復するまで入院+治療。
母も父ようやく娘の異常性を認めたようで入院、退院後はそれまでの放任が嘘だったように姉の事を気にかけるようになりました。
姉はというと暴れたり暴言を吐くわけでもなく、その後もただ前と変わらずにこにこと私達に接していました。
今までの異常性については
「自分でもおかしいと思ってたよ」
「ごめんなさい」
と認める発言もあり精神的な面の治療も順調でした。
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お母さーん!
2012.09.21 (Fri) | Category : 人を信じすぎる人へ
844 名前: 本当にあった怖い名無し 04/09/30 15:34:25 ID:f5WpK1WE
今となっては記憶も定かではない話
小学生のころ休み時間に校庭に行こうとしたら昇降口に女の人が立っていた
ぼさぼさの髪にずれたようなエプロン、手には包丁
思わず後ずさりしながらも目が離せない
ばたばたと先生たちがやってくると、その人は自分の手首に持っていた包丁をかざしわめく
泣き叫ぶクラスメートの「おかあさーん」という声
ゆっくりゆっくり後じさりながら教室へ帰りぼーっといすに腰掛けなおした
確かそのクラスメートのお母さんは明るくて面白い人だったんだが
今も自分の夢だったのかもしれないと思う
怖いわ失礼だわでその記憶は確認もできない
今となっては記憶も定かではない話
小学生のころ休み時間に校庭に行こうとしたら昇降口に女の人が立っていた
ぼさぼさの髪にずれたようなエプロン、手には包丁
思わず後ずさりしながらも目が離せない
ばたばたと先生たちがやってくると、その人は自分の手首に持っていた包丁をかざしわめく
泣き叫ぶクラスメートの「おかあさーん」という声
ゆっくりゆっくり後じさりながら教室へ帰りぼーっといすに腰掛けなおした
確かそのクラスメートのお母さんは明るくて面白い人だったんだが
今も自分の夢だったのかもしれないと思う
怖いわ失礼だわでその記憶は確認もできない
タンク山事件
2012.09.19 (Wed) | Category : 人を信じすぎる人へ
(※管理人注:以前掲載した『生首事件』と同じ事件です。別視点。)
37: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:10:58.63 ID:4v7tXfgA0
ちょっと違った角度の怖い話をしてみたい。
今から11年くらい前だろうか?神戸須磨区の出来事。
あらかじめ言っておくが、これは霊やら、化け物の類の話では無い。
人間の怖い話。そして、自分が知っている限りの実話である。
おそらくこの話を知っている人も多いと思うが、その真相を知っている人はいないだろう。
そして、この話を最後まで見て嘘だと思うのなら、自分なりに調べて貰えば、その不思議さに気づくはずだ。
本もたくさん出ているし。ネットでそれなりの情報を得る事もできる。
本題に入ろう。小学生のJ君がある日突然行方不明になった。
両親は心配し、警察に捜索願いを出した。
この頃神戸では小学生が襲われる事件が多発していたので、翌日から公開捜査となった。
地元の人間も公開捜査に協力し、警察も含め計400人大勢での捜査が行われた。
警察は警察犬を連れ、2日間公開捜査をしたにも関わらずJ君を発見する事はできなかった。
そう。これは過去に起きた大事件神戸連続幼児殺傷事件である。
みなも知っている通り当時14歳の少年が犯人となり、この事件は幕を閉じた形になる。
通常犯人逮捕で事件の幕は閉じるが、この事件は犯人逮捕によって幕が開いた。
ここで重要なのは2日間400名以上の人間で行った公開捜査でも遺体を見つけられなかった事だろう。
ちなみにこの2日間と言うのは5月25日、翌日26日である。
この日付が重要なので頭にいれておいて貰いたい。
38: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:11:44.05 ID:4v7tXfgA0
結論から言うと、遺体の同体部分は通称「タンク山アンテナ基地内」で発見される。
そして頭部は中学校正門前に置かれていた。両方とも5月27日である。
当初警察は「J君はタンク山以外の場所で殺害され、公開捜査を打ち切った27日にタンク山に運ばれた。」という見方だった。この根拠は2つ。
1・J君の遺体(同体部分)にタンク山の土が付着していなかった事。
2・何より2日間の公開捜査でもタンク山アンテナ基地内で遺体が発見できなかった事。
タンク山というのは地元の人なら分かると思うが、人が行方不明になったとしたら真っ先に疑う場所である。
事実公開捜査の2日間でも警察、地元住人はタンク山を疑い、捜索していた。
それでも同体部分は見つからなかった。
いざ犯人が捕まり、蓋を開けてみれば(調書を見てみれば)驚くべき内容が載っていた。
なんと犯人はその場所(つまりタンク山アンテナ基地内)から遺体は移動していないという。
ちなみに27日に同体部分が見つかった時はいとも簡単に胴体部分が発見されている。
公開捜査を打ち切った日にも関わらずにだ。
新聞記事(犯人逮捕前)にもこう書かれていた。
「用意周到な犯人が珍しく慌てぶりを思わせる状態でJ君の胴体部分が発見された。アンテナ基地内から足がはみ出し、犯人の慌てぶりを思わせる状態で発見された。」
この状態でなんで公開捜査で発見できなかったのか?警察犬もいて死臭にすらも気づかなかったとでもいうのだろうか?死後2日たっているのにか?
39: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:12:35.84 ID:4v7tXfgA0
否。常識的に考えてもタンク山で殺害された事事態が嘘だろう。
仮に犯人の供述どおりだったとするなら、2日間の公開捜査で見つけられなかった事はどう説明するのか?
犯人の供述に嘘があったとするなら話は更におかしな方向へと進んでいく。
犯人は14歳の少年である。
自分の場所も、車すらも持っていない人間が、「人間の同体部分」をどう誰にも見つからずに移動するのだろうか?
仮に見つからずに移動できたとしてどこに隠すのだろうか?
不思議なのはこれだけではない。同様に頭部に関しても不思議すぎる事がある。
頭部は午前6時40分に学校の正門を開ける用務員の通報によって発見された。
そして当初の警察の見方は「犯人は午前5時30~午前6時40分の間に頭部を正門に置いた。」としていた。
この根拠は以下の2つ。
1・午前5時~5時15分の間に頭部は無かったという多数の目撃証言がある事。
2・午前5時30~6時40分の間に頭部の位置が何度も変わっていたという多数の目撃証言がある事。
しかし犯人の調書を見てみれば驚くべき事が明らかになる。
「僕は午前1時~午前3時の間に頭部を正門に置きに行きました。」
だとすると、多数の目撃証言はなんだったのだろうか。ちなみに犯人はこの日(すなわち27日)に午前5時以降完璧なアリバイがある。
(続きは『続きを読む』をクリック)
37: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:10:58.63 ID:4v7tXfgA0
ちょっと違った角度の怖い話をしてみたい。
今から11年くらい前だろうか?神戸須磨区の出来事。
あらかじめ言っておくが、これは霊やら、化け物の類の話では無い。
人間の怖い話。そして、自分が知っている限りの実話である。
おそらくこの話を知っている人も多いと思うが、その真相を知っている人はいないだろう。
そして、この話を最後まで見て嘘だと思うのなら、自分なりに調べて貰えば、その不思議さに気づくはずだ。
本もたくさん出ているし。ネットでそれなりの情報を得る事もできる。
本題に入ろう。小学生のJ君がある日突然行方不明になった。
両親は心配し、警察に捜索願いを出した。
この頃神戸では小学生が襲われる事件が多発していたので、翌日から公開捜査となった。
地元の人間も公開捜査に協力し、警察も含め計400人大勢での捜査が行われた。
警察は警察犬を連れ、2日間公開捜査をしたにも関わらずJ君を発見する事はできなかった。
そう。これは過去に起きた大事件神戸連続幼児殺傷事件である。
みなも知っている通り当時14歳の少年が犯人となり、この事件は幕を閉じた形になる。
通常犯人逮捕で事件の幕は閉じるが、この事件は犯人逮捕によって幕が開いた。
ここで重要なのは2日間400名以上の人間で行った公開捜査でも遺体を見つけられなかった事だろう。
ちなみにこの2日間と言うのは5月25日、翌日26日である。
この日付が重要なので頭にいれておいて貰いたい。
38: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:11:44.05 ID:4v7tXfgA0
結論から言うと、遺体の同体部分は通称「タンク山アンテナ基地内」で発見される。
そして頭部は中学校正門前に置かれていた。両方とも5月27日である。
当初警察は「J君はタンク山以外の場所で殺害され、公開捜査を打ち切った27日にタンク山に運ばれた。」という見方だった。この根拠は2つ。
1・J君の遺体(同体部分)にタンク山の土が付着していなかった事。
2・何より2日間の公開捜査でもタンク山アンテナ基地内で遺体が発見できなかった事。
タンク山というのは地元の人なら分かると思うが、人が行方不明になったとしたら真っ先に疑う場所である。
事実公開捜査の2日間でも警察、地元住人はタンク山を疑い、捜索していた。
それでも同体部分は見つからなかった。
いざ犯人が捕まり、蓋を開けてみれば(調書を見てみれば)驚くべき内容が載っていた。
なんと犯人はその場所(つまりタンク山アンテナ基地内)から遺体は移動していないという。
ちなみに27日に同体部分が見つかった時はいとも簡単に胴体部分が発見されている。
公開捜査を打ち切った日にも関わらずにだ。
新聞記事(犯人逮捕前)にもこう書かれていた。
「用意周到な犯人が珍しく慌てぶりを思わせる状態でJ君の胴体部分が発見された。アンテナ基地内から足がはみ出し、犯人の慌てぶりを思わせる状態で発見された。」
この状態でなんで公開捜査で発見できなかったのか?警察犬もいて死臭にすらも気づかなかったとでもいうのだろうか?死後2日たっているのにか?
39: 本当にあった怖い名無し:2012/02/22(水) 19:12:35.84 ID:4v7tXfgA0
否。常識的に考えてもタンク山で殺害された事事態が嘘だろう。
仮に犯人の供述どおりだったとするなら、2日間の公開捜査で見つけられなかった事はどう説明するのか?
犯人の供述に嘘があったとするなら話は更におかしな方向へと進んでいく。
犯人は14歳の少年である。
自分の場所も、車すらも持っていない人間が、「人間の同体部分」をどう誰にも見つからずに移動するのだろうか?
仮に見つからずに移動できたとしてどこに隠すのだろうか?
不思議なのはこれだけではない。同様に頭部に関しても不思議すぎる事がある。
頭部は午前6時40分に学校の正門を開ける用務員の通報によって発見された。
そして当初の警察の見方は「犯人は午前5時30~午前6時40分の間に頭部を正門に置いた。」としていた。
この根拠は以下の2つ。
1・午前5時~5時15分の間に頭部は無かったという多数の目撃証言がある事。
2・午前5時30~6時40分の間に頭部の位置が何度も変わっていたという多数の目撃証言がある事。
しかし犯人の調書を見てみれば驚くべき事が明らかになる。
「僕は午前1時~午前3時の間に頭部を正門に置きに行きました。」
だとすると、多数の目撃証言はなんだったのだろうか。ちなみに犯人はこの日(すなわち27日)に午前5時以降完璧なアリバイがある。
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